魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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A’s編第9話:「師弟」

「……できれば、話し合いで解決したい」

 

 

 金色の髪の少女がそう言った。

 

 

「無理だ……残念ながら、もはや我々にはお前達を倒すしか、道が無い」

 

 

 桃色の髪の女が、そう返した。

 

 

「まだ間に合うよ、きっと……間に合わないことなんて、きっと、無いんだから」

 

 

 栗色の髪の少女が、重ねて言った。

 

 

「もう少しで全部終わるんだよ、邪魔すんじゃねぇ……!」

 

 

 赤色の髪の少女が、重ねて返した。

 平行線、押し問答……意味の無い会話だ。

 それを確認した後に、その場にいる全員がその手に武器(デバイス)を構える。

 

 

 そしてその様子を、周囲に封鎖領域――ベルカ式の結界魔法――を展開して、なのはとフェイトを逃がさぬようにしているシャマルが見つめている。

 秘密を知った、知ってしまった2人の「敵」を逃さぬように。

 「八神はやてが『闇の書』の主である」と、知ってしまった2人を逃がさないように。

 

 

『2人とも……』

『ああ、わかっている』

『はやての道を血で染めたくねぇから、殺しはしねぇよ。けど……』

 

 

 けれど『闇の書』完成までの僅かな時間、自分達の監視下に置かせてもらう。

 そう言う意図を込めて、ヴィータは己の武器『グラーフアイゼン』を眼前の「敵」へと向ける。

 そう、まだ『闇の書』は完成していない。

 あと僅か、あと僅かで完成するが……今は、していない。

 

 

 今は、八神はやては無力な少女に過ぎない。

 だから、なのはとフェイトに外へと連絡をさせるわけにはいかなかった。

 アリサやすずかが戻った後、魔力を当てて病院近くの建物の上に誘導した。

 極端な話、この空間に監禁するために。

 

 

「もう戻れん。すでに汚れたこの身、ならば最後まで……卑劣漢となろう」

「……なら、引き上げます。何度でも手を差し伸べます、貴女が掴むまで」

 

 

 かつて、心を通わせることが出来なかった母にそう告げたように。

 金の髪の少女は、栗色の髪の少女の隣で両手を上げた。

 その手の中には、彼女のデバイスが展開されている。

 

 

「じゃあ……」

「うん。本気の勝負だね、負けないから」

 

 

 最初で最後の、本気の勝負。

 かつて金の髪の親友に向けて放った言葉を、今度は赤毛の少女に向ける。

 チリチリと、空気が魔力で擦れるように熱を発する。

 

 

 そして、衝突する。

 三度、衝突する。

 譲れない想いを載せて、いくつもの魔力が弾けた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「何や、皆、一斉にいなくなってもうたなー。いや、面会終わりの時間やから、当たり前と言えば当たり前なんやけどな?」

 

 

 胸の奥にチラつく寂しさをあえて無視して、はやては1人きりの病室でそんなことを呟いた。

 否、1人では無い。

 ベッドの上、上半身を起こした体勢で座っている彼女の膝の上には、古ぼけた茶色い装丁の本がある。

 そして枕元にはすずか達からのクリスマスプレゼントが並び、彼女の心を温めてくれる。

 

 

 今の言葉も、独り言と言うよりは膝の上の本に語りかけているものだ。

 こんなナリだが、れっきとした彼女の「家族」である。

 実際、目を放すといつの間にかいなかったりするのである。

 

 

「……しかし、何やアレやね。この子最近、ちょっと重くなったような気がするんやけども」

 

 

 本を両手で持って、しげしげと眺めるはやて。

 口元には笑みなども浮かんでおり、一見、何の問題も無いように思える。

 いや、先日まではまさに何も問題無いかのように振る舞っていたのである。

 

 

 だがその実、小さなその身体には想像を絶する激痛が潜んでいる。

 

 

 こうしている今でも、(はらわた)が内側から抉られているのでは無いかと思える程の痛みが彼女を襲っているのだった。

 蝕んでいる、苛まれている、侵されている。

 彼女の主治医である石田医師は、「麻痺の進行による内臓機能の停止」を危惧しているが……違う。

 

 

『…………』

 

 

 本だ。

 まるでお伽噺の中の出来事だ、本が少女の身を侵すなど。

 だが、これは現実。

 いかにはやてに親身な名医が努力しても、どうにもできない「お伽噺の世界の出来事」なのである。

 

 

「……ぁ、つ……っ」

 

 

 その時、本を掲げていたはやての頭に針で刺したような激痛が走った。

 思わず、本を取り落としてしまう。

 普段は胸や腹が痛むので、頭の痛みに対しては覚悟が無く油断していた。

 痛みも慣れれば普通になる、しかしその彼女をして。

 

 

「……く、ぁ……あ」

 

 

 今回の頭への痛みは、堪えたようだった。

 誰もいない静かな病室に、少女の微かな呻きだけが響く。

 両のこめかみを石でガリガリと押さえ付けられるかのような痛みに、流石のはやても思わず枕元のナースコールを探した。

 

 

 しかし間の悪い事に、今、そこにはアリサ達からのクリスマスプレゼントがあった。

 反射的にそこから手を引いた途端、バランスを崩す。

 柔らかく重量のあるものが、固い床に落ちる音がした。

 

 

「……ぃ、たぁ……っ」

 

 

 打ち付けた頬の痛みから目尻に涙を浮かべて、足にシーツを巻き付けた少女が床の上で寝る。

 普通ならさっさと立ち上がる所だが、彼女の足は動かない。

 動けない。

 しかしここでも彼女は、自分よりも他者を優先するような行動を見せた。

 膝の上に乗せていた「家族」はどこに転がったかと、手を伸ばして……。

 

 

「っ……く、ぁああ……っ」

 

 

 耳鳴りへと変化した頭痛に、両手を頭へとやって身を丸める。

 その視界の片隅に、それはあった……否、いた。

 茶色い装丁の本が、彼女の上で浮かんでいた。

 

 

 そして、淡い輝きを放っている。

 最初と同じだ、最初もああして光を放っていた。

 しかし、痛みに苛まれるはやては気付いていなかった。

 出会いの輝きは、感激を現すかのような眩い輝き。

 しかし今は、それはどこか餓えた狼の唸り声のような……。

 

 

「あ、あかん……っ」

 

 

 死ぬ、本能的にそう思った。

 これは死ぬ、死んでしまう、そう思った。

 そして、素直に怖いと思えた。

 

 

 前は違った、1人きりの頃は何も怖くなんてなかった。

 今を続けたい、そんな願いが、欲望が彼女の中には芽生えていた。

 永遠が欲しい、「家族」皆でずっと一緒にいられる永遠が欲しいと――――。

 

 

『Guten morgen, meister』

 

 

 次の瞬間、景色が変わった。

 世界の景色が変わった。

 そして、彼女は現実にいながら夢に囚われる。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 海鳴大学病院から少し距離のある、海鳴市内の高層ビル群の一つ。

 海鳴市の中心点に近く、夜独特の喧騒と空気が眼下の世界を賑わせている。

 しかし、あるビルの屋上にその喧騒や空気とはまるで無縁の存在がいた。

 

 

 その存在は、仮面と言うおよそ日常生活には似つかわしく無い物をつけていた。

 青い目の装飾に、頬の部分に走る赤いラインが特徴的な白の仮面。

 それを身に着けた長身の男が、誰もいない屋上でじっと遠くを見ている。

 

 

「……始まったか」

 

 

 彼の視界には――常人には見えない距離と空間だが――確かに、桜色と赤色、紫色と金色の輝きが幾度も夜空を錯綜している様子が良く映っていた。

 彼の結論は、「ほとんど互角」だ。

 

 

「膠着している、か……ならば好都合だ」

 

 

 そして、白の革手袋のズレを直すように端を掴んで引っ張る。

 まるで、これから荒事でも行うように。

 そして彼は、ビルの屋上の手すりに手をかけようとした。

 

 

 

 しかし、出来なかった。

 

 

 

 理由は、単純だった。

 彼が手を乗せようとした瞬間、手すりが金属音を立てたのだ。

 金属同士が擦れ合って火花を散らし、そこから男が手を放す。

 

 

「……鎖……!」

 

 

 直後、金属が打ち合い、擦れ合う音が無数に響き渡った。

 それは屋上中の手すりに巻き付いた鎖のためで、それは幾度も飛翔しながら絡まり、最終的にはテントの骨組みのような形でビルの屋上を覆ってしまった。

 骨組みと言うより、蜘蛛の巣のようだ。

 

 

「……現場の中心に立ち、いついかなる事態にも対応できるようにしろ」

 

 

 囁きのような声が、そこに降りて来た。

 仮面の男は手すりから距離を取った後、鎖の端が向かった先へと顔を向けた。

 そこには、ビルの貯水槽の上で鎖の束を両手で握り締めている少年がいた。

 

 

 水色の髪に、同じ色合いの瞳。

 夜に映える魔導師服(バリアジャケット)に覆われているのは、細い体躯。

 だがその表情は、嫌に人間的だった。

 

 

「アンタが教えてくれたことだぜ、お師匠……!」

 

 

 どこか悲哀を乗せた声で、少年はそう告げた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「何でだ……何でなんだよ、お師匠……!」

 

 

 どこか泣きそうな、そんな声を、クロノは隣で聞いていた。

 鎖を束ねて空間を制圧したイオスの隣、貯水槽の上から眼下の仮面の男……いや。

 彼の魔法の師を、見下ろしていた。

 

 

「……正体を見せたらどうだ、ロッテ。そしているんだろう、アリア」

 

 

 クロノの声に、眼下の仮面の男は何も答えない。

 だがクロノはその沈黙を許さない、自分の周囲にいくつかの表示枠を出す。

 

 

「仮面の男が現れた時間、お前達がどこにいたのかを調べた。ユーノにも確認をとったが、その時間お前達はどこにもいなかった。無限書庫で彼の手伝いをしていたはずの時もだ。そして、仕事だと言っていたが……お前達は、局の仕事を何もしていない」

 

 

 淡々と告げるのは、ただの事実だ。

 少し調べればわかることだった、特に隠そうとした形跡も無かった。

 まるで、見つけられるのを期待していたかのように。

 

 

「それと、アリアの腕の怪我だ。魔法のエキスパートであるアリアが、休憩中のちょっとした怪我をそのままにしておくわけが無い。なら、通常の方法では治せない怪我……例えば、僕の『ブレイクインパルス』のような特殊な魔法による怪我、それならそのままだった理由も説明できる」

 

 

 もっともこれは事実から逆算したこじつけだが、クロノはそう続けた。

 そしてイオスは、貯水槽に膝をついた体勢で鎖を握り続けている。

 すでに結界を張った、ここはもう4人だけの空間だった。

 

 

「他にも、転移記録や海鳴市……第97管理外世界との郵便記録、諸々を見せても良いけれど。でも、そんな面倒なことはしたくない。だから……正体を見せろ、ロッテ、アリア……!」

 

 

 ……しばらくの、沈黙が続いた。

 その間、仮面の男とクロノ・イオスは睨み合いを続けていた。

 しかし、それにも終わりがやってくる。

 

 

 仮面の男が、そっと仮面に手を添えたのだ。

 すると、どうやって隠れていたのか……同じ容姿の男がもう1人、仮面の男の背後に出現した。

 2人いた、しかしそれですらもはや驚きを意味しない。

 そして、2人の男が同時に仮面を外すと。

 

 

「……お師匠……!」

「……情けない声を出さない、イオス」

 

 

 ふわりと微笑んだその顔に、イオスが唇を噛む。

 わかっていたことだ、しかし実際に目にすると不思議と否定したくなる。

 そしてそこに、現実があった。

 信じたくない、現実がそこにあった。

 

 

 『闇の書』の完成を助け、イオス達と戦闘まで繰り広げた仮面の男。

 魔法と格闘、どちらも一流の腕前を持っていた敵は……2人いた。

 1人が魔法、1人が格闘、だからどちらも一流だった。

 だがそれは、2人の使い魔が変身魔法で化けていただけの存在で。

 その正体は、イオスとクロノが良く知る相手で。

 

 

「良く分かったね。普通、弟子の成長は喜ばしいものだけれど……」

「まったく、こう言う時は憎らしいね。それで、どうするの?」

 

 

 光と共に変身魔法が解けて、そこには2人の少女がいた。

 うっすらと色素の抜けた黒髪に、深い色合いの瞳、豊かな毛並みの猫耳と尻尾、どこかクロノやイオスのバリアジャケットに似た黒い制服。

 見上げる二対の瞳と、見下ろす二対の瞳。

 

 

「決まってんだろ……」

 

 

 ギリ、と鎖を握り締めて、イオスが告げる。

 

 

「言ったろ、次は負けねぇって……だから勝つさ、俺達が」

「ふぅん……私達に勝てると思ってるの?」

「勝てるさ、僕達だけがお前達に勝てる」

「大した自信ね、憎らしい。昔から生意気だった」

 

 

 イオスが告げ、ロッテが返し、クロノが重ねて、アリアが答える。

 お互いが重ねた時間が、交わった時間が、4人の間にはある。

 4人の間で、魔力素が触れ合って焼ける独特の音が響く。

 

 

 だが、いつもの組み手とは違う。

 そこに掛け声は無く、加減などと言う物も無い。

 ただ。

 

 

「「「「――――!」」」」

 

 

 衝突した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 まず天頂方向を封鎖していた鎖が、ロッテの拳に拠って吹き飛ばされた。

 千切れ飛ぶ鎖の群れに、イオスが鋭く息を飲んだ。

 すかさず代わって前に出るのはクロノだ、『S2U』を前に構えて。

 

 

「スナイプ・ショット!」

<Stinger ray>

 

 

 高速の光の弾丸が無数に放たれ、鎖を殴り飛ばして空中で停止したロッテめがけて進む。

 攻撃直後、普通なら当たる。

 しかしそのロッテの前にアリアが出て、デバイスらしきカードを手に腕を掲げた。

 次の瞬間、青白い魔法の盾がクロノの攻撃を全て弾き飛ばした。

 

 

「……っと、グレアムの爺さんも知ってんのかよ!」

「違う、お父様は関係ない――私達の、独断だっ!」

 

 

 短距離転移、ロッテの得意技だった。

 元より魔力を放つのは苦手で、格闘戦が得意だった。

 まずクロノの杖の先を打ち払い、次いでイオスの懐に飛び込んだ。

 

 

 イオスも近接戦で対応する、しかしその型を教えたのはロッテだ。

 どうしても、教えた側が有利になる。

 払ったはずの拳が直進し、イオスの身体を捉えて吹き飛ばす。

 みぞおちに入った拳の威力に、イオスが苦悶の表情を浮かべる。

 

 

「お前達の行動を、グレアム提督が知らないとは思えない……!」

「だとしても、私達の邪魔はさせない」

 

 

 告げて、アリアが無数の魔力光弾を放つ。

 その瞬間にはロッテはその場から離れて宙に跳び、クロノだけが残された。

 すかさず防御しようとした所で、腰に鎖が巻き付き――――引いた。

 

 

「ぐおっ……」

 

 

 ぐい、と引っ張られた直後、彼がいた貯水槽のあたりが魔力光弾の群れで焼き払われた。

 小さな爆発がいくつも起こり、ビルの屋上ごと吹き飛ばした。

 込められた魔力の高さが、良くわかる。

 

 

 そしてクロノはと言えば、イオスが殴り飛ばされていたらしい隣のビルまで引っ張られていた。

 空中で体勢を整えて、隣のビルの中程の部屋に叩き込まれていたらしいイオスの隣に着地する。

 頭上では、イオスが身体で崩したらしい天井とガラスの窓がパラパラと崩れている。

 なお、イオスは床の上で腹を押さえて悶絶していた。

 

 

「イオス、大丈夫か?」

「げほっ、えほっ……いやダメだ、ヤバい、何だあのパンチ……マジで痛ぇ……」

「そうか、大丈夫そうだな」

 

 

 薄情なことを言って、クロノは顔を上げる。

 

 

「グレアム提督の下には、定期的に第97管理外世界から郵便物が届いていた。匿名だが、資金を投じた形跡もある。最新の手紙は僕達が確保した。そして提督は……11年前から、『闇の書』を探し続けていたはずだ。そして今この世界に『闇の書』が出現した、これは偶然だろうか?」

 

 

 そんなことはありえない、クロノはそう断じた。

 それだけ、管理外世界との付き合いと言うのは無いのだ。

 さらに、イオスは言った。

 仮説だ、『闇の書』は完成前に破壊や確保をしても意味を成さない、転生するからだ。

 ならば、完成後ならばどうか。

 

 

 11年前の記録では、完成から暴走までの間に少しの時間があった。

 その少しの時間が、『エスティア』の悲劇を生んだ。

 ならば、その極めて短い時間なら……捕縛が可能だった。

 つまり、破壊も。

 破壊までもいかないまでも、封印したり停止させたりは可能なのではないか?

 

 

「……グレアム提督は見つけたんだな? 『闇の書』の主を、そして『闇の書』の封印方法を」

 

 

 おそらくは、何らかの手段で封印し……それこそ、フェイトの母が開いた虚数空間のような場所に閉じ込めてしまうことを考えていたはずだと、クロノは判断した。

 顔を上げた先、アリアとロッテがクロノとイオスを見下ろしていた。

 無言だ、だがそれが回答にもなる。

 

 

「手紙、見せて貰った。悪いとは思ったが……しかし、おかげで真実が見えた」

 

 

 八神はやて、それが現在の『闇の書』の主だ。

 魔法とは無縁、天涯孤独だがグレアムが「父の友人」として援助をしていたらしい。

 おそらく、封印までの束の間だけでも幸福にと思ったのだろう。

 提督らしいと思う、しかし同時に驚いたのは。

 

 

「……まさか、あの子だとはな」

 

 

 腹部のダメージをどうにか抜いたのか、イオスがゆっくりと立ち上がった。

 クロノの驚きは、イオスが「八神はやて」と知り合いだったことである。

 知り合いと言うか、『ジュエルシード』の事件の際、魔力切れで行き倒れた所を偶然助けて貰ったのだとか。

 今回の事件でも、街中で見かけたことがあったと言う。

 

 

「……こんなはずじゃない、現実ね」

 

 

 それでも受け入れざるを得ない、現実だからだ。

 今も、正直混乱している。

 わかりやすい悪人が主であれば、こんな気分とは無縁だったはずなのに。

 

 

 悪人は、悪人であってほしいとイオスは思っている。

 そうでなければ、法の執行者としてやりにくくて仕方が無いからだ。

 しかし現状、法の執行者として彼が告げるべきなのは。

 

 

「……当然、精査が必要だが」

 

 

 前置きを置いて、クロノが言う。

 

 

「現状、『闇の書』の主「八神はやて」とその従者である守護騎士達には、局員襲撃と保護生物虐待、ならびに公務執行妨害などの容疑がかけられている。だが……いずれも、永久封印などと言う刑罰を与えられるような重犯罪には当たらない」

「ええと、何だっけな……悪くて禁固10年か罰金刑、保護観察付きの社会奉仕、かね」

「そんな所だな」

 

 

 イオスの補足に、クロノが頷く。

 そんな彼らの様子に苛立ったのか、ロッテが手を振って。

 

 

「そんな法律を守って……だから犠牲が増えるんじゃないか! 決まり事を守って良い人が死んでいく! クライド君やユース君だってそうだったじゃないか!!」

 

 

 今までだって主ごとアルカンシェルで吹き飛ばして解決を先延ばしにしてきた、今回だってきっとそうなる。

 それくらいなら、超法規的な処置で事態を変えるべきではないか。

 将来の犠牲を、ここで食い止めるべきではないのかとロッテは主張する。

 

 

「クロノ、アンタとリンディは強いからどうだか知らないけど――――でも、イオス!」

 

 

 そこで、ロッテが告げる。

 おそらく『アースラ』メンバーの中で唯一、『闇の書』に対して純粋な復讐心を保ち続けていただろう弟子に対して告げる。

 

 

「アンタならわかるはずだ――――私達の方法こそが、一番確実だって!」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――正直に言えば。

 イオスは、未だに自分の中の感情に整理をつけられないでいた。

 当然だ、自分が探し求めていた『闇の書』の主が……何も知らないように見える10歳そこらの少女だったのである。

 

 

 しかも、「八神はやて」だ。

 『ジュエルシード』事件の際に、自分を助けてくれた相手だ。

 彼女のような者達の日常を守ろうと、ロストロギア回収に駆けずり回ったのはそんなに過去のことでは無い。

 

 

「まぁ……難しい所だよな」

 

 

 そんな相手が、『闇の書』の主だった。

 これまで散々守護騎士達に対して「お前らの主は~」と罵倒していただけに、その心中は複雑だった。

 しかもグレアム提督宛ての手紙を見る限りは、本人に『闇の書』関連の知識があるとは思えない。

 精神的に、かなりクる事実だった。

 

 

 師が『闇の書』の完成に関わっていたと言う事実だけでも相当なのに、よりにもよってあんな少女が『闇の書』の主……守護騎士達の主人だとは。

 受け入れがたい現実だ、正直、どうすれば良いのかわからない。

 少なくとも、「今までの恨み」と戦いを挑む相手では無かった。

 だって、彼女もまた「被害者」なのだから。

 

 

「『闇の書』の被害を食い止めるってのを最重要の戦略目標に据えるなら、お師匠達の方法もアリなんだろうと思う。正直、俺はアリだって思ってる。けどさ、やっぱさぁ……お師匠、一つだけ言いたいことがあるんだ」

「……何?」

「俺らに法の大切さを教えてくれたのも、お師匠達じゃんか」

「「…………」」

 

 

 法を守ることは、人と守ることと同じじゃない。

 だから、人を守るためには法を歪めても良いのだろうか。

 答えは、否だ。

 

 

『法律は完全じゃない、だけど完全たろうとした人達の集大成ではある』

『動物の世界では、自然淘汰によってイリーガルなはぐれ者は排除される。だけど人間社会は複雑だから、自然淘汰だけでは全体の秩序を保てない、だから法がそれを代行する』

『でも、刑罰ははぐれ者を打ち据えると同時に守りもする。法の範囲にいる限り、人は人として扱われるし、そうされるべきで、法律と言うのは言い換えれば「人のカタチ」を定めるもの』

『だから、いかなる理由があろうとも法を破ることは許されない。だけど、それを押し付けるだけの法の番人にはならないこと、それが出来れば』

 

 

 ――――それが出来れば、アンタ達は良い管理局員になれるから。

 それは、法を学ぶ上で一番最初にリーゼ姉妹から教わったことだ。

 法は人を必ずしも守らない、だけど法の執行者たる管理局員は人を救う。

 人はそれを、「解釈」と呼ぶのだと。

 

 

「それに俺は、終わらせたいんだよ。封印だとか、そんな形で先延ばしにしたいわけじゃない」

 

 

 感情としては理解できるが、それでもおそらく封印はいつまでも続かないとも思う。

 『闇の書』が何か方法を見つけ出すかもしれないし、第3者が力を求めて封印を解くかもしれない。

 

 

「俺さ、『闇の書』が憎い。すげー憎い、破壊したいと思う。だってそうだろ? アレが無かったら親父は生きてたし、親父が生きてれば母さんがあんな状態にならなくて済んだ。俺がこれまで被って来た社会的なペナルティの全部を、背負わなくて良かったんだから」

 

 

 考えたことがあるだろうか、あの寂しさを。

 フェイトはたぶん、わかっていないとイオスは思う。

 確かに母に現実の自分を見て貰えないことは寂しいことだ、だがそれよりも酷いことがある。

 

 

 ――――どうして、生きてるんだろう?

 

 

 それが、最終地点だ。

 自分が、では無い、母が、だ。

 どうせ現実に生きていないのなら、自殺でもしてくれた方が楽なのに、と。

 死んでくれたなら、こんな苦労はしなくて良いのに、と。

 そう、心の中で自分に言う存在が生まれるのだ。

 

 

「そうなったらもう……本当、ヤバくてさ。自分が怖くなるんだ、だから誰かのせいにしないとやってらんないんだ。それが俺にとっての『闇の書』で……まぁ、何だ」

 

 

 ちらりと、クロノを見て。

 照れたように笑う。

 

 

「……やつあたり、だったのさ」

 

 

 以前にクロノに指摘されたことは真実で、だからこそ喧嘩になって。

 真っ直ぐなまでに生きるリンディとクロノが、やけに遠くて。

 だから、羨ましかった。

 それでも、そんなイオスでもわかっていることがある。

 

 

「だったら、何で……」

「決まってんだろ」

 

 

 告げる、決別の一言を。

 

 

「親父達が守ったものを、どうして俺らが破らなきゃいけねーんだよ」

 

 

 おそらく、過去120年の間にも同じようなことを考えた人間はいるはずだ。

 しかし、実行されなかった。

 何故か、先人が守った法を今まで守って来たからだ。

 ならば今、自分達が諦めて法を破って良いはずが無い。

 何故なら。

 

 

「俺らは、法と秩序を守る管理局員だぜ……!」

 

 

 かつて、リーゼ姉妹に教えられたその通りに。

 それに対して、ロッテとアリアは何も言わなかった。

 何も言わずに、眩しそうに弟子を見つめた後……表情を怒りに染めて。

 

 

「なら良いよ、ここで沈めて押し通るから」

「手加減は、してあげられない」

 

 

 それに対して、クロノとイオスは笑みを浮かべる。

 そしてその次の瞬間、2人の周囲……ビル前面に、無数の魔力刃と流水の槍が形成された。

 その量に、リーゼ姉妹が顔を青くする。

 

 

「これは……!」

「別にただ長々と喋っていたわけじゃない……これを仕掛けるための、時間稼ぎさ」

 

 

 それまで黙っていたクロノが口を開き、そして。

 

 

「『スティンガーブレイド……」

「『ウォータースピア……」

<<Execution shift>>

 

 

 無数の魔力と水の槍が、リーゼ姉妹に向けて放たれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 手応えはあった、だが何かおかしいと感じた。

 魔法終了後、油断なく構えたまま前を見据える。

 クロノとイオスが放った魔力刃と流水の槍の向こう、たゆたう煙の向こう側に影が生まれた。

 

 

「……何だと」

 

 

 クロノが驚きの声を上げる、何故ならそこには。

 

 

「……どうして驚くの、クロノ。そっちがデバイスを使うんだから」

「私達が使っても、不公平でも何でも無いでしょう?」

 

 

 煙が晴れる、その先には少女の姿をした使い魔が2人。

 1人はその手に白い杖を持ち、もう1人はその手に黒い盾を持っている。

 そう、盾だ。

 

 

「……『氷結の杖・デュランダル』」

「『慈悲の盾・カテナ』」

 

 

 アリアが杖を持ち、ロッテが盾を持つ。

 白き杖『デュランダル』は、どこか槍を彷彿とさせる形状をしていた。

 刃の部分に魔法文字とコア、そして刃部分の後部に排熱機構を備える。

 黒き盾『カテナ』は、楕円の形をした1メートル弱の大盾だ。

 黒光りする盾の装甲に、同じく魔法文字とコア・クリスタルを備えている。

 

 

「お父様が、『闇の書』の封印を実行する私達のために与えてくれた物だ……!」

 

 

 ロッテが盾を構えたままそう言うと、ガラスが砕けるような音と共に魔法障壁が砕けた。

 どうやらあの盾が放った障壁が、イオスとクロノの威力を防ぎきってしまったらしい。

 アリアはと言えば、そっと杖を構えて。

 

 

「……凍てつけ」

 

 

 そう呟き、通常出力で氷結魔法を放った。

 しかしそれはデバイスの力で増幅され、絶大な威力を発揮する。

 周囲の物を全て、言葉の通り凍てつかせてしまう程に。

 

 

「や……っ」

 

 

 息を飲んだのはイオス、彼は足元まで氷結の影響が及び始めるのを見ると。

 

 

「やべええええええええええっっ!?」

 

 

 背を向けて一時撤退した、クロノと共にビルの奥へと逃げ込む。

 

 

「追いかけて来るぞ!」

「にゃろっ……!」

 

 

 両腕から鎖を放ち、逃げる自分達の後方を鎖で覆う。

 しかし氷結は止まらず、むしろ鎖をも巻き込んでさらに進んで来た。

 

 

「嘘ぉ――――っ!?」

「落ち着け! おそらくアレは『闇の書』の封印用のデバイスだ! 盾で押さえ、杖で氷結封印するつもりだろう」

「落ち着いて分析してる場合か、どうする!?」

 

 

 ビルの中を進み、階段を見つけて飛び込む。

 そこで飛行魔法を使い、上の階層へと進んで行く。

 

 

「倒すしかない。じゃないと『闇の書』への対処に集中できない」

「でもどうするよ、エクスキューション効かなかったぞ」

「ならば、より広範囲の殲滅魔法を全方位から叩き込むしかない」

「エクスキューションより広範囲……って何だよ」

「簡単だ」

 

 

 首を傾げるイオスに対して、クロノが冷静に言う。

 イオスはどうしてクロノがこんなに冷静なのかわからないが、しかし逆にクロノはこう思っていた。

 

 

 自分は、どこか壊れているのだ、と。

 

 

 エイミィに出会うまで、自分はまったく笑わない子供だった。

 それは、つまる所それだけどこかが歪んでいたと言うことだ。

 父の死を認識して以降、心の一部が凍ったまま動かなくなった自分。

 クロノはそれを自覚していたし、また、利用してもいた。

 

 

「天を味方につければ良い。『流水』の属性を持つお前なら、できるはずだな?」

「……それって」

 

 

 クロノの提案に、イオスは驚いたように目を見開く。

 それから、その実行にかかる魔力などを考えて……溜息を吐いた。

 やるしかない、その現実から逃げることなく。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 リーゼ姉妹が次に「敵」を捕捉した時、そこにはクロノが1人だけで立っていた。

 それに対して訝しみながらも、しかしリーゼ姉妹は慎重な策を取らなかった。

 弟子達が次にどう出るのか、純粋な興味もあったからだ。

 

 

 中程の階層がほぼ凍結したビルの屋上で、クロノは1人佇んでいる。

 顔を上げたその先には、2人の師がデバイスを構えてそこにいる。

 しかしその表情に、気押されたような色は少しも無かった。

 

 

「……イオスはどうしたの?」

「さぁな、途中ではぐれてしまった」

 

 

 明らかに嘘だとわかるが、追求した所で何もならない。

 油断した所を鎖で捕らえようと言うのだろうか、しかしリーゼ姉妹としてもその程度の策にやられる程甘いつもりは無かった。

 クロノから一定の距離を取ったまま、浮遊しつつ会話する。

 

 

「どう? 今からでも考えを変えて手伝う気はない?」

「それは無いな、残念ながら。むしろ僕が言いたい、グレアム提督を楽にするためにもこちらを手伝う気はないか?」

「お父様を……楽にする?」

「そうだ」

 

 

 頷くクロノに、先を続けるように促す。

 

 

「グレアム提督は本来、こんな陰謀めいたやり方は好まないはずだ。その提督が主義を変えてこんなことをする理由は、まぁ、容易に想像はできる」

 

 

 それは、クロノとイオスの父のためであり、犠牲になった部下達の無念を晴らすためだろう。

 しかし同時に、グレアムは苦しんでいるはずだった。

 何の罪も無い少女を生贄に、『闇の書』を封印すると言うこの策に。

 だから、「父の友人」を騙ってまで援助をしていたのではないか。

 

 

「その罪悪感は、例え『闇の書』を封印しても消えない。そうさせないで良い手伝いを、僕達はロッテ、アリア、キミ達に頼みたい」

「……けど、これはお父様のご意思なんだ、願いなんだよ」

「本当にそうか? だったらどうして、提督もキミらも、僕達のような若造に掴めるような証拠を残しておいたんだ?」

 

 

 リーゼ姉妹とグレアムがその気になれば、証拠を僅かも残さずに事態を進めることができたはずなのだ。

 ……甘え、だと思う。

 だがその甘えを無視する程、クロノは恩知らずでは無いつもりだった。

 

 

「……もう、戻れない」

「まだ間に合う。法はいつだって……更生する者の味方だ」

「憎らしい言い様、昔から変わらないんだから、そう言う所」

「かもしれない」

 

 

 告げて、ロッテとアリアとの会話を切り上げる。

 『S2U』を構えて、向ける。

 すると当然、2人もそれぞれ『デュランダル』と『カテナ』を構える。

 

 

 しかし、そこでふとクロノが余所見をした。

 それだけでなく、杖から手を放して左手をかざす。

 まるで、天候でも確かめるように。

 

 

「……雨が、降ってきたな」

「何だって?」

 

 

 ここは結界の中だ、雨が降るなどあり得ない。

 それなのに、確かにクロノの言う通り……ポツポツと、小さな雨粒がリーゼ姉妹の肩を打ち始めた。

 あり得ないことが起こり、一瞬、困惑する。

 しかし魔法に詳しいアリアが、すぐに頭上を見上げた。

 すると、そこには。

 

 

「イオス……!」

「……『流れゆく者よ、清めゆく者よ、いま導きのもと降り来たれ』……」

「――――天候操作魔法!?」

 

 

 上空、確かにドス黒い雨雲がたちこめる空間の中心に、水色の髪の少年がいた。

 鎖を巻いた両腕を交差させるように胸の前で構え、何事かの呪文を呟き続けている。

 彼が行っているのは、天候操作魔法と言う儀式魔法の一種だった。

 名前の通り、ある特定の天候を呼び出すことができる。

 そして彼の属性は『流水』、ならば呼び出される効果は。

 

 

「――――『レイン・フォール』ッ!」

 

 

 スコールのような強風が吹き、叩きつけるような豪雨が一瞬にして完成する。

 リーゼ姉妹とクロノの周辺にだけ降り注ぐそれは、さながら水の弾丸だった。

 一瞬、身体にかかる負荷に呻き声を上げる。

 

 

「……っ、範囲が広い上に自然現象じゃ、『カテナ』も防げない……!』

「『デュランダル』で氷結させれば、上の雨粒全てが私達に叩きつけられる!」

「……なら!」

 

 

 次の瞬間、豪雨に打たれていたロッテが姿を消した。

 短距離転移だ、即座に移動してイオスの背後に回る。

 『カテナ』をカードに戻しつつ背後に周り、相手が知覚するよりも速く蹴りを脇腹に叩き込む。

 

 

(――――入った!)

 

 

 ロッテは確信する、確実にイオスの脇腹を捉えたと。

 魔力を込めた蹴りは、それだけでバリアジャケットを抜けてダメージを通す。

 倒せないまでも、天候操作魔法をリセットさせるくらいはできるはず。

 

 

「……なっ」

 

 

 だが、そうはならなかった。

 蹴りは確かにイオスの脇腹に突き刺さっている、だがダメージが通っていない。

 どう言うことかと思えば、足先で何かが擦れるような音がした。

 

 

「……鎖!?」

 

 

 鎖だ、イオスの胴体に……鎖が巻かれていた。

 胸の前で両腕を交差していたのは、呪文詠唱のためだけでなく、身体に巻いた鎖を隠すためだったのだ。

 そして、デバイスの鎖が蹴りにダメージを最小限にした。

 

 

 驚いていると、足を捕まれた。

 蹴り足を掴まれた、イオスの手で。

 それは凄まじい力で、明らかに魔法で強化されている。

 骨が軋む程の力に、ロッテが顔を顰めた。

 

 

「……同じだった」

「え?」

「仮面の野郎と、お師匠の蹴りの型が同じだった。だからわかった」

 

 

 ロッテは思い出す、仮面をかぶっていた時に何度か蹴りを放ったことを。

 体格は変化していても、型は変わらない。

 2人の弟子に、それがわからないはずが無かった。

 何故なら、ロッテの蹴りは。

 

 

「俺達が一番、喰らって来たんだからなぁ!」

 

 

 叫ぶ、10年近く同じ蹴りを喰らってきた少年が叫ぶ。

 すると同時に、周囲の雨に変化が生じた。

 正確には、雨粒だ。

 

 

 魔力変換資質、『流水』。

 魔力を水に変化させるそれは、同時に魔法で生み出した雨粒をも操作することができる。

 それを思い出したロッテは、反射的に息を飲んだ。

 『カテナ』のカードを指に挟み、掲げようとして。

 

 

「『ダウンプア・ソ――――ン』ッッ!!」

<Blast>

 

 

 雨粒が針へと形状を変える、土砂降りの雨の中で降り注ぐ雨粒が、針へと。

 それがこれからどうなるか、わからない程ロッテも想像力が貧困では無かった。

 殺到する雨粒の針に、ロッテは力の無い笑みを浮かべて……。

 

 

 炸裂した。

 無数の雨粒の針がロッテを襲い、巨大な水風船が破裂したかのような音が響き渡った。

 次いで、天候操作とは別の雨が降るのをアリアは見た。

 

 

「ロッテ!!」

 

 

 片割れがやられた、その事実にアリアは動揺した。

 空を仰ぎ見るように振り向き、結果としてクロノに背中を見せることになる。

 その直後、青白い魔法の縄が彼女を縛った。

 通常のバインドとも違う、それどころかこちらの魔力強化を解除するそれは。

 

 

「『ストラグルバインド』。使いどころの少ない魔法だけど、こう言う使い方もある」

 

 

 師の背中に杖を突き付けて、クロノは言う。

 アリアは肩越しに彼を睨み据えた後……上空で、似たような魔法でロッテを拘束したイオスを見て。

 ……疲れたように、溜息を吐いた。

 それから、やはり疲れたように微笑んで。

 

 

「こんな魔法、教えて無かったんだけどな……クロノも、イオスも」

 

 

 常に精進を忘れるな。

 それもまた、リーゼ姉妹が彼らに教えたことだった。

 彼らは師の教えを守り、師を倒した。

 

 

 それもまた、一つの現実。

 アリアも……そしてロッテも。

 その現実を、受け入れざるを得なかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、別の現実もある。

 病院側の方だ、正確には大学病院近郊の空間だが。

 シャマルが外界と隔てたその空間の中で、2つの戦闘が繰り広げられていた。

 

 

「ターン!」

 

 

 フェイトがコマンド・ワードを告げると同時に、あらかじめ放たれていた射撃魔法『プラズマランサー』の軌道が変わる。

 それは直線的ではあるが時間差をつけて、空中で制止していたシグナムを狙う。

 

 

「断ち切れ、『レヴァンティン』!」

<Jawohl>

 

 

 静かな相棒の返答と共に、シグナムが剣を幾度となく振るう。

 それはフェイトの魔力弾を一つ一つ確実に斬り飛ばし、変化の無い弾丸では彼女を討てないことを証明する。

 しかし、焦っているのはむしろシグナムの方だった。

 

 

 シグナムとしては、殺す以外の方法でフェイトを無力化しなければならない。

 だがフェイトには蒐集は出来ない、それでいて実力は伯仲している。

 極めて苦しい、時間をかければ以前のようになのはの砲撃でシャマルの結界を崩されかねない。

 打つ手が、徐々にだが無くなっていく。

 

 

「……強いな、テスタロッサ。そして『バルディッシュ』」

「貴女と『レヴァンティン』も、シグナム」

<Thank you>

<Danke>

 

 

 フェイトとしては、なのはを援護しつつチャージを手伝いたい所だった。

 しかしシグナムがそれを許さない、流石にそこまで甘くは無かった。

 

 

「……シグナム。私はまだはやてとそんなに仲良くは無いのかもしれないけど、でもわかることがあります」

 

 

 だからと言うわけではないが、フェイトは語りかける。

 手を差し出し続けるのだ、相手が手をとってくれるまで。

 

 

「はやては、『闇の書』の完成を望むような子じゃ無い」

「……!」

 

 

 事実だった、はやてはシグナム達に蒐集を固く禁じていた。

 しかし彼女は知らない、『闇の書』が自分の身体を蝕んでいることを。

 だから、知られないように蒐集していた。

 

 

「主は心優しい方だ。私達のしていることを、何もご存じ無い」

「だったら」

「だったら何だと言うのだ? 『闇の書』を完成させるしか、我らの主のお命を救うことができぬのだから……!」

 

 

 不完全な『闇の書』がはやてのリンカーコアに与える負荷、それが病の原因だ。

 それを取り除くためには、『闇の書』を完全な物にするしかない。

 そうでなければ、騎士の誓いを破ってまで蒐集などしない。

 

 

 しかし、シグナムの言葉にフェイトは眉を顰めた。

 フェイトが聞いている話と違う、そう感じたからだ。

 彼女が聞いた話では――――。

 

 

「『闇の書』は、完成すれば、破壊をもたらす……って」

「……何だと?」

「私は、管理局ではそう言う記録がいくつもあるって聞いてます。過去、何度も『闇の書』は完成したけど、その度に破壊を撒き散らして転生したって。だから、私達は止めようとしているんです」

 

 

 この時、シグナムははっきりと落胆を感じていた。

 失望したと言っても良い、まさかフェイト程の使い手がそんな低俗なはったりと、と。

 

 

「……『闇の書』については、我らがそちらよりも良く知っている。何しろ、一部だからな」

「……じゃあ、どうして本当の名前で呼ばないんですか?」

「本当の名前?」

「『夜天の書』」

 

 

 夜天、その単語に聞き覚えは無い。

 ただ何か、無視し難い何かを感じた。

 そのため、剣が微かに音を立てる。

 

 

(何だ? 何……)

『シグナム、ヴィータちゃんが!』

「何!?」

 

 

 思考の海に潜りかけた意識を、シャマルの念話が引き戻す。

 振り向いた先、そこには、なのはの砲撃魔法に撃たれて墜ちる赤い髪の騎士の姿があった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

(……っくしょ……なんだよコレ……!)

 

 

 桜色の砲撃魔法に直撃された直後、ヴィータは墜ちながら頭に痛みを感じていた。

 砲撃の痛みでは無い、ここの所ずっと感じている痛みだった。

 イオスに過去のことを指摘されて以降、ずっと。

 

 

(夜天……? それが『闇の書』の本当の名前? そんなはず……)

 

 

 沈んだ思考は容易には浮上しない、直前になのはに問われた言葉が脳裏をよぎる。

 何故、『夜天の書』を『闇の書』などと呼ぶのか、と。

 だがヴィータには、それに答えられなかった。

 その隙を突かれて、砲撃を避けることができなかったのだ。

 

 

「……悪魔め……!」

 

 

 憎々しげにそう告げた時、力強い腕が自分を抱き止めるのを感じた。

 次いで、視界が揺れてどこかの屋上に着地する。

 どこかと言うか、そこは病院の屋上だった。

 結界内なので、人はいないが。

 

 

「ヴィータ、大丈夫か!?」

「ザフィーラ……!」

 

 

 ザフィーラだった、彼が小柄なヴィータの身体を抱えるようにして落下から救ってくれたらしい。

 揺れる視界を頭を振って戻して、ヴィータはザフィーラの腕の中から脱して立ち上がった。

 片腕を押さえながら、それでもデバイスは手放さずに。

 

 

「……全然、平気だって……!」

 

 

 強がる、強がらなければやってられない。

 もうすぐ『闇の書』が完成するのに、どうしてこんなことになっているのか。

 何故、『夜天の書』などと言う名前で感情を揺らされなければならないのか。

 

 

 しかし、頭の片隅で何かが何かを叫んでいるような気がしているのも確かだった。

 それはイオスの発言からこっち、ずっと続いている物で。

 だからヴィータは、イマイチ目の前のことに集中できないのだった。

 

 

「……なぁ、ザフィーラ、あのさ」

 

 

 ヴィータが何かを言おうとした時、それは起こった。

 それはまさに不測の事態で、想定すらしていなくて、だからこそ誰もが動きを止める出来事だった。

 自分達のすぐ後ろで、魔力反応がしたのだ。

 

 

「え……」

 

 

 だから、ヴィータも振り向いた。

 振り向いて確認した、するとそこには見知った三角形の魔法陣がある。

 ベルカ式の魔法陣だ、白に近い紫の魔力光の。

 だが、その中心にいたのは。

 

 

「――――はやて!?」

「主!?」

 

 

 ヴィータとザフィーラは驚愕する、そして動揺する。

 ここにいるはずの無い、いてはならない人物の登場にそうならないはずが無かった。

 見られたと言う意識以上に、何故、と言う気持ちが強い。

 

 

『な……し、シャマル!?』

『そ、そんなはず……そんなはずが無いわ! あ、でも……アレは……』

「『闇の書』!?」

 

 

 はやてが胸に抱いている茶色い装丁の本、『闇の書』の存在にヴィータはますます慌てた。

 上空を見れば、なのはが驚いた顔でこちらを見ている。

 不味い、そう思ってすぐにはやてに駆け寄った。

 

 

「はやて! 何で……『闇の書』、どうして連れてき」

 

 

 たんだよ、と仲間を叱ろうとして、止まる。

 駆け寄った刹那、胸に熱い何かを感じた。

 同時に周囲の音が消えて、視界も急速に色あせていくのを感じた。

 

 

「え……」

 

 

 見下ろす、そこにはへたり込むような体勢で座るはやてがいる。

 当然だ、歩けないのだ、座るしかない。

 だが重要なのは――――「左腕」。

 

 

 はやての左腕に、まるで黒い蛇のような、触手のような何かが絡みついていた。

 そしてその先端が、自分の胸に突き刺さっているのをヴィータは見た。

 喉奥から何かが込みあげて来るような感覚があり、直後にはその小さな唇から生温かい何かを溢れさせた。

 

 

(――――え?)

 

 

 何が起こったのかわからない、ただ、刺された場所から赤い輝きが浮かぶのは見えた。

 リンカーコア、それはヴィータのリンカーコアだった。

 先程までの戦闘の影響か、それは強い輝きを放っていた。

 

 

 そして不意に、はやてが顔を上げる。

 まるでついさっきまで眠っていたかのような眼差し、しかしすぐに驚愕に染まった。

 次いで悲哀、さらに否定、そして。

 

 

(ああ……)

 

 

 目の前で歪むはやての顔に、場違いながらヴィータは困った。

 

 

「あ、あぁ……」

 

 

 はやての綺麗な目に涙が浮かぶのを見て、ヴィータは笑おうとした。

 大丈夫だと、心配しないで良いんだと伝えたくて。

 だから泣かないでと、言いたくて。

 

 

「ああ、ああああぁぁ……!」

 

 

 できなかった。

 そして。

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああっっ!!??」

 

 

 

 絶望の幕が、上がった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 薄暗い執務室、そこにその男は1人でいた。

 砂嵐に包まれた表示枠を前に、机に両肘をついて……何かを待つように、じっとしていた。

 もう、どれだけの時間待っただろうか。

 

 

 しかし、その待ちの時間にも終わりが訪れる。

 砂嵐しか映っていない表示枠の上に、新たな表示枠が浮かび上がったのだ。

 直通の、しかも個人の秘匿通信の呼びかけだった。

 

 

「…………」

 

 

 男が目を開くと、映像の向こうに緑色の髪の女性が映っていた。

 彼女は、どこか哀しそうな瞳で彼を見つめていた。

 そして、形の良い唇が言葉を紡ぐ。

 

 

『話は全て、聞きました。…………ギル・グレアム提督』

 

 

 男……ギル・グレアムは、女……リンディ・ハラオウンの言葉に、再び目を閉じた。

 そして、薄暗い部屋に深い溜息が響く。

 11年間、悩み、苦しみ、そして実行してしまった男の――――。

 

 

 ――――諦観の、溜息だった。

 

 


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