魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

26 / 88
A's編第6話:「砂漠の決闘:前編」

 それまで響いていた音が消えて、『アースラ』の訓練室に静寂が戻る。

 真新しい壁や床で覆われていたはずのそこは、今や使い物になるのかどうかすら怪しいレベルになっていた。

 

 

 壁の至る所に穴が開き焦げついていて、床には天井から落ちたと思われる瓦礫や床下から爆裂したとしか思えないような穴が無数に開いている。

 特殊なシールドで保護されているはずなのに、まるで大規模な爆弾テロにでも襲われたかのような様相だった。

 

 

「……やり過ぎたな!」

「もっと早めに気付くべきだったな」

 

 

 腰に両手を当てて頷くイオスに、クロノが静かにツッコミを入れる。

 イオスの魔力回復のリハビリも兼ねた連携訓練を行った結果、『アースラ』の訓練室は非常に残念なことになっていた。

 しかし、これは別にイオス達が全てやったわけでは無い。

 

 

「そういえば、なのは。ユーノいないけど、家では何て言ってるの?」

「あー……にゃはは。お友達の家のメスのフェレットに夢中だから置いて来たって」

「そ、そうなんだ……」

 

 

 少し離れた位置でのほほんと笑い合っている、なのはとフェイトだった。

 話の内容は本局で調査を続けているユーノの不在理由の家族への説明であって、かなり酷いことを言われているようだった。

 メスのフェレットに夢中って、いやユーノはフェレットで認識されているから仕方ない面もあるが。

 

 

 いずれにせよ、ここ2日程はイオスのリハビリも兼ねて4人での訓練が増えていた。

 基本は連携戦、そして新デバイス関連を含めた個人技能。

 なのはとフェイトの新デバイスにはいくつかのモードが設定されているが、フレーム強度の問題から一部に使用制限がかかっている。

 

 

「だけどまぁ、絶好調、だな」

「おかげで訓練室が使い物にならなくなったがな」

 

 

 修繕にどの程度かかるだろうか、クロノは溜息を吐いた。

 しかし、必要な訓練だったことは理解している。

 個人技能で及ばない以上、役割分担が必要になるのは必然だった。

 

 

 現実を認め、対策を練る。

 時間が無いため、弱点の克服よりも長所を伸ばす所に時間を割いたのだが。

 しかし、いつ本番が来ても良いように……。

 

 

『クロノ君、皆、聞こえる!?』

 

 

 ……本番の時が、来たようだった。

 4人の間に、緊張が走る。

 

 

「どうした、エイミィ」

『近隣の無人世界で観測隊が守護騎士の魔力反応をキャッチ、解析してて良かったー!』

 

 

 エイミィの声に、イオスはクロノからなのは達へと視線を動かした。

 視線の先の2人の少女は気合いを入れているのか、唇を引き結んでこちらを見ていた。

 苦笑する、緊張がこちらにまで伝わってきそうだ。

 

 

 しかし、イオスも緊張はしている……が、それ以上にリベンジの機会に燃えていた。

 一度魔力を奪われた以上、二度は無い。

 それは『闇の書』の特性と言う物で、それ故にイオス個人については不安要素が少なくなったのだ。

 そして、プログラムの騎士に敗北したと言う「汚点」を払拭する機会。

 燃えるなと言う方が、無理だった。

 

 

(1人で出来ないのが、情けなくはあるけど)

 

 

 自分以外の3人も、守護騎士に言いたいことやしたいことがある。

 そう思って、湧き上がる感情に一定の歯止めをかける。

 深く息を吐いて、冷たい空気を肺に入れる。

 

 

『艦長から命令、すぐに向かって拘束を試みて』

「了解した……聞いての通りだ。守護騎士が発見された無人世界へ赴き、対象を拘束する。場所は文化レベル0の砂漠世界、全力で暴れても大丈夫だ。メンバーはこの4人とアルフ、所定の計画に従って……」

 

 

 クロノも気合いが入っているのか、デバイスの杖を握る手に力がこもっていた。

 一旦眼を閉じて、メンバーを引き連れるように背中を見せる。

 そして。

 

 

「――――行くぞ!」

「「「おうっ!」」」

 

 

 再戦である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 砂、砂、砂、砂……どこまで行っても砂しかない、そこはそんな世界だった。

 厳しく、乾燥した土地だ。

 砂漠の表面に水分は無く、ジリジリと照りつける太陽が地上の水分を奪い続けている。

 

 

 この世界に居住する人間はいない、遥かな昔はいたらしいが……どこぞへと消えて失せた。

 今では地下深くに僅かに存在する水を頼りに生きる魔法生物と、さらにそれを食糧とする大型の魔法生物しか存在しない。

 そして突然、その大型の魔法生物が砂の下から牙だらけの大きな口を開けて飛び出してきた。

 魔法生物の断末魔が悲鳴を上げて、のたうつようにしながら砂の上に倒れる。

 

 

「……やれやれ、なかなかに梃子摺らせてくれたな。大丈夫か『レヴァンティン』」

<Ja>

 

 

 その傍らに降り立つのは、桃色の髪の女騎士だった。

 紫がかった布地の多い軽鎧を纏うその女騎士の手には、太陽の光に鈍く輝く剣が握られている。

 熱を逃がすように排出したその剣に笑みを向けた後、女騎士――シグナムは自分の獲物を見上げた。

 

 

 一言で言えば、全長数十メートルはあるだろう巨大な地竜のような生き物だった。

 魔力が強く、この近辺の生態系の主と見られる魔法生物だ。

 非常に硬い鱗を持ち、その強さは一時はシグナムも砂の中での戦闘を余儀なくされる程だった。

 今は肌の柔らかな部分を強打し弱らせた所であり、これからがトドメである。

 

 

「『レヴァンティン』、カートリッジを……」

 

 

 しかし剣を傾けて魔力の弾丸を装填しようとした段階で、砂の中から縄のような物が飛び出しシグナムに絡みついた。

 まずは足首、そして徐々に身体全体を絡め取っていく。

 粘液がつき、また生温かい温度を感じることから縄ではなく触手だとシグナムは判断した。

 

 

「ぐ……!」

 

 

 しかもそれが捕食用であると認識すると同時に、身体がカッと熱くなるのを感じた。

 甲冑越しに締め上げられ、形の良い唇から吐息とも呻きとも取れる声が漏れる。

 柔らかな胸や太腿、肌がハムのように締め付けられる。

 それでも剣は放さず、シグナムは顔を上げた。

 するとそこには、鋭利な針を持つ別の触手が――――赤く爆裂した。

 

 

「これは……ヴィータ!」

 

 

 声を上げると、地表スレスレに留まった赤く輝く鉄球がシグナムの周囲を回転するように動いた。

 鋭角的に動くそれが、シグナムを縛る触手を千切り飛ばす。

 次の瞬間には、シグナムはすでに動いていた。

 

 

「『紫電――――」

<Explosion>

「――――一閃』!」

 

 

 鋭い音と感触が手に残り、駆けるようにワームの傍を抜ける。

 次にシグナムが着地した時には、ワームは鱗をばら撒きながら今度こそ倒れていた。

 構えを解き、今度こそ安全に直立するシグナム。

 そんな彼女の傍に、赤いドレスの少女が降り立った。

 

 

「何やってんだよ、リーダー」

「すまない、助かった」

「いーよ、別に」

 

 

 つまらなそうに言う少女の手にはハンマー、ヴィータは仲間の後ろに倒れているワームを見て、微かに相好を崩した。

 

 

「大物じゃん、これで……」

 

 

 しかし、その表情が凍りつく。

 せっかく倒した大物のワーム、それをこれから蒐集しようと言う時にだ。

 突然、大掛かりな転移魔法がその巨体を多い、隠してしまったのだ。

 次の瞬間には、その姿は光の中に消えてしまった。

 

 

「な」

 

 

 んだ、と言葉を続ける前に、シグナムがヴィータの顔の前に手を翳す。

 何事かと思うヴィータだったが、すぐにその理由を知ることになった。

 何故なら、ワームが消えた光の中から、見覚えのある顔が出てきたからだ。

 しかも1人ではなく、おまけに明らかに武装して。

 

 

「……時空管理局だ。保護生物虐待その他の罪で」

 

 

 黒髪の少年、金髪の少女に赤い髪の女、そして栗色の髪の少女。

 そして、もう1人。

 先日、自分達と戦った少年達。

 

 

「――――逮捕する!」

 

 

 水色の髪の少年が、そう宣言した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 シグナムが何気なさを装って周囲を見渡すと、いつかのように自分達の物とは異なる結界が周りを覆っていることに気付いた。

 以前と同じような状況だ、だが、いくつかの制約がある自分達には防ぎようの無い状況だった。

 

 

 自由ならざる、身なれば。

 唯一救いがあるとすれば、蒐集の非効率を承知で仲間と密集して行動するようになったことだろう。

 現在、自分の隣にはヴィータがいる。

 そして……。

 

 

『ザフィーラ』

『……見えている。言わずとも向かう』

 

 

 もう1人、ザフィーラがいる。

 最後の1人については、「主人」の傍にいる。

 守りのため、そして「主人」を友人宅へ送り届けるためだ。

 今夜は、泊まりだと聞いていた。

 あのたおやかな少女は、「主人」の大切な友人だと認識している。

 

 

「……管理局、か」

「ああ、けど周りのはチャラいよ。ただ問題は……」

「わかっている、強いぞ」

 

 

 強い、と言う感想は、彼女達の前に立っている集団のことだった。

 それはクロノ、イオス、なのは、フェイト、そしてアルフの5人だ。

 いずれも1度の戦闘経験があり、そして結果的に破っている。

 だが、なのは・フェイト・アルフとの戦いもクロノ・イオスとの戦いも激しい物だった。

 

 

 まして2度目の対峙だ、何か対策を持ってきたと考えてしかるべきだろう。

 しかも、こちらは2人ないし3人、相手は5人だ。

 だが数的不利とは言っても、ベルカの騎士は敵に恐れを抱かない。

 故に、シグナムは『レヴァンティン』の柄を握る手に力を込めて……。

 

 

「仲間」

 

 

 呟くような声に、その動きを止めた。

 訝しげなシグナムの視線は、クロノの隣に身体を横向けて立つイオスに向けられていた。

 

 

「仲間、呼べよ」

「……何……?」

「他にもいんだろ、仲間。待ってやるから、念話で呼んで転移させろよ。『闇の書』を持ってれば簡単だろ?」

 

 

 その言葉に、シグナムは不愉快そうに眉を立てた。

 今のイオスの言葉は、2つの意味を持っていると推測できる。

 1つには、自分達が数的に優位な状況で勝つことを求めていないことを示唆しているのだ。

 負けた際の言い訳を、許さないと言うことだ。

 ただ、罠である可能性もある……転移痕を探り本拠地を探るための。

 

 

 もう一つ、「『闇の書』を持って来い」ということだ。

 無論、蒐集には『闇の書』が必要だ。

 しかしこの状況で「持って来い」と言うのは、嫌でも何らかの罠を想起してしまう。

 

 

「別に嫌なら良いんだぜ? ここは俺と相棒で抑えて、他の3人はお前らの主人の所に向かうだけの話だからな」

「……てめぇ!」

「ヴィータ、落ち着け。……下手なブラフだな、お前達が我らの主のことを掴めるはずも無い」

 

 

 そう、掴めるはずも無い。

 何故なら、彼女らの「主人」は一度も『闇の書』を行使したことも無ければ、魔法を使用したことも無いのだから。

 だから、魔導師の集団である時空管理局に見つけられるはずが無い。

 

 

 もし見つかるとすれば、それは自分達のミスによる物だ。

 それ以外には、可能性自体が存在しない。

 そして自分達は「主人」の下に戻る際、多重転移に偽装転移まで混ぜて戻っている。

 転移痕を追われているとしても、まだ時間がかかるはず……。

 

 

「あー……何だったけなぁアレ、なぁクロノ」

「何がだ?」

「ほら、アレだよアレ。えー……とぉ」

 

 

 クロノの肩に手を置いて、イオスは片手で顔を覆う。

 その間から見える目は、シグナムに不快を与えるには十分な色を見せていた。

 

 

「……『は・や・て』……だったか?」

 

 

 瞬間、シグナムは剣を握るに力を込めようとし、直後に抑えた。

 顔の筋肉を動かさないよう努力した、何の反応も返さないように努めた。

 ヴィータも同じだ、青褪めかけた顔色を砂漠の太陽の光に隠そうとした。

 過去、「ただの」プログラムであった時にはあり得ない反応。

 

 

 そして「ただの」プログラムでは無いが故に、対処に数瞬を要してしまった。

 数瞬、沈黙してしまった。

 そしてその反応は、数多の事件や犯罪者の対応を経験した執務官コンビにとっては「それで十分」と言う物だった。

 そして、結果としてクロノ達は。

 

 

(((((あ、危ない……!)))))

 

 

 クロノからなのはに至るまで、一様に心の中で脱力していた。

 ほっとして、目論見が当たったことに安堵していた。

 何故なら彼らは、『闇の書』のマスターを発見などしていないのだから。

 言うなれば、カマをかけただけだ。

 

 

 『闇の書』のマスターに関しては何の情報も無い、これは過去のどの事件とも異なる今回の事件の特徴だった。

 大体、先の戦闘終盤で追い込まれたヴィータの呟き、その読唇の言葉がどんな意味を持つのかなどわからない。

 人の名前ですら無いかもしれないし、言語が合っているのかも不明だ、だが。

 

 

「うん? どうしたんだ、顔色が悪いぞ? 別に俺は何も具体的なことは言って無い、ただそれらしきことを言っただけだ。そうだな、もしかしたらお前の言う通りはったりなのかも?」

「……下種が」

「下種ぅ? これまで何人も局員を闇討ちしやがった犯罪者の台詞とは思えないな。まぁ、そんな連中を使って蒐集するようなマスターは、もっと下種なんだろうな」

「てめ……!」

 

 

 なのでイオスの挑発にシグナムやヴィータが激怒しても、イオス側には正確な理由がわからなかった。

 まるで人間のように怒るシグナムに、イオスは複雑な気持ちになる。

 何故ならこれは、「シグナム達に人間のような感情がある」ことを前提に立てられた策なのだから。

 イオスとしては、不謹慎ながら、むしろ失敗してほしいという気持ちすらあった。

 

 

『……楽しそうだな、お前。どこか活き活きしているように見えるぞ』

『いや、性格が出るんだろうねぇ。私やフェイトの時も、そういえばいろいろネチネチ言ってたし』

『いやいや、楽しくねぇから! 見ろよあの連中、俺のこと「殺してやる」的な目で見てんじゃんかよ! いや、上等だけれども!』

 

 

 イオスがクロノとアルフの「事実に基づく誤解」に念話でツッコミを入れた時、シグナムが剣に『炎熱』の前段階である熱気をたゆたわせながら告げた。

 鋭く、視線だけで射殺すように。

 

 

「……いいだろう、望み通りにしてやろう」

「シグナム!?」

 

 

 ヴィータの叫びを無視して、シグナムは問う。

 

 

「一つ問うが、我らが戦っている間に主に危害を加えようというつもりか?」

「はぁ? プログラム風情が何言ってんだよ……と、言いたい所だが、まぁ、お前らの頑張り次第だと言っておこうか」

『よく言うな、マスターの居場所など掴めてもいないくせに』

『はったりが必要な時だってあるんだよ、つまり今だ!』

 

 

 実際、『闇の書』のマスターは不明だ。

 だがシグナムは、一つ頷いて最後の仲間に連絡を取る。

 そして。

 

 

「我らの主を侮辱したこと、後悔させてやる」

 

 

 イオスが返す。

 

 

「上等だ。俺達こそてめぇらにオトシマエつけさせてやんよ」

 

 

 『闇の書』の騎士を一網打尽にし、マスターか謎の協力者、あるいは両方を炙り出す。

 それ以外に、事件解決の糸口は無い。

 だからユーノが新たな事実を見つけるまで、彼らは彼らのやり方を貫くのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「どうして、『闇の書』を完成させようとするの?」

 

 

 守護騎士達の仲間が来るまでの数分間、その間に、それまで黙っていたなのはがおずおずと……しかしはっきりと、声を上げた。

 しかしそれに対して、シグナムやヴィータから答えは無い。

 その目は、「言う必要は無い」と物語っていた。

 

 

(まぁ、そこもわからないポイントではあるわな……)

 

 

 ただのプログラムなら、自滅するとわかっていようがどうしようが蒐集活動に従事するだろう。

 だがイオス曰く「100万歩譲って」、彼女達には自我がある。

 ならば、どうして『闇の書』の蒐集などという自殺行為にも等しいことをしているのか。

 

 

 何か、理由があるのか。

 あるいは、フェイト言う所の「誤解」があるのか。

 それとも、他の何かなのか。

 

 

(わからない)

 

 

 そう、わからない。

 少なくともイオスが調べた過去120年間の『闇の書』事件では、守護騎士が自我や感情に芽生えたなどという事実は無い。

 今回の事件は、初めてのケースが多すぎる。

 

 

 マスターの姿が見えず、今までのところ死者も出ていない。

 これが『闇の書』事件だとは、信じられない程に。

 言うなれば、どこか作為的なまでに。

 

 

「えっと……何か話し合いで解決できることって、無い?」

 

 

 そしてそれは、なのはが半年以上前にフェイトにかけた言葉だ。

 話し合いで全てが解決できるとは思わない、だけど。

 何もわかり合えないままに、ただぶつかるのは嫌だと思う。

 真っ直ぐで、純粋だ……少女を1人、救ってしまう程には。

 

 

 しかしヴィータは、カートリッジシステムを搭載されて強化されたらしいなのはとフェイトのデバイスを眉を立てながら見やった。

 それから、忌々しそうにイオスまで見て。

 

 

「ベルカの諺に、『和平の使者なら槍は持たない』ってのがあんだよ。話し合いしようって奴が、武器なんて持って来るか、バァーカ!」

 

 

 そのまんまだな、とイオスは思った。

 その後バカにされて憤慨するなのはを横目に、イオスは思った。

 つまり最初から武装して闇討ちしたヴィータ達には、元より和平の意思が無いのだと暗に示しているのだろう。

 

 

「それは諺では無く、小噺のオチだがな」

「ザフィーラ!」

 

 

 いきなり出てきてツッコミかよ、と拗ねるヴィータの横に褐色の肌の男が現れた。

 転移だ、武装隊が張った結界はすでに解かれていた。

 これもまた、駆け引きだ。

 

 

 結界をあえて解いて見せることで、いつでも逃げて良いと示す。

 しかし相手はこちらがマスターの情報を掴んでいると思っているので、迂闊には逃走に入れない。

 おそらく今は、この場をどう切り抜けるかと必死に考えているはずだ。

 

 

「お待たせ、思ったより時間がかかってしまって」

 

 

 そしてもう1人の守護騎士、シャマルが転移してきた。

 『闇の書』を片手に持ち、そしてやはり多重転移で、どこから転移してきたのかはわからない。

 しかし、これで騎士は揃った。

 

 

「待たせたな」

「……それで全員か?」

「……そうだが?」

 

 

 クロノの問いかけに、シグナムが訝しそうに答える。

 その表情からは、何かを読み取ることはできそうに無い。

 ただ、こちらの問いかけに困惑している様子だった。

 そしてそれは、他の3人についても同じ。

 

 

『……どういうこった?』

『わからない、だが嘘だと指摘しても水掛け論だ。だから……アルフ、待機していてくれ。もし他の仲間が現れたら……』

『対処すれば良いんだね? 任せときな』

『アルフ、大丈夫?』

『大丈夫大丈夫、後ろは任せてよフェイト!』

 

 

 フェイトが一瞬だけ心配そうな顔をするが、アルフは鼻歌すら歌いながら数歩下がった。

 それを確認した後、イオスが一歩前に出て。

 

 

「それじゃ、まぁ……」

 

 

 鎖を擦れ合わせながら、イオスが告げる。

 開戦を、再戦を、宣言する。

 リベンジだ。

 

 

「……やるか!」

 

 

 次の瞬間、斬撃と打撃がイオスに襲い掛かった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 シグナムとヴィータの初撃がイオスに与えられたのは、別に彼女らがイオスのことを嫌っているだけでは無い。

 もちろん、好印象を抱いているはずも無いが――ただ、他の3人に比して鎖と言う形態の武器を使うためだ。

 

 

 前回の戦いでは、イオスの鎖型デバイスはビルを引き倒してシグナムを押し潰したり、ヴィータのデバイスの柄に絡み付いて彼女得意の突撃を阻害したりしていた。

 正直、やりにくい相手だ。

 だからこそ、最初に狙った。

 

 

(そいつは光栄……だなんて、死んでも思わねぇし!)

 

 

 あえて吹き飛ばされるままになりながら、後ろにくるりと回転して着地する。

 その周囲には当然『テミス』の鎖が渦巻くように緩やかに展開されており、次の瞬間には鋭角的な動きを見せてヴィータ・シグナムに向けて直進した。

 

 

 しかしそれは、不発に終わる。

 地面から隆起するように突き出した白い円錐のような魔力の針が、イオスの鎖を弾いてしまったからだ。

 そしてその針が砕けて鎖が舞い上がる中、砂を吹き飛ばすような勢いで褐色の肌の男が突進をかけていた。

 他の3人と異なり、耳などに獣の特徴を持つ彼の視線の先には。

 

 

「わ……私!?」

 

 

 すでに魔力のチャージを始めていたなのはがいた、なのはは開戦と同時に後ろに跳んで距離を取ろうとしていたのだ。

 彼、ザフィーラと言う名を与えられた男は、仲間の結界をいともたやすく吹き飛ばした白いバリアジャケットの少女の砲撃魔法を確かに覚えていたのである。

 だからこそ、先に潰そうとしたのだが。

 

 

「させない……!」

 

 

 そこに、高速機動魔法により加速したフェイトが立ち塞がる。

 鎌の形態へと変化した『バルディッシュ』を構え、男の拳を柄で受け止める。

 嫌な音を立て、魔力同士がぶつかる独特のスパークが放たれる。

 フェイトが軽く、顔を顰めた。

 

 

「貴方は……使い魔?」

「……ベルカには、使い魔などと言う言葉は無い」

 

 

 思ったより低いバリトンが、フェイトの耳に届く。

 

 

「主を守る盾、仲間を守護する獣……守護獣と呼ぶのだ!」

『大して違わないじゃないかい!!』

 

 

 脳裏に響くアルフの言葉に苦笑しながらも、フェイトは『バルディッシュ』の柄を捻る形でザフィーラの攻撃を受け流した。

 相手の拳筋が真っ直ぐだったからこそ可能なことで、搦め手を是とする相手なら通用しない。

 雷を伴った魔力刃を振るい、守護獣と名乗る敵を払う。

 

 

 その直後にバックステップ、加速してなのはの上に身体を浮かせる。

 すると次の瞬間、今度は炎熱を発する剣が『バルディッシュ』を打った。

 火花、そして炎熱と雷撃が砂漠の中心で爆ぜる。

 シグナムだ、しかし今度は『バルディッシュ』が折れ砕ける事は無い。

 

 

「……!」

 

 

 その事実に、シグナムは今度こそ表情を動かした。

 なのはの魔力を奪った際の戦闘でも感じたことだが、目の前の黒衣の少女は侮り難い才能を持っていると再認識したのだ。

 獲物が強くなった程度で防げるようになる程、彼女の剣は甘く無いと言う自負があった。

 

 

『悪い! その2人ちょっと頼む、『テミス』と愛称が悪すぎでさ……!』

『うん、任せて……私も、この人と戦いたかったから』

『私はそっちの子とお話したかったんだけど……でも、頑張る!」

『では、僕はもう1人を担当しよう……連携と策は事前に伝えた通りだ。さて、知恵比べ力比べと行こうか』

『『『了解!』』』

 

 

 念話が走った直後、膨大な魔力が解き放たれた。

 

 

『おっきぃの、いきまーすっ!』

 

 

 直前に注意を呼びかける念話が放たれ、次の瞬間になのはが杖を振り上げた。

 その杖先は、フェイトの攻撃を回避するために跳躍したザフィーラに加えて、空中を駆けるヴィータまで射程に収めていた。

 

 

「『ディバイィ――ン……バスタァ――』ッッ!!」

<Divine buster extension>

 

 

 カートリッジの弾ける音と共に、桜色の閃光が宙を駆けた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その場にいる全員が表情を引き攣らせる程の砲撃が、空を引き裂いた。

 しかしその中で2人、正面から斬り結ぶ2人がいる。

 ミッド・ベルカ双方のチームの最前線(フロントアタッカー)を担当する、フェイトとシグナムだった。

 

 

「『ハーケン……セイバー』ッ!」

「『紫電一閃』!!」

 

 

 斬り結んだ直後に離れ、次いで離れ際にフェイトが円を描くように回転する魔力刃を飛ばす。

 シグナムは後退を一時止めて、炎を纏わせた剣を振るって攻撃的に防御する。

 カートリッジを積んだ影響か、完全に相殺しきれずに服の一部が切れた。

 それを見て、シグナムは高揚から全身に熱がこもるのを感じた。

 

 

<Sonic move>

 

 

 しかしその姿を追えば、すぐに視界から掻き消える。

 次に視界に映った時には、砲撃形態に変形したデバイスをこちらに向けた体勢で横にいた。

 

 

「『プラズマスマッシャー』……!」

<Fire>

 

 

 電光を伴う砲撃、発射速度が速い。

 瞬間的にシグナムは『レヴァンティン』を連結刃の状態にしようとした、自分の奥義で迎え撃とうとしたのだが……直前、褐色の肌の男が割り込んできた。

 

 

「うおおおおおおぉぉぉっ!!」

 

 

 獣のような咆哮の直後、魔力の粒子が回転しながらザフィーラの前に障壁を作った。

 それは電光の砲撃を防ぎ、いくつかの光の線に分解しながら受け流した。

 黄色い閃光が、太陽に煌くように散っていく。

 

 

「……大丈夫か」

「ああ、すまない。つい楽しくなってきてしまってな」

 

 

 ザフィーラに謝罪しつつ、シグナムは肩で軽く息をしているフェイトを見つめた。

 真っ直ぐな瞳、揺ぎ無い太刀筋、高度な魔法技能。

 

 

「名前は、確かテスタロッサと言っていたかな……」

 

 

 巨大な才能だ、これが尋常の決闘で合ったならと本気で思う。

 しかし残念ながら、今は捕る者と逃げる者の関係でしか無かった。

 

 

「『ディバィ――ン……!』」

 

 

 そしてもう一つの巨大な才能の発する魔力の高まりに、騎士と守護獣は即座にその場から退いた。

 

 

「『バスター』ッッ!!」

<Divine buster extension>

 

 

 再び放たれる巨大な砲撃、それが今度は砂漠の砂山を抉りながら突き進んだ。

 放ったのは、ミッド組の固定砲台(フルバック)と化しているなのはだ。

 周辺にはカートリッジの空薬莢が散乱しており、「同じリンカーコアからは二度蒐集できない」と言う敵の弱みを利用する形で、ひたすらに後方からの砲撃に徹しているのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『それなら、おそらくまだはやてちゃんのことまでは調べきれていないはずよ』

『ホントか!?』

『ええ、たぶん……でなければ、すずかちゃんの所ではやてちゃんがのんびり過ごせるはずが無いもの』

 

 

 守護騎士の参謀役、シャマルの言葉にヴィータは僅かに安堵する。

 シグナムとザフィーラのいる位置からは少し後ろに下がった位置で、念話をしながら戦闘を行っている。

 内容は、管理局に自分達の主人のことがバレているかどうか。

 

 

 そして伝聞ではあるが、戦闘前の会話を聞く限りは大丈夫だとシャマルは判断した。

 理由としては、今言った通り。

 自分達の主人は未だに穏やかな生活を続けており、もし『闇の書』の主だと断定されているのならそれすら敵わないだろう。

 

 

「なら、遠慮はいらねぇ……って、ああ、もう、しつけぇな!!」

 

 

 叫んで、ヴィータは自分のデバイスであるハンマーを振り回した。

 理由は、シャマルを狙って殺到する鎖の群れを弾き飛ばすためだった。

 自分を直接狙ってこない所がいやらしく、直接的な戦闘力の無いシャマルを狙うことでヴィータの動きも止めているのである。

 

 

<Chain impulse>

 

 

 デバイスの鎖による物理攻撃、それを行うのは当然、イオスだ。

 彼はヴィータが弾いた鎖の間を潜り抜けるようにして通り、砂に片手を置く形で着地する。

 掌に砂の熱の感触を感じながら、イオスを身体を回すようにしながら蹴りを払った。

 

 

 軽い音を立てて、ヴィータの足が払われる。

 ヴィータはそれに舌打ちするが、しかし慌てることは無かった。

 元々彼女は空戦技能を持っている、だから払われた足を戻すこと無くそのまま浮遊する。

 

 

<Explosion>

 

 

 だから一瞬の判断として、そのままカートリッジをロードする。

 軽い音と共に薬莢が飛び、ハンマー型のデバイス『グラーフアイゼン』を抱き込むようにして身体を回す。

 そして空中で身体を横に回転させる要領で、獲物を振り下ろす。

 

 

「『ラケーテン……ハンマー』ッ!」

 

 

 そのハンマーを真下に叩きつけ、砂が爆散する。

 イオスはその場から手で地面を打つようにして離れ、回避する。

 しかし勢いは殺しきれず、威力をバリアジャケットに吸収させつつ僅かに眉を立てる。

 

 

「相変わらず、すげー馬鹿力……!」

 

 

 先の戦いでもパワータイプだと感じてはいたが、改めて攻撃を受けるとなおさらそう感じる。

 確かに、感情のこもった一撃だと思う。

 挑発に対して懲罰で応じようとする所など、まるで人間のようだ。

 現実だ、認めざるを得ない。

 守護騎士には、感情がある。

 

 

「ぶっ潰れろ!!」

 

 

 追撃するようにハンマーを振り下ろすヴィータ、イオスは後ろに跳躍しながら避け続ける。

 跳んで、転がり、砂を飲みながら回避する。

 何しろヴィータのハンマーが地面に衝突する度に砂山が崩れるのだ、巻き込まれないようにするのがギリギリである。

 

 

「感情があるなら……答えて見せろよ!」

「ああ!?」

 

 

 小さく破裂するような音を立てて、砂の中を鎖の先端が走る。

 手甲の先から放たれる鎖が砂の中に潜って進む、さながら浅瀬を泳ぐ鮫のようだ。

 それを見て、ヴィータは表情を顰めさせる……面倒なことをする。

 砂ごと吹き飛ばすかと思ったが、それをして絡みつかれるのも面倒だった。

 

 

「今、どんな気分で『闇の書』を完成させようとしてんのかをさぁっ!」

「完成させなきゃいけねぇんだっ!」

「そうだろうな! お前は『闇の書』のプログラムだもんなぁ!」

「――――そうだ!」

 

 

 砂の中から飛び出してきた鎖の先端部分を、ハンマーで打ち払う。

 甲高い金属音が立て続けに響き、鎖が再び砂に潜る。

 指の間に鉄球を握り、空へと放った。

 

 

「……ただのプログラムにしちゃ、随分としぶといじゃねぇか!」

「負けるわけにはいかねぇんだ……!」

 

 

 鎖の腹で鉄球を受け止め、弾く。

 衝撃で宙を浮いた所へ、ハンマー本体による追撃が来る。

 足先で砂を蹴り、相手の顔付近に飛ばした。

 顔を顰めて、ヴィータが目に入った砂を払うように目を擦る。

 

 

「だぁ、くっそ……卑怯な手ぇばっかり……!」

 

 

 まるで感情があるように、ヴィータが悪態を吐く。

 感情が、ある。

 感情が、あるのなら。

 

 

「何で、『闇の書』なんて完成させようとすんだよ……!」

 

 

 クロノ達は言った、守護騎士には感情があると。

 ならば、何故だと思う。

 だって、『闇の書』が完成すれば世界が――どこの世界で完成させるかによるが――滅びるのに。

 多くの人間を不幸にして、どうして完成させようとするのか。

 

 

「……言ったろ、完成させなきゃいけねぇんだ。私達は騎士なんだから」

「何が騎士だよ、他の人間に散々被害を及ぼしといてよ」

「それは…………悪いと、思ってる」

 

 

 今まで蒐集してきた人間のことを思って、ヴィータは表情を曇らせる。

 そう、「今まで」だ。

 今までの、「今まで」。

 

 

 そしてイオスにとって問題なのは、最後だ。

 悪い?

 悪いと思うなら、最初からしなければ良い。

 なのに。

 

 

「……仮にだ」

「あ?」

「クロノが言うように今のお前らに感情があるとして、フェイトが言うように騎士の誓いとやらを大事にしてたとして、なのはが言うように今のお前らが話の通じる奴らだったとして」

 

 

 何の話だと、ヴィータは訝る。

 砂の上、対峙しながら首を傾げる。

 そして、告げられる――――重要な命題を。

 

 

「――――『前の』お前らがやったことは、何だったんだよ!!」

「――――――――!?」

「お前らは記憶も蓄積するはずだよな? だったら、11年前もその前も、主に言われるままに蒐集してた時代があったはずだよな? その時のお前らがやってたことは嫌々だったとでも言うのか、今になって騎士の責務とやらに目覚めたとでも、言うつもりなのかよ!?」

「……それ、は……」

 

 

 ――――守護騎士は、『闇の書』と共に世界を旅する。

 当然だ、プログラムだ、一部なのだ。

 そして、過去の時代の記憶も――全てでは無いにしても――ある程度、残っている。

 その時の自分は、今ほどに何かを考えていただろうか。

 

 

 今ほどに、何かを守ろうとしていただろうか。

 わからない、その時の自分が何を考えていたのかなんて。

 ただ、言えることは――――過去、何度も『闇の書』を完成させて……。

 

 

「……っ」

 

 

 チクリと、痛んだ。

 胸、では無い。

 頭だ。一瞬、頭が……。

 

 

「……しまっ!?」

 

 

 しかし次の瞬間、彼女は表情を驚愕に染めることになる。

 何故なら、爆砕した砂の中から鎖が飛び出してきたからだった。

 

 

「な……くっそ!」

 

 

 慌てて飛び退こうとするが、遅かった。

 着地と共にイオスが片手の鎖を砂の中に仕込み、衝撃で弾かれると同時に操作した。

 擦れ合いながら空中を滑る鎖が、ヴィータを覆う。

 

 

<Chain bind>

 

 

 砂の中からの鎖を避ければ、煙に紛れる形になっていた背後の鎖のネットに背中から飛び込む形になった。

 そして今度は、デバイスだけでなく全身を鎖で縛られることになる。

 

 

(やべぇ――――ッ!?)

 

 

 内心で焦るが、どうしようも無い。

 がくん、と揺さぶられるように空中を泳ぎ……砂の上に、背中から落ちる。

 息を詰まらせながら横に転がり、脇腹に鈍い重みを感じた。

 

 

 それは、イオスの右足だった。

 鎖を絞るように引きつつ、水色の瞳が自分を見下ろすのをヴィータは見た。

 思ったより先程の攻撃が通っていたのか、イオスのバリアジャケットは所々に煤がついていた。

 だが、それでも。

 

 

「捕ったぜ――――守護騎士(ヴォルケンリッター)!!」

 

 

 それでも、イオスはそう叫んだ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ヴィータちゃ……」

 

 

 それに対して、最も近く、かつヴィータに援護される形だったシャマルが反応したのは当然だと言える。

 彼女のデバイスは指輪型、しかし同時にペンデュラム型でもある。

 魔力の糸を通し、目前の事態に対応しようとした所で……。

 

 

「動かないで貰おうか」

 

 

 そっと、背中に杖を当てられた。

 直接見るまでも無く、そこにいるのが黒髪の魔導師だろうことは想像に難くなかった。

 シャマルは後衛(フルバック)だが、同時に中衛(センターガード)でもある。

 

 

 本来なら主の補佐として参謀役につくのだが、主がいないため彼女が司令塔の役目をもこなしている。

 それはシャマルの魔法の特性に拠る所が大きいが、その彼女をして気付くことができなかった。

 いつの間に、背後に回られたのか。

 

 

「何分、僕の仲間は優秀なんでね」

 

 

 クロノは言う、「自分は影が薄いのだ」と。

 正面で派手な攻撃魔法を連発し、側面で派手なチェーン・パフォーマンスを繰り広げていたイオスの陰に隠れる形での迂回行動。

 地道で目立たないが、しかし誰にでも出来ることでは無い。

 

 

 どの道、クロノはたかが数日で守護騎士と伍する程の連携戦の訓練など出来るはずが無いと読んでいた。

 だから、いっそのこと相性の良い組み合わせで戦えば良いと思った。

 イオスとヴィータ、あるいはフェイトとシグナム……そして。

 

 

「戦いの鉄則、『司令塔から潰せ』、だ」

 

 

 過去の記録、特に今回の事件では目の前の女性が明らかに司令塔の役割を担当していた。

 現に今も『闇の書』を手に持ち、後方から全体を俯瞰しているように見える。

 

 

「さて、大人しく投降して……『闇の書』をこちらに渡して貰えると助かるんだが」

「……」

 

 

 当然、シャマルに『闇の書』を渡すつもりは無い。

 しかし、この状況から脱する術もまた無かった。

 どうするか、頬に冷たい汗が伝う。

 

 

 そしてそれを、イオスに鎖で縛られたままのヴィータが悔しげに見つめていた。

 縛られ、踏みつけられることにも怒りを覚えるが、それ以上に仲間の危機に駆けつけられないことに怒りを覚えていた。

 シグナムとザフィーラにも余裕は無い、ならば自分が動くしかない。

 

 

(……仕方ねぇ、自爆に近い形になるのは嫌だけどよ……!)

 

 

 デバイスの柄を握る手に、力を込める。

 それも鎖で雁字搦めにされているが、だからと言って封じられたわけでも無い。

 無理や無茶をすれば、まだ何とか出来る。

 

 

(勝って……帰るんだから……!)

 

 

 それだけ念じれば、迷うことなど何も無かった。

 

 

(……コイツ、何かする気満々だな)

 

 

 そしてそれは、イオスにも伝わる。

 デバイスで拘束したと言っても、それで全てが終わるわけではない。

 相手は敗北を認めておらず、しかも魔法生命体。

 通常の人間と同じ理屈で考えていたら、痛い目を見る。

 だからイオスは、対応すべく鎖を手で直接握り、そして。

 

 

 

「……やめろ、今はまだダメだ」

 

 

 

 覚悟はしていた、だから衝撃に対する覚悟と備えは出来ていた。

 だから不意に背後から響いた低い声に驚くことも無く、イオスは冷静に対応した。

 

 

 蹴られたのだ。

 

 

 脇腹を襲うはずだったろう一撃を、右腕を盾にして受ける。

 しかし衝撃を殺しきれずに、声を上げることも出来ずに吹き飛ばされた。

 逆さまになった視界の中で、イオスは確かに敵を捉えた。

 

 

「お前は……!」

 

 

 確かに見た、敵の姿を。

 癖のある黒髪に、紺色のラインが入った白の上着、そして黒のスラックス。

 そして、仮面。

 仮面の男は、イオスと視線が合う――仮面のせいで目が見えないが――と、瞬時に転移で姿を隠した。

 

 

『イオス!』

「違う、こっちじゃねぇ!!」

 

 

 吹き飛ばされながら、イオスは幼馴染に叫んだ。

 敵の狙いは自分では無く、他にあると。

 すなわち、この場で蒐集されていないメンバーの中で、最大の魔力を持つ者。

 

 

「フェイトちゃんっ!!??」

 

 

 砂山の中に埋まりながら、イオスは確かに聞いた。

 親友を呼ぶ、栗色の髪の少女の悲痛な叫びを――――。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。