本当は予約投稿とかしたかったのですが、未実装とのことですので。
今話に続く投稿は、次回の日曜日(8月18日)の予定です。
では第3話、どうぞ。
なのはが魔法と出会ったのは、ほんの4、5日ほど前のことだ。
何の訓練も受けていない、魔法の存在など知りもしなかった9歳の少女だった。
しかし、出会ってしまった。
魔法の力に出会わせてくれたのは、ユーノと言う名のフェレット。
一人ぼっちのユーノのために、自分のできることをしようと考えた。
その結果、たった数日で5個の(1つはユーノが元々持っていた物だが)『ジュエルシード』を集めることに成功した。
出来ると思った、何のとりえも無い自分が誰かの役に立てるのだと喜んだ。
「……どうして……」
慣れない魔法の酷使で疲労していたと言うのは、言い訳にもならなかった。
何故なら、起こってしまったのだから。
起きてはならないことが、起きてしまったのだから。
「何で、こんなことになっちゃうの……!」
「なのは……なのは、落ち着いて!」
純白のバリアジャケット――魔導師の防護服に身を包んだ9歳の少女が、ビルの上で悲鳴じみた叫びを上げた。
そんな彼女の眼前では、信じられないような事態が展開されていた。
木だ。
巨大な樹木が街に広がり、ビルや道路に根を張らせている。
木が出現しただけと言えば聞こえは良いが、街には甚大な被害が出ていた。
ビルや道路と言う物的被害だけで無く、怪我をした人間もいる。
ただ一つ救いがあるとすれば、木の根がビルを支えているので死者がいないことか……。
「……酷い」
「たぶん、人間が発動させてしまったんだと思う……」
ユーノの言葉に、なのはは息を飲んだ。
『ジュエルシード』は生物の願い事を叶えるロストロギア、ただし歪んだ形で。
生物の知能が上がれば上がる程、その規模と内容は変化する。
強い想いを持った人間が『ジュエルシード』を発動させた時、その真価を発揮する。
強い、想いが……こんな形で歪められてしまう。
そのことに幼い心に衝撃を受けるなのはではあったが、一方でユーノが受けている衝撃はそれ以上だった。
自分が原因でバラまいてしまった『ジュエルシード』が、これだけの被害を管理外世界にもたらしてしまった。
これはもう、立派な「ロストロギア災害」である。
(どうすれば良いんだ……どうやってこの事態を収拾すれば……)
ユーノは魔導師だが、あくまでも結界などの分野に特化した魔導師である。
これだけの規模のロストロギア災害に対するに、力不足なことこの上無かった。
なのはも魔導師になって数日、いくら才能があってもこの規模の事件には対応できない。
これだけの規模のロストロギア災害に対応できるのは、時空管理局だけだ。
だがその管理局とも、今すぐには連絡が取れない。
詰みである、ユーノには有効な手だてが無かった。
だが……。
「なのは……?」
魔力の高まりを感じて、ユーノは隣の少女の顔を見た。
肩先から首を回して、自分が協力を仰いだ少女の横顔を見る。
なのはが手にしているデバイス『レイジングハート』が、持ち主の魔力の高まりに反応して桜色の輝きを放ち始める。
その魔力は制御されていないものの、広範囲に放出されていた。
それが『ジュエルシード』に浸食された木々にも影響を与え、拡大が止まり始める。
それだけ強大な魔力が、9歳の少女の身体から放たれているのである。
ユーノは驚いたし、そしてそれ以上に驚いた存在がいる。
なのはの魔力に反応したかのように、別の魔力の高まりが至近距離から放たれた。
それはまるで、鎖のような……いや、鎖そのものだった。
持ち主の意思を忠実に叶えるその鎖は、街中に広がる木々の一つ――とりわけ大きい中央の、なのは達から見て南西の方角、交差点近くの木を縛り上げる。
その木が鎖によって縛り上げられると同時に、拡大が完全に止まった。
「な……何? 今度は何が起こったの? また『ジュエルシード』!?」
「いや、違う……これは、魔法だ!」
「魔法!?」
なのはが驚きの声を上げると同時に、目の前に誰かが降りて来る。
ビルの屋上にいるなのはとユーノの前、屋上の手すりの上に「彼」が降り立つ。
その姿に、なのはは大きく目を見開いた。
暗い色合いのバリアジャケットに、対照的に明るい水色の髪と瞳。
なのはよりは年上だが、なのはの兄姉よりは年下に見える。
14、15程度だろう少年は、両腕から薄く青く輝く鎖を伸ばしていた。
その鎖は不思議なことに、途中で無数に枝分かれしているように見える。
だからこそ、一本の大樹を丸ごと縛り上げることもできるのだろうが。
「……えと、あの、どなた、ですか?」
「……同じセリフを、俺もキミに言いたいんだが……」
そのまま、なのはと……なのはとイオスは、見つめ合う形になった。
一方は初めて見る自分以外の「魔法使い」を好奇心をもって、もう一方はいるはずの無い「魔導師」を警戒心をもって。
異なる感情をもって、流水と不屈、2人の魔導師が出会った瞬間だった。
これもまた、一つの始まり。
これから先に繰り広げられることになる長い物語の、一つの始まりであった。
◆ ◆ ◆
「イオスさん!」
「え?」
意外なことに、最初に沈黙を破ったのはユーノだった。
なのはの肩から降りて、トトトトッ、と屋上を走って少年の下へ向かった。
なのはが突然のユーノの行動に驚いていると、ユーノは器用に手すりを上りイオスの足を伝い……。
そして、イオスによって放り投げられた。
驚いたなのはは慌てて駆け出し、宙を舞っていたフェレットをキャッチした。
それから、怒った顔を作って。
「な、何するんですか!」
「いや、何って……ネズミに知り合いはいないもんで」
「な!? ユーノ君はネズミじゃありません! フェレットです!!」
「フェレットもネズミも同じような……何だって?」
「だから、ユーノ君はフェ「それだ!」ふぇ?」
なのはの言葉にかぶせるようにして、イオスは指を立てた。
なのはにとって「ユーノ」と言う名前は完全にフェレットのものだが、イオスにとってはそうでは無い。
むしろ、イオスにとっての「ユーノ」と言う知り合いはフェレットでは無いのだから。
「イオスさん! 僕です、ユーノです! ユーノ・スクライアです!」
「ユーノぉ? ……マジか!?」
「マジです! 今ちょっと魔力と怪我の回復のために……」
「え~っと……ユーノ君?」
なのはが首を傾げている間に、イオスとユーノは再会を喜びあっていた。
ただユーノがフェレットの姿をしているので、イオスとしてはかなり微妙である。
無事に再会できたことを喜ぶ気持ちはもちろんあるが、それ以上に……。
「……悪かった、もっと早くに見つけてやれてたら……」
「そ、そんな、僕の方こそ……」
「いや、俺は管理局員だ。ロストロギア災害で民間人を保護する義務がある」
管理局員は、自分よりも外部の民間人を優先して保護する義務がある。
しかもイオスは執務官補佐である、何よりも職務上その性格が強い。
もちろんイオスとてこの数日間、遊んでいたわけでは無い。
街中を駆けて情報を収集し、その途上で『ジュエルシード』をさらに1つ封印してもいた。
だがそれは、何の言い訳にもならない。
「あ、あの~……ユーノ君?」
「あ……ゴメンなのは。この人は、管理局の人なんだ!」
「管理局……って、何?」
管理外世界の住人であるなのはには、「時空管理局」と言う存在の知識が無いのは当然だった。
駆け出しの魔導師とは言っても、そうした知識は無い。
そのことに思い至って、ユーノは慌ててなのはの肩先に戻って説明しようとした。
そしてそれを追うようにして、イオスもなのはの前に立った。
イオスの方が身長が高いので、なのはが見上げる形になってしまう。
「時空管理局執務官補佐、イオス・ティティアだ。状況を知りたい、何がどうなっているんだ?」
「え……えっと、そのー……」
始めて見る「本職の魔導師」に緊張しながら、なのはは自分が知っている限りの情報を伝える。
上手では無いかもしれないが、できるだけ急いで丁寧に。
◆ ◆ ◆
「――――了解した、後はこちらで何とかしよう。協力に感謝する」
なのはが話した内容は、話の構造としては単純な物だった。
要するに何者かが意図せずに『ジュエルシード』を発動、それが木の形を取りながら街中に広がってしまったと言うこと。
それを封印すべく行動しようとした所に、イオスが来たというものだった。
「だけど、どこに『ジュエルシード』があるのかわからなくて……」
「それなら大丈夫だユーノ、俺のデバイスが縛ってるあの木の中心にそれらしき反応があるから」
「本当ですか!?」
ユーノは驚いた、それは広範囲に渡る探知魔法で探ったのかと思ったからだ。
ただ実際にはイオスのデバイス『テミス』が『ジュエルシード』の魔力反応を覚えていて、半自動で捕まえているだけである。
イオスの放つ鎖は、イオスの魔力が続く限り半永久的にどこまでも伸びるからである。
「後はどうやって封印するかだけど……接近するか、大威力魔法か」
とにかく一定以上の魔力による衝撃を放ち、暴走する『ジュエルシード』にショックを与えて鎮静化させなければならない。
ただそれ自体は難しくないと、イオスは思う。
封印するだけなら、『テミス』の鎖を伸ばし形で疑似近接封印と言う手段が取れるはずだった。
むしろイオスにとって問題なのは、封印した後で……。
「あ、あの!」
「うん?」
そしてこのなのはと言う少女も、イオスとしては頭の痛い問題になりそうな存在だった。
おそらくはユーノが見つけた民間協力者だろうが、先程感じた魔力の高まりや年齢からして、良くも悪くも「管理局受け」しそうな少女だった。
その少女が、決意に満ちた目でイオスを見上げていた。
「わ、私にやらせてください!!」
「……ええと、名前を教えてもらっても良い?」
「なのはです! 高町なのは、小学3年生です!」
元気良く答えるなのは、素直に可愛らしいとは思うが。
「気持ちは嬉しいが、大丈夫だよ。封印は俺が出来るし……」
「お願いします!」
頭を下げて頼んでくるなのはに、イオスは表面上は表情を動かさなかった。
だが、内心では物凄く困っていた。
管理局には年齢制限は無いし、必要とあれば現地協力者を作ることも認められている。
しかしだからといって、10歳以下の子供を戦場に立たせることを推奨しているわけでも無い。
後々、いろいろと面倒事に発展する可能性がある。
さらに言えば、『ジュエルシード』散逸とこの事件の責任問題もある。
その分で言えばイオスの方こそなのはに頭を下げて謝罪すべきなのだが……。
……イオス個人はともかく、管理局はそれを容易には行えない組織なのだった。
「いや、でもなぁ……何で、そこまでするんだ? そりゃ、ここはキミの世界かもしれないが」
「……これは、私のせいだから……」
なのはの言葉に、イオスは眉を顰めた。
意味はわからないが、しかしなのはが真剣そのものだということはわかる。
助けを求めるようにユーノを見れば、そこには反対の色は無かった、むしろ……。
『イオスさん、僕からもお願いします』
念話を使って、ユーノまでもがなのはの参加を要請してきたのである。
流石にこの距離では、念話は過不足なく繋がるようだ。
そして保護対象、あるいはビジネス相手であるユーノの言葉はイオスには重い意味を持っていた。
何しろ引き渡し作業の途中でこの世界に落とされたため、『ジュエルシード』の法的所有権は未だスクライア側にあると思われたからである。
……イオスは、溜息を吐いた。
その頭の中では、リンディやクロノにどう報告した物かと言う悩みが発生していた。
その悩みが杞憂になるのは、もう少し先の話である。
◆ ◆ ◆
出来ると言う確信があった。
自分なら……自分と『レイジングハート』なら、やれると言う確信があった。
根拠は何も無い、ただ「出来る」と言う純然たる気持ちだけがあった。
そして、やらなくちゃと言う想いもあった。
何故なら自分は、知っていたのだから……知っていて止められなかったのだから。
だから、その責任を取りたかった。
自分には、その力があるはずなのだから。
<If that is what you desire>
「……ありがと、『レイジングハート』」
相棒たるデバイスを構えながら、なのはは小さく微笑んだ。
最初は戸惑ったが、今では大事な友達になってきている。
それはユーノにとっては意外だったし、初めて見るイオスにも新鮮な驚きを与えている。
(……インテリジェントデバイスか)
それはイオスの『テミス』と違い、人格型AIを搭載することによって高い自意識を獲得したデバイスだ。
所有者のサポートに優れ、会話を行うことで持ち主との連携を高めていく。
言ってしまえば、「生きた魔法の杖」だ。
種類にもよるが極めて高性能で、初心者に扱えるようなデバイスでは無い。
『ユーノ、この子って正規の魔導師?』
『い、いえ……魔法を学び始めて、まだ4日目です』
『……はぁ!?』
なのはが展開しつつある桜色の魔方陣の構成を見つめながら、イオスは驚愕する。
魔法を学び始めて4日目の少女が、『ジュエルシード』の封印を行おうと言うのである。
いかにサポート機能に優れたインテリジェントデバイスを持つとは言え、非常識にも程がある。
「……イオスさん! あの木の真ん中の黄色いのが『ジュエルシード』で間違いないですか?」
「え……あー、うん」
「わかりました!」
なのはの言葉にイオスが曖昧な返事を返したのには、理由がある。
それはある意味で、士官学校を出たキャリア魔導師であるイオスには認め難い事実。
なのはに見えている物が、イオスには見えていなかったからだ。
イオスが鎖で縛り上げている木の中心には、黄色い障壁に覆われた2人の子供がいる。
どうやら、あの子供達が『ジュエルシード』暴走の直接の原因らしい。
その中の1人の手に『ジュエルシード』が握られているのだが、イオスにはそこまで細かい所は見えていない。
そもそも『ジュエルシード』を捕捉しているのは、デバイスであってイオスでは無いのだから。
そしてさらにイオスを驚愕させる出来事が続く、杖形態の『レイジングハート』が変形したのだ。
核を覆うパーツが鋭角上に広がり、さらにグリップと桃色に輝く羽根が発生する。
先端に収束しつつある魔力は、明らかにイオスのそれを上回っていて……。
<Shoot in buster mode>
超長距離からの射撃、いや、砲撃魔法。
しかも封印魔法つきの封印砲である。
なお、並の魔導師にはとてもでは無いが組めない複雑な構成を含んでいる。
「なのは! ここからじゃ無理だよ、近くに行かなきゃ」
「大丈夫!」
魔力量、魔法展開速度、魔法構成、そして応用力。
いずれをとっても、並の魔導師には不可能な速度と密度と精度だった。
少なくともユーノには不可能だし、イオスの自信も多少は揺らぎかねないレベルだ。
だが、それを魔導師暦4日の少女が成しているのだ。
――――天才。
その単語が、嫌でも脳裏に浮かぶ。
もちろん、戦えば今はまだユーノもイオスもなのはに負けるとは思わない。
だが、それでも……。
「ディー……バイン―――……!」
<Divine buster>
「バースタァ――――ッッ!!」
空間を引き裂いた桜色の閃光は、イオスとユーノに戦慄を与えた。
それがロストロギアの歪んだ光を貫き、消し飛ばした。
それはまさに、光の柱だった。
◆ ◆ ◆
「……私、気付いてたんです」
事件後、『ジュエルシード』から解放されたらしい10歳前後の少年少女が連れ立って歩いて行くのを見送りながら、なのははポツリと呟いた。
彼女の目の前には、壊れた道路や崩れた建物の瓦礫が散乱している。
あれほど猛威を振るっていた巨大な樹木は一つも残っておらず、『ジュエルシード』の魔力の暴走が収まると同時に何事も無かったかのように消えてしまっていた。
しかし、起こってしまった事実は消えない。
壊れた街と、怪我をしてしまった人々。
なのはにとって、初めての「ロストロギア災害」の結果がそこにあった。
「お父さんがオーナーをしてるサッカーチームの試合が今日、あって……そこで、あの男の子から『ジュエルシード』の反応を感じたのに……私、気のせいかなって思っちゃって……」
サッカーチームのゴールキーパーの少年が、マネージャーの少女へとプレゼントしようとした石。
それこそが、『ジュエルシード』だった。
気付いていたのに見逃したと言う事実に、なのはは心を痛めていた。
ユーノとの約束、疲労していたなんて言い訳にならないし、したくなかった。
自分のせいで、被害が出てしまった。
小さな拳を握り締めて、なのはは俯いてしまう。
役に立てると思った、出来ると考えた、だが結果はそうでは無かった。
9歳の少女が背負うには重すぎる悔恨の念が、その小さな胸に宿っていた。
「イオスさんは、ユーノ君より魔法が上手いんですよね?」
「……いや、どうかな。まぁ、今の魔力を消耗してるユーノよりは強い自信はあるけど」
「普通の状態でも、勝てそうに無いんですけど……」
謙遜なのか事実なのかはともかくとして、なのははユーノを除けば初めて出会う「本職の魔導師」を見上げた。
イオスを見上げるその瞳は、先ほど見せた決意の色を何一つ失ってはいない。
だからなのはは、そのままの勢いで告げる。
「私に、魔法を教えてください!」
「……あー……」
なのはの言葉に、イオスは内心で頭を掻いていた。
なのはに巨大過ぎる才能があることは、今日の事件で嫌という程わかっている。
それこそ即戦力になれるレベルで、場合によっては現時点でエースの称号を得られそうな才能だと思う。
管理局員として行動するなら、一も二も無く勧誘して引き入れるべきだ。
しかも今ならなのはにくっついてユーノも勧誘できそうである、2人ともイオスよりも年下なのにイオスよりも遥かに大きな才能を有していそうだ。
優秀な人員を勧誘したと言うことで、局内におけるイオスの評価も上がるだろう。
しかし、である。
「……ま、今日は家に帰って休むと良い」
――――保留した。
イオスはこの時点でのなのはの勧誘を、一時保留した。
理由はいろいろあうが、まず第一になのははその場の興奮で決めたように思える。
何より、「時空管理局」という組織に対する知識が余りにも無さ過ぎる。
魔導師としての現実を知らないのに、魔導師として生きていく決断をするのは拙い。
おそらくだが、リンディがこの場にいても時間を置かせただろうと思う。
……たとえそれが、フリだとしても。
最終的な結果が、変わらなかったとしても。
そう言う形を取ることは、必要なことだった。
「『ジュエルシード』の所有に関する諸々を含めて、後日改めて話し合おう」
「で、でも……っ」
「ご協力に感謝する、後はこちらに任せてもらいたい」
何か言い募ろうとしたなのはに対して、それをシャットダウンするかのような声音でイオスは言った。
ユーノになのはのことを頼んで、イオスはその場から離れる。
なのはは名残惜しそうにその背中を見送っていたが、イオスは振り返らなかった。
実際、イオスにはこの後もやらなければならないことがあった。
事後処理と言う名の、ある意味でロストロギア事件最大の難所が。
◆ ◆ ◆
ロストロギアに込められた想いの優しさに反応してか、奇跡的なことに死者はいなかった。
しかしビルや道路を壊す程の樹木が出現したため、全てが無事に済むはずが無い。
怪我をした人間は多くいるし、中には崩れかけたビルに取り残された人間もいる。
レスキューによって助けられるまでに時間がかかるような場所にいたりもするし、支えとなっていた樹木が突然に消えてバランスを崩してしまう建物もある。
そうした場所に閉じ込められた人々の内、何割かは……「気が付いたら、外に出ていた」と言う。
その人々は何者かによって救助された様子なのは確かだが、誰がどうやって救助したかまでは誰も記憶していなかったと言う。
中には怪我の治療の跡と見られる痕跡も残されており、レスキューや警察などは皆一様に首を傾げることになった。
さらに言えば病院に運ばれていた人々や事件の目撃者、果ては映像として残っているメディアの記録に至るまでが、翌日の朝までに樹木に関する記憶・記録を失っていたと言う。
個々人の所有する記録媒体や域外に避難した人々の記憶までは消えておらず、一部においては「大きな木が落ちて来た」などと言う証言も残ってはいたが。
結局報道では、「地震による倒壊と液状化」「老朽化による地盤沈下」等々の諸説が流され……。
最終的に、「原因不明」という形に落ち着いた。
それによっていくつかの企業や人間の運命を変えてしまったわけだが……それはまた、別の次元の話である。
◆ ◆ ◆
「……こんなモンかな、とりあえず」
朝日が昇り始めた早朝、未だ事件の処理に動く警察や専門業者の車両や人の動きをまだ無事なビルの屋上から見下ろしながら、イオスは呟いた。
溜息交じりのその声には、少しばかりの疲労を含んでいた。
何しろ小規模ながら(管理局にとってはの話である)ロストロギア災害の事後処理を徹夜で行っていたのである、多少の疲れは仕方が無かった。
何しろ海鳴市……第97管理外世界には、魔法文明が存在しないのである。
これが管理世界であれば堂々と「これはロストロギア災害です」と宣言する手もあるのだが、ここではそうもいかない。
この世界に無理のない範囲で、いわば「ごまかし」をしなければならなかったのだ。
「記録、執務官補佐権限で管理外世界住民に対するロストロギア災害の一部を隠蔽」
<Yes my lord>
デバイスに記録を残しながら、イオスは同時に別の
その別のことと言うのは、言わずと知れたあの少女……なのはのことである。
あの場では保留したが、管理局の組織としての性格上、あの少女が管理局入りする以外の未来をイオスには見通せなかった。
イオスが2つの『ジュエルシード』を回収している間に、5つも年下の少女が今日の分を含めて6つの『ジュエルシード』を回収していたのである。
単純計算で、士官学校を出たキャリア魔導師の3倍の働きをしていたことになる。
それも、魔法を学んで4日……いや、5日の9歳の少女がである。
これはもう、野に放っておくのは脅威としか言いようのない事態だった。
「俺の魔法ごと、『ジュエルシード』の暴走体を吹き飛ばすとか……」
『テミス』の鎖を砲撃魔法で消し飛ばすと言うことは、なのはの魔法に込められた魔力がイオスの魔力を上回っていたことを意味する。
もちろん、イオスも全力で魔法を組んだわけでは無いが……。
いずれにせよ、脅威だった。
クロノに勝るとは言わないが、イオスも自分の魔法構成の精緻さには自信があった。
それを、たった一発の砲撃魔法で消し飛ばすとは。
「……いるもんだねぇ、クロノ」
今は声が届かない幼馴染に、イオスは語りかける。
幼い頃に約束を交わした親友に、頭を掻いて肩を竦めて見せるように。
イオスの頭の中に描かれた親友は、「やれやれ」と言いたげに溜息を吐いていた。
「天才って奴が、さ」
自分達だって10代そこそこで執務官、執務官補佐の地位にあって「天才」だの「秀才」だのともてはやされてきたわけだが……。
ユーノやなのはを見ていると、自分やクロノのすぐ下の世代の方が凄い事になりそうな予感がしてくるイオスだった。
そしておそらく、自分の想像通りであるのであれば。
義母と言っても良いリンディは、はたしてどう動くのか。
イオスには何となくわかってしまっていた。
だからこそ、イオス自身は「保留」と言う形を取ったのであった。
最も、状況が今以上に難しくなれば別であろうが――――。
◆ ◆ ◆
――――数日後、深夜。
人々が未だ事件の傷跡を癒すことに追われていた頃、その存在はその街に降り立った。
夜の帳の下りた街を見下ろす位置に降り立って――偶然にも、そこは流水と不屈の魔導師が出会った場所でもある――あたりの様子を探るように、その存在はあたりを見渡した。
見に纏うのは、夜の闇に溶けて見える程の漆黒の衣装。
その手には、死神を想わせる闇色の杖……傍らには、紅色の大型犬のような動物が寄り添っていた。
「――――ロストロギア『ジュエルシード』、か……」
どこか儚げな印象さえ受けるその声は、まだ幼い少女のもののようにも思えた。
ぎゅ・・・っと杖を握り締めるその小さな手は、少し震えているように思える。
それを見た紅の獣が、寄り添うように頭を寄せる。
それに対する答えは……安らいだ微笑み。
「うん……母さんが待ってる、すぐに集めて帰ろう」
温もりと、冷たさと。
その両方の資質を持った存在が、海鳴市に降り立った。
これが後に何をもたらすのか。
今はまだ、誰も知らない。