魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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雌伏編第1話:「特別捜査官、初陣:前編」

 

 12月でも燦々と照りつける太陽の下、乾いた地面の上を歩く。

 足裏に乾いた砂の感触を感じながらあたりを見渡せば、気温と同様に熱い空気を滲み出している古ぼけたローブ姿の人々がいる。

 彼らは木の枝の柱とボロ布の屋根の下に露天を開き、思い思いの物を売っているようだ。

 

 

「ハイ、オニーサン。コレ、ホリダシモノ」

「ランチャーアルヨ、ミテイッテ!」

「オヤスクシトクヨ、オミアゲアルヨ」

 

 

 片言のミッド語で寄ってくる露天の人々をあしらって、少年は額にかかるフードの端をそっと押さえた。

 それからミッドチルダの夏のような日差しに目を細めて、そのまま振り向く。

 古ぼけたローブの裾から深い紺色の詰襟の上着とパンツが覗き、フードの間から見えるのは水色の髪と瞳だった。

 

 

 振り向いた視線の先を見れば、思った通りの事態になっていた。

 傍らに蒼い毛並みの狼を従えた車椅子の小柄なローブの主が、寄ってくる露天主をどう捌いた物かと弱り切っている様子が見て取れた。

 少年と異なり口元まで布で覆っているのだが、その少女らしい大きな瞳が不安に揺れているのがわかる。

 

 

「申し訳無いが、主から離れて頂けないか」

「ほらっ、あっち行け、あっち!」

「ああ、はい。ごめんなさい、結構ですので」

 

 

 そしてさらに車椅子の少女を囲んで周りの人々をシャットアウトしようとしている女性2人と少女が1人、特に桃色の髪の女性が布をズラして素顔を晒すと歓声が上がった。

 村にはいないタイプの美人の登場に、微かに露天主の男性達の間で熱が上がる。

 

 

「おーい」

 

 

 見かねて、少年が声をかける。

 すると露天の男性主達も少年を見るのだが、その隙を突いて小柄なローブ姿の少女が車椅子を押して少年の傍までやって来た。

 狼も女性達もそれに続いて――狼が寄って来た時、少年は明らかに一歩引いたが――やってきて、少年は露天主の男達に「悪いね」と言うように片手を上げてみせた。

 

 

「止まるなって言ったろ、捕まるから」

「ごめんなさい」

「んだよ、お前が早かったんじゃんよー」

「……可愛くねぇ……」

 

 

 車椅子の少女は素直に謝罪してきたが、もう1人は文句をつけてきた。

 可愛くない、少年は普通にそう思った。

 最も、少女の方に可愛く見られようと言う意識が無いわけだが。

 

 

「時間に遅れるわけにはいかない。さっそく向かうけど、良いか?」

「はい、大丈夫です」

 

 

 独特のイントネーションで頷く車椅子の少女に同じように頷きを返して、少年は未だ周囲を取り巻いている人々に注意しながら村の奥へと進んだ。

 少年の名はイオス・ティティア、少女の名は八神はやて。

 2人が出会って、すでに1年以上が過ぎている。

 

 

 しかし2人が今いるのは、出会った世界とはまるで別の土地、別の世界、別の次元。

 八神はやて、訓練校を出たばかりの准陸尉、「特別捜査官」。

 ――――新暦66年、最後の月のことである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――第31管理世界「ストルミツァ」。

 中央部に管理局の陸上警備隊を駐屯させる正式な管理世界であり、やや中心世界からは外れるものの資源の豊富さから管理局地上本部にも重視されている世界である。

 そしてその世界の中、南方の辺境部にその村はあるのだ。

 

 

「賑やかな村ですねぇ」

 

 

 感心するように言うのは、擦れ違う筋肉質な男性が担いだ木材を身を屈めながら避けて歩くシャマルだ。

 ボブショートの金髪をフードの中に押し込めて、興味深そうにあたりを見渡している。

 土埃が舞う砂利道の上に並ぶ露天と、木と土を混合させて作ったようなボロボロの民家。

 

 

 ミッドチルダは元より、第97管理外世界の海鳴市に比べても発展水準の低い村だ。

 どんなに発展している次元世界でも、辺境と言うのは存在する。

 辺境、それは単純に「中央でない」と言う意味を持つばかりでは無い。

 活力と活気、希望……そして、それ以外の澱んだ何かで満たされている。

 

 

「賑やかなのは良いんだけどよ、なんつーか……」

「ああ……」

 

 

 主人の車椅子を押しながら、赤い髪のおさげをフードの間から外に出しているヴィータが眉を顰める。

 砂利道には小さな石もある、車椅子が横転しないように注意して押す。

 そしてその隣、ローブの中で密かに剣の束に触れているシグナムも頷く。

 彼女達は、露天の大部分を占めているある「商品」に眉を顰めていた。

 

 

「……あれは、質量兵器では無いのか?」

 

 

 露天の布の上に無造作に置かれているのは、俗に言う「火薬を使用する小火器」の類だった。

 いわゆる拳銃だとか言われている物や、スイッチ式の小型砲塔などだ。

 あるいは一握り程度の大きさの爆発物などが野菜でも売っているかのように籠に積まれていたりして、物騒なことこの上なかった。

 

 

「あの、イオスさん。これってええんですか……?」

「ん、ああ。この村は管理局と協力体制にあるから、良いんだよ」

 

 

 質量兵器、大雑把に言えば「魔法以外の力で動く兵器」のことだ。

 新暦、つまり管理局の力が各次元世界に及ぶようになった時期に使用を禁止された兵器群。

 それが目の前でゴロゴロしていれば、局員としては穏やかでいられないだろうが。

 

 

『このエルセカ村は、元々は近隣で武器の密輸や横流しをしてた村だったんだけど……局が陸士部隊を常駐させるようになってからその傘下に入ったんだ。今ではそのルートを活かして近隣の違法な武器弾薬を集めて、それを管理局が買い取る……つまり報償を支払うって形になってる』

『なるほど、効率的だな』

『次元世界によっては軍備バランスとか情勢とか、いろいろ事情があるからな。それこそ、局が全部を上から押さえつけられるわけでも無し……』

 

 

 イオスが周りを警戒して念話で行った説明に、ザフィーラが納得したように頷く。

 理想を言えば、当然、この世界の質量兵器の管理は全て管理局がやるべきだ。

 しかし物理的に不可能、となれば次善の策として現地の組織と協力体制を敷くこともある。

 無理に押さえ付けてテロリストになられるよりは、よほど平和的と言う物だった。

 

 

「……あれ? じゃあ露天で売ったりって、それ、ええんですか?」

「さぁ、八神さん。もうすぐ着くから、そろそろお仕事モードに入ろうぜ」

 

 

 イオスは露骨に話題を逸らした、理由は周囲の人間の目が一瞬、剣呑な雰囲気を持ったような気がしたからである。

 はやては念話では無く肉声で話したミスに気付くと、胸元の剣十字に指をかけながら黙った。

 聡い彼女は、今ので大体の事情を察したのだろう。

 ――――「現実」、だ。

 

 

「これから会うのは、この村の長……まぁつまりこの近隣のトップだ。せいぜい気を付けて交渉しないと、今回の事件は最初から頓挫だな、「特別捜査官」殿?」

 

 

 特別捜査官。

 自分の役職名を呼ばれて、はやては改めて気を引き締めた。

 そうだ、自分はここに観光に来たわけでは無い。

 

 

 訓練校での研修を終えて、晴れて正式に「特別捜査官」と言う役職で採用されたのだから。

 守護騎士達を補佐に、5人でまずは贖罪の第一歩を踏み出したのだ。

 今日が、正式採用されてからの初任務。

 

 

『さて確認だ、八神さん。今回、現地陸士部隊から「特別捜査官」の八神さんに依頼された仕事は、ある密輸品の出所について調査すること。ここエルセカ村では普段流通してない高度技術の物品が出たらしいって話の真偽を確かめるのが仕事だ、そして背景の調査と報告もな。ここまでは大丈夫か?』

 

 

 念話で仕事の内容を確認するイオスに、はやては緊張した面持ちで頷く。

 初めての本格的な捜査官任務、嫌でも緊張する。

 でも家族もいる、だからきっと大丈夫。

 自分にそう言い聞かせて、はやては車椅子を自分で押し始めたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 特別捜査官。

 それは希少な技能を持つ人間が就くもので、必要な事件に随時出動する役職だ。

 持ち込まれる仕事は千差万別、それ故に万能性の高い技能を持つ者が選ばれる。

 

 

 魔導師では無く、魔導騎士と言う区分けで登録されたはやてにこの役職が与えられるのは当然であると言えた。

 無論そこには、守護騎士4名を補佐とすることで5人まとめての強力な戦力にしようと言う思惑もある。

 ただはやてとしては、家族と共に仕事が出来るのでそこについては感謝している。

 

 

「俺がこの村の長をやってるロシーニってもんだ。まぁ、モブツの旦那の紹介だって言うから時間は取ってやんたんだが、よぉ~……」

 

 

 イオスの二倍はありそうな筋肉質な巨体、ただゴリラと言うよりは牛に見えるのは何故だろう。

 そんなことをこの状況で考えられるはやては、意外と肝が据わっているのかもしれない。

 村の中では比較的大きな家の――それでも、壁の一部が崩れたり柱が腐っていたり、不潔感が漂っているが――12畳程度の広さの大広間で、はやて達は村の長ロシーニに会った。

 管理局と付き合いがあるためか、流暢なミッド語だった。

 

 

 タンクトップにボロボロのジーンズのようなパンツ、革が擦り切れてしまっているソファを潰しそうな勢いで座っているのが印象的だ。

 しかもその両膝に淫靡な雰囲気を漂わせる女を2人侍らせて、傍や壁際にはゴロツキのような雰囲気の男達を置いている。

 まさに王様気取り、対して自分達は椅子も勧められず立ったままだ。

 

 

(まぁ、私は車椅子やけど……)

 

 

 正直、付き合いたい人種では無い。

 しかしそれを表情に出してはならない、この1年間捜査官候補生として叩き込まれた基礎中の基礎だ。

 それに、自分が今担当している事件の解決には目の前の男の協力がいるのだ。

 

 

「……しかしよぉ、こっちとしても女子供を相手に話ってのもなぁ。俺もいろいろと忙しいもんでねぇ……まぁ、そっちのねーちゃん達くらい美人なら別の部屋で相手してやっても良いけどなぁ。がはははっ」

『……女の尻を撫でながら何言ってんだコイツ』

『念話で言うだけの良識があって、助かるってね』

 

 

 ヴィータの念話にイオスが応じるのを聞きながら、はやては瞑目する。

 実際、自分達は「女子供」なのだから仕方ない。

 自分の家族、おそらくシャマルとシグナムを妙な目で見られるのは業腹だが。

 モブツ――モブツ・ウスマヌ三等陸佐、現地の陸士部隊の責任者――の紹介状を持っていなければ、会っても貰えなかっただろう。

 

 

『さて、八神さん。打ち合わせ通りに始めてみようか』

『……はい』

 

 

 胸の奥の鼓動を鎮めつつ、はやては顔を上げた。

 今日ここに来たのは、ある密輸品について話を聞くためだ。

 この世界のあらゆる武器が流れて来ると言うこの村においても特異な、そんな密輸品が入ったと言う情報の確証を得るために。

 ……お仕事開始、であった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「初めまして、この度は私共のためにお時間を割いて頂きありがとうございます。私は時空管理局特別捜査官の八神――――」

「ああ? おぅ、お前ら……今、何か聞こえたか?」

「いやぁ、何も聞こえませんでしたぜ」

「蚊でも鳴いたんじゃないですかぃ?」

 

 

 どっ……と場に巻き起こる男達の笑い声に、はやては心臓を掴まれたかと思った。

 陸士の制服の下で汗が噴き出るのがわかる、表情は歪んでいないだろうか。

 背後で騎士達が雰囲気を固くしたのがわかって、慌てて自分を立て直した。

 しっかりしろ、と自分を奮い立たせる。

 

 

「……私は」

「声が小さくて良く聞こえねぇなぁ。もっと寄って来てくれねぇかなぁ」

「……」

 

 

 自分の横に立つイオスをちらと見上げれば、アイコンタクトで頷かれた。

 はやては改めて正面の男を見て、車椅子を押そうと。

 

 

(ボス)の前に座ったまま出ようってのか!」

「あんよで歩けねぇ幼児は、家に帰ってママに抱っこして貰った方が良いんじゃねぇのかい!」

「違いねぇ!」

 

 

 げらげらと響く笑い声に、車椅子の肘掛けを両手で握る。

 ――――怖い。

 足のことや親の事を言われた怒りよりも、そちらの感情の方が先に立った。

 

 

 怖かった、これまでの生活ではあり得ない異質な空気。

 今すぐに逃げ出したい、こんな所にいたくないと思う。

 目の奥が熱くて、今にも泣き出してしまいそうだった。

 

 

『この下郎共……!』

『暴発すんなよ、その瞬間に八神さんの仕事がパァになるぞ』

『しかし』

『……シグナム、ええよ、ありがとうな』

 

 

 代わりに怒ってくれる人がいる、それだけで気持ちは随分と軽くなった。

 気のせいだとわかってはいても、今は気休めが重要な場面だった。

 

 

『八神さん、やれるか? 何なら今回は俺が前に出ても良いけど?』

 

 

 臨時特別捜査官補佐、それが今のイオスの役職だ。

 もちろん階級ははやてより上だが、今回の初任務に関しては先輩として部下として出張ることが許されている。

 だが、はやてはそれに対して否と答えた。

 自分の仕事は、自分で出来ることは、自分でしなければ。

 

 

「お……?」

 

 

 誰かが声を上げた、大広間の真ん中で人々の目を引く出来事があった。

 車椅子に乗り、歩けぬと思われた少女が――――立ったのだ。

 立つ、それだけのことだが……少女にとっては、大変なことだった。

 

 

 リハビリも進み、少しなら走れるようにもなったとは言え……まだ、麻痺の影響は残っているのだ。

 しかし今、はやては立っている。

 剣十字に触れるように胸に手を置きながら、それでも。

 ……最初の一歩を、踏み出した。

 

 

(……大丈夫、歩ける)

 

 

 かかりつけ医の先生にもたくさんリハビリに付き合って貰った、普通に歩く分には問題無いはずだ。

 後は、自分の気持ち次第だ。

 

 

(歩ける……歩く!)

 

 

 一歩、一歩……そして、さらに一歩。

 床を軋ませながら、ゆっくりと村長に近付いて行く。

 誰も、何も言わない。

 沈黙の中、7歩で辿り着いた。

 村長ロシーニの足元に侍る女達の足にかかるかかからないか、まさに向かい合う形で。

 

 

「初めまして――――特別捜査官、八神、はやてです」

 

 

 口を大きく開き、胸を張り、腹から声を出した。

 その声は広間に甲高く響き、誰の耳にも届いたと思える声量だった。

 それに対して、巨体の村長は目を細めながら足を上げて――――。

 

 

 ――――ずんっ!

 

 

 と、床を片足で踏み抜いた。

 侍らせている女が小さく悲鳴を上げるが、それ以上にはやてが驚いた。

 シグナムとヴィータが念話で呼びかける中、まだ歩き慣れているとは言えないはやては後ろに倒れそうに。

 

 

『――――倒れるなっ!!』

「――――ッ!」

 

 

 イオスの声に反射的に足を下げ、踏み止まった。

 ぐらりと揺れる身体を腕の位置を変えてバランスを取って支え、とにかく倒れずに踏み止まった。

 子鹿のようにプルプルと震えているのは、慣れていないと言うよりは緊張と恐怖だろう。

 

 

 だがそれでも、はやては踏み止まった。

 ここで倒れたら舐められる、もう交渉どころでは無い、それがわかるから。

 だから、とにかく踏み止まった。

 

 

「……っ」

 

 

 はっ、と息を吐いて、はやては自分が立っていることを確認した。

 それに対して、まずは胸を撫で下ろす。

 それからもう一度ロシーニの方を見る、すると。

 

 

「今日は帰ぇりな」

 

 

 村長が立ち上がり、女達を両腕で抱きながらはやての前から移動している所だった。

 意味がわからなかった。

 どうして、と言う言葉が口をついて出そうになる。

 

 

「ちょ……!」

 

 

 一瞬だけ、こちらを振り向いたロシーニと目が合った。

 その細められた目に瞬間的に胸の鼓動が緊張で早まり、躊躇した。

 そしてその躊躇の間に、ロシーニは大広間の扉を蹴破るように開いて出て行ってしまった。

 

 

 ……残された形になったはやては、半ば呆然としてしまった。

 それはヴィータが近寄って来て手を引いてくれるまで続き、まさに彼女は途方に暮れていた。

 失敗してしまった、その思いだけが胸に圧し掛かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 数十分後、イオスに先導される形でエルセカ村を出てしばらくしても、はやては落ち込んでいた。

 原因は、先程の交渉……いや、交渉どころか挨拶ですら無い村長との会談だ。

 最初から全部が上手く行くなんて思っていなかったが、ここまでだとは思わなかった。

 

 

「はやて、元気出せよ。大丈夫だって、私達も頑張るからさ」

「……うん、ありがとうなヴィータ」

 

 

 車椅子の速度に合わせて隣を歩いているヴィータが励ますが、それでもはやての表情は晴れない。

 ザフィーラは狼モードなので表情が読めないが、シャマルは心配そうで、そしてシグナムは先程のゴロツキ集団のような村長と取り巻き連中に対して怒りの感情を抱いているようだった。

 

 

 あれから村長の家を出て村から出るまで、いくつかの露天で商品(密輸品と見られる質量兵器類)を見たりしつつ世間話などをしたが、中途半端なミッド語は聞き取りが難しく上手く話せなかった。

 完全に話せないならデバイスの翻訳機能も使えるが、中途半端だと困る。

 それからは、怪しまれないようにすぐに村を出て……。

 

 

「お、見えたな。八神さん、今日は村とここ、それとあと一箇所見せたかったんだよ」

「あ、はい……」

 

 

 村から2キロ程歩いただろうか、はやてが「いつの間に歩いたんやろ」と思いつつ顔を上げれば。

 

 

「……教会?」

「ああ、その通り。あれは聖王教会の……エルセカ小教区だ」

 

 

 聖王教会、聞いたことがある。

 自分達の保護観察と社会奉仕が決定した裁判の後、6ヶ月の訓練と研修と勉強の中に何度か出てきた。

 遍く次元世界に根を張る、古代ベルカの王<聖王>とその一族を崇める宗教団体だ。

 教会騎士団と言う固有武力を有し、ミッドチルダに自治領を持つ。

 

 

 そして、はやてにとって重要なのは宗教性でも政治力でも無く――――『ベルカ』。

 そう、ベルカなのだ。

 リインフォースや守護騎士達の「生まれ故郷」でもある古代ベルカの、末裔とも言うべき存在が現在のベルカ自治領であり、聖王教会なのだ。

 その内部には、ベルカ式の技術や古い文献なども多く残されていると言う。

 

 

(リインフォースを起こすためにも、絶対接点を持たなあかん組織なんやけど……)

 

 

 だがそれも、先程の体たらくでは難しい。

 先の長さや前途の多難さに苦しさを覚えて、はやては縋るように胸元の剣十字に触れた。

 弱い、と思う。

 リインフォースはきっと、縋って欲しくてこれをくれたのではないのに――――。

 

 

「聖王教会は最近、教区の拡大にも力を入れてるからな。ロストロギア回収やらで協力することもあるから、覚えておいてくれ」

「うん……」

 

 

 教会を中心にいくつかの建物が並び、広大な敷地に城壁のような白い塀を建てるその場所に。

 もしかしたら、手がかりがあるかもしれないのに。

 そんなはやての沈んだ考えに気が付いたのか、イオスが首を傾げて。

 

 

「うん? どうしたんだ八神さん、テンション低いな」

「そ、そんなことは無いですよ?」

「はやてはさっきの失敗で落ち込んでんだ、空気読めよお前」

 

 

 ヴィータが威嚇するようにイオスを睨むが、はやてからするとヴィータの言葉もなかなかである。

 

 

「失敗……? あ、もしかしてさっきの村長との話し合いのことか?」

「そーだよ!」

「うるせぇ、何でてめぇが答えるんだよ。それはそれとして、八神さん。もしかして、さっきの失敗だと思ってる?」

 

 

 不思議そうに首を傾げるイオスに、はやては戸惑いながら頷く。

 イオスは「ふむ」と頷くと、いろいろと考える様子になって……そして、笑顔で指を立てた。

 

 

「大丈夫、失敗なんてしてねーから」

 

 

 ふぇ? とはやてが変な声を上げてしまったのは無理も無い。

 守護騎士達も、シャマル以外は「何を言ってるんだコイツ」と言いたげな目で彼を見ている。

 イオスは守護騎士達の視線をうるさそうに払って、それから目を丸くしているはやてを見て。

 

 

「え、え……失敗してないって、え?」

「だって、相手は『今日は帰れ』って言っただろ? また来るなとは言ってない、ならまた話し合う時間をとってくれるってことだろ。今頃は、次の話し合いで渡す情報のリストでも作ってると思うぜ」

「ポジティブですね」

「交渉ってのはポジティブじゃなきゃ出来ねぇよ」

 

 

 シャマルの感心したような声に頷いてから、イオスは2キロ離れた村の方角を見る。

 シグナムなどは気付いていただろうが、1キロあたりまでは村長の家で見た男が何人か遠くから自分達のことを見ていたのだ。

 興味が無ければ、無い反応だ。

 

 

「エルセカ村にとって管理局は最大の顧客だ、しかも陸士部隊の部隊長の紹介状を持った相手を、女子供だからって理由でどうこうしたりはしない。脅しもスカしもするだろうけど、手は出さない。それくらいの分別はある連中だよ、だからこそ近隣地域の元締めでいられる」

 

 

 管理局と言う後ろ盾があればこそ、エルセカ村は近隣の都市や組織に影響力を持てる。

 自分達の利益を守るためにも、局との対立に発展するようなことだけはしない。

 少なくとも、管理局側が自分達を裏切らない限りは。

 

 

「だから八神さんは失敗なんてしてないよ、大丈夫。今日は挨拶と顔合わせみたいなもんだ、次からよろしくってね。それに」

 

 

 ニッ、とイオスは笑って。

 

 

「八神さん、コケなかったろ? アレが良かったんだと思うよ、ちゃんと名乗れたしさ」

「あ……」

 

 

 失敗していない、大丈夫。

 そう言われた時、はやては胸の奥のモヤモヤがすっと取れたのを感じた。

 ほっとした、それに尽きる。

 ただそれが過ぎて、抑えた堰から漏れたかのように涙が一滴流れたのは想定外だったが。

 

 

「うおっ、え、ちょ、八神さんんんんんんっっ!?」

「てめぇ、何はやてを泣かしてんだよ!!」

「え、俺!? 俺かぁ!?」

「ち、違、違います、すみません……」

 

 

 幸い、流れたのは一滴だけだ。

 陸士の制服の袖でそれをすぐに拭い、珍しくヴィータに対し弱気なイオスを見て笑う。

 優しい、優しい先輩だとはやては思う。

 

 

 けれど、その優しさに甘えてはいけないとも彼女は思う。

 『闇の書』という縁で繋がった2人だから、甘えは許されないと知っている。

 自分と家族の贖罪は、まだ始まったばかりだから。

 

 

「……む」

「どうした、ザフィーラ」

「風の匂いが、変わった」

 

 

 ザフィーラが顔を上げると、皆がそちらを見た。

 ヴィータとイオスは未だに言い争っていたが、他の面子は上空を見た。

 次いで、バラバラと言う独特のプロペラ音が徐々に大きく聞こえるようになって来た。

 そして、陽光に装甲を反射させながらゆっくりと降りてきたそれは。

 

 

「……ヘリ?」

「え? ……おお、来たか」

 

 

 細長いネイビーグリーンの機体の前と後ろにプロペラのついた大きなヘリが、ゆっくりと降りてきていた。

 「3199」と数字の振られたその機体は、現地の陸士部隊所属のヘリであることを示していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 驚くほど遮音性の高い大型輸送ヘリの中、はやては緊張したように固定された車椅子の上で身じろぎをした。

 ヘリと言う乗り物にはあまり乗ったことが無いので、微妙に不安を感じているのだ。

 そこへ、操縦士と話し終えたらしいイオスがやってくる。

 

 

「15分くらいで到着するってよ。慣れない環境で大変だとは思うけど、休んでろ」

「わかった」

「てめぇには言ってねぇし。八神さんに言ったんだし」

「はやてに色目使ってんじゃねーぞ、お前」

「ああん……?」

 

 

 確かに不慣れで、自分では無い何かに乗って空を飛ぶ浮遊感に不安を覚えるが……ことあるごとに喧嘩を始めるイオスとヴィータを見ていると、それも解れていくのを感じる。

 自分の隣で普通に座席に座っているシャマルが自分の身体の調子を軽く診ているのがわかって、それにもお礼を言う。

 

 

「ありがとな」

「いえ、私ははやてちゃんの補佐ですから」

 

 

 イオスの話によれば、次で今日行く場所は最後だと言うことだった。

 現地の陸士部隊……陸士3199部隊が3ヶ月前に制圧した違法研究所で、何らかの違法機械・兵器を研究・生産をしていた施設らしいと当時の報告書には書かれている。

 今では陸士部隊の操作の手もかなりの部分まで入り、生産されていた兵器の物らしい設計図の一部も吸い上げに成功したらしい。

 

 

「その研究所は、どういった背景の連中が使っていたのだ?」

「あー……それは不明だな。何故なら連中、自爆したらしいんだよ」

「自爆!?」

「そう、自爆。エクスプロージョン……おいザフィーラ、人間形態にならねぇ?」

「この姿の方が魔力運用の効率が良いのだ」

「あ、そ」

 

 

 ふりふり振られる青い毛並みの尻尾を気にしながらも、ヘリの壁にもたれるようにしてシートに座っているイオスは両腕を器用に使って複数の表示枠を空中に出す。

 情報自体は陸士3199部隊からデータと紙媒体で受け取っているが、はやてはまだ情報の抜き取り等に慣れていないため、今回はイオスが臨時補佐としてはやての代わりに情報整理を行っている。

 

 

 流石に局員生活5年の手際は違う、はやてはイオス程には通信や調査の表示枠や機器を扱うことができない。

 もちろん補佐としてシャマルなどがいるが、常にシャマル達と一緒にいられるわけでは無い。

 デバイスが未完成と言うことも、もちろん大きな理由の一つだが……とにかく。

 早くいろいろなことに慣れて、1人前の仕事が出来るようになりたいと思った。

 

 

「ただ、何の兵器を生産していたのかはわからない。自爆されちまったから、犯人グループとかの詳細も不明だ。つーか、人がいた気配が無いから無人生産だったんじゃねーかって話も出てる」

「ふむふむ……うん?」

 

 

 ふと、はやては疑問を感じた。

 感じた疑問を、そのまま言葉にする。

 

 

「この事件が、さっきの村と何か関係があるんですか?」

 

 

 はやての仕事は、エルセカ村に普段流通しない密輸品についての調査だったはずだ。

 それが、今イオスが話している違法兵器生産ラインの話に繋がるのか。

 そんな疑問を素直に呈して来たはやてに、イオスはニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

「鋭いじゃん」

 

 

 イオスが表示枠の列から別の画面を指先で複数挟んで引き出し、それを向かい側に座るはやての前に滑らせる。

 そこに表示されているのは、ある老舗の小型航空機用エンジンメーカーが「質量兵器禁止以前に」生産していた内燃機関タイプのエンジン部品の画像と設計図。

 そして並ぶ画面には、陸士3199部隊が吸い上げた設計図の一部だ。

 

 

「……専門では無いので詳しくは無いが、類似しているように思うな」

 

 

 一同が抱いた感想を、ザフィーラが代表して口にする。

 似ているというのは形状もそうだが、素材の比率や製造工程なども含めてのことだ。

 同じ部品でもメーカーによって素材比率や耐久度、使用用途などが大きく変わる。

 しかし、この2つは似すぎている。

 そしてもう一つの表示枠を引き寄せて、シャマルが眉を顰める。

 

 

「……仮定だけど。施設で見つかった設計図の部品は、この新暦直前まで生産されていた部品を現在の技術でより高度化した物じゃないかしら?」

「今『アイゼン』をデータベースに繋げて調べてみたけどよ。この部品、この次元世界の技術レベルじゃまず使えねぇぞ。それこそ、ミッドとか……私らが今乗ってるこのヘリとかに使うもんだろ」

「つまり、他の世界で使うことを目的に生産された可能性が高い。もちろん、合法では無い」

「うん……せやね」

 

 

 シグナム達が、自分が情報を整理しやすいようにわざわざ声に出してくれることを意識しながら、はやては頷いた。

 休憩していろと言われたが、頭をフル回転させて自分なりの仮説を立てる。

 おそらく、すでにヒントはいくつも出ているはずだ。

 

 

 3ヶ月前、局の摘発直前に自爆した無人(かもしれない)生産・研究施設。

 そして同時期に普段は絶対入らない商品を入荷したと言う密輸の村、エルセカ。

 さらには、新暦と共に禁じられた機械部品の発展版の設計図……。

 ――――……はやては、顔を上げて告げる。

 

 

「……エルセカ村に、この違法施設で作られた部品が『入荷』したんやね? それも、この世界では使えない、入荷しても売れへんような高度な物が」

 

 

 つい敬語を忘れてしまう程、胸の奥が熱かった。

 興奮している、と自分でもわかる。

 そして、そこからさらに思考を進める。

 

 

 では、村が施設と繋がっていたのか?

 いや、先程イオスが言ったようにエルセカ村が管理局に睨まれるようなリスクを犯してまで売れない商品を入荷したとは思えない。

 つまり、仲介した売人がいる……!

 

 

「……それを次の交渉で村の連中から確認するのが、特別捜査官の仕事だな」

 

 

 笑いながら言うイオスに、はやては真剣な顔で頷いた。

 今さらながら、自分の仕事の重大性を再確認したのだ。

 密輸事件ならば陸士部隊で対処できる、違法施設ならば執務官が対処する、捜査官はそれらを含めた広い範囲での視点を持たなければならない。

 

 

 目の前の事件だけで無く、その事件がどこまでの広がりを見せて何に影響を与えるのか。

 はやての役職は、そう言う仕事なのだった。

 

 

「お、そろそろ到着だな……準備は?」

「大丈夫です」

 

 

 イオスの言葉に強く頷いて、はやては胸元の剣十字を握り締めた。

 縋るのではなく、誓いを確認する強さで。

 その顔つきは、最初に比べて頼もしく見えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それからは、陸士3199部隊が調査したと言う違法施設の検分に数時間ほど要した。

 施設は地下に作られていて、しかもかなり深かった。

 陸士部隊の現地要員の説明を受けつつ奥へと入り、部隊の担当班が安全を確認した部分だけを見せてもらった。

 

 

 安全確認の済んでいない箇所も出来れば確認したかったが、イオス曰く「陸士部隊の縄張り意識を刺激しない方が良い」との理由で深くは突っ込まなかった。

 とにかく、生産ラインらしき工場設備や通信ルームらしき部屋の跡――自爆の衝撃で元の形を残していないが――などを見せてもらった、サンプルらしき熱で溶けた製品なども。

 それが終わった時には、すっかり日が落ちていて……。

 

 

「ああぁ~、疲れたなぁ~……!」

「お疲れ様です、主」

「ふふ、お疲れ様、はやてちゃん」

 

 

 陸士部隊の女子宿舎にあてがわれた部屋で、はやては着替えもせずシャワーも浴びずにベッドに身を投げていた。

 その横では、やはり制服姿のままのヴィータがうつらうつらとベッドに座って舟を漕いでいた。

 2人部屋が2つ、はやてとシグナム、シャマルとヴィータだ。

 まぁ、結局は一部屋に集まっているわけだが。

 

 

 違法施設から再びヘリに乗って、陸士部隊の駐屯地に戻って来た時には夜だった。

 部隊長であるウスマヌ三等陸佐などに今日の報告をし、提出する書類などをイオスや騎士達に手伝ってもらいながら仕上げた時には深夜と言って良い時間帯だった。

 10歳そこらの、しかも新人の少女にはキツい行程だっただろう。

 

 

「あぁ~……もう、このまま寝てまいそうやぁ……」

「ダメですよ、はやてちゃん。ちゃんとお風呂に入って、それに着替えてから寝ましょうね? 制服も皺になりますし、疲れもちゃんと取れませんから」

「う――ん……シグナムぅ、ごめんやけど一緒に行ってくれるかぁ? このままやったら、途中で寝てまいそうで……」

「わかりました」

 

 

 2人が苦笑しているのがわかって、はやては穏やかな気持ちになる。

 場所は違うが、海鳴の家にいるかのような気分だ。

 この部屋には家族しかいないから、遠慮することも無い。

 スイッチを切っても、問題は無い。

 

 

 実際、初仕事の今日は物凄く緊張して、疲れていた。

 怖かったし、ドキドキしたし、落ち込んだり興奮したりと忙しかった。

 肉体的にも精神的にもキツく、正直、明日からやっていける自信が……。

 

 

「あら……はやてちゃん、イオスさんからメールですよ」

「イオスさんから?」

 

 

 ザフィーラと共に男子宿舎の部屋で――イオスは狼形態をやめろと主張していた――休んでいるはずのイオスからのメール。

 はやてへの連絡などを補佐として管理しているシャマルが、自分の画面をはやての側へ押す。

 するとそこには、確かにイオスからのメールがあった。

 

 

「何やろ、明日のスケジュールの確認かな……って、何やコレ、本文無いやん」

「はやてちゃん、何かデータが添付されてますよ」

「本当やな、えーと……わっ!?」

 

 

 メールに添付されていたファイルを開いた瞬間、立体映像が飛び出してきた。

 それはカラフルなルーレットのようで、賑やかな色を発しながら(音は出ない)回転していた。

 そして空中に表示される新たな表示枠に、「ここを押そう」というボタンが。

 

 

「え、えーと……」

 

 

 押してみた方が良いのだろうと思って、押してみる。

 するとルーレットの回転がゆっくりと止まり、赤い針にマスの一つが止まった。

 その瞬間、今度は「パンパカパーンッ」という音と共に新たなメッセージが出た。

 

 

「な、何だ、何だ!?」

 

 

 その音でヴィータが飛び起きていたが、それよりもはやては表示されたメッセージに目を奪われた。

 そこには、笑顔のマークと共にこう書かれていた。

 

 

『大当たり~♪ 大当たりを当てた貴女は明日もきっと上手く行くよ! 初日お疲れ様、明日も頑張ろう!』

 

 

 読み終えた後、悪いとは思いつつも「ぷっ」と笑ってしまった。

 何だろうこの子供じみた悪戯は、ヴィータなどは「あの野郎、明日覚えてろよ」と言っているというのに。

 きっと、気を遣わせてしまったのだろうと思う。

 

 

 今日の自分は、傍から見て物凄く頼りなかったと思う。

 イオスや騎士達に何度も助けられたし、陸士部隊の人達がいなければ仕事すらできなかった。

 本当に、自分は何も出来ない。

 今日は、それを再確認してばかりだった。

 

 

「皆……明日も頑張ろな」

 

 

 そう言うと3人は思い思いの言葉で、しかし同じ意味の返答をしてきた。

 確かに今日も失敗ばかりだったけれど、それでも。

 明日も頑張ろうと、はやてはそう思えたのだった。

 

 

 そしてこんな自分を助けてくれる魔導師の先輩に、はやては穏やかな顔で返信を打ち始めた。

 さて、どんな悪戯を返してやろうか。

 明日向こうがこちらに会うのが恥ずかしくなるくらい、感謝の言葉を綴ってみようか……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 初仕事の会談から丸2日経った後、はやては再びエルセカの村長の屋敷の敷居を跨いでいた。

 2日間で集めた情報を復讐・精査した上で望んだ今回の会談は、はやても幾分か落ち着いて取り組むことが出来た。

 今回は以前と違って小部屋に通されて、椅子まで用意されていたことも心を穏やかにする原因だったのかもしれない。

 

 

「まぁ、今日は何か面白い話を聞かせてほしいもんだわな」

 

 

 小さな椅子に窮屈そうに身を収めている巨漢の村長の姿を見ていると、内心で笑ってしまいそうになる自分がいることに気付く。

 初日に比べれば、随分と緊張も和らいだと思う。

 3日目になってようやく、はやては本来の自分というものを持てるようになっていた。

 

 

(まぁ、えてしてそう言う時が要注意なんだが)

 

 

 車椅子のはやての隣――向こうの指定で、こちらはシャマルを入れた3人――に座るイオスは、静かにはやての仕事を見ながらそんなことを考える。

 実際、慣れ始めた頃が新人は危ない。

 自分も士官学校を卒業してすぐの頃は、仕事は失敗しかした覚えが無いくらいだ。

 

 

 まして今、相手は「先にこちらの情報を開示しろ」と言ってきている。

 情報は生き物だ、一秒ごとに鮮度が落ちる。

 そして用があって来ているのはこちらだ、ならばこちらから何か渡すのが礼儀だ。

 何を渡すかによって、向こうが寄越す情報の質も変わるだろう。

 

 

「……近く、駐屯地から団体がこの村に来る、と言う噂を耳にしました」

「ほう、そうかい。団体さんなら稼ぎ時だな、歓迎の準備をしねぇとなぁ」

 

 

 イオスとシャマルに目配せした後、はやてがはっきりとした口調で話す。

 内容は陸士3199部隊がエルセカ村などに対して行う査察の時期についてだ、陸士3199部隊は質量兵器の買取協定違反などをしていないかを不定期に確認している。

 その時期を知ることは、事実上の密売を行っている村にとっては重要だ。

 

 

 しかし、向こう側はその情報自体には大した価値を見出していないようだった。

 まぁ、査察の時期については別ルートからでも情報を入手できるし、最悪賄賂や買取価格の譲歩でかわすことが可能だからだ。

 だから、はやてはさらに。

 

 

「あ、それとこれはあまり本題とは関係が無いんですけど」

「何だよ」

「……クラナガンから首都の中古衣服店に、ヴィンテージ・ジーンズの納入があるとか」

「マジか!!??」

 

 

 小声のはやてに対して、村長のロシーニが大声で反応した。

 当たりか、はやての横でイオスはそう思った。

 デバイスで撮っていた初日のロシーニの服装を確認した時、ダメージ・ジーンズがクラナガンのブランドだったことがわかったのだ。

 ロシーニは、無類のジーンズ好きだった。

 

 

 衣服に注目するあたり、女性らしいなとは思う。

 気付いたのははやて自身だ、何でもザフィーラ(人間形態)のジーンズがそこの系列の品らしい。

 まぁ、ザフィーラのはヴィンテージでは無いが。

 そしてクラナガンのブランド品が第31管理世界の首都に流れてくることは滅多に無い。

 だからこの情報は、ロシーニにとってしか価値の無い物だった。

 

 

「ち、ちなみにそれはいつ……」

「面白いお話、聞かせて頂きたいです」

「ぬ……」

 

 

 だからこそ、効果を発揮する。

 そして「今度はそちらだ」と言うはやてに、ロシーニは唸る。

 しかもシャマルが表示枠で納入商品のラインナップらしき物をわざとらしく出していて、それを見つめる物欲しそうなロシーニの顔が印象的だった。

 

 

「……何が聞きたい?」

「最近、何か面白い物が入荷したってお聞きしました」

「ああ、あったな……3ヶ月前くらいだったかな、あれは」

 

 

 3ヶ月前、その時期をはやては心の中で呟く。

 

 

「で、いつだよ?」

「あ、納入の方もそれくらい先だそうです」

「マジか……品は?」

「3ヶ月前に何を入荷したんですか? どんな物を?」

「ウチじゃ売れないもんだ、下っ端の奴が高機能品だから高く売れるって聞いて大枚はたいて仕入れやがったんだよ。物が物だから、局にも売れるかどうかわからなくて困ってんだ」

「私から陸士にお願いしてみます、航空機用の部品を買いたがってたみたいですから」

「へぇ、そいつはありがてぇな……で、で? 品は?」

「シャマル」

「はい、送信します……アドレスはこちらで?」

「おぅ、俺の個人アドレスだ。仕事以外でも声かけてくれよねーちゃ……うおっ、このシリーズは……!?」

 

 

 ……今のが、一連の会話の一部だった。

 練習5割、アドリブ5割と言うところだろうか。

 しかしそれにしても、ジーンズ一つで個人アドレスまで手に入れるとは……まぁ、イオスには価値の無いジーンズだが、ロシーニにとってはそうでも無いのだろう。

 

 

 そして、はやての頑張りもあるのだろう。

 ある意味、なのはやフェイトとは別の形の才能と言える。

 意外と、こういうことの方が向いているのかもしれない。

 

 

「ちなみに……どこからの入荷だったんですか?」

「ああ……」

 

 

 納入されるジーンズのリストを眺めながら、ロシーニが「商品」の仕入先を告げる。

 

 

「細かい話は俺も知らねぇ、ただ……神父の格好をしてた、らしいな。珍しい連中だったからよく覚えてたってよ」

「神父……?」

「それとも司祭って言うのか? 俺らみたいな不信心者にゃ細かい違いはわかんねぇよ」

「司祭……だと?」

 

 

 ここで初めて、イオスは声を上げた。

 今のロシーニの言葉は、それだけ重要な発言だったからだ。

 珍しい顔ぶれで、しかも司祭と言えば……ここでは一つしか無い。

 

 

 ――――聖王教会、エルセカ小教区。

 

 

 聖王教会が、違法施設で生産された部品を密輸の村に持ち込んだ。

 いや、格好だけ真似たのかもしれないし、それに教会としてやっているのかはわからない。

 ただいずれにせよ、調べる必要はあった。

 

 

(……陸士部隊から聖王教会への訪問を、セッティングしてもらう必要があるか)

 

 

 はやてとロシーニの交渉の続きを聞きながら、イオスは考える。

 この事件、意外な所に着地するのかもしれない……と。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ゆったりとした陽光が降り注ぐその部屋に、芳香な香りがふわりと広がった。

 それは窓際に置かれたた小さな丸テーブルから上がる物で、香りを乗せた小さな白い湯気が上がる。

 お湯で温められた小さなカップの中に満たされている赤茶色の液体に、椅子に座る少女は目を細めた。

 

 

「どうぞ」

「……ありがとう」

 

 

 堅苦しく自分の前に紅茶を置く少女に苦笑しつつ、椅子に座る少女はゆっくりとした動作でカップを手に取る。

 背中に流された長い金色の髪に、前髪を纏める紫色のカチューシャ。

 深い紺色の丈の長いワンピース、大きく折り返す白い襟元……それは、修道女が着るような服。

 ただ陽光の下で紅茶に口付けるその姿は、シスターと言うよりは深層の令嬢と言った方がしっくり来る。

 

 

 紅茶を淹れた少女の方が、この場合はシスターと呼ぶのに違和感が無い。

 紫に近い深い桃色の髪に同じ色の瞳、どこか鋭い雰囲気を自然を漂わせながら姿勢正しく、紅茶を飲んでいる少女の傍らに立っている。

 どこか、使用人然としている所があるかもしれない。

 

 

「……そう。管理局の方が来るの」

「はい。何でもとても若い方だそうで、特別捜査官……と言う役職なのだとか」

「そう……それは」

 

 

 形の良い唇をカップの縁につけて、少しの量の紅茶を舌先で味わう。

 ほぅ……っと温かな吐息を漏らすその姿は、陽光に照らされて地上のものとは思えない程に美しい。

 ただ、だからこそどこか造り物めいているようにも見えるのだった。

 

 

「それは、とても興味深いわね」

「……そうですね」

 

 

 その姿を、使用人然とした少女は心配そうな、それでいて呆れているような、ハラハラしているような視線で見守っている。

 教会の外から来る「お客様」とやらがどんな人物かは、わからないが……。

 

 

 いずれにしても、何らかの変化をもたらしてくれるだろうことは、間違いが無さそうだった。

 それがその「特別捜査官」とやらの望む所なのかどうかは、それこそ誰にもわからない。

 ――――天上におわすと言われる、彼女らの崇拝の対象以外は。

 

 





最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
今話を最初に、雌伏編、つまりStS編までの空白期の物語を描いて行きたいと思います。
最初のお話しは、はやてさんの初任務の話です。
次回、正式に大事な出会いを果たす予定。

しばらくはこのような形で細かい話を描いて、年内には本格的にStS編に入りたいと考えています。
それでは今後とも、よろしくお願いいたします。

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