11月の末、イオスはフェイトを伴ってミッドチルダ地上に降りていた。
理由はフェイトの墓参りの付き添い、その他裁判関係の書類提出などが少々。
「……久しぶり、母さん」
白い御影石のお墓にそっと花を添えて、芝生に膝をつきながら亡き母に語りかける。
イオスの知る限り、行動規制のかかるフェイトは月に1度のペースで墓参りに来ている。
「……」
そんなフェイトの背を視界に収めながら、イオスは広大な墓地を眺めた。
同じ形の石が並び、ともすれば目的のお墓まで行けずに迷ってしまいそうだ。
中にはフェイトと同じように墓参りに来ている人々がいる、故人も喜んでいるのだろうか。
(まぁ、プレシアの場合はどうだかは知らないが)
死後の世界などは信じないが、イオスも仮定くらいはする。
はたして生前、あれほどフェイトの訪問を嫌っていたプレシアが墓参りなど望むだろうかと。
死してなお、事件として人々に名を覚えられる女は何を思うか。
宗教家や心理学者ならば、興味深い命題だとでも言うのだろうか。
「……っ」
その時、不意に通信が入った。
通信と言っても局のでは無く、外部からの……まぁ、つまりただの連絡である。
それでも場所が場所だ、通信に出るのも……と思えば、相手の名前に顔を顰める。
フェイトを見れば、軽く頷かれた。
出ても構わない、と言うことらしい。
頷きを返して謝罪とし、通信に出る。
「はい、イオスです」
『ああ、イオス君? 良かった出てくれて、お仕事中だったらごめんなさいね』
「いえ、それで何か……」
相手はエル・ベスレム病院の看護師だった、つまりは自身の母の預かり先だ。
話を手短に聞いてみれば、何でも母が問題を起こしているらしい。
それでもしミッドチルダにいるなら、寄って欲しいとのこと。
……次元航行艦勤務中でも、たまにこう言う連絡は来る。
「あ~……申し訳ないんですけど、今ちょっと。えーと、母さんのことは……」
墓地からもそう遠く無い、少し寄るくらいなら出来なくは無い。
ただ……。
「……?」
問題はフェイトだ、今もイオスの傍らに立って可愛らしく首を傾げている。
フェイトはまだ判決を待つ身だ、1人で『アースラ』に帰すことは出来ない。
なので、イオスもフェイトについて『アースラ』に戻らねばならず。
「……私、良いよ?」
「は?」
「その、一緒に、行っても……」
親切心から言っているのだろう、それはわかる。
万が一の際はイオスの責任にすれば良い、ただ何と言うか重要な点を見逃している。
フェイトとしては、「母」と言う単語に反応したのだろうが。
つまるところ、行きたくないのだ、イオスが。
だがフェイトは「余計な事を言ってしまっただろうか」と気にしているような表情を浮かべていて、また通信が繋がっている先では本当に困っているようで。
しかもフェイトにつく権限を持っているクロノとエイミィは、今日に限って他の仕事がある。
イオスは天を仰いで、深い溜息を吐いた。
◆ ◆ ◆
「それでね、フェイトさんったら黒の服ばかり選ぶのよ。だから私とエイミィでいろいろ着せてあげたら目を回してしまって、やっぱり女の子は可愛くて良いわねぇ」
「クロノ君には言わない方が良いわよ、ああ見えて傷つきやすいんだから」
傷つかないよ、心の中だけで呟いてクロノは作業を進める。
現在彼は、『アースラ』の資料室でフェイトの裁判に必要な最後の書類をまとめていた。
判決までは油断できないが、彼の見込みでは事実上の無罪になるはずだった。
嘱託魔導師試験の合格、身元引受人と保護観察官の内定が効いていると思う。
なので仕事に関しては手応えを感じているのだが、何故か資料室のテーブルでお茶をしているリンディとレティの存在は正直鬱陶しかった。
何せ2人の地位が高い、逆に私的だとしてもタチが悪い。
「まぁ、フェイト・テスタロッサの嘱託試験合格を判定したのは私だし。それに『アースラ』の最終整備と出航手続きに関しては問題無いわ、本局運用部としてバックアップできるから」
「ありがとう、おかげでフェイトさんに良いプレゼントが出来そう」
「それは良いけど……あんまり実の息子と差をつけると、クロノ君拗ねちゃうわよ?」
拗ねないよ、やはり心の中だけで呟いて使用済みの資料を棚に戻す。
と言うか、実は仕事の邪魔をしに来たのかとすら思えて来る。
「うふふ、良いのよ。フェイトさん次第だけれど……もう少し落ち着いたら、本当に娘になってくれないか聞いてみるから」
「時空管理局提督の養女……ね。それもまぁ、守り方の一つではあるか」
「あら、そうでなくてもフェイトさんみたいな良い子なら娘にしたいと思わない?」
「まぁ……ねぇ」
顔は見えないが、レティが苦笑する気配が伝わってくる。
イオスやエイミィにはクロノがすでに話してある、養子の件を知らないのは本人と使い魔くらいだろう。
それに、フェイトが「良い子」出と言う点については異論は無い。
(まぁ、ちょっと素直すぎるが)
『アースラ』はこの後、「事件後の経過確認」を名目に第97管理外世界へ赴くことになっている。
レティが今日来たのは、そのあたりの話をするためだったはずだが。
それが何故、自分が拗ねるだのと言う話になったのだろうとクロノは不思議に思わざるを得ない。
「まぁ……そこらの話は良いのだけど、ね。リンディ、次元航行艦に乗っているなら大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」
「……何か、あるの?」
「最近、次元世界各地で気になる事件が相次いでるのよ。局員も何人か被害が出てる……そして、被害のパターンが過去の事件と引っかかった。リンディ、私は今日、それを伝えるために来たのよ」
……ピタリ、とクロノが動きを止める。
手を止めて、初めて自分からレティ達の会話に耳をそばたてる。
「2週間程前にシーベル定置観測隊に武装隊40名を派遣したの、強行探索装備でね」
2週間前と言えば、ユーノを証人として裁判に呼んだ時期と重なる。
彼のおかげで、裁判におけるフェイトへの心証がかなり良くなったのだが。
「どうなったの?」
「……皆、やられたわ。検査の結果は皆同じ、リンカーコアから強制的に魔力を奪われた形跡があった。この件で、本局運用部は一つの確信を得るに至ったの」
自然、拳を握る。
クロノには見えないが、母の纏う空気が固くなったのは感じることが出来る。
そしてレティが、言葉を選びながら告げるのを確かに聞く。
「――――第1級探索指定遺失物が、稼働していると断定したわ」
始まりを告げる声に、クロノは初めて母達の方に身体を向けた。
脳裏に、かつて約束を交わした幼馴染の顔を想い浮かべながら。
◆ ◆ ◆
そこは、病院と言うよりは監獄と言った方が正しいと思える場所だった。
エル・ベスレムと言う名前のその病院、そこかしこから聞こえる呻き声や悲鳴に身を竦ませる。
真っ白な牢獄、イオスについて来たフェイトは自分の選択を少しだけ後悔した。
「……あんまりくっつかれると、動きにくいんだが」
「あ……ご、ごめんなさい」
「いや、まぁ、良いけど……」
知らず、イオスの背に隠れるようにして通路を進む。
局員服の裾を掴んでくるフェイトに胸の内をむず痒くさせつつ、イオスは先を急いだ。
フェイトの入場申請に時間を取られた、奥ばった閉鎖病棟に急ぎ向かい、そして。
「いやぁあああああああああああぁぁああああああああああああああああぁああああああああああああああああああぁあぁぁぁあああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
ビクリ、心臓が一瞬何かに掴まれたような感触に身を震わせる。
それは悲鳴だった、いや、絶叫だった。
奥ばった部屋、外側にしかドアノブの無い扉が開きっぱなしになっている。
声は、そこから聞こえている。
「かえして、かえしっ……がえじでええええええええええぇぇぇっっ!!」
「サルヴィアさん! 大丈夫ですから! 少し洗うだけですから、ね!?」
「あ――っ、あ――っ、ああぁうあああああああああああああぁぁぁっっ!!」
「ああっ、もうまた……っ、抑えて、早く、鎮静剤!」
普通で無いことは、すぐにわかった。
だけどあまりに突然のことで、フェイトは緊張した顔で動けない。
ただイオスは違う、疲れたように溜息を吐いて……足早にその部屋に向かった。
「すみません、遅れました」
「ああ、イオス君。良かった、手伝って貰える!?」
しばらく、部屋の中から叫び声と激しい音が響き続ける。
初めての体験にフェイトは動くことができない、ただオロオロとするばかりだ。
それでもしばらくして――その間に看護師らしき女性が何人も出たり入ったりして――ようやく、静かになった。
そこでようやく、フェイトは胸に手を当てて落ち着くことができた。
それから扉の横に立って恐る恐る、中を覗いてみる。
すると、そこには……。
「まったく、『サルヴィア』さんは大げさなんですよ。ただの定期健診じゃないですか、赤ん坊なら誰だってするでしょう?」
「そ……そう……な、の……? 取り上げない? 私の……私の、赤ちゃ、ん……」
「取り上げてどうするんですか」
そこにはベッドの上で子供のようにしゃくり上げる妙齢の女性と、サルヴィアと言うその女性の赤ん坊を抱っこしているらしいイオスの背中が見えた。
枕の羽毛が散乱する部屋の中では、看護師と女医らしき人達が息を乱しながら乱れた髪や衣服を整えていた。
「……じゃ、これ。まぁ、よろしくお願いします」
「え、ええ、ありがとう。サルヴィアさん、すぐに戻ってきますからね」
「あ、あ……ああぁ……」
「だーいじょぶですって、5分で終わりますよ」
不安そうに手を伸ばす女性に、努めて優しげにイオスが声をかける。
普通に見れば、我が子を離したがらない母親の姿だ。
だが、フェイトには不可解なことが一つあった。
それは、部屋を出ていく看護師の腕に抱かれた「赤ちゃん」の姿だ。
ボタンの目、毛糸の髪、布の肌、漏れ出た中身は白い綿。
それは、幼児用の……いわゆる、「お人形さん」だった。
◆ ◆ ◆
「ご、ごめんなさ、ぃねぇ……見苦しい所を、見せてしまって……」
「いえ、大丈夫ですよ。さっきのは説明不足な病院側のせいで……あ、どうぞどうぞおかまいなく」
戻って来た看護師に軽く睨まれても、悪びれることなく肩を竦める。
そんなイオスを、フェイトは彼の隣に置かれた椅子に座りながら見つめていた。
イオス側の事情で特例の入室を許された彼女を興味深そうな目で見つつ、看護師は綺麗に洗浄された人形をベッドの上で半身を起こす女性に渡した。
「はい、終わりましたよ」
「あ、ああぁぁ……ど、どうでし、たか……?」
頼りなく、しかし酷く気を遣っているとわかる手つきで人形を抱く女性は、不安に揺れる瞳で看護師に問うた。
だが看護師側は意味を図りかねたのか、僅かに首を傾げている。
「定期健診ですよ」
「え、あ、ああ! ええ、大丈夫、どこも悪く無かったですよ!」
イオスの助け船に、看護師は慌ててそう取り繕った。
どこも悪く無い、それはそうだろうとフェイトは思う。
子供用の人形は先程より小綺麗になった程度で、何も変化していない。
「よ、良かった、ぁ……」
それなのに、ベッドの上の女性は心の底からほっとした表情を浮かべていた。
それは本当に安心しきった顔で、優しい手つきで人形を抱いて腕の中で揺らしている。
まるで、本物の赤ん坊をあやすみたいに。
(この人が……)
イオスの、母親……サルヴィア・ティティア。
顔のパーツに面影があるような気がするが、身体全体が痩せているため似ているようには見えない。
例えば腰まで伸びた髪は、色こそイオスに似た薄い水色だが……手入れされていないのか、数本の髪がピンッと全体から飛び出して荒れている。
何より、自分の腕の中の人形を見つめる薄青の瞳だ。
焦点が合っていない、虚ろで、どこか夢を見ているかのような印象を受ける。
乾いた薄い紅色の唇が微かに弓の形をとっているのが、不自然さに拍車をかけているのだろう。
ふと、サルヴィアと目が合った。
「あら……初めて、会う人かしら……?」
「あ、はい。えと……フェイト・テスタロッサです」
名前を言って良いのか悩んだが、名乗った。
するとサルヴィアは、身体を震わせながら笑んで。
「イオス、君の……妹さん、とか?」
「え? あ、いえ、そう言うわけじゃ」
「こ、この子にもね、お兄ちゃんがいるのよ……?」
言って、人形を見せてくるサルヴィア。
フェイトは、困惑する。
そして違和感がある、その違和感の命じるままにイオスを仰ぎ見れば。
「ああ、お父さんと一緒に別の世界にいるんですよね。お子さんと一緒に」
「そ、そうなの、よ……早く、会わせたいのにねぇ……」
(え……)
ニコニコ、そんな音が聞こえそうなくらいの笑顔を浮かべるイオス。
フェイトはそれに一種の恐れを覚え、しかし同時にそんなイオスを心配そうに見つめ続けた。
◆ ◆ ◆
「11年前。ロストギア事件で親父が殉職して、ショックを受けた母さんは酷く体調を崩してな」
「そう、なんだ……」
帰り道、
イオスとしてはクロノやリンディ達は知っていることだし、何よりフェイトが聞きたそうにしていたので話すことにしたのだ。
「それだけでも十分にアレなんだが、その時にお腹にいた子供も流産したんだ。それであの人、いよいよ参って……結局、あんなになっちまった」
「……じゃあ、あのお人形は」
「赤ちゃん、のつもり。男か女かもわかんねぇ時期のことなのに、あの人の中では無事に女の子を出産したことになってる。てか、あの人の中じゃ毎日が「出産直後」なんだとさ。おかげであの人の中の俺は、どっかの次元世界に単身赴任してる親父についてってんだぜ?」
それは、とフェイトは思う。
それはあまりにも……あんまりでは無いか、と。
だって、本当のイオスは目の前で確かに成長しているのに。
そして当時、4歳で母親から「忘れられた」イオスはリンディが引き取った。
リンディ自身も夫を亡くして、しかもクロノまで抱えていたのにだ。
だからイオスは、リンディには本当に感謝と尊敬の念を抱いている。
フェイトを養子にと言う話を聞いた時、本当に「らしい」とイオスは思ったのだ。
(少しだけ、わかる……かもしれない)
安易に「わかる」など口には出さない、でもフェイトにはイオスの気持ちが少しだけわかる気がした。
目の前にいるのに、母に見て貰えない気持ち。
それだけは、少しだけわかる気がした。
「まぁ、何と言うか……」
語ると言うより独白のように、イオスは締めくくった。
「……現実を認めなかったから、ああなったんだよ」
重い、重い口調で重い言葉が紡がれたと、思う。
母の事件の時、イオスがあれほど「現実を受け入れること」に執着した理由を、フェイトは垣間見た気がした。
そして、だからこそ。
「で、でも」
だからこそ、諦めてほしくないとも思った。
だって、自分の母はもうこの世にはいないが。
イオスの母はまだ、生きているから。
「でも、イオスにだけお人形、預けたよね? それって、やっぱり特別に想われ、て……」
尻すぼみになって消えていく言葉と共に、フェイトは足を止めて俯いた。
それは前で足を止めたイオスが肩越しに振り向いたからであり、彼と視線が合ったからだ。
沈黙がしばらく続いて……イオスの口から、深い溜息が漏れた。
「……『アースラ』に戻ろう。判決前に門限破りは良くない」
「…………うん」
頷いて、再びフェイトはイオスに続いて歩き出す。
その瞳からは、気遣わしげな色が消えていない。
リンディ達には恩がある――もちろん、イオスにも。
だから、何かしたいと思った。
ただその「何か」がわからない、もしわかる時が来たならば。
その時、自分は「なにか」になれたことになるのだろうか――――。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
今話から、本格的にA's編に入ります。
今回はプロローグよいうよりは、0.5話のようなお話でした。
いよいよ本番、という状況ですが、これからイオスの物語を展開するために頑張りたいと思います。
次回からは本編中の時系列的にもA's編に入ります、読者の皆様達と一緒に楽しんでいければな、と考えています。
では、また次回にお会いしましょう。