魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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A's編第7話:「砂漠の決闘:後編」

「何、何何なに――――ッ!?」

 

 

 その時、『アースラ』艦橋にエイミィの声が響き渡った。

 エイミィはそこでリンディ指揮の下、『アースラ』スタッフと共に現場……つまりクロノ達前線メンバーの補助を行っていた。

 その他、情報収集や解析などを行っている。

 

 

 もし守護騎士達が逃亡を図れば、今度こそ追跡するつもりだった。

 クロノ達が時間を稼いでいる間に、そのための準備を整えていたのだ。

 現地にはサーチャーを送り、また砂漠世界を管轄する観測隊や、近隣の駐屯地を経由して『アースラ』から現場を掌握していたのだが……。

 

 

「システム、ダウンしました!」

「アクセス受け付けません! 現場との通信、途絶します!」

 

 

 アレックスとランディの悲鳴のような声が続き、艦橋のスクリーンから砂漠世界の映像が消える。

 観測していた情報や計測していたデータ類も同じだ、現場とのリンクが切断されてしまった。

 そう、切断だ。

 ブレーカーが落ちるかのように、徐々にでは無く一度に全てが消えてしまったのだ。

 当然、通信の責任者たるエイミィはそれを防ごうとするのだが。

 

 

「……っ!」

 

 

 ダンッ、と端末を両手で殴りつける。

 キーボードを打っていた手を止めて、掌をブラックアウトした画面に押し付ける。

 『アースラ』関連の情報以外が途絶している、『アースラ』の機器が正常に動いている以上、これは先方……つまり情報経由地の駐屯地か観測所、または現場側からの異常である可能性が高い。

 

 

 もしそうなら、『アースラ』側から出来ることは何も無い。

 そう思うと、歯が欠けそうな程に奥歯を噛み締めざるを得なかった。

 後方で役に立つと、サポートすると決めたはずなのに……!

 

 

「エイミィ……エイミィ!」

「っ……は、はい!」

 

 

 リンディに呼ばれて、暗闇に落ちかけていた気持ちを浮上させた。

 俯きかけていた顔を上げて、艦橋の中央に立つリンディを仰ぎ見る。

 

 

「通信の復旧、どのくらいかかりそう?」

 

 

 焦るでも無く、慌てるでも無く……しかし、不安で無いわけでも無いだろうに。

 それでもリンディは、落ち着いた声音でエイミィに問いかけた。

 それが、エイミィの胸を締めつけた。

 勘違いでも良い、自分がそう思いたいのだから。

 

 

「すぐ……すぐに、すぐに復旧させます! アレックス、ランディ、皆! 電源落として、再起動! 繋げ直すから!」

「けど、駐屯地のシグナルまだ拾えませんよ!?」

「わかってる! でもやるの!」

 

 

 手を動かしながら、どうする、どうする、と自分に問いかけ続ける。

 次は、その次は? そうだ、まだこんなにやれることがあるじゃないかと。

 落ち込むのは、それからだって出来るはずだ。

 

 

「どうする、どうする……!」

 

 

 呟きながら、端末と計器の操作を続けるエイミィ。

 その頭の中では、士官学校で教官に叩き込まれたマニュアルのページがめくられ続けていた。

 そして同時に4年間現場に出て培った経験から、彼女の先輩達がやっていたマニュアルにも乗っていない荒技を思い出し続けていた。

 

 

「次は、次は……!」

 

 

 再起動し、再接続し、それでもダメならサーチャーとの直接回線を繋げる。

 それがダメなら、別の経由地点を探す、それでもダメなら……。

 エイミィの試行錯誤の時間は、まだ始まったばかりだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 動きが、取れなかった。

 砂山に埋もれる形で倒れていたイオスは、身体の上の砂をサラサラと流しながら上半身を起こした。

 足元には鎖が落ちており、敵の拘束が解けてしまっていることがわかる。

 しかし、今重要なのはそこでは無い。

 

 

 苦虫を噛み締めたような表情で睨む先は、数百メートルほど先だ。

 そこは何本もの砲撃魔法が放たれた跡があり、巨大な魔力が幾度も衝突した痕跡があった。

 事実、先程までは激しい戦闘の音が断続的に響いていた。

 それが、今は嘘だったかのように静かになっている。

 原因は、ただ一つ。

 

 

「フェイト……!」

 

 

 フェイト、なのはと組んでシグナム・ザフィーラ組と戦っていた少女だ。

 しかしそのフェイトは今、見動きが取れない状態に陥っている。

 ついさっき、イオスを砂山に蹴り込んだ張本人の手によって。

 

 

「……っ、うぁ……っ」

 

 

 そしてそのフェイト本人は、形の良い唇から呻くような吐息を漏らしている。

 瞳は驚愕に揺れ、金糸のような髪が血色の良い頬の上を滑る。

 血色の瞳は、自分の胸元を見つめていた。

 

 

 腕だ、腕が生えている。

 しかしなのはが蒐集された時と異なり、そこにあるのはたおやかな女の腕では無い。

 無骨な、長い男の腕だ。

 しかもその腕の持ち主は、フェイトの身体に直に触れている――――。

 

 

「……私に近付くな、さもなくばこのリンカーコア……握り潰す」

 

 

 仮面をつけた、男。

 先程イオスを蹴り、超短距離転移でもしたのか……フェイトの背後に回り込み、リンカーコアを掴み出したのだ。

 そして今、自分に手を出せばフェイトのリンカーコアを潰すと宣言した。

 フェイトが僅かに身体を震わせたが、無理からぬことだろう。

 

 

「貴様……!」

 

 

 それに対して憤りの声を上げたのは、意外にもシグナムだった。

 彼女自身、フェイト・なのはとの戦闘でダメージを負っている、しかし今はその剣先をなのはでは無く仮面の男に向けていた。

 

 

「騎士の戦いに、割り込むか下郎……!」

 

 

 真剣勝負に水を差されたことに対する憤りが、瞬間的に『闇の書』の完成を求める気持ちを上回った。

 何より、背後からの奇襲は彼女の性に合わない。

 だが、仮面の男はそんなシグナムの方を向いて。

 

 

「……奪え」

「何……?」

「『闇の書』を完成させるのだろう?」

「……ダメ!」

 

 

 叫んだのはなのはだ、『レイジングハート』を反射的にシグナムに向ける。

 しかし、それ以上のことは出来ない。

 実際、その視線は捕らわれたフェイトから離れない。

 

 

「く……」

「な、なのは……っ」

 

 

 唇を噛むなのはに、フェイトが哀しそうな視線を向ける。

 荷物になっていると言う認識が、フェイトの胸を支配しつつあった。

 

 

「……おい、そこの守護騎士!」

 

 

 イオスは地面に膝を立てると、鎖から解放され、自分と同じような体勢で事の成り行きを見守っていたヴィータに声をかけた。

 最初から信用などしていないが、一応聞いておこうと思ったのだ。

 

 

「仲間は他にいないんじゃなかったのか!?」

「いねぇよ! 私らだってあんな奴知らねぇ!」

「『闇の書』を完成させようとしてんじゃねーか!」

「いや、知らないって!」

 

 

 押し問答、平行線である。

 だがどうも、本当に知らないのではないかと思える程には、ヴィータの声は本気のように聞こえた。

 

 

「さぁ、どうした……速く蒐集しろ。そして主の下に帰るが良い……」

 

 

 仮面の男はなおも言い募る、危機感を覚えたクロノは目の前のシャマルの背中を睨みつつ、『アースラ』と連絡を取ろうとしたが……出来なかった。

 何かあったのかと訝った時、気付いた。

 それは、フェイトの背後に回った仮面の男の、さらに背後に回り込んだ遊撃戦力……。

 

 

「フェイトを……離しなあああああああああああああああああぁぁぁっっ!!」

 

 

 赤い髪の女――――アルフが、拳に魔力を纏わせながら、仮面の男に飛びかかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 奇襲など趣味では無い、しかしアルフにも時と場合を選ぶ柔軟性の持ち合わせくらいはあった。

 最優先すべきは己の主、奇襲で救えるなら安い物である。

 次の瞬間、仮面の男の背中に向けて右の拳をブチ当てた。

 

 

「……!」

 

 

 しかしその一撃は、仮面の男が背面展開した障壁によって防がれてしまう。

 明滅するシールド、鬩ぎ合いによって生まれる魔力同士が反発する火花。

 犬歯を剥き出しにして、アルフは拳の先に術式を撃ち込む。

 

 

「バァリアァ……!」

 

 

 『バリアブレイク』、アルフの十八番である。

 障壁を粉砕し、攻撃を相手の身体に届かせる……はず、だった。

 

 

「……!?」

 

 

 心臓が脈打つような感覚が、アルフの身体を襲った。

 どくんっ、鼓動と同時に虚脱感に襲われる。

 砂の地面に膝を落とし、そのままうつ伏せに倒れた。

 

 

「アルフさん!?」

 

 

 なのはの悲鳴が聞こえるが、それに応えてやることができない。

 自分の中の魔力が、否、生命力(いのち)が安定しない。

 喋ることすら、出来ない。

 

 

「あ……アルフに、なに、を……っ」

「魔力リンクに干渉させて貰った、良い使い魔だな」

 

 

 喘ぎながら問うフェイトに、淡々とした答えが返ってくる。

 使い魔は主人からの魔力供給で生きている、それに干渉されれば動くこともままならないだろう。

 だが普通、そんなことが出来る技量の術者はいない。

 それをこの仮面の男は、事もなげに。

 

 

「……リンカー、コア……!」

「その通り」

 

 

 やはり淡々とした返答に、朦朧としながらも驚愕するフェイト。

 身体の奥を弄られるような感覚に呻く、男の手にはフェイトのリンカーコアが輝いている。

 

 

(リンカーコアに直接、干渉を……!)

 

 

 心の中で動揺したのは、クロノだ。

 それを表に出すようなことも、シャマルの背に向けた杖を下ろすような真似もしない。

 しかし内心では、仮面の男の魔法技術の高さに驚いていた。 

 

 

「……危ない!」

 

 

 はっとして、クロノが声を上げる。

 仮面の男がカードのような物を取り出し、アルフに向けたのだ。

 それがデバイスだと判断したクロノは、反射的に声を上げるが……間に合わず、男の足元で爆発が起こる。

 当然、倒れていたアルフも巻き込んで。

 

 

「アルフ!」

 

 

 叫んだのは誰だったのか、判然としない。

 しかし誰もが爆風に身を竦めた、そしてほぼ直後に風が渦巻いて巻き上がった砂が払われた。

 その中から出て来たのだは、赤い髪の女を脇に抱えた褐色の肌の男だ。

 掲げた片腕が僅かに焦げて見えるのは、防御したからだろうか。

 

 

「あ、あんた……っ」

「……喋るな、異国の守護獣よ」

「……使い魔、だ」

 

 

 そこで、アルフの意識が落ちる。

 男……ザフィーラは、アルフの身体を少々雑にその場に置くと、油断なく仮面の男を見据えた。

 信用していない、目がそう言っている。

 これだけ見れば、彼らが味方同士などとは到底思えない。

 

 

「……どうした、早く蒐集しろ」

「……」

 

 

 仮面の男はザフィーラから視線を外すと、再びシグナムの方を向いた。

 シグナムは剣を下ろさない、ザフィーラ同様不審そうな目で男を見ている。

 だが、男は気にした風も無く。

 

 

「…………死ぬぞ」

「……っ」

 

 

 言葉だけ取れば、フェイトが死ぬぞと言っているように聞こえる。

 実際、なのはなどはそう受け取って息を飲んだ。

 しかし、シグナム達には別の意味に取れたようで。

 

 

「……わかった」

 

 

 苦々しい表情で、それを受けた。

 しかし、剣を下ろすことは無かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 その言葉に、デバイスの杖の先を揺らしたのはクロノだ。

 別にそれで何かを思うことは無いが、虚を突かれたのは事実だった。

 次の瞬間、短距離転移で自分の前からシャマルが姿を消すのをみすみす逃してしまうくらいには。

 

 

 シャマルが転移したのは、シグナムの傍だ。

 足元に三角形の独特の魔法陣が広がり、『闇の書』が宙に浮かぶ。

 そして……。

 

 

「……うああああぁぁ……っ!?」

 

 

 弱った少女の悲鳴が砂漠に響き、『闇の書』が輝く。

 蒐集だ、また一歩『闇の書』は完成へと近付く……。

 

 

『――――やるぞ、クロノ!』

『……イオス』

 

 

 だがどうやら、幼馴染は諦めるつもりが無いらしい。

 そしてそれは、自分も同じだった。

 デバイスの杖、『S2U』の柄を握り締めて魔法を構築する。

 短距離転移が出来るのは、何も守護騎士達だけでは無い。

 

 

 次の瞬間、身体を引かれるような感覚を感じた。

 そしてさらにその次の瞬間、仮面の男から少し離れた位置に着地していた。

 すぐ隣には、イオスもいる。

 

 

『……行くぜ!』

『ああ!』

 

 

 念話で短く応答して、イオスを先頭に突っ込む。

 相手がフェイトを抱えている以上、砲撃魔法で吹き飛ばすことはできない。

 出来るなら、すでになのはがやっている。

 

 

「『チェ――――ン、インパルス』!」

<Chain impulse>

 

 

 イオスの両腕から鎖が放たれ、2方向から仮面の男を狙う。

 しかし、仮面の男はこちらを見ることもせずに片手でカードを掲げて見せて。

 

 

「んな!?」

 

 

 鎖の各所に、紫がかった青白い小さな輪――バインドだ――を嵌めた。

 鎖が各所で折れ曲がり、勢いを無くして最後には地面の砂に鎖を縫い付けて止めた。

 しかしそれでピンと張った鎖を足場に、クロノが跳んだ。

 鎖とバインドの間を擦り抜けて、杖をメイスのように振り上げる。

 それはゆっくりと、しかし確実に仮面の男の片腕に触れた。

 

 

<Break impulse>

 

 

 それは仮面の男を守る魔法障壁に触れ、固有振動数を割り出し、振動エネルギーを送り込んで粉砕しようとする。

 しかし同時に、『闇の書』の蒐集も完了したようだった。

 小さくなったリンカーコアがフェイトの胸に戻り、自由になった男のもう片方の腕がクロノの方を向く。

 

 

「……クロノ!」

 

 

 イオスがクロノのフォローに入ろうとした時、まさにそのクロノ自身の身体が彼に衝突した。

 仮面の男の魔力の衝撃波によって吹き飛ばされたらしい彼を抱き止めるような形で、イオスもまた砂地の上を転がった。

 もつれ合うようにして止まり、身体を起こせば。

 

 

「待てよ、てめぇ!」

 

 

 イオスの声を無視して、仮面の男がどこかに転移する。

 その足元には、衰弱したフェイトだけが残されて。

 さらに、その向こうには。

 

 

「……すまない」

 

 

 辛そうな顔で謝罪の言葉を残す、4人の守護騎士の姿があった。

 『アースラ』との通信が繋がらない今、彼らの転移を追いかけるものは無い。

 次の瞬間には、忽然と姿を消してしまった。

 

 

 逃げられた、2度目の任務失敗だ。

 戦略目標も戦術目標も確保できず、完全なる失敗だ。

 感情の行き場を失ってしまったかのように、イオスはその場で地面を殴りつける。

 

 

「――――畜生!!」

 

 

 その傍らに膝をつきながら、クロノは倒れたフェイトに駆け寄るなのはの姿を見ていた。

 そして、そんな彼の横に……ようやく回復したのだろう、通信の画面が浮かび上がった。

 そこに顔を見せていたのは、エイミィだった。

 

 

『クロノ君!? そっちの状況は!?』

「……エイミィか」

 

 

 砂で汚れた顔を見せながら、クロノは苦々しい溜息を吐いた。

 執務官、現場指揮官としての責任を痛感しているのかもしれない。

 倒れているフェイトとアルフ、そしてなのはの声を聞きながら。

 

 

「……医療班を寄こしてくれ。2人、やられた」

『っ……わ、わかった!』

 

 

 通信が切れる、最後に見たのは泣きそうな顔のエイミィ。

 ……クロノは、疲れたように息を吐いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 月村邸には、猫がいる。

 それも一匹や二匹では無く、何十匹、あるいはそれ以上の猫がいるのである。

 そしてその猫達は、邸内であれば一部を除いてどこでも自由に出入りすることが許されている。

 

 

 今も、すずかの寝室には何匹かの猫が入り浸っている。

 その内の数匹は、ベッドの上にまで上がっていた。

 そしてそのダブルサイズのベッドの上には、ゆったりとした寝間着に着換えた2人の少女が座っている。

 

 

「うわぁ~、可愛ぇなぁ。もっふもふや♪」

「うふふ、でしょー?」

 

 

 愛猫を褒められて嬉しいのか、すずかが嬉しそうに微笑む。

 その傍らでは、就寝前の紅茶を淹れているノエルとファリンが微笑ましそうな表情で2人を見つめていた。

 そして赤いリボンを首に巻かれた黒猫を抱いて頬ずりしているのは、はやてだ。

 

 

 すずかは淡い色合いのネグリジェを着ているが、はやてはパーカーにハーフパンツという格好だ。

 今日は、はやてがすずかの家にお泊りに来ている。

 先日すずかがはやての家にお泊まりしたので、今日はそのお返しであった。

 

 

「それにしても、凄い猫天国やねぇ」

「そう? でもお友達の家は犬天国だよ」

「語呂悪っ」

「あはは」

 

 

 実際、すずかの友人のアリサの家には無数の犬が住んでいる。

 すずかは気まぐれな猫が好きだが、アリサは一途な犬が好きである。

 好きな動物にも性格が出るんだなぁ、と言うのはすずかが密かに思っていることだった。

 

 

「うん、他にもね、なのはちゃんって言うお友達がフェレットを飼ってるんだよ」

「フェレット? それはまた珍しぃなぁ」

「後、フェイトちゃんって言う子とも最近仲良くなったんだけど、この子も犬を飼ってるんだよ。なのはちゃんのフェレットがユーノ君で、フェイトちゃんの犬がアルフちゃんって言うの」

「へぇ~、やっぱり動物好きの子には、動物好きのお友達が出来るんかな」

「はやてちゃんだって、ザフィーラ君を飼ってるでしょ?」

「え、あ、うん……まぁ」

 

 

 ザフィーラのことになると、酷く曖昧な笑みを浮かべるはやてだった。

 

 

「うーん、でも、会ってみたいなぁ」

 

 

 猫に頬ずりを続けながら、はやてが言った。

 まるで、何かに夢見るように。

 

 

「その、すずかちゃんのお友達に」

「うん、紹介するよ」

「あはは、楽しみや……む」

「? ……どうかしたの?」

 

 

 不意に、はやてが身体を固くした。

 そのためだろうか、抱いていた猫もはやてから飛び退いてどこかに行ってしまう。

 だがはやてはそれを止めるでも無く、眉を軽く顰めて固まっている。

 ……しかしそれも、すぐに終わった。

 

 

「はやてちゃん?」

「……あ、ああ、何でもあらへんよ。ちょっと頬ずりしすぎてくしゃみがでそうになっただけや」

「そう?」

 

 

 心配そうな顔をするすずかに、はやては笑って答える。

 そこからは特に変化も無かったので、すずかは気にしないことにした。

 そして、彼女の使用人達が淹れた紅茶を飲みながら……。

 

 

 その日は、遅くまではやてとお喋りをした。

 自分のお友達と、どうやって引き合わせようかと考えながら。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「とりあえず、フェイトさんもアルフさんも命に別状はないそうよ。比較的すぐに回復できるそうだから、あまり心配しないようにね」

 

 

 その日の深夜、なのはを除く『アースラ』所属のメンバーのみで会議の場を持った。

 その中でリンディがフェイト達の容体についてそう述べたが、誰1人としてそれで表情を輝かせたりはしなかった。

 むしろ、痛々しい沈黙が場を包んでいる。

 

 

「……私の責任だよ」

 

 

 メンバーの中で、まずエイミィが後悔の弁を告げた。

 通信に関して責任を持つ自分が、『アースラ』と現場の通信を途絶させてしまったことに対する責任と後悔だ。

 原因は、経由地である駐屯地に通信阻害のクラッキングが行われたことだ。

 

 

 これにより、エイミィは現場のサーチャーを自動で動かす以外の手段が取れなくなってしまった。

 この手段にしても、追い詰められた末の苦肉の策だった。

 まぁ、最低限の情報はそれで得れたが……問題はクラッキングだ。

 はたして局のネットワークに介入できる存在が、守護騎士サイドにいるだろうか?

 

 

「……まぁ、あまり気にするな。エイミィは出来るだけのことはしたさ」

「そうそう……それより、問題なのは現場の方だろ」

 

 

 クロノがエイミィを慰め、イオスも追随する。

 2人は元よりエイミィを責めるつもりはない、それどころかイオスなどは現場――つまり自分達――の対応の方に問題があったと思っている。

 それは問題と言うより、感情面の問題でもあるが。

 

 

「あれだけ味方が周りにいて、誰もフォローしてやれないなんて……!」

 

 

 もちろん、イオス自身も含めてのことだ。

 守護騎士達を追い詰めれば仮面の男が出て来るだろうことは、ある程度予測していたはずだ。

 それが通信の途絶から、予想外の仮面の男の技量、そして想像以上の守護騎士達と仮面の男の険悪な関係……それが続いたからと言って、言い訳にもならない。

 これでは、チームで事に当たっている意味が無い。

 

 

 実際、なのははそれで落ち込んでいる様子だった。

 時間が時間なので、今日は家に帰らせたが……やはり、気にしていたようだ。

 助けられなかったことを。

 

 

「……ああ、そうだな」

 

 

 クロノがメンバーの気持ちを代弁するようにそう言い、重々しく溜息を吐く。

 元よりロストロギア事件だ、そう簡単に解決できる物では無い。

 しかしそれでも、もっとやりようはあっただろうと言う気持ちは拭い切れないのだった。

 

 

「落ち込むのはそこまで、今回の教訓を次に活かしましょう」

 

 

 その空気を、リンディが断ち切った。

 ぱんっ、と手を打って空気を切った後、会議に参加しているリーゼロッテの方を向いて。

 

 

「『闇の書』の調査の方は?」

「あー、うん。ユーノって子が凄いよ、ちょっとした調査隊よりも凄い……」

 

 

 何とも微妙な表情を浮かべるのは、ロッテだ。

 苦笑とも取れる表情を浮かべるのは、本当に呆れているのだろう。

 そんな彼女の言葉と共に、本局・無限図書館との直通通信が繋がった。

 本局で缶詰め状態になっているユーノと、通信で繋がったのだ。

 まぁ、画面に映った彼は寝不足なのか、少し目の下にクマなど作っていたが。

 

 

『……じゃあ、この数日の調査でわかったことを報告します』

「お願いね」

 

 

 リンディが応じると、ユーノはここ数日徹夜で調べ上げたことを報告し始めた。

 それは、彼の出身を現すように……『闇の書』の、歴史に関する講義のような内容だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『闇の書』の始まりは、管理局誕生よりもかなり昔のことになる。

 イオス達が収集することが出来た120年前までの資料は、管理局が組織として運営されるようになっていた頃だ。

 それ以前の資料は、それこそ無限図書の奥にしか無いだろう。

 

 

 そしてユーノがそれこそ「発掘」して来たのは、そう言う資料だった。

 無限書庫の術式が組まれたと同時に自動収集された、過去の記録。

 事実、『闇の書』の歴史は古代遺跡並の物があった。

 

 

『『闇の書』は元々、『夜天の書』って名前だったらしいんだ』

 

 

 そう言ってユーノが提示したレポートには、『夜天の書』に関する初期データが示されていた。

 それは、今の『闇の書』からは想像もできない程に。

 

 

「……何とまぁ、健全な資料本だね」

 

 

 ロッテの感想に、異を唱える人間はいなかった。

 ユーノ画面の隣に、ユーノを手伝っていたらしいアリアの顔が浮かんだ。

 表示枠を点滅させながら、苦笑を浮かべている。

 

 

『元々は、他の魔導師の技術を遺すだけの魔導書だったからね』

 

 

 『夜天の書』あるいは『夜天の魔導書』には、3つの機能が存在していた。

 第1に収集機能、これは今は蒐集機能として残っている。

 最も、かつては蒐集の際に痛みなど発生しなかったらしいが。

 第2に復元機能、これは集めた情報を保護するためだけの機能だったが……現在は無限再生機能と言う尋常ではない能力に変化している。

 

 

 最後に転移機能。

 これは言ってしまえば世界を渡るための機能であって、それ以上では無かった。

 それが今は、転「生」機能と言う異常な機能になっている。

 これが、現在では最悪の機能として稼働している……。

 

 

『それだけじゃないんだ、今の『闇の書』の異常はもう一つある。『闇の書』の完成前の破壊や停止の手段が、無いってことなんだ』

「……ああ、前の事件でもそうだった」

 

 

 ユーノの言葉に、イオスが頷く。

 そこは120年分の資料にも記述があった、完成前に『闇の書』に介入しようとすれば、転生機能が問答無用で発動するのだ。

 それこそ、持ち主を飲み込んで転生してしまう。

 そして、次の持ち主を探すのだ。

 

 

「完成前に破壊すれば転生する、完成後には暴走する。なるほど……」

 

 

 説明を聞き終えた後、クロノはひとつ頷いて。

 

 

「……打つ手が無いな」

「自信満々に言うなよ……」

 

 

 腕を組みながら言うクロノに、イオスが若干呆れの混じった視線を向けた。

 

 

『もっと最悪なのは、一定期間の蒐集が無いと持ち主のリンカーコアを侵食して、最終的には殺してしまうこと。つまり持ち主に蒐集を強制することだ。いったい、誰がこんな改変をしたんだか……』

 

 

 呆れたと言うより、軽蔑に近い表情をユーノは見せる。

 実際、過去の幾度かの改変が原因で『夜天』から『闇』へと変貌してしまったのだから。

 

 

「『夜天の魔導書』も、こうなっちゃうと……可哀想だね」

「魔導書に可哀想も何もあるかよ、ようするに昔のマスターが下種だったってだけだろ」

「……空気読もうよ、イオス君」

「え、俺が悪いのか?」

「……平常運転だなお前達、喧嘩はするなよ」

 

 

 微妙に険悪な空気になりかけた2人を注意しつつ、クロノはユーノのレポートを読み進める。

 良くまとめられている、ユーノにはやはり調査に関する才能があったのかもしれない。

 ……飼いフェレットの不在の理由を捻りだす、なのはも凄いのかもしれないが。

 

 

「……まぁ、失敗はしたが、致命的な失敗はまだ、していない」

 

 

 半分は自分に言い聞かせるように、クロノは呟いた。

 それを微笑を浮かべて見て来る実母の視線をくすぐったく感じつつも、クロノは続ける。

 

 

「失敗はしたが、収穫はあった。何度失敗しても、少しずつこうした物を拾って進んで行くしかない」

 

 

 まだ、取り返せる。

 そう気持ちを込めて、クロノは頷いた。

 それに応じるように、周囲の者も頷く。

 ロッテだけは、それを呆れを含んだ複雑な笑みで見つめていたが。

 

 

「あ、そうそうクロスケ」

「クロスケ言うな、何だ?」

『私達、明日は抜けるから。仕事がちょっとたてこんでてね』

「ああ、そう言うことなら……アリア? どうしたんだ、その手」

『え?』

 

 

 クロノは、画面の中で手を振ったアリアの片腕に白い包帯が巻かれていることに気付いた。

 長袖の間から覗くそれは、とても真新しい物のように見える。

 

 

『え、あ、ああ。ちょっとね、休憩中に』

「ふん……? まぁ、気を付けろよ」

「へえぇ……クロスケってばいっちょまえにアリア口説いてるの? エイミィいるのに」

「違う! と言うか、何でそこでエイミィが出て来るんだ!?」

「……ええと、私も巻き添えはちょっと……」

 

 

 冒頭の空気が弛緩し、若干和やかになる会議場。

 それをぼんやりと見つめながら、イオスはユーノの話を思い返した。

 特に、完成前の『闇の書』には手が出せないと言う部分だ。

 ……完成前に手が出せない、ならば。

 

 

「完成前には手が出せない、ねぇ……」

 

 

 ――――完成後、あるいは。

 ……完成中なら、どうだろうか?

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日の朝、ヴィータは不機嫌だった。

 それは、はやてが月村邸から帰ってくるとなっても続いていた。

 原因は、昨日の戦いとその後の話し合いだ。

 

 

 あの後、ヴィータ達は仮面の男について話し合いを持った。

 おそらくは『闇の書』を利用しようとしている――それ以外に予測が立たない――のだろうが、『闇の書』は主にしか使えない、だから利用等できない。

 なら、何故?

 

 

「……まぁ、とにかく主の傍に1人はついていた方が良いだろう」

 

 

 それが、リーダーたるシグナムの出した結論だった。

 それはヴィータも賛成だが、そのせいで蒐集が遅れることには苛立った。

 手が1人減るなら、余計に時間がかかってしまう。

 

 

 そして何より、頭の片隅の不快感が抜けないことだ。

 『闇の書』は完成すれば主に莫大な力を与える、過去もそうだった。

 だが昨日、イオスから過去のことを指摘されて……ふと、気になってしまった。

 自分達は過去、何度も『闇の書』を完成させたはずだが……その詳細を、覚えていないのだ。

 

 

「……なんだよ、畜生」

 

 

 『闇の書』については、守護騎士たる自分達が一番良く知っている。

 だと言うのに、何故過去の完成の瞬間を覚えていないのか。

 完成した後の記憶が無いのは、何故なのか。

 わからない、だから彼女は苛立ち……不機嫌なのだ。

 

 

 その時、家の前に車の音がした。

 それはすぐに止まり、玄関についたことを教えてくれた。

 帰って来たのだ、はやてが。

 それがわかって、ヴィータはソファから立ち上がって玄関へと駆けた。

 ドアを開けると、そこにはすでにシグナム達がいた。

 

 

「はやて!」

 

 

 不機嫌をよそに喜色満面で名前を呼ぶと、ノエルが車――リムジンと言うらしい――のドアを開けた向こうに、はやての姿があった。

 彼女は隣のすずかと別れの挨拶をしていたようだが、ヴィータの声にこちらを振り向く。

 そして、ファリンが押して来た車椅子に映ろうとした。

 

 

 その時、時間が止まった。

 

 

 後にヴィータは、いや全員がそう語ることになる瞬間が訪れた。

 車のドアの縁に手をかけたはやてが、動きをとめた。

 ぎこちなくなり、笑顔が急に曇る。

 そして……。

 

 

「はやてちゃん!?」

 

 

 すずかの声が響く、ヴィータの視界には驚いた顔の彼女の顔があった。

 そこから、視線を下へと移す。

 一瞬、現実を受け入れられなかった。

 だが、そこには確かに現実があった。

 

 

「は――――」

 

 

 時間だけでなく、音も遮断されて。

 ヴィータは、車椅子への移動を失敗したはやての姿を見ていた。

 倒れたまま動かないはやての姿を、そして。

 

 

「はやてぇ――――――――ッッ!!」

 

 

 悲鳴を上げた。

 そこから、時間と音が戻ってくる。

 守護騎士達とすずか、ファリンの悲鳴と、すぐさまはやてを助け起こすノエルの衣ずれの音。

 そして、無意味に爽やかな朝の空気……他には誰もいない空間に。

 

 

 ――――にゃぁん。

 

 

 猫の鳴き声だけが、響いた。

 

 


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