魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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A's編第4話:「敗北と再起」

 『アースラ』を第97管理外世界と隣接する次元航路内に停泊させ、エイミィは一息吐いた。

 技術的には問題無いとは言え、次元航路を進むのは神経を使う作業だ。

 そもそも、管理世界かそうでないかと分けるのは次元航行能力の有無なのだから。

 

 

「いやー、皆のおかげで大きな問題も無く戻れましたよ。艦長って大変なんですね、艦長……あれ、何か変な感じですねコレ」

『うふふ。お疲れ様、エイミィ』

 

 

 今は艦長室にこもり、海鳴市のリンディのマンションと通信を繋いでいる。

 向こうの時間では、午前中だろう。

 画面の中のリンディの顔はどこか疲れている様にも見えるが、対するエイミィも同じような物だった。

 位階にそぐわない役職を得るとこうなる、と言うことを実際に体感したエイミィ。

 

 

 しかし無理を通した結果、それだけの物を持って戻ることが出来たとも思う。

 本局ではレティに随分と世話になった、おかげで最優先で武装の改修を行うことが出来たからだ。

 何しろ『闇の書』事件を担当するにあたり、どうしても必要な艦船武装がいくつかあったのだ。

 

 

「アルカンシェル、持って来ました」

 

 

 名前を言うだけで、空気が重くなるような錯覚を覚える。

 アルカンシェルとは対ロストロギア用の高出力魔導砲だ、特別な許可が無い限り艦船に積まれることは無い。

 まぁ、対ロストロギアとは言っても事実上は『闇の書』への対抗兵器となっている。

 慣例、と言う奴だ。

 

 

「……いざ持ってくると、何と言うか、肩が重くなるような気がしますね」

『そうね……』

 

 

 必要な物、とわかってはいても気が滅入ってしまうのは確かだ。

 何故なら自分が持ってきたこれは、管理局が抱える兵器の中でも特別な意味を持つ物だからだ。

 それを自分が持って来たと思うと、何ともやるせない気分を隠しきれないエイミィだった。

 気持ちを変えようとしたのか、エイミィは笑顔を作って言った。

 

 

「そ、それで……そちらはどうでしたか? クロノ君とイオス君はフェイトちゃんにメロメロですか?」

 

 

 我ながら意味不明なことを言っているとは思うが、今は馬鹿げた話題で盛り上がりたかった。

 個人通信であることも、そうさせた理由であるのかもしれない。

 しかしエイミィの意図とは正反対に、画面の中のリンディは表情を曇らせた。

 

 

 ……あれ、ひょっとして地雷踏んじゃったかも。

 反射的に、そう判断できてしまう程度にはリンディの表情を読めるつもりだった。

 そして続けられたリンディの話に、エイミィは「あちゃー」と額に手を当てた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 フェイトが同じクラスに転校してきてからと言うもの、なのはは基本的にフェイトと行動を共にしている。

 しばらく離れていた反動なのか、それとも再会が襲撃時だったからなのか、あるいは単純に一緒にいたいからなのかもしれない。

 

 

「へぇ、アルフさんって家ではずっと子犬さんなんだぁ」

「うん、小さくて可愛いんだよ」

「ふぅん、いいなぁ」

「なのはには、ユーノがいるよ?」

「……いや、あの、ユーノ君は男の子だから」

 

 

 今も、2人で手を繋ぎながらフェイトのマンションへ向けて道を歩いている。

 なのはの手には保冷剤入りの紙箱があり、中にはなのはの実家のシュークリームが入っている。

 ここに来る途中、喫茶店の方に寄って母親から手渡されたのである。

 曰く、「お友達のお見舞いなら手土産がいるわね」。

 

 

 お見舞い、そう、お見舞いである。

 今、なのははフェイトの家にお見舞いに行こうとしている所だった。

 相手は、2日前の戦闘で負傷したクロノとイオスである。

 『アースラ』が戻るまでは、2人してマンションの部屋を病室代わりにしているのだ。

 

 

「怪我自体は大したこと無いらしいんだけど、でもイオスは『闇の書』に蒐集されちゃったから……」

「うん……」

 

 

 『闇の書』の蒐集は、リンカーコアに直接干渉される物だ。

 そのため、受けた後の身体への負担は極めて大きい。

 なのは自身、つい先日に蒐集を受けた経験からその辛さは良く理解しているつもりだった。

 だからこそ心配で、こうして改めてお見舞いに行こうとしているのだ。

 

 

 そしてフェイトもなのは・ユーノとクロノ・イオスと、見ていながら何もできないという状況が続いていた。

 フラストレーションは溜まる一方で、心が焦るのを止められない。

 大切な友人と恩人達が倒されていく中で、「自分が」という気持ちは強まる一方だった。

 

 

「あっれぇ? おーいっ、フェイトちゃん、なのはちゃーんっ」

「あ、あれって……」

「……エイミィ!」

 

 

 マンションの1階玄関に入る直前、2人はエイミィと鉢合わせた。

 戻っているとは思わなかったので、本当に驚いた。

 何でも戻って一旦報告を済ませた後、リンディに頼まれてお茶っ葉とお砂糖を買いに行っていたのだという。

 ……2人は、その買い物リストについては何も言わなかった。

 

 

「やーやー、わざわざお見舞いだなんてありがとうね、なのはちゃん」

「い、いえ、大したことじゃないですよ」

「だよねぇ、クロノ君もイオス君も大したこと無いもんね」

「そのまま受け取られた!?」

 

 

 がーん、と擬音を背負うなのはにエイミィはケラケラと笑い、フェイトは苦笑を浮かべる。

 そうこうしつつエレベーターで上がり、ほどなくしてフェイト達の家についた。

 高級マンションだけあってどことなくシックな作りだが、アリサやすずかの家を知っているなのはとしてはそれほど何かを感じることは無かった。

 

 

「さぁさ、大した物も無いけどゆっくりしてい「ざけんじゃあねぇぞテメェッ!!」……ごめん、本当に大した物なさそうだわ」

 

 

 玄関に2人の少女を迎え入れた直後の出迎えに、エイミィはげんなりとした表情を浮かべた。

 ただごとでは無い空気に、一方のなのはとフェイトは表情を強張らせる。

 いったい、何事が生じたと言うのか。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 イオスには、受け入れがたい事実が一つあった。

 敗北? 否、敗北の事実は受け入れなければならないと「納得」できずとも「理解」はする。

 しかしその敗北は「『闇の書』の主に対しての敗北」、それ以外の何かであってはならなかった。

 

 

「他の次元世界を探す……だと? 本気で言ってんのかよ、クロノ」

「ああ、僕は極めて本気だ」

 

 

 ベッドの上には胴に包帯を巻き、折れた右脇腹の肋骨の治療を受けているクロノ。

 そしてイオスは蒐集を受けた身体を休めるべく、ベッドの横に敷かれた布団に寝ている形だ。

 蒐集されたという事実は、腹立たしいがイオスとしては堪えるしか無い。

 問題は、そう言うことでは無い。

 

 

「な、何だい何だい! 何事だい!?」

 

 

 部屋の扉を開けて入って来たのは、人間形態のアルフだ。

 おやつの最中だったのか、口にはジャーキーらしき物を咥えている。

 しかしアルフが目を白黒させて飛び込んで来ても、クロノとイオスは気にする様子は無かった。

 

 

「守護騎士には自我がある、危地に立たされた時の粘りをお前も感じたはずだ。彼女らに感情があるのであれば、主から離れての独自行動もある程度可能なはずだ」

「だが、過去の事件では守護騎士は主の傍を離れた事例が無い。それは連中がプログラムで、主の使う「魔法」だったからだ」

「ああ、その通りだ。だが今回は違う、彼女らには感情があるんだ。なのはやフェイトの証言でも、怒ったり笑ったりと忙しい連中だったと聞く。仲間意識があり、騎士の誇りを大事にしていたと」

 

 

 クロノからすれば、今回の事件は妙な違和感を感じることが多かった。

 感情の無い「魔法(プログラム)」でしか無いはずの守護騎士に感情があるらしいこともそうだし、守護騎士達が蒐集対象を殺害しない、というのも初のケースだった。

 そして、何よりも。

 

 

「最終的に破壊しかもたらさない『闇の書』を、なぜ完成させようとしているのかの意図が読めなくなる。感情が、自我があるならどうして自滅するようなことをする?」

「だから、連中に感情なんかねぇんだって。仮にあっても、それは主がそうプログラムしただけかもしれねぇだろ?」

 

 

 苛立ちのままに、イオスはクロノに説く。

 まだ蒐集の気だるさは抜けていないので、それに対する苛立ちも含めての物だ。

 

 

「むしろそう考えれば、主が現場の近くにいて騎士を操作してた可能性だってある。なら、この第97管理外世界を重点的に探すべきだ。絶対に主はここにいるって」

「そうだろうか……どうも、そう単純では無い事情があるような気がする」

「転移痕だって、この世界に一番集中してる。大体、連中に事情なんざあるわけがねぇ。連中はただのプログラムなんだ。それとも、クロノ、お前まさか」

 

 

 敗北は認めても良い、だが一つだけ認められない。

 それは彼らが、イオスが。

 

 

「俺達が、主の操作も受けていない。そんなプログラムに負けたとか言うつもりかよ……!?」

 

 

 プログラムに過ぎない、『闇の書』の主の魔法に過ぎない守護騎士に敗北したと言うことだけだ。

 蒐集を許し、完成に近付けてしまったことだ。

 あろうことか自分が完成に貢献してしまったのだ、だから認められない。

 許せない、なのにクロノは。

 

 

「……そうだ」

 

 

 対して、クロノはそれを認める。

 プログラムに敗北したと言う事実を認め、敵を人間と同様、感情を持つ主体的な存在と定義した。

 

 

「そんな……馬鹿な話があるか! 連中はプログラムだ……100歩譲っても、『闇の書』のマスターに負けるのは仕方ない。だがただのプログラムに負けるなんざ……俺達の10年は、そんな程度のもんじゃ無かっただろうが!」

「だが、事実だ! 僕達は敗北した、そして守護騎士には感情があった! それをまず認めないと、将来の戦力配置の判断で致命的な失敗をすることになるぞ!?」

「お前はそれで良いのかよ!?」

「……良いわけがあるか!!」

 

 

 10年間、魔導師としての修行を積んできた。

 しかしそれでも、自我を持つ守護騎士に敗北を喫した。

 それが、クロノとイオスの前に立ち塞がる現実であった。

 

 

「見損なったぜ、クロノ……!」

「それはこっらの台詞だ、現実主義者が聞いて呆れる」

 

 

 唸るようなイオスに、クロノは鼻で笑って――まるで、自分をも笑うように――言う。

 

 

「それとも、自分だけ蒐集されたことが恥ずかしいのか?」

「……てめぇ!」

「ちょ、あ、アンタ達!?」

 

 

 話についていけずに呆然とするアルフの前で、ベッドの上にイオスが飛び掛った。

 慌てるアルフをよそに、ベッドの上に飛び乗った――これが意外と疲れる作業だ――イオスは、クロノの黒のパジャマの襟を掴んで引き寄せた。

 爆発寸前だが、身体の気だるさが辛うじてイオスを留める。

 

 

「……わかってんのか、お前」

「……」

 

 

 極めて小さな声で、鼻先を触れ合わせるような距離でイオスは言う。

 クロノは何も言わず、先を促す。

 

 

「もし仮に守護騎士に感情があると認めるなら、それは人間同然の主体的存在であることを認めることに繋がる。俺の言いたいことがわかるか? つまり、それは人造魔導師や他の魔法生命体と同じように……」

「……」

「……人権を認める、そう言う所にまで話が飛ぶ可能性だってあるってことだぞ……!?」

 

 

 管理局法とその裁判判例は、人権と言う定義について極めて広範な意味を与えている。

 それは、違法魔導師によって生み出されたフェイトのような「人造魔導師」、あるいは多様な種族(肉体を持たない魔法生命体も当然、含む)が存在する次元世界ならではの現象だ。

 もし仮に今回、守護騎士に自我や感情があると認められれば……当然、彼女らには人権があると認められることになる。

 

 

「人権が認められれば、アイツらは管理局法の保護下に入ることになる。法の保護下に、だ。それがどれだけ面倒で厄介なことか、わかるだろうが。ただの魔法プログラムと次元犯罪者じゃ、扱いに雲泥の差が出るんだぞ……!?」

「……イオス、お前」

 

 

 しかしあくまで、クロノは冷静だ。

 それが役目でもある、だからこの年齢で執務官をやっている。

 だから、静かに事実だけを告げた。

 

 

「お前は、『闇の書』の悲劇を止めたいのか、それとも」

 

 

 心無し、イオスの手が震えた気がした。

 

 

「それとも、ただ仕返しがしたいのか?」

「……良い子ちゃんぶってんじゃねぇぞ、てめぇ……!」

 

 

 今度こそ、イオスはクロノに掴みかかった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 どうしたものか、アルフは困り果てていた。

 元々は玄関にフェイト達を出迎えに――足音でわかる――に行こうとしたのだが、先にクロノとイオスが共同で使っている部屋から物々しい声が聞こえたのだ。

 仕事上都合が良いからと、男2人で同じ部屋というのは正直どうかと思ったこともあるが。

 

 

「大体てめぇのそのスカした面ぁ、前々からムカついてたんだよ!」

「なっ……僕だってキミの頭の緩さは気に入らないと思ってたさ!」

「お、落ち着きなよアンタ達、クロノなんて骨折れてるんだろ!?」

 

 

 もはや殴り合ってるんだか揉み合ってるんだか、もつれ合っているんだかわからない。

 言っていることも『闇の書』とはまるで関係の無いことにまで及んでいて、アルフとしては止めるタイミングに迷う所だった。

 

 

 ごくん、と咥えていたジャーキーを飲み込む。

 それなりの時間を共に過ごしてきた仲だ、イオスとクロノの喧嘩を見るのはこれが初めてでは無い。

 ただ大体の場合は、この2人が喧嘩すればエイミィが介入して止めていた。

 しかしそのエイミィも、今は……。

 

 

「ちょ、何事!?」

「あ、ああ、良かった。おかえり皆」

「た、ただいま……」

「え、ええと……」

 

 

 エイミィは勢い込んで飛び込んで来て、取っ組み合いを展開しているイオスとクロノに驚愕の表情を向けている。

 そしてその後ろにアルフの主人であるフェイトと、友人であるなのはがいる。

 こちらの2人は、初めて見るらしい男子の喧嘩に目を丸くしているばかりだ。

 

 

「2人とも! 怪我人なんだからやめなさい!!」

「っせぇ! お前はすっこんでろ!」

「エイミィは黙っててくれ!」

「……なんでそこだけ一致すんのよ……」

 

 

 流石に男同士の取っ組み合いに割って入る腕力は無い、とは言えエイミィとしては、大体の事情は察しているつもりだった。

 流れはリンディから聞いていたし、兆候が無かったわけでは無いからだ。

 とは言え今はフェイトやなのはもいる、見れば2人は身を寄せ合って泣きそうにすらなっていた。

 

 

「ああ、もう、2人ともぉ――……」

 

 

 だから、何とか止めようとしたのだが方法が無い。

 いっそ魔法でも撃ち込んでやろうかと思ったが、それをきっかけに魔法戦に発展したら目も当てられない。

 どうしたものか、とエイミィが考え込んでいると……。

 

 

 

「いい加減にしなさいっっ!!」

 

 

 

 さらに別の声が響いて、続いて水音が弾けた。

 直後、静寂が場を支配した。

 誰もが驚いて振り向けば、そこには……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 それまでの騒々しさが嘘のように、静寂が場を支配していた。

 唯一聞こえるのは、ポタポタという水滴が滴る音だけだった。

 

 

「か、母さん……?」

 

 

 前髪から水滴を滴らせながら、クロノが呆然とした様子で呟く。

 右手はイオスの服の襟元を掴んでいて、対するイオスもベッドに膝を立てて半ばクロノに圧し掛かるような体勢で同じくぐっしょりと濡れている。

 それは、水と言うには若干熱を持っていて。

 

 

「あ……熱っ、熱!? え、ちょ、熱うぅ――――っ!?」

「か、母さん!? ちょ、あ、お茶!? すでに砂糖入り!?」

 

 

 熱い上に妙にベタつくお湯に、2人の少年がベッドの上でのたうち回る。

 それにエイミィとアルフは「うわぁ……」と引いて、なのはとフェイトは涙目のまま指を絡めて両手を握り合っている。

 そして1人、その様子を静かに見つめる女性がいる。

 

 

 先程のクロノの言葉通り、そこには緑の髪をポニーテールにした女性が立っていた。

 リンディだ、眉を立てて怒りの感情を隠すこと無く表に出している。

 その手には愛用の小さな急須が握られており、蓋が開けられていることからクロノ・イオスの2人に中身をブチまけた物だと言うことがわかる。

 

 

「何を、しているの」

 

 

 その声は固く、表情は強張ったまま。

 反射的に、クロノはビクりと身体を震わせた。

 まさに、母に叱られる息子の構図がそこにあった。

 

 

「……別に、何もねっすよ」

 

 

 対して、養い子であるイオスはクロノとは少し違うスタンスを取った。

 昔から何かと躾をしてくれたリンディに強く出れないという部分はあるが、それでもクロノよりは反骨精神を持っていると自負していた。

 しかしそれに何を感じたのか、リンディは厳しい顔のままエイミィ達を押しのける形で部屋に入る。

 そして、べッドの上のイオスの前に立つと。

 

 

「「……っ」」

 

 

 乾いた音が響き、なのはとフェイトが身を竦ませた。

 イオスは顔を横に向けた体勢で固まっており、心持ち赤みを帯びている。

 はたかれたのだ、リンディの手で。

 

 

 そして翻すように、クロノの頬もリンディの手の甲で叩かれる。

 イオスに比べて音が小さい、少しばかり心配りがあったのかもしれない。

 しかし、リンディが2人に手を上げたのは間違いが無かった。

 ともすれば、艦長が執務官と補佐に体罰を加えた形になる。

 

 

「……っ、母さ……」

 

 

 流石に抗弁しようとしたのか、クロノが顔を上げる。

 しかし、口はそれ以上の言葉を紡ぐことができなかった。

 イオスは顔を上げないままだが、耳には掠れるような吐息が聞こえていた。

 

 

 それから、首に細い腕を回される。

 力など無い細腕なのに、何故か逆らい難い力を感じた。

 そのまま、柔らかな緑の髪の海に頬を押し当てることになった。

 

 

「……何を、しているの……っ」

 

 

 掠れた声には力が無く、イオスは首を回して同じように抱き寄せられているクロノと視線を交わした。

 情け無いことに、クロノはイオスと同じ顔をしていた。

 どこかバツの悪そうな、情け無い、困り果てたような顔だ。

 

 

 首筋にお茶とは別の水滴を感じながら、イオスは親指で目と目の間を軽く揉んだ。

 別に泣くような真似はしない、そんな年齢でも無い。

 ただ、自分の不甲斐なさを情けなく思うばかりだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「ま、まぁ、アレだよ。ほら、俺が変に意地張ったのが原因だから、まぁその……」

「……い、いや。僕が無神経なことを言ったのが原因だから」

「違ぇよ、俺が」

「いや、僕が」

 

 

 先程までの元気が嘘のように、クロノとイオスはモゴモゴと互いを庇い合うようなことを言っていた。

 それを見て、やれやれと肩の力を抜くのはエイミィだった。

 最初から母親(リンディ)に任せれば良かったか、そんなことを考える。

 

 

「何だい、アレは」

「んー、まぁね。昔からあの2人は艦長には勝てないから」

 

 

 ただ、どちらの気持ちもわからないでも無いエイミィだ。

 詳細を聞いていたわけでは無いのでわからないが、おそらくイオスとクロノの先の戦闘の考え方が異なるだろうことはわかっていた。

 どちらかと言うとエイミィはクロノ側、つまり「守護騎士には感情と自我がある」という意見だ。

 

 

 これはなのは達から話を聞いて、デバイスの記録を見ればわかることだ。

 午前中に戻ってきてからフェイト達が戻るまでの時間、何もせずに休息していたわけでは無い。

 むしろ正常の職務に戻るため、いろいろと知っておく必要があるのだから。

 いずれにせよ、イオスの気持ちも理解できる。

 自我など無いはずのプログラムに、感情があると言うことは。

 

 

「……事態はより複雑に、深刻の度合いを増したと言うことになります」

 

 

 クロノとイオスを解放して、目元を拭いながらリンディが告げる。

 言葉は艦長の物だ、事件解決がより困難になったことの確認だ。

 しかし身体の反応は母親の物だ、とエイミィは思う。

 

 

 怖かったのだろう、息子「達」を失いかけたのだ。

 普段はどのように見えていたとしても、11年前に夫を『闇の書』に殺されたと言う事実は消えない。

 それは確かにリンディの胸の奥に古傷として残っていたし、癒えはしても消えてはいないのだ。

 だから怖くて、今も怒ったのだろうと思う。

 

 

(そこは、私はどうにも出来ないからなぁ……)

 

 

 犠牲者の遺族にしか、わからない感覚だと思う。

 そこは少し、悔しくもあり寂しくもあるエイミィだった。

 受け入れられていると思う反面、共有できない部分だったから。

 

 

「……さ!」

 

 

 場の空気を入れ替えるように、エイミィが手を打った。

 注目を集めた自覚を持ちつつ、それでも彼女は笑って。

 

 

「情報の整理と統合も兼ねて、お茶にしない? あとクロノ君とイオス君は包帯とか直そうね」

 

 

 笑顔であること、それもまた自分の役目だと思っている。

 実際、現場の彼らと本局の彼女とで、情報の刷り合わせは必要だった。

 ただその口調の軽さからか、皆が温かな笑みを浮かべて自分を見るので、エイミィは若干の不満を抱いたのだった。

 別にお茶をしたかったわけでは無いのに、空気を換えたかっただけなのに。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 仲直りの証なのかは不明だが、リビングに移動した後リンディが手ずからお茶を淹れてくれた。

 そして湯飲みの中で湯気を立てるそれを見つめながらも、イオスの胸中は複雑なままだった。

 『闇の書』の守護騎士プログラムに敗北したと言う事実は――しかも独自の意思を持っていた――いかにイオスと言えども、受け入れがたい物だった。

 

 

 過去、『闇の書』はロストロギアであり、守護騎士は「魔法」に過ぎなかった。

 だから破壊するに躊躇いなど無かった、何故ならそれは破壊しかもたらさない「災害」なのだから。

 もし感情があるのならば、破壊に対する精神的ハードルは上がる。

 悪役は完全な悪役であってくれなければ、正義の味方も複雑な感情を抱かざるを得ない。

 

 

「もう一度」

 

 

 不意に顔を上げれば、同じようにテーブルについているフェイトが自分を見ていることに気付いた。

 心配そうな、しかし励ますように。

 その隣では、なのはも握り拳だ。

 

 

「もう一度、頑張ろう。次は、負けないで良いように」

「そうだよ。私も頑張る」

「私は、フェイトが頑張るなら頑張るよ?」

「……いや、そう言う問題じゃないんだけどな」

「そうね、現実として負けたのは事実ですからね」

 

 

 涙で崩れた化粧を直したリンディが、頷きながらイオスの言葉を肯定する。

 

 

「でも、再起すれば良いわ。だって生き残れたんですもの」

 

 

 抗弁したい気持ちも言葉も、柔らかく微笑まれてしまえば何も言えない。

 そしてその言葉は、どこか重い。

 夫を亡くした女の言葉だ、重くなかろうはずが無い。

 生きてさえいれば、どうとでも出来るのだと。

 

 

 こほん、と咳払いしたのはクロノだ。

 イオスと違って目の前に置かれた母のお茶に眉を顰めて、しかしどこと無くバツが悪そうな顔で口をつけて……さらに顔を顰めた。

 咳払いは、その後のことである。

 

 

「先の戦闘で、どうしてもわからないことがある」

「騎士の皆に、心があること?」

「いや、そうじゃない。もちろん、あるはずの無い感情をなぜ守護騎士が持っているかと言うのは謎だ。まして自我がありながら自滅するロストロギアを完成させようなんて……だが、一番わからないのは」

 

 

 なのはに首を振って見せて、クロノは思案するように目を細めた。

 母がお茶のおかわりを淹れようとしてくれたが静かに拒否した、リンディは寂しそうな顔をした。

 

 

「守護騎士達を助けたのは誰か、と言うことだ」

 

 

 その言葉に、イオスだけが反応した。

 なのはやフェイトらが守護騎士と戦闘した際には、その兆候すら無かった。

 しかし先の戦闘で、不可解なことが起こったのは事実だ。

 例えばヴィータとの戦闘の最後でバインドを施し、イオスの動きを止めたのは誰か。

 クロノに蹴りを入れて、彼を昏倒させたのは誰か。

 

 

「守護騎士って、4人だけのはずじゃあ……」

「その通りだフェイト、過去において確認された守護騎士プログラム……いや、守護騎士は4人、それで全員のはずだ」

 

 

 クロノが気にするようにイオスを見るが、イオスは鬱陶しそうに手を振っただけだ。

 今さら、守護騎士をプログラム呼ばわりしないからと気を遣われても困るだけだ。

 ……感情面では、また話は別だろうが。

 

 

 それよりも問題は、先の戦闘の最後の最後で横槍を入れてきた何者かだ。

 おそらく、守護騎士の類では無い。

 もちろん、『闇の書』の全てが解明できているわけではない。

 しかし過去、4人以外の守護騎士が現れた事実は無い。

 

 

「何者かが、『闇の書』の完成を支援している可能性がある」

「いや、それでも最初の疑問にぶつかるだろ。だって完成したって自滅しか無いんだから」

「そうなんだ……だから、そこから先が全くわからない」

 

 

 『闇の書』が何らかの恵みをもたらすロストロギアなら、完成させようと言うのも理解できる。

 しかし、事実はそうでは無い。

 最後には何もかもを破壊し尽くし、次の主の手へと渡るのだから。

 次の破滅を、いずれかの世界へと持っていくのだから。

 

 

「……勘違いしてるのかも」

「勘違い?」

「うん」

 

 

 こくりと頷いて、フェイトは言う。

 詳細はわからない、だが「勘違い」が存在しているのかもしれないと。

 

 

「『ジュエルシード』の時、アレが願いを叶えてくれるから母さんは集めた」

 

 

 表情を動かさずに、フェイトは過去というには近すぎる過去を語った。

 かつて願いを叶える奇跡の石として母が求めたロストロギアは、結果的に誰の願いも叶えてはくれなかった。

 縋る心地であるが故の勘違い、その陥穽に落ち込んでしまった母はもうこの世にいない。

 

 

「だから、『闇の書』も……何かをもたらしてくれると、誰かが勘違いしてるのかも」

 

 

 なのはがそっと手を握ると、フェイトは緩やかに微笑んだ。

 大丈夫、そう伝えるように手を握り返す。

 そしてそれを見つめながら、クロノは難しい顔をした。

 はたして、そんな齟齬がありえるのだろうか?

 第一、守護騎士が『闇の書』の何について勘違いし得ると言うのか。

 

 

「……『闇の書』について、調べ直す必要があるかもしれないな」

「主に聞けばわかるさ」

 

 

 軽く唸るように、イオスが言う。

 考えても栓の無いこと、『闇の書』のマスターを捕らえればわかることだと。

 それは、ある意味では事実をついてはいた。

 

 

「まぁ、その手がかりが無いんだが」

「いやだから、やっぱここにいるんだって」

「はーいはい、そのマスターの特定に役立つかはわからないんだけどね」

 

 

 そもそもの喧嘩の原因に立ち返りそうになった2人に、エイミィが口を挟む。

 彼女は空中にいくつかのディスプレイを投影しながら。

 

 

「マリーがデバイスの記録を確認し終わって、気になる箇所があったんだって」

 

 

 それは、先の戦闘の終盤の記録映像だ。

 赤い髪の騎士、ヴィータが魔法をイオスに放つ前に何事かを呟いた場面だ。

 

 

「この時だけ様子が違っててね、解析の結果いくつか言葉のリストがあるの。で、最有力なのが……」

 

 

 画面の中で、ボロボロのヴィータの唇が何事かを呟く。

 スローモーションで再現されるそれは、唇の動きを正確に追って言葉にした。

 それは、たった3文字の言葉だった。

 

 

 は・や・て。

 

 

 それが何かの言葉の途中なのか、あるいはそれで完成なのかは不明だ。

 何を意味するのかもわからない、翻訳と読唇は第97管理外世界日本国の物だが、もしかしたら他の世界・国の言語に直すべきなのかもしれない。

 いずれにせよ、確定では無い情報だ。

 

 

「……とりあえず、全員心に留めておいてくれ。何かのヒントになるかもしれない」

 

 

 クロノがそう言って場を締める中で、イオスは少し考えるような素振りを見せた。

 はやて、その言葉に聞き覚えがあったからだ。

 ただ、そうは言っても。

 

 

(……まさかな)

 

 

 それは、ほとんどあり得ない可能性。

 少なくともこの段階では、考慮にも値しない。

 そんなことがあった日には、イオスとしても対応に困るのは目に見えていたのだから。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 八神はやては、幸福の絶頂にあると言っても過言では無かった。

 両親を亡くしてから今まで、こんなに幸せを感じたことは無いと確信していた。

 それだけ、今と言う時間が輝いて見えたからだ。

 

 

「今日はお客さんのすずかちゃんもおるし、お鍋大盛りや!」

 

 

 上機嫌の極みでそう言うと、リビングのテーブルに自分と同じように席についている一同が温かな笑みを浮かべているのが見えて急に恥ずかしくなった。

 はしゃぎ過ぎたかもしれない、ただそうなるのも仕方ないと思う。

 何しろ、「家族」全員が揃うのは久しぶりだ。

 しかも仲の良い友達まで一緒で、はしゃぐなと言う方が無理だろう。

 

 

「あ、あはは……」

「うふふ……でも、本当にお泊りまでして良いの? はやてちゃん」

「勿論! すずかちゃんならいつでも大歓迎や。なぁ、シャマル」

「ええ、そうですね。はやてちゃん」

 

 

 はやての様子にクスクスと笑いながら応じたのは、金髪のボブショートの女性だった。

 黒のインナーに深緑色の長袖の上着、そして黒のリボンがアクセントの白のロングスカート。

 シャマルと呼ばれた女性は、お鍋の様子を見つつコンロの火加減を調節している。

 そしてその傍らでは、赤い髪の少女が取り皿を片手にウズウスとしている。

 

 

「なぁはやて、もう良いよな?」

「うーん、まだお豆腐入れたばっかりやから、もう少しかなぁ」

「えぇ~」

「それにヴィータ、お客様の方が先や」

「う、うん」

 

 

 燃えるような髪の少女だ、年の頃は10歳程度だろうか。

 名前はヴィータ、キャラロゴの入った白のシャツに赤いミニスカート、そして太腿まで覆う白と黒ストライプのニーソックスを吐いている。

 

 

 彼女が座る椅子の足元には、大きな青い毛並みの犬らしき動物がいる。

 名前はザフィーラと言い、空の皿を前にご飯を待っている様子で、フワフワした尻尾を左右にゆっくりと振っている。

 それを見て、はやては苦笑のような笑みを浮かべた。

 

 

「浴室の清掃、終わりました」

「あ、シグナム! お疲れさんやー。さ、さ、はよ席に座って、ご飯にしよ!」

「はい……随分とご機嫌だな」

「ええ、とても嬉しそう」

 

 

 最後の部分はシャマルとのヒソヒソ話なので、はやてには聞こえなかった。

 シグナム、20歳に達するかどうかという年齢の女性で、襟を立てた白のシャツに薄い紫の上着を重ね、紫のタイトスカートを履いている。

 上から下まで完璧なプロポーションと相まって、どこかモデル然とした雰囲気を纏っているように見える。

 

 

 そしてすずかだ、外から来た友人で今日はお泊り。

 両親が亡くなってから、友人が泊まりに来るなど初めてかもしれない。

 紫がかった黒髪が軽いウェーブを描き、黒のワンピースに薄紫色のカーディガン。

 お嬢様のような出で立ちだが、実際にかなりのお嬢様であることをはやては知っている。

 

 

「ん~、煮えてきたかな。そろそろええやろ」

「やった!」

「ヴィータ、お客さんが先や」

「う……」

「あ、良いよ良いよ。気にしないで、ヴィータちゃん」

 

 

 これで、全部だ。

 友人のすずかは別として、これがはやての「家族」だった。

 少し出会いは特殊だったが、しかし心で繋がった「家族」。

 願い続けて、ようやく手に入れた彼女の宝。

 

 

 それでも最近は、最初に比べて一緒にいられる時間が減っている。

 それぞれの特技や性格を活かして、いろいろな活動をしているらしい。

 シグナムは剣道場の非常勤講師、ヴィータは老人会のゲートボールチーム、シャマルは井戸端会議でザフィーラは誰かと一緒にいる。

 それから、リビングの棚の上に置いてある古ぼけた本へと視線をやって……。

 

 

(……別に、寂しくは無いよ)

 

 

 そう思って、はやては笑顔を見せる。

 家族と友達が一緒で、幸せ一杯なのだから。

 だから哀しいことも寂しいことも、もう何も無いのだ。

 そして、はやては。

 

 

「さ、いただきますしよか!」

 

 

 ヴィータの歓声を耳にしながら、はやては幸せそうに笑うのだった。

 今日と言う日を忘れない、皆の笑顔を忘れないと、胸の中で呟きながら……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……全てを見ている者がいる。

 全てを識る者がいる。

 全知全能に最も近く、同時に全知全能から最も遠い万能の存在が見守る。

 

 

 あらゆる誤解を、あらゆる齟齬を、あらゆる願いを、あらゆる歪みを。

 「彼女」は、全てを知っている。

 全知全能に最も近い存在であるが故に。

 だが「彼女」は、何もできない。

 全知全能から最も遠い存在であるが故に。

 

 

 

<――――始まる>

 

 始めよう。

 

<――――全ての終わりが、ここから始まる>

 

 始めよう。

 

<――――全ての終わりは、ここから始まる>

 

 始めよう。

 

<――――全ての終わりを、ここから始めよう>

 

 始まる。

 

<――――全てが、また>

 

 始まる。

 

<――――終わってしまう……>

 

 終わりだ。

 

<――――心優しき、主よ……>

 

 「彼女」には、何も出来ない。

 何も出来ない。

 ただ、闇の底から夢見るばかり。

 

 

 いつか、解放されるその日を。

 

 




最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
気のせいで無ければ、今回、若干BLに近い表現があったような……まぁ、注意が必要なレベルじゃ無い気がしますので、大丈夫でしょう、おそらく。

それにしても、もっとイオスを暴れさせても良かったかな、と終わってみて思います。
いっそ家を飛び出して他のキャラと出会っちゃったりしても良かったかも、でも局員として頑張ってるので出奔は無理ですし……うーむ。

それでは、また次回もよろしくお願いいたします。

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