魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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A’s編第14話:「流水の魔導師」

 悪い、親父――――と、イオスは幻の父を想った。

 どうやら自分は『流水』の属性には向かない性根をしているようだ、と。

 『水に流す』とか、無理だ。

 

 

「一つだけ聞きたい、八神さん」

 

 

 『闇』が顕現しつつある世界で、イオスは『夜天の主』たる少女と向き合っていた。

 そして100歩譲って、いや譲る必要も無いが、八神はやてに対してイオス・ティティアは含む所は何も無い。

 そこまで、イオスは自分の人格を貶めるつもりは無かった。

 

 

 ただなのは同様、10歳を待たずに管理局に関わるだろう管理外世界の少女に対して、それなりに思う所はある。

 しかしそれも結局ははやて自身の現実であって、イオスにはどうすることも出来ない。

 ただ、一つだけ。

 

 

「どうしてそいつらを……『家族』だなんて呼べるんだ?」

 

 

 『闇の書』に取り込まれ、また彼女の意識を介して外と連絡を取った。

 その際、混線のような形でお互いの情報が交換されたのである。

 情報と言うより――――記憶の、交換だ。

 

 

 八神はやてはリインフォースから、イオスが何故『闇の書』を受け入れられないのかを聞いているし。

 確かな情報として、『闇の書』が彼の何を奪ったのか。

 イオスもまた、『闇の書』に選ばれるまで何の変哲も無い普通の少女だったことを知っている。

 特にイオスの認識は感覚的な物なので、詳細まではわからない。

 

 

 ただ、はやてがリインフォースや守護騎士達をどう想っているのかは、それこそ感覚の問題なのでわかっているつもりだ。

 そしてそれが、イオスにはわからない。

 だって、はやてにとって『闇の書』は。

 

 

「そいつらは――――お前の人生を滅茶苦茶にした奴らなんだぞ?」

 

 

 『闇の書』に身体を不自由にされ、そして命を失う瀬戸際にまで追い込まれて。

 それは全て必要の無かったはずのものだ、たまたま勝手に『闇の書』の主にされただけで。

 不運で、不幸で――――被害者で、それだけだ。

 『闇の書』などに選ばれなければ、もっと平穏で普通の生活が送れたはずなのに。

 恨みこそすれ、愛する理由など無いはずだ。

 

 

「どうしてお前は……そんな奴らを許せる?」

「……許しては、無いです」

 

 

 ふるふると首を横に振って、はやてが答える。

 許してはいない、と。

 

 

「『闇の書』と騎士の皆が私にしたこと、許しません。何も言わずに悪い事してたことも、許しません。全部、抱えて、許しません。でも」

 

 

 全ての罪を忘れず、許さず。

 それでも、想いは変わらないとはやては告げた。

 「家族」は、迷惑をかけ合うものだからと。

 それを自分も一緒に背負って、少しでも贖えるようにと。

 

 

「確かに、失ったものもたくさんあります。でも……貰ったものも、確かにあるんです」

 

 

 寂しさを、癒してくれた。

 自分が感情を与えたのと同じように、自分も人間らしい感情を思い出させて貰ったから。

 だから、はやては彼女らを家族と呼ぶのだ。

 許さず、しかし愛するのだ。

 

 

「主……」

 

 

 シグナムが呟き、シャマルが涙を見せ、ヴィータが俯き、ザフィーラが目を閉じる。

 長い生の中で自分達が行ってきた蒐集活動と破壊の記憶を持ったまま感情を得た守護騎士達が、今ではそのことについて胸を痛め、贖罪の意思を見せているのはイオスにもわかっている。

 だがそれは、逆に言えば「反省していない」と言うこともできる。

 

 

 何故ならば、自分達のしてきたことについて胸を痛めながらも……本意では無かった、と言う方向に感情が動いているからだ。

 もっと早くに感情に目覚めていれば、しなかったということだからだ。

 だがそれは、それではあまりにも。

 

 

「……理解できねぇ。それに、とてもじゃないが俺には受け入れられない。その考えも、騎士達も」

「……! イオスさ「わかってます」……はやてちゃん?」

 

 

 どうしたら良いのかわからずに、イオスとはやてを交互に見ていたなのはが首を傾げる。

 はやてが何をわかっているのか、彼女にはわかっていないから。

 もしこの場で、はやての言葉の意味を少しでも理解する人間いるとするのならば。

 それは、当然クロノであり――――そして、フェイトだったかもしれない。

 

 

「これから先……騎士の皆と一緒に生きていくなら、イオスさんみたいな人達と向き合っていかないといけないってことですよね」

 

 

 静かに頷いて、はやては瞑目する。

 聡い子だ、イオスはそう思う。

 ただ一つ言うならば、はやての言い方だとイオスが「良い人」のように聞こえてしまうことだろうか。

 

 

「俺は……俺「達」は、てめぇらを許さねぇよ、守護騎士(ヴォルケンリッター)

「……!」

 

 

 4人の騎士とイオスの視線が、初めて絡まる。

 許さない、水にも流さない、そもそも認めない、そして。

 ――――その罪から、解放してやるつもりも無い。

 

 

 だけど、とイオスは思う。

 別の方向で、思いもする。

 八神はやては、守らなきゃならないと。

 同じ、「被害者」として。

 

 

「もう気は済んだか、イオス?」

『何も言わずに悪いことを……か、まぁ、証言としては十分だろう』

「……そんなつもりじゃねぇよ」

 

 

 言葉と念話、両方に返すつもりでイオスは答える。

 イオスの肩に手を置いたクロノは、それに対して目で頷くと。

 

 

「……いずれにしても、艦長は彼女達への態度を保留とした。ならば現場の指揮官として僕が決定する……八神はやて君」

「は、はい」

「まず、キミの協力を歓迎する。正直手が足りなくてね、それと出来れば後ほど説明のために僕達の艦にまで来てほしいんだが……良いだろうか?」

「……大丈夫です」

 

 

 しっかりと頷くはやてに頷きを返すと、クロノはイオスの視線に気付く。

 良いのか、と問うてくる視線にクロノは。

 

 

「良いも悪いも、他に選択肢が無い。そしてイオス……僕も、許したわけじゃない」

 

 

 クロノもまた、許さないと言った。

 父が死んで母が被った苦労を想えば、当然の理屈だった。

 ただまぁ、イオスよりよほど『流水』の極意について弁えていそうだが。

 

 

「あの、騎士の皆は……」

「すまないが、それに関しては協力の申し出を受ける事は出来ない」

 

 

 そんな、と声を上げたのはどの少女だろう。

 しかし、だ。

 クロノは考える、イオスは思う。

 

 

 現実として、この世界を守るためには騎士達の火力が要る。

 

 

 それが何よりも最優先だ、自分達の感情でこの世界を滅ぼすような真似は出来ない。

 だから、考え……そして、告げる。

 奇しくもそれは、以前のイオスの言に近い。

 

 

「ただし、キミがキミの固有戦力をどう使用するかについては、僕達は関知できない。それが現場指揮官としての僕の結論だ。故に……守護騎士達がどう行動するかは、その戦力を保有するキミ自身が決定してくれ」

 

 

 わっ……と、声を上げたのはなのはだろうか、はやてだろうか。

 フェイトは少し首を傾げているようだが、それでも喜んではいるようだった。

 だが守護騎士達は、長く生きているだけあって表情を固くしていた。

 

 

 何故なら今のクロノの言葉を額面通りに受け取るならば、「八神はやての「魔法」である守護騎士をどう使うかははやての自由」と言うことだ。

 つまり、守護騎士達の主体的行為を行為として認めない。

 より言うのであれば――――ここでの行動や手柄を、守護騎士達の今後に反映させない、ということだ。

 

 

(……悪いな、親父)

 

 

 クロノが作戦を説明するのを聞きながら、守護騎士達の険しい表情を見ながら……イオスは、空を仰いだ。

 そして、小さく笑う。

 まるで、自分の器の小ささを笑うかのように――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――歌うような声と共に、「それ」は生まれた。

 否、生まれたと言う表現はおかしい……何故ならば、それはずっと昔から存在していたのだから。

 呪われた魔導書の、狂った半身として。

 

 

 闇の書の、闇。

 正式名称、自動防衛運用機構(ナハトヴァール)

 主と魔導書を守るために作られたそれは、今では破壊衝動に飲まれた化物と化していた。

 

 

『――――対象、結界内に顕現しました!』

 

 

 通信の表示枠から通信士官の声が響き渡り、その場にいる全員が気を引き締めた。

 すでにこれまでの戦闘で、外界と戦場を分かつ結界は限界に達しようとしている。

 そこへ来て、ダメ押しのような質量の生物が結界内に出現したのである。

 その化物が存在するだけで、瘴気のような澱んだ魔力が結界の外に漏れようとしていた。

 

 

 無限・高速再生機能を有し、魔力と物理の複合四層式バリアによって守られるそれは一見、地球の神話に登場するスキュラと言う魔獣を彷彿とさせる外見をしていた。

 疑似生体部品で構築された身体は今までに吸収した魔獣達の特徴を持つ部類で覆われており、竜であり獣のようであり、また機械の装甲のようでもあった。

 そしてその頂点、獣の額とも言える場所にどこかリインフォースに似た美女の上半身が生えている。

 

 

『これより作戦の最終段階に入ります! 武装隊、総員構えてください!』

 

 

 そしてそれに挑むのは、十数人の少年少女だ。

 これからあの化物にAAランク以上の魔法・物理攻撃を行い、防御を剥ぎ取るのだと言う。

 作戦内容は全員が共有している、それを行う少年少女に呆れる者もいた。

 

 

 だが、同時に彼らは大人である。

 

 

 魔力? 大多数がCランク、あの化物にダメージのダの字も通せないだろう。

 戦闘能力? 大多数の者は、あの化物の前に立つことすらできないだろう。

 しかしだからこそ、彼ら彼女らにも意地があった。

 せめて、自分達にできないことを成そうとする子供達が全力を出し切れるように。

 

 

『武装隊、これからかなりの衝撃と負荷が結界にかかりますが……絶対に、結界を維持してください!』

「「「了解!!」」」

 

 

 時空管理局次元航行艦『アースラ』所属の武装隊の面々が、表示枠の中の通信士官――エイミィの命令に大して声を上げる。

 結界内の中にいる子供達に、「構わないから全力でやれ」と伝えるように。

 海鳴市の一部、市街地から海にかけての広い範囲に展開した彼らが結界を維持する。

 彼らが結界を維持しなければ、第97管理外世界に甚大な被害が出てしまうからだ。

 

 

『作戦――――スタートします!!』

 

 

 エイミィの号令と共に、状況が開始される。

 結界内、まずオレンジと緑の鎖のような物が飛び、化物を縛るとと共に海面で蠢く触手のような物を切断して行った。

 アルフとユーノ、彼らの仲間が行った初撃だった。

 

 

 続いて捕縛対象だったはずの褐色の肌の男、ザフィーラが白い魔法を放つ。

 それは化物の触手を薙ぎ倒し、味方の砲撃のルートを空けようとしているようだった。

 何故、彼が味方になっているかは武装隊の面々にはわからない。

 ただ重要なのは、彼らにとっての本番がこれからだと言うことだった。

 

 

 ……『鉄槌の騎士』ヴィータと、『黒金の伯爵・グラーフアイゼン』――――。

 ――――轟天・爆砕! 『ギガントシュラーク』ッッ!!

 

 

 来た、彼らにとっての初撃だった。

 結界内で巨大なハンマーが化物を打ち据えて、グラスを砕くかのように障壁を砕いて見せたのだ。

 その瞬間、結界に大して強い負荷がかかった。

 

 

『――――堪えて!』

 

 

 衝撃が耳の感覚を揺らす中で、声が届いたかは定かでは無い。

 しかし意思は伝播する、結界外の東西南北に展開している1人1人が歯を食い縛る。

 西洋鎧を模したかのような同形のバリアジャケットを着た男女が、簡易デバイスを構えて隊列を組んだまま堪える。

 

 

 ……高町なのはと『レイジングハート・エクセリオン』、行きます――――。

 ――――全力・全開! 『スターライトブレイカー』ッッ!!

 

 

 さらに来た、今度は初撃の比では無かった。

 桜色の巨大な光の柱が対象に直撃した瞬間、確かに結界が軋みを上げたのだ。

 それは化物のバリアを一つ破壊すると同時に、何人かの武装隊員の顔を苦悶に染める。

 

 

『堪えて――――!!』

 

 

 表示枠の中から通信士官の声が飛ぶ、誰も何も答えない。

 いや、確かに返答してはいたと思う。

 堪えているとも、と。

 あるいは、堪えてやるとも、と。

 

 

 ……『剣の騎士』、シグナムが魂。『炎の魔剣・レヴァンティン』――――。

 ――――翔けよ、隼! 『シュツルムファルケン』ッッ!!

 

 

 また来た、先の砲撃ほどでは無いが一撃の密度が濃い。

 しかも結界の一部に集中するような衝撃だ、化物と一緒に結界が悲鳴を上げる。

 だが結界を解かせるわけにはいかなかった、何故なら。

 

 

 何故ならば、彼らが結界を放棄すれば第97管理外世界に甚大な被害が及ぶのだ。

 世界が一つ、滅びるかもしれない。

 この世界に生きる何十億かの命が、なくなってしまうかもしれないのだ。

 

 

「堪えろ……!」

 

 

 誰かが言った、誰かが繰り返した。

 誰かが応える、記録に名前も残らない誰かが応じる。

 堪えているとも、堪えてやるとも。

 何故ならば、彼らは管理局員。

 縁もゆかりも無い、一度も会うことも無い次元世界の誰かを守る者達だ。

 

 

 ……フェイト・テスタロッサ、『バルディッシュザンバー』。行きます――――。

 ――――撃ち抜け、雷神! 『ジェット・ザンバー』ッッ!!

 

 

 4発目、AAAランク以上の攻撃を4度も受ければどんな化物でも倒せるだろう。

 しかし対象はまだ動いている、ならば結界の維持に手を抜くことはできない。

 使い魔と守護獣が攻撃陣を守ろうと奮闘する中、第5撃が行われる。

 

 

 ……八神はやてと『夜天の書』、『リインフォース』。よろしくお願いします――――。

 ――――石化の槍、『ミストルティン』ッッ!!

 

 

 白い槍が幾本も化物に突き刺さると同時に、流石に力を抜く者も現れた。

 しかしその期待も長く続かず、むしろ逆に緊張が高まった。

 化物……闇の書の闇(ナハトヴァール)は、未だ健在だったのだから。

 

 

 いつまで続くんだ、と誰かが言った。

 誰かが応じた、世界を救うまでだと。

 あの子供達が世界を救うまで、何度でも堪えるんだ、と。

 

 

 ……クロノ・ハラオウンと『デュランダル』、行くぞ――――。

 ――――凍てつけ! 『エターナルコフィン』!!

 

 

 結界内の海面が氷結し、化物を完全に凍結させる。

 広域氷結魔法、しかし武装隊の面々は気を抜かなかった。

 何故ならこの後、特大の攻撃が残っているからだ。

 

 

『武装隊の皆! 次で最後だよ、堪えて! お願いね!!』

「お願いされるまでも無いわね!」

「おうよ、何ならもう3、4発行っとくか……!?」

「「「この結界は、何が何でも維持する!!」」」

 

 

 倒れかける仲間を支え、僅かの魔力を絞り出して構え、虚勢を張って維持で立ち続ける。

 彼らが1秒耐えれば、それだけの時間世界を守れる。

 彼女らが1分堪えれば、それだけの時間世界を守れる。

 

 

 彼らはそれを、誇りに思う者達。

 時空管理局、武装隊……その彼らの目の前で、今。

 最後の一撃が、放たれようとしていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 はやては自分の行動が正しいのか、実の所自信が持てていなかった。

 今、自分は頭上に展開したベルカの白い魔法陣3つに魔力をチャージしている所だ。

 左右に視線を転ずれば、自分と同じように魔力を集束させているなのはとフェイトがいる。

 

 

 3方向からの、広域殲滅魔法の同時砲撃。

 これによりバリアを失った『闇の書の闇(ナハトヴァール)』の外部装甲を剥ぎ取り、コアを露出させるのだ。

 そしてしかる後に衛星軌道上に転送し、宇宙空間内に設定された『アースラ』の結界内で完全消滅させる。

 

 

(……ごめんな……)

 

 

 魔力の集束を続けながら、はやては謝る。

 そしてそれは同時に、彼女と融合しているリインフォースの心情でもある。

 自分達は、『闇の書の闇』に……あの子に、全てを押し付けてしまったのだから。

 切り離したなどと聞こえの良いことを言っても、その事実は変わらない。

 

 

 せめて安らかに、と思うのは傲慢だ。

 そしてはやては、この罪を忘れないだろうと思う。

 この先、何年生きたとしても。

 かつて、自分達の不都合を全て押し付けられた存在がいたことを覚えているだろう。

 そして、それは。

 

 

『主、どうか彼のことは……』

『……うん、わかっとるよ。ちゃんと、わかっとる』

 

 

 リインフォースが彼と呼んだ相手に、はやては視線を動かす。

 少し前、自分の家の庭先で見つけた年上の少年を。

 彼は今、比較的自分の近くの位置を飛んでいる。

 少し回復したらしい猫の双子を傍に置いて、時折右手の鎖ではやてに迫る触手を薙いでいる。

 

 

 彼を見ると、胸が締めつけられるように痛くなる。

 それはきっと、『闇の書』の中で彼の記憶に触れたからだろうと思う。

 彼が『闇の書』を嫌うのは当然だと、だから思える。

 

 

『……これから、イオスさんみたいな人達とたくさん会うんやろうな』

『……申し訳ありません、主』

『ええよ、家族やもん……一緒に謝って、しゃんと背筋伸ばして生きよ』

 

 

 騎士達と共に生きる、それはきっと辛いことだろうとはやては思う。

 それでも、一緒にいたかった。

 何の意味も無かった自分の人生、その現実を変えてくれたから。

 だから―――――。

 

 

『主!』

「あ……」

 

 

 リインフォースの声に、未来と過去に向いていた意識を戻した。

 すると、眼下の『闇の書の闇』が……打たれ、撃たれ、そして縛られながらも。

 確かに、反撃の意思を見せていた。

 

 

 その兆候に最初に気付いたのは、皮肉なことに、戦場から少しの距離を置いていたイオスだった。

 それはほぼ全員の意識がなのは達の魔法の集束へと向けられていたからで、そこから目を逸らしていたからこその気付きだ。

 最初は魔力素の変化だ、次いでそれは集束の形を取る。

 

 

「いかん……!」

 

 

 比較的注意を払っていたらしいザフィーラが慌てて魔法を展開する、それは白い牙の塊となって『闇の書の闇』の触手を薙ぎ倒して魔力素を霧散させる

 だが、より深くを調べたシャマルが注意を喚起する。

 

 

「はやてちゃん!」

「……っ!」

 

 

 海中、隠されていた砲撃が走る。

 防御は間に合わない、誰も助けに行けない。

 行けば、直後に放たれるはやての砲撃の邪魔になる。

 それに、放たれた集束砲撃はスターライト級の……これを、防げるとするならば。

 

 

「……っ!」

 

 

 数秒、その防御力を保有する少年は葛藤した。

 どうする、と自分の中の誰かが告げる。

 

 

『イオス!!』

『イオス君!』

 

 

 脳裏に走るのは2人の幼馴染の声だ、2人が今、自分を見ている。

 きっと、リンディも見ているだろう。

 どうしてだろうと、イオスは思う。

 

 

 どうして平然と、さも当然のようにしていられるのだろうか。

 わからない、ただ一つ言えることは……自分が、失望にも似た感情を抱いていることだ。

 八神はやてが、『夜天の書』に関わる者達を受け入れてしまったことに対して。

 だけど、ならば自分はどうしてほしかったのだろう。

 

 

『許さないです』

 

 

 いや、望んだ答えはすでに聞いた……許さない、と言うその言葉。

 しかし彼女はその現実を受け入れた上で、さらなる関係を望んだ。

 自分には、できない。

 理解できない感覚だと、そう思う。

 

 

 ――――「水に流せ」よ、イオス。

 

 

 許すとか、泣き寝入りすると言うことではない。

 ただそれを受け入れた末に、それ以上の何かを求めること。

 だが、自分にはそれが出来ない。

 出来ないのだった。

 

 

「ち――――……」

 

 

 奥歯を軋ませて、引き結んでいた唇を微かに開いて。

 しかし、イオスは確かに目の奥に熱い何かを感じた。

 久しぶりに感じるそれは、不思議と胸の奥を高揚させるもので。

 

 

 とんっ、と、小さな手が肩を叩くのを感じた。

 同時に術式が展開されて、一瞬で自分の居場所を変えてしまう。

 振り向けば、そこにはもう見慣れた猫が一匹。

 

 

「――――行って来い!」

 

 

 お師匠、と出かかった言葉は喉奥に封じられる。

 代わりに来た浮遊感に、師……リーゼ姉妹の想いを感じることが出来た。

 すなわち、悩んでいても良い、ただ。

 

 

『『後悔だけは、するな……!』』

 

 

 彼女らの主人は、後悔から法に触れてしまった。

 そうならないで良いように、弟子にはそうなってほしくないから。

 だから、たとえ自分達と主張は違ってしまったとしてもと。

 

 

 そして気が付けば、短距離転移を終えたイオスは――はやての前に出ていた。

 すぐ傍にまで迫った砲撃に、意外な程に迷わずにカードを抜いた。

 はやての驚きの顔が、砲撃の魔力の色に染まる。

 

 

「畜生が……ッッ!!」

 

 

 叫んで、受け止めた。

 黒き盾、『カテナ』で『闇の書の闇』の砲撃を受け止めた。

 『闇の書の闇』のはやてを求める声を、押し留めた。

 

 

 『ディフェンスライン』、『カテナ』の唯一にして最大の防御魔法。

 イオスの魔力をどんどん吸って、強固な障壁を築きあげる。

 防いだ砲撃が幾重にも弾け、光の線を描きながら消失していく。

 盾を持つ両腕に、重く鈍い衝撃がかかる。

 

 

「――――イオスさん!?」

「……っ……許せる、わけ、ねぇだろ……!」

 

 

 呻いて、目の奥に懐かしい熱を感じながら……イオスは叫んだ。

 想いの丈を、叫んだ。

 衝動のままに。

 

 

「水に流せるわけが、ねぇだろうがっ……クソ親父がああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 ――――マジか。

 どこかでそう苦笑する誰かの声を聞いた気がする、しかしだ。

 はやては守る、助ける、救う。

 守護騎士は許さない、憎む、怒る、水になど断じて流さない。

 だから。

 

 

「てめぇらは絶対、俺が法廷に連れて行く……ッ……八神さんに迷惑かけんじゃねぇぞ、クソ野郎共がぁっ!!」

 

 

 防ぎきった。

 砲撃を防ぎ、捌き、弾き、流して、凌いで――――凌ぎ、きって。

 嫌な音を響かせて『カテナ』の表面が砕け、爆煙が上がる。

 

 

 しかしその煙の奥、白い輝きを纏ったままのはやてがいた。

 無傷。

 そしてその傍ら、墜ちながら水色の髪の少年が叫ぶ。

 

 

「――――撃てええええええええええええぇぇっっ!!」

 

 

 同時、いやその直後に。

 3人の少女が、最大威力で砲撃を放った。

 それは太陽よりも眩い輝きを放ちながら『闇』を打ち払い、少女達の声を響き渡らせた。

 

 

(ああ、悪いかよ、これが俺だぜ……)

 

 

 それを、イオスは墜ちながら見ていた。

 

 

(……親父……)

 

 

 かつて、自分達を置いて死んでいった父親のことや。

 父の死に耐えきれずに壊れてしまった母のことや。

 産まれて来るはずだった妹のことや。

 そして師や恩人のことを想って、そして。

 

 

 そして、目を閉じた。

 もはや、目の奥に溜まった熱を我慢する必要も無い。

 何故か、そう思った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 クロノは、それを見上げていた。

 はるか遠く、衛星軌道上――宇宙を。

 しかし見えるはずも無い、ただそれでも彼は見上げ続けていた。

 

 

 そうすれば、光が見えるかと思ったのだ。

 母が撃つアルカンシェルに、『闇の書』の防衛プログラムが貫かれる光が。

 だが現実にはそんな物は見えない、だけど……。

 見える、気がした。

 

 

『……効果空間内の物体、完全消滅……!』

 

 

 気を利かせているわけでもないだろうが、エイミィが通信を通じて上の情報を伝えてくれている。

 それをラジオ代わりに、クロノは幼馴染を支えながら空中に浮遊していた。

 肩を貸して腕を持ち、まさに肩を貸して支えている状態だ。

 

 

『反応空域内に……生物反応、ありません! 現在、再生の兆候は確認できません……ッ』

 

 

 興奮しているとわかる口調で、エイミィが言い募る。

 そしてクロノは、母はどんな顔をしているだろうかと思った。

 なのはとフェイト、はやてに撃たれ、ユーノとアルフ、シャマルによって転送された『闇の書』の防衛プログラムを前にして。

 そして自らの手でアルカンシェルを撃ち放ったはずの母は、何を想っているだろうかと。

 

 

『現場の皆さん、お疲れ様でした――――! こちらから指示があり次第、それぞれ撤収してくださいね……!』

 

 

 エイミィの声を聞き、クロノは目を伏せる。

 耳でフェイト達の歓声を聞きながら、視線を隣の幼馴染に向ける。

 現実主義者の皮を剥がれて……ただの夢見がちな小僧になった幼馴染を。

 

 

「終わったぞ……イオス」

 

 

 『デュランダル』に熱を排出させながら、クロノは言った。

 まだ少しの間観測しなければならないが、だが、終わりだ。

 『闇の書』事件、クロノ達にとっては10年追い続けた事件が……終わりを告げたのだ。

 最終的には、随分と回りくどい手段を使ったものだが。

 

 

「僕達は、勝ったんだ」

 

 

 まだ、いろいろと処理しなければならないことは残っている。

 はやてのこと、守護騎士達のこと、グレアムやリーゼ姉妹のこと……他にも、いろいろ。

 だが、今は『闇の書』の終焉についてだけ考えたかった。

 

 

「勝ったぞ、イオス」

「……ああ」

 

 

 横からようやく返って来た答えは、驚くほど震えていた。

 積もりに積もったものを、溜まりに溜まったものを吐き出すような声だった。

 その顔を今は見ないようにしながら、クロノは上を見続けた。

 ただ彼の顔もまた、今は隣の幼馴染と同じようなことになっている。

 

 

「ああ……!」

 

 

 そしてイオスもまた、顔をくしゃくしゃにしながら頷いていた。

 見ないようにしてくれている幼馴染の気遣いが、今は嬉しかった。

 

 

「……ああぁ……っ」

 

 

 だから今は、感情のままに。

 何年かぶりに感じる熱さを感じようと、イオスは俯いていた。

 上は幼馴染が見ていてくれているから、それで良いと思った。

 

 

 呻きはやがて声へと変わり、やがて叫びにも似た何かに変わる。

 それはまるで、初めてこの世界に生まれ落ちたかのような。

 産声のような、声だったと言う。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――衛星軌道上、『アースラ』艦橋。

 その正面スクリーンには、アルカンシェルの効果空間内の全ての物質が完全消滅する様が映し出されていた。

 アルカンシェルの反応前に安全圏まで高速で下がった『アースラ』は、そのまま観測を続けている。

 

 

「……目標――再生、しません……!!」

 

 

 準警戒態勢のまま観測を続けていたエイミィが、『闇の書』の防衛プログラムの無限再生機能の兆候が認められないことを告げる。

 静まり返っていた艦橋に、その声はやけに響いて……そしてだからこそ、誰の耳にも届く物だった。

 それは通信を通じてやがて艦全体に伝わり、そして。

 

 

「う……」

 

 

 艦橋の誰かが、息が詰まったかのような息を漏らした。

 そしてそれが、引き金だった。

 次の瞬間、艦橋の……いな、機関部から総務部に至るまで、艦のあらゆる部署でそれぞれの役目を果たしていた人間達が一斉に叫び声を上げた。

 

 

「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉっっ!!!!」」」」

 

 

 歓声、艦のありとあらゆる場所で歓声が上がった。

 書類の束が飛び、帽子を投げ、肩を叩き合い、はては皿や鍋、部品などが宙を飛び交った。

 歓声の中に笑い声が混じり始めた頃、アルカンシェルのファイアリングロックシステムの前に立ったままだったリンディが肩の力を抜いた。

 

 

 ようやく、力を抜いた。

 アルカンシェルの発射と、防衛プログラムの消滅確認から10分近くが経って……ようやくだ。

 しかしそれは、この10分間だけの力では無かったような気がする。

 同じ数字でも、10分と10年ではまるで違うのだから。

 時間も、意味も、そして想いも。

 

 

(撃たないですめば良い、そう思っていたけれど……)

 

 

 掌の中の赤いキーを見つめて、それを握り締める。

 これは兵器のキーだ、それも夫を殺した兵器のキーだ。

 だが今、自分はこの兵器で全てにケリをつけたのである。

 万感の想いが、そこにはあった。

 

 

「……終わりましたよ、提督……」

『…………うむ』

 

 

 通信の表示枠の向こう、その向こうにいる初老の男性が頷きを返した。

 見てはいない、ただ……喜んでくれていれば良いとリンディは思う。

 全てが上手くいったわけでは無い、ただ。

 こんなはずじゃない現実から、少しでも理想へ近付けていれば良いと思う。

 

 

「艦長……!」

 

 

 指揮シートに戻ろうとした所で、リンディは足を止めた。

 するとどうしたことか、先程までの歓声が消えている。

 艦橋のスタッフが全員、自分を見ていたのだ。

 声をかけてきたエイミィを始めとして、全員がその場で敬礼する。

 

 

「おめでとう……ございます……!!」

「……!」

 

 

 小さく、目を見開いて。

 軽く息を吐いて、泣きそうな顔で笑うエイミィに笑みを向けようとして、リンディは失敗した。

 ありがとうと、言わなければならないのに。

 だけど少しだけ待ってほしいと、そう思ってリンディは天を仰いだ。

 

 

(……あなた……)

 

 

 見ていて、くれただろうか。

 そう想うことは、罪ではないはずだとリンディは思った。

 仮に罪だとしても、今だけは許して欲しいと思う。

 目に熱い何かを感じながら、胸を詰まらせて……そして、聞く。

 

 

 別の表示枠から聞こえて来る、地上の様子を映し出したサーチャーが拾う音声を。

 自分の息子達が集まって、泣いたり笑ったりしている映像、その音声を聞く。

 そして、その声を一つ聞いて。

 

 

(……サルヴィア、見てる……?)

 

 

 息子達の感情が、不器用なその生が、少しでも……。

 届いていれば良いと、そう願って。

 リンディは少しの間、胸の奥から生まれる熱に身を委ねた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――そこに、女がいた。

 純白の監獄(エル・ベスレム)の一室にいるその女性は、窓も無い部屋で上を見つめていた。

 たいして上質でも無いベッドの上、胸元に抱いた人形の頭を撫でながら。

 

 

「…………」

 

 

 ただ、焦点の合っていない……虚ろな瞳を、外に向けるように上に上げている。

 何を見ているのか、定かではない。

 乱れた髪もそのままに、女は――サルヴィア・ティティアは見つめ続けていた。

 

 

「あら、どうしたんですか?」

 

 

 その時、内側からは開かない病室の扉が開いた。

 入ってくるのは顔見知りの――サルヴィアにとってはそうでは無いが――看護師の女性がいて、身体を拭くためのお湯やタオルを持っている。

 どうやら、お世話の時間らしいが……ふと、怪訝な表情を浮かべる。

 

 

 患者であるサルヴィアの様子が、いつもと少し違ったからだ。

 とはいえ恐慌を起こして暴れ出すでもなく、初めて見る反応だった。

 ただぼんやりと、天井の隅を見つめるなどと言う姿は。

 

 

「サルヴィアさ……っ!?」

 

 

 かけようとした声が、不意に止まる。

 何故なら、サルヴィアにさらなる変化があったからだ。

 それまで能面のように無表情だった顔に、その虚ろな瞳から……。

 

 

 ――――涙。

 

 

 透明な滴が二筋、痩せた頬を伝って病院服の胸元を濡らしていた。

 それは当然、サルヴィアが娘と思っている人形まで濡らすのが……気にした風も無い。

 いつもならば、少し汚れただけで激しく取り乱すと言うのに。

 今はただ、憑き物が落ちたかのように涙を流し続けている。

 

 

「あぁ――――」

 

 

 不意にサルヴィアの乾いた唇から音が漏れて、看護師が身を竦めた。

 暴れ出すのかと思ったが、そうでは無いらしい。

 ならば何かと思い、看護師は様子を見ることにして。

 

 

 そして、サルヴィアがゆっくりと目を伏せた。

 瞼を閉ざして、しかし妙に理性的な吐息を長々と漏らして。

 閉じた目から、とめどなく透明な滴を流し続けながら。

 

 

 

「――――ごめんなさい……」

 

 

 

 そう、言った。

 それ以外の言葉は何も無く、看護師の女性も首を傾げた。

 しかしサルヴィア自身も、その後は何も話さなかった。

 

 

 ただ娘と信じる人形を抱いたまま、しかしそれでもいつもとは違う様子で。

 サルヴィアと言う女性は、涙を流し続けていた。

 いつまでも――――いつまでも。

 いつまでも……。

 

 


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