魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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第2話:「交わりは未だ遠く」

力が入らない、全身の至る所に痛みが広がっていて、立てない。

そんな自分を冷たく見下す視線を感じながらも、どうすることもできない。

情けなくも床とキスをした体勢のまま、撃ち込まれた攻撃のダメージに震える。

 

 

――――どうしたの? もう終わり?

 

 

頭上から降りてくる声は、冷たい。

そこには労わりも情も無い、あるのはただ上位の者が下位の者に向ける冷然とした気配。

 

 

――――クロノはもう先に行っちゃってるよ? キミはそこで止まるの?

 

 

微かに上げた顔に、その視界に、ユラユラと揺れる猫の尻尾が見える。

黒いブーツに掠めるように揺れるそれは、どこかこちらを挑発している様にも見える。

 

 

――――クロノは物覚えは悪いけど、伸び代があった。

 

 

さらに何とか顔を上げれば、フサフサの猫の耳が見える。

表情は読めない、ただ自分を見下ろしていることだけがわかる。

 

 

――――キミは逆、覚えは良いけど伸び代が少ない。そんなキミが目的を遂げるなら、どうすれば良いかはわかるでしょ?

 

 

わかっている、だけど力が足りない。

自分の意思を押し通す力が足りない、自分の目的を遂げる力が足りない。

それはそのまま、魔法の力に直結する。

歪む視界の中で、ユラユラと尻尾が揺れる。

 

 

――――そう、所詮その程度だったってわけ。じゃあ、もう諦めるしか無いね。

 

 

諦める、その言葉が嫌に響いた。

そう、嫌だ。

それだけが、自分にとっては生きるために必要なことだったから。

誓った、約束した、彼に、そして自分に。

だから。

 

 

――――キミの…………は。

 

 

『う……』

 

 

――――諦めるの? まぁ、私達は別にそれでも良いけどね……?

 

 

嫌だ、嫌だ、嫌だ。

同じ言葉を呟きながら、床に拳を叩いて足を叱咤し、ヨロめきながら視界を上げる。

それから、それから……それ、から――――。

 

 

『うぅおぉおああああああああああああああああああああああっっ!!』

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

視界に飛び込んできたのは、突き出した自分の拳だった。

そしてその拳の向こうに、知らない天井が広がっている。

見覚えのない……どこか病院の物と思しき、天井だった。

 

 

「……」

 

 

何か良くない夢でも見ていたのか、動悸が激しい。

ただしそれを除けば、特に身体に問題はないように思える。

 

 

「……っ」

 

 

寝かされた覚えのないベットの上で身を起こすと、左の脇腹に痛みを感じた。

見てみれば、これまた着た覚えのない薄着――病院服のようだ――の隙間から、綺麗に巻かれた白い包帯が覗いていた。

感覚からして、折れてはいないようだ。

過去の経験から打撲かと当たりをつけるが、確証はない。

 

 

「……さて、ここはどこかね……」

 

 

ポツリと呟いて周囲を見渡せば、そこにはミッドチルダとは別の様式の部屋が広がっている。

ベットと椅子と小さな棚くらいしかない個室のようだが……白を基調としたそこは、病院のようだと思う。

状況からして監禁されているわけでも無さそうだが、やはり情報が無いので何とも言えない。

カーテン越しに窓の外の様子を窺えば、どうやら夕方らしく赤らんで見える。

 

 

そこで、不意に気付く。

衣服を着替えさせられているのは最初にわかったが、手元にデバイスの待機状態であるカードが無い。

胸の奥で僅かに焦りが生まれるが、しかし彼は執務官補佐だ。

この程度の状況、これまでに何度も経験している……。

 

 

「……うん?」

 

 

その時、病室の扉と思しき方向から慌ただしい音が聞こえて来た。

何と言うか、車輪が激しく回る音とでも言えば良いのか。

その音が近くで止まったかと思うと、いきなり部屋の扉が開いた。

 

 

「どないしたんですか!?」

 

 

慌ただしく部屋に入って来たのは、短い茶髪の少女だった。

黄色と赤色の髪留めをしており、黒のブラウスと白のスカートに包まれた小さな体は――――車椅子。

車椅子の少女は、かなり急いで来たのか息を切らせてすらいた。

 

 

「……だ、誰?」

「だ、大丈夫ですか!? 何や急に大声が聞こえたんですけど!?」

「え、あ、え……えぇ?」

「いや、だから……っ」

「うええぇぇ?」

 

 

この時、実に初対面。

八神はやてと、イオス・ティティア。

近い未来において運命を交差させる2人の、これが早すぎる交わり(ファースト・コンタクト)であった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

衝撃のファースト・コンタクトより3分後、お互いに落ち着いた上で話を行うことになった。

と言ってもイオスの言葉は相手の少女には通じず、また逆に少女の言葉はイオスには通じなかった。

つまる所、お互いの言語が違うのである。

 

 

しかしイオスは慌てない、こんな事態は次元航行艦に勤務している以上は日常茶飯事である。

デバイス無しでも起動できる簡単な翻訳魔法を少女にわからないように使用し、自分の言葉を自動で相手の言語に変換する。

こうすることで、イオスはミッドチルダの言語を話しながら少女の言語(日本語)を話すことができる。

もちろん、デバイスが手元にあればもっとスムーズにできるのだが。

 

 

「あー、あー……どう、通じてる?」

「わ、日本語……」

「ごめんね、さっきは慌ててしまって」

「い、いえ、私のほうこそ」

 

 

幾分か丁寧な言葉遣いを意識して、イオスは話す。

初対面であるし、しかも相手はおそらく10歳前後の子供だ。

イオス自身も次元世界によってはまだ「子供」と言える年齢だが、年下と言う点では違いない。

そこでイオスは、部屋の中を見渡しながら……。

 

 

「……ここは?」

「あ、ここはその、海鳴大学病院……です、はい」

「えーと、俺はどうしてここに?」

「いや、それは私が聞きたいんですけど……何で、うちの庭先で倒れとったんですか?」

 

 

少女のその言葉で、イオスは状況を把握した。

おそらくはロストロギア封印の際に魔力を使い果たしたか疲労したか、その場で倒れてしまったのだろう。

そして朝になって結界も解けてしまい、そこがたまたま少女の家の庭だった、と。

その後行われた少女の説明も、概ねイオスの予測と同じだった。

 

 

「あ、そや。これ、勝手かと思ったんですけど」

 

 

少女が車椅子の上で見を屈めて、ベット脇から楕円形の籠を取り出した。

その中には洗濯でもされたのか、イオスが着ていた局員服が綺麗にたたまれていた。

それと……。

 

 

(……デバイス確保、と)

 

 

一緒に入れられていた銀のカードも確認し、安堵する。

データや中身をチェックするまで油断はできないが、目の前の少女が次元犯罪者という線は消えたようだった。

まぁ、そもそも魔法を認識できていないようだが。

しかしデバイスを確保したことにより、イオスの翻訳魔法は完全な物となった。

 

 

「……破れてたはず、なんだけど」

「あ、私が繕いました。勝手かなて思ったんですけど」

「そうか……いや、ありがとう。どうやらキミは命の恩人のようだ」

「そ、そんなこと無いです。困った時はお互い様って言いますし、救急車呼んだだけで……」

 

 

救急車、と言う物を厳密にはイオスは知らない。

ただ今は話を進めることが先決と判断し、スルーすることにした。

適当に話を合わせながらも、デバイスを用いたサーチを相手に行う。

だが、不審な点は見出せなかった。

足が不自由らしいと言う点を除けば、普通の少女だった。

 

 

「とにかく、助けて貰ってありがとう。ぜひともご両親にお礼が言いたいんだけど……」

 

 

お礼を言うと同時に、情報を得る。

必要ならば記憶操作も行う、そう考えてイオスは言った。

ただ、そこで少女から返って来たのは、イオスが期待したどの回答でも無かった。

明るさの中に何かを隠すような、そんな困ったような顔で。

 

 

「あ、私、家族がいないんです」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

少女の名は、八神はやて。

少年の名は、イオス・ティティア。

軽い自己紹介の後に、状況の確認を終えて。

 

 

「……はい、大丈夫ですね。とりあえずは安静に、手続きなどは……そちらの方の面会の後にしましょうか?」

「はい」

「じゃあ、終わったらコールしてくださいね」

 

 

看護師の診察……本格的な診察と治療は昨日の内に終えているので、その確認と簡単な質疑応答だけだったが。

――――なお、普通なら親なり保護者なりの連絡先を聞くはずだが、聞かれなかった。

正しくは、『聞かせなかった』。

いわゆる、認識阻害と言う初歩の魔法によって。

 

 

魔法陣もデバイスも必要ないくらいの簡易の物になるので、はやてにも看護師にも気付かれてはいない。

と言うより、この程度の魔法で気付かれるようなら執務官補佐など出来ない。

彼は、こう言う細かい術式制御が得意だった。

 

 

「……それにしても、昨日の朝に庭で見つけた時には驚きましたわぁ」

 

 

看護師が去った後、幾分か落ち着きを取り戻したはやてがそう言った。

看護師の話によれば、丸一日半寝ていたと言う。

身分証明を持っていなかったので、かなり困ったらしい。

明日の朝には警察なども来るらしい、あまり良い話では無かった。

 

 

「それでわざわざ、様子を見に来てくれたのか?」

「はい? ああ、もちろんそれもあるんですけど、私は……ほら、この足やから」

 

 

言って、笑いながら自分の足を叩いて見せるはやて。

その笑いには、どこか力が無かった。

イオスは詳しい事情を聞く気は無かった、何故ならはやても自分の事情を聞いてこないからだ。

普通、こんな怪しい人間が庭先で倒れていたらどんな対応をするだろうか?

イオスがはやての立場なら、必要以上に関わろうとしないだろう。

 

 

それなのにはやては、何故か自分との会話を楽しんでいる節すらあった。

……超弩級のお人好しなのか、子供ゆえの怖いもの知らずか、はたまた……。

それから2言3言、言葉を交わす。

内容はお礼と謙遜であって、特に中身のあるような物では無かった。

ただこの会話は、イオスにこの世界の様々な情報を与えてくれるのだった。

 

 

「……ほな、もう面会時間終わりやし、失礼させて頂きますぅ」

「うん、本当にありがとう、八神さん」

「お大事に、さようなら」

「……さようなら」

 

 

パタパタと手を振って別れて、それで終わりだった。

世間話以上のことは話さない、別にそれ自体には問題は無い。

二度と会うことも無いだろうし、おそらくは見かけることも無いだろう。

何故ならイオスは、そこまで長い時間この世界にはいないだろうから。

 

 

だから、これでお別れだ。

 

 

そしてはやてが病室を出た直後、イオスは魔法を発動した。

人が近寄ってこなくなる簡易結界、デバイス無しでも出来るが、性能チェックも兼ねてデバイスで発動した。

看護師は呼ばない、少なくとも今は。

 

 

「『アースラ』と連絡が取れる、なんて期待は持っちゃいないが……」

 

 

呟きながら、自らのデバイス『テミス』を発動する。

バリアジャケットは展開せず、デバイスのみの展開。

両腕に巻き付いた手甲と鎖を見て、デバイス自体には異常が無いことに安堵する。

 

 

……まずここがどこの次元世界なのか(はやての反応で、管理外世界であることはわかるが)調べる時間が欲しかった、ただどこの世界だろうとこの世界の通貨も無ければ衣服すら無く、当然住居も無い。

ユーノへの念話も試さねばならないし、『ジュエルシード』のことも考えなければならない。

予期せずして次元の扉が開いてしまった以上、どこかに何か異常が出て来てもおかしくは無い。

 

 

「……後5時間以内に、ここから退院するとしよう」

 

 

もちろん、強制的な退院である。

負傷は大したことが無いというのは行幸だった、何しろここには魔導師用の医療設備が無い。

回復魔法を使うにしても、イオスはそう言う系統の魔法には適正が少なく苦手だったから。

 

 

「さて、『テミス』……ここはどこだ?」

<Search mode>

 

 

デバイスのコアが輝き、鎖を震わせながら急速に解析を開始する。

デバイス内のデータベースに登録されている言語、空気中の成分、文化レベルと住民の魔力保有量……その他様々な情報を数秒で処理した『テミス』が、マスターに対して回答を示す。

ここは、現地言語呼称で……「地球」。

 

 

「……第97、管理外世界か……」

 

 

可能な限り情報を集めたら、すぐに姿を晦ます。

管理外世界で管理局員が現地住民とむやみに交流することは避けるべきだし、それに何よりも。

……病院は、苦手だから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

イオスが少女……「八神はやて」と話をしていた時間帯、別の場所でも事態は進行していた。

街、海鳴市と呼ばれるこの街に散らばった『ジュエルシード』の数は全部で21。

その総数を知っている人間は、現段階では極めて少ない。

 

 

(……考え得る限り、最悪の状況と言って良いかもしれない)

 

 

その総数を知っている数少ない人間の1人、ユーノは、自身の無力を恨んでいる所だった。

今の彼は、人間の姿をしていない。

傷ついた身体と消耗した魔力の回復――次元空間を抜けた際に、何かリンカーコアにダメージを負ってしまったのかもしれない――のため、身体をよりコンパクトな状態にしたのである。

具体的には、フェレットの姿になっていた。

 

 

「なのは! 『レイジングハート』の起動を!」

「え、えーと・・・起動って、何だっけ?」

「えぇっ!? え、えーとじゃあ、僕の言葉を復唱して!」

 

 

そして彼が自分の無力を呪う理由、それは回復の遅さだけにとどまらない。

最大の原因は、今まさに『ジュエルシード』に取り込まれた原生生物……つまりは犬の怪物とデバイスと魔法を用いた戦闘を行おうとしている少女だった。

年齢は9歳、ユーノと同い年だ。

 

 

しかし、ユーノのように正式な魔導師としての訓練を受けたわけでは無い。

それどころか昨日まで魔法のまの字も知らないような、正真正銘の一般人だった。

ユーノが朦朧とする意識の中で放った「助けて」と言う念話を聞いて、そして本当に助けてくれた。

動物病院に入れられたのは、まぁ、この姿では仕方が無いと言える。

 

 

<Protection>

 

 

そしてその少女、「高町なのは」がユーノの渡したデバイス『レイジングハート』の起動に手間取っている間に、『ジュエルシード』に取りこまれて暴走した犬が飛びかかって来た。

場所は町内のある神社、その長い石畳の階段を蹴って飛びかかってくる。

しかしそれは、なのはの持つ桃色の宝石から放たれた光によって弾き飛ばされた。

同時に、なのはの姿も変化する……『レイジングハート』が自動で張ったバリアジャケット姿に。

 

 

(凄い……詠唱もパスワードも無しに、デバイスを起動させて魔法を発動させるなんて)

 

 

栗色の髪に、どこか意思の強そうな瞳。

白を基調としたバリアジャケット、黒のインナーに白のジャケットとスカート、上着とスカートには所々に青のラインと赤い宝石が彩られている。

その手には、赤い輝きを放つコアを中心とした白と桃色の「魔法の杖(デバイス)」。

 

 

聞く所によれば、地元の小学校に通うごく普通の子供だと言う。

普通なら、そんな素人の少女にロストロギア封印など出来るはずが無い。

それなのに、この少女は。

 

 

「リリカル、マジカル! 『ジュエルシード』シリアル16、封印!」

『Sealing』

 

 

それなのに、なのははその「出来ないこと」をやってのけてしまうのだった。

実はすでに昨夜、この世界に落ちて来た際に取り逃がした『ジュエルシード』の思念体を一体、なのはは倒してしまっている。

そして今、初めて使うの等しい魔法で『ジュエルシード』に取りこまれた原生生物を倒し、ロストロギアを封印して回収してしまった。

 

 

(……間違いない、この子……天才だ)

 

 

ユーノは確信する、このなのはと言う少女はユーノなど問題にならない程の天才だと。

100年に1度、出るか出ないかの本物の天才だと。

当然、魔法は拙い……今も『レイジングハート』と言うインテリジェントデバイスに代わりに魔法を使わせているような状態なのだから。

人格型AIを搭載しているデバイスなため、術者の補助に優れているからだ。

 

 

「はい、ユーノ君! これで3個目だよ……ね?」

「う、うん。じゃあ、昨日教えた通りに『レイジングハート』に収納して?」

「はーい」

 

 

無邪気に笑うなのはの笑顔は、同年代の女の子と関わった経験の少ないユーノをドギマギさせる程に眩しい。

だが、やっていることはとんでも無いことである。

士官学校や訓練校で他人が数年がかりでマスターすることを、なのはは2日で会得してしまったのだから。

 

 

「……ごめんね、なのは。僕がもっと早く回復できていたら……」

「う、ううん、ユーノ君は悪くないよ。これはなのはが勝手に手伝ってるんだし……早く、元気になれると良いね」

「…………うん」

 

 

フェレットの姿でバリアジャケットを解除したなのはの肩に上りながら、ユーノはなのはの言葉に頷く。

帰宅途中だったのか、なのはは地元の小学校の制服姿になっていた。

 

 

せめて、イオスと再会できていれば。

 

 

ユーノはそう悔やむが、仕方が無い。

そもそも同じ世界に落ちているとも限らないし、魔力の消耗が激しいせいで念話の出力も上がらない。

なのはがユーノの声を聞けたのは、本当にたまたま近くを通りがかったからに過ぎない。

あまり範囲を広げると、魔力の回復に支障をきたしてしまう。

と言って、今この場には魔導師は自分しかいない。

……驚異的な才能を発揮する、1人の女の子を除いては。

 

 

(……ごめんね、なのは)

 

 

ロストロギアの呪縛から解放された子犬を抱いて優しげに微笑むなのはの横顔を見つめながら、ユーノは心の中でもう一度謝った。

自分の責任で、無関係な普通の女の子を巻き込んでしまった罪悪感と無力感に押し潰されそうになりながら。

 

 

ユーノはそれでも、世界を守るために『ジュエルシード』を集めなければならないのだった。

そして彼の罪悪感は、この数日後に起こる事件で頂点に達することになる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

はやてが諸々の用事を済ませて家に戻った時、すでに時刻は午後7時を回っていた。

いつもならもっと早くに戻れるし、事実として自分の足の診察自体はすぐに終わったのだ。

時間が遅くなったのは、単純に「寄り道(おみまい)」をしていたからだ。

 

 

「ふぅ……」

 

 

夕飯の材料の詰まった買い物袋を居間のテーブルに置いて、はやては息を吐いた。

いつもより疲労が濃いが、嫌悪感を抱くような物では無かった。

誰かのお見舞いに行くなど、久しぶり……否、初めてのことかもしれなかった。

 

 

小さな身体を車椅子の背もたれに押し付けるようにして、目を閉じて今日のことを思い返す。

……昨日の朝、家の庭先で倒れていた外国人(だと、思う)の少年を。

同年代、と言っても4つか5つほど年上だろうが。

特に深いことを話したわけでは無い、世間話程度だ。

だが今のはやてには、その「世間話程度」が重要だった。

 

 

「夕飯、作ろか」

 

 

身体を気だるげに動かして、はやては車椅子の車輪の持ち手に手を添える。

慣れた手つきで車椅子を動かして、再び膝の上に乗せた買い物袋と共に台所へ向かう。

もうずっと自分の料理は自分で調理しているのだ、それこそ慣れた物だ。

しかし自分のためだけに作ると言うのは、思いのほかつまらない物だった。

 

 

今も自分の次の行動を口に出してはみたが、それに対する返事など聞こえるはずも無い。

誰も、自分に何かを言ってはくれない。

寂しくは無い、そんな感情を抱くことに意味を見出せないから。

黙々と……黙々と、生きている。

 

 

「……あの人、はよ元気になれたらええなぁ」

 

 

お見舞いに行ったら、また会えるだろうか、迷惑に思われないだろうか。

まぁ、期待せずに次の通院の日を待とう。

そう思って、はやては料理を始めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

第97管理外世界、そして現在位置は現地言語で「地球・日本国・海鳴市」。

文化レベルは高くない、そして何よりも魔法文化が存在しないというのが重要だった。

つまり原則、この世界に魔導師は存在しないことを意味している。

 

 

ただ例外はあり、ミッドチルダや管理局にもこの世界出身の人間は存在する。

実際、イオスも何人か知っている。

だからこそ、デバイスのデータベースにこの世界の情報と言語のいくつかが登録されていたのだから。

 

 

「管理外世界か……厄介だな」

 

 

結界によって誰も近寄らない――近付くと、急に忘れ物を思い出したりする――病室の中で明かりもつけず、イオスはデバイスの映し出すディスプレイを見つめていた。

次元航行艦への信号は街全体に広がっている濃厚な魔力素によって不可能だと悟り、念話はユーノの魔力波を掴み切れていないためか繋がりにくい。

おそらく、街中に散らばっているらしい『ジュエルシード』の影響だろうとイオスは踏んでいる。

 

 

しかもここは管理外世界、管理局の施設も無ければ駐留する地上部隊も存在しない。

管理外世界とは、文明を持つが次元世界を認識しておらず、航行できる技術を持たない世界のことを言う。

ちなみに管理「外」世界とは言っても、一応、管理局の法律は適応される。

この場合、適応される側より適応させる側の方が重要なのだから。

 

 

「問題は資金か……リンディさん、早く見つけてくれると良いけど」

 

 

しかし同時に、リンディ達にとっては自分の優先順位は高くないだろうこともイオスはわかっていた。

おそらく、スクライア艦救助と『ジュエルシード』の回収を優先するだろう。

イオスはそれを理解していたし、責める気も無かった。

予測として、リンディ達が……『アースラ』がここを突き止めるのは2週間から3週間だとイオスは踏んでいる。

 

 

なのでイオスはその間独力で生きて(いるのならば)ユーノを保護し、かつ発見次第『ジュエルシード』を封印・回収しなければならなかった。

現在一つ所持しているが、最悪の場合、この街にはあと20個のロストロギアが無防備に転がっているはずなのである。

管理局員として、見過ごせるはずが無かった。

 

 

「とりあえず、この病院から俺の痕跡を消す。それから……」

 

 

今後のことを考えながら、同時にイオスは執務官補佐として今回のロストロギア散逸についての責任の所在について考えてもいた。

自分か、スクライアか、それとも『アースラ』及び管理局か。

……誰が責任を取るにせよ、まずは『ジュエルシード』の回収が急務。

 

 

「……八神さんの記憶は、どうするか」

 

 

その時、ふとイオスは自分の命の恩人の少女を思い出す。

あの車椅子の、独りで生きていると言う少女のことを。

八神はやてのことを。

イオスはこの後、病院の記録から自分のことを抹消するつもりでいる。

そうなると、はやてにも何らかの処置が必要なのだが……。

 

 

「……まぁ、良いか」

 

 

行方は調べればわかるだろうが、優先順位は低いと判断した。

自身が魔導師と知られたわけでも無い、そこには命の恩人に対し恩を仇で返すような真似はしたくないと言う消極的な理由もあった。

 

 

その一時間後、イオスの姿は病院から消えた。

記録上は最初から誰もいなかったことにされており、関係者も覚えてはいなかった。

ただ数日後に通院してきたある少女だけが、不思議そうに首を傾げるばかりであった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

――――そして、少し時が流れる。

1人の少女が魔法と出会い、フェレットを相棒に活動を始めて数日。

車椅子の少女が人助けをして、数日。

そして少年が病院から姿を眩ませてから、数日。

 

 

その週の日曜日に、事件は起こった。

全ての始まりの合図となった事件が、起こってしまった。

誰が望んだわけでも無い、歪められた願いによって。

 

 

 

……木だ。

 

 

高層ビルよりも高い巨大な樹木が、街の一部を占拠していた。

太い幹は十数階建てのビルの横幅よりも大きく、長く力強い根はコンクリートのビル郡を突き破って地面にまで突き立っている。

人々の普段の生活を脅かす、異形の樹木がそこにあった。

それも一つではなく、そして増え続けているようにすら見える。

 

 

まるで、何かの想いに応えるように。

……そしてその樹木達の前に、純白の衣装に包まれた少女が立った時。

物語は、幕を開けた。

 


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