オリジナル展開を含みます、苦手な方はご注意ください。
漆黒の魔導師と雷光の魔導師が交錯し、断続的に起こる衝撃と光の激しさが画面越しにも伝わってくる。
向かい合うのは魔導師は2人とも小柄で、年齢的にも子供で通るような容姿だ。
しかしその技量は、子供と言うには聊か強大過ぎる物だった。
「使い魔持ちのAAAランク魔導師……筆記試験、儀式魔法試験も余裕でクリア。個人戦闘も見る限りでは概ね問題無し……フェイト・テスタロッサ、流石はリンディの推薦だけあって有能ね。末恐ろしいくらい」
「うふふ、そうでしょう?」
「嬉しそうねぇ」
リンディの嬉しそうな笑顔に苦笑を返すのは、時空管理局本局運用部のレティ・ロウランだ。
青い提督服を纏った彼女はリンディの友人であり、本局の人事・艦船運用の責任者。
今はフェイトが管理局で働くための試験――嘱託魔導師試験の監督官をしている。
紫がかった長い髪を首の後ろで束ね、薄いフレームの眼鏡の奥に鋭い瞳を隠している。
それなりに年齢を重ねているはずだが、リンディの息子と同年代の子供を持っているとは思えない程に若々しい。
「それにしても裁判中の嘱託試験とはね、随分と急な話だけど……何か理由があるの?」
「クロノが受けさせて欲しいって言うから」
「それはまた、随分と息子に甘いのね」
嘘だとわかる話に真面目に頷いて、レティはそこで話題を切った。
元より過去の出自にはこだわらない主義だ、フェイトの過去がどうであれ現在は管理局に協力したいと思ってくれているのなら、彼女は自分の仲間だと思える。
元々、嘱託魔導師と言う役職は外部の人間を管理局に取り込む意味も兼ねて制定された役職だ。
「あ、終わったみたいですよー」
2人の提督に声をかけたのは、試験会場に直結回線を持つモニター・ルームの計器を操作していたエイミィだ。
3人は『アースラ』にいるが、画面の向こう側はミッドチルダ地上部の管理局所有の試験会場だ。
そこでは、フェイトの単身戦闘力を計るための試験が終わった所だった。
試験官はクロノ、AAAランクの魔導師と模擬戦が出来る人員には空きが無いので――まぁ、何かリンディ達のサイドでの思惑もあったのかもしれないが――クロノが、フェイトとの模擬戦と言う形で試験管を担当したのである。
結果はクロノの勝利、と言って勝敗自体は合否に関係ないが……。
「あはは、フェイトちゃん落ち込んでるー」
「うっかりやさんなのね」
「少しね」
画面の向こうでは、クロノに負けたら不合格だと思い込んでいたらしいフェイトが落ち込んでいた。
一緒に試験を受けているアルフはどう慰めた物かとオロオロしていて、クロノが呆れている。
「お? なになに、フェイト不合格?」
とその時、4人目の声が響いた。
局員服を着たその少年は、自分の水色の前髪を指先で弄りながらモニター・ルームに入って来た。
エイミィは顔だけで扉の方を振り向くと、笑顔で少年の名を呼んだ。
イオス・ティティアの名を。
◆ ◆ ◆
「あ、レティさん。ご無沙汰してます、お元気でしたか?」
「ええ、おかげさまでね」
イオスがペコリと頭を下げると、レティは緩く目を細めてイオスを見つめた。
クロノ共々、レティはイオスのことを小さな頃から知っている。
何しろ局勤めで子持ちの友人と言うのは少ない、リンディやイオスの母とはそう言う関係でも交友関係を結んでいたのだ……11年前の事件までは、確実に。
「遅れてすみません、リンディさん」
「良いのよ……お母様は?」
「いつも通りですよ、何も変わりません」
何も変わらない、その言葉にレティは目を伏せる。
イオスの母親の今の状態ことを、レティは知っている。
それを口にしようとは思わないし、口にしても意味が無いことだとは思う。
しかしそれでも、思ってしまうのだ。
何故、どうして、と。
……管理局に入局した時から、「何が」起こっても他人のせいにはできないとわかってはいても。
「それで、今どんな感じ?」
「個人戦闘試験が終わった所だよ、なかなか高得点」
「どれど……え、何この点数、ギャグ?」
「ううん、大マジ」
……今、こうしてエイミィと楽しげに話している姿を見ていると、そう言うことも忘れてしまいそうになる。
元より、過去よりも現在を重視するのがレティと言う女性だ。
まぁ、それにも「優秀な人材ならば」と言う前提条件がつくが。
「てかコレ、クロノかなり本気じゃん。年下相手にムキになってまぁ」
「あ、じゃあイオス君ならそうならないの?」
「おうよ、だって俺って紳士だし」
「うんうん、イオス君は紳士だよね」
「だろだろ?」
あ、何だか雲行きが変わってきた。
レティがエイミィとイオスの会話にそう感じたのは、長年の経験故からか、それともエイミィと同性だからだろうか。
「ああ、ところでさエイミィ。何で俺ここに呼ばれたの?」
「あ、うん。ちょっとそこに立ってくれる?」
「ん? ああ」
エイミィが指差した先に立った次の瞬間、イオスは白い光に包まれて消えた。
転移魔法だ、特定の人物が魔法陣の上に立てば発動する。
あまりにもあっさりとエイミィの言に引っかかったため、レティは苦笑を浮かべてしまった。
「何と言うか、変な所で素直な子よね」
「うふふ、可愛いでしょう?」
「うちの子の次くらいにはね」
自慢そうなリンディにやはり苦笑を返しつつ、レティは画面を見つめ直した。
その先では、フェイトの嘱託魔導師試験が続いている。
◆ ◆ ◆
「良し、行くぞイオス。管理局式のタッグバトルの真髄を見せる時だ」
「嫌だよ」
試験会場に転移させられたイオスは、いきなり臨戦態勢なクロノに対して即座に拒否した。
視線を翻せば、広い野原に供えられた試験会場と澄み渡った青空が広がっている。
自分と相対する位置には、フェイトとアルフ。
どうも、フェイト・アルフの連携を見るための模擬戦をするらしい。
そこは理解するが、何故に自分を持ってくるのだろうか。
アルフなどは「あの時の恨みあの時の恨みあの時の恨み……」と牙を剥き出しにしていて、凶悪なまでに怖いし。
「フェイトも嫌だよな?」
「が……頑張る!」
いや、頑張るで無くて。
負け=不合格では無いと知ったからか、どことなく挑戦者の顔つきだ。
いや、むしろ模擬戦が楽しくなってきている様子だ。
(……あんな才能の塊とガチでやったら、すげーしんどそうじゃんよ……)
イオスは覚えている、フェイトはほぼ独力で『ジュエルシード』を4つも収集したことを。
そして、アルフが犬素体だと言うことを。
「他に人がいないんだ、諦めて付き合え」
「はぁ……へいへい」
諦めたように溜息を吐いて、イオスは自らのバリアジャケットを纏う。
本気で面倒だが、仕方が無い。
気分もささくれだっていたことだし、気分転換と思うことにしよう。
一方でフェイトは、新たな戦力としてのイオスを警戒していた。
『ジュエルシード』の事件では直接戦ったこともある、ただアルフと組んで油断しなければ十分に対応できるはず。
クロノについても、ランクも実力も自分より上だが設置型バインドにさえ気を付ければ……と、思う。
(クロノはAAA+ランク……イオスは、エイミィに見せて貰った資料では……)
空色のバリアジャケットと、銀色に輝く両腕の鎖型デバイス。
魔法体系はクロノとほぼ同種、何でも師が同じらしい。
(……B)
イオスの魔導師ランクはB、AAAランク相当のフェイトと比べれば遥かに下に見える。
エイミィによれば、執務官補佐としてクロノと同じ艦で働くためにはこれ以上ランクを上げられなかったのだと言う。
本人は、「執務官試験に受かったらAランク受けに行くし!」と言っているらしい。
だから、油断できない。
「よーし、クロノはどうでも良いけどイオスはボコボコにしようねフェイト!」
「え、えーと……」
「おいクロノ、試験官侮辱罪で減点して良いか?」
「却下だ」
合格する、そうすれば権限も行動範囲も広がる。
クロノやイオスの仕事も手伝えるようになるし、裁判にも有利だ。
そして、贖罪を……「なにか」になるための行動を、始めることができる。
(勝つんだ……母さんのためにも)
母さん、プレシア・テスタロッサのために。
プレシアの娘である自分が頑張ることで、地に堕ちた母の名前を少しでも浮上させる。
あの日、フェイトはそれを自分の人生の仕事と定めたのだ。
◆ ◆ ◆
――――ミッドチルダの、夏の盛りのことだった。
管理局の病院――重犯罪者用の――から連絡があり、以前から重度の肺結腫で余命幾許も無いと言われていたが……プレシアが、危篤状態に入ったと言うことだった。
結論から言えば、フェイトは「母」の死に目に会うことができなかった。
フェイト自身が裁判を受けている身であり、何より『アースラ』内で比較的自由な行動を許していることに普段から批判的な者達が制止をかけて来たのだ。
クロノやイオスらが苦労して法的武装を整えてフェイトを送り届けた時には、もう遅かった。
『……悪ぃ』
その時に限っては、イオスもいつもと様子が違っていた。
それほど、その時の自分は酷い顔をしていたのだろうと思う。
だけどその時は、酷い言い方だが、そんな「外部」のことを気にしていられなかった。
眠るように目を閉ざし、二度と目覚めることの無い母を見た時……凄まじい、喪失感に襲われた。
涙すら出ない程の喪失感、そしてそれ以上に、もう。
もうこれで、母と心を通わせるチャンスが二度と巡ってこないのだと言うことに絶望した。
もう、嫌いとすら言って貰えないのだ。
気が付いたら、葬儀が終わっていた。
母は局員では無いため、管理局が運営している局立霊園には入れない。
だからリンディがお金を出して――いろいろな所から出た異論は、クロノとイオスが抑えて――
聖王教の司祭まで呼んでくれて、お墓も確保してくれて、エイミィも自分の世話をしてくれて、何から何までお世話になって……。
『……………………』
だが、「ありがとう」の一言すら言うことが出来なかった。
喪失感が深すぎて、精神リンクで繋がるアルフまで調子を崩してしまって。
ただ芝生に膝をついて、母の名の刻まれた白の御影石に取り縋ることしかできなかった。
平面のお墓を目にした瞬間、涙が止まらなくなった。
涙と、声が、溢れて止まらなかった。
後で知ったことだが、リンディ達は他の人間の参列を――どうも、碌でも無い類の――「親しい人間だけの密葬」と言うことで排除してくれていたらしい。
フェイトが静かにプレシアを送れるように、気を配ってくれたのだと言う。
それに気付くのに1ヶ月を使い、それ以降は悲しむのをやめた……やめようと、努力するようになった。
『プレシア・テスタロッサの娘』
そしてその時から、フェイトは『ジュエルシード』を巡る事件の名前その物になった母の娘として生きているのだと言う実感を持つようになった。
自分を母の死に目に会えなくし、葬儀の場でも不適当なことを言いに来る相手がいると言う程度には。
だから、これからの人生でそれを雪ごうと思った。
これから先、自分がどんな環境で生きていくかはわからない。
だけど、「テスタロッサ」の名前だけは抱えて生きて行こうと思った。
そしていつか「テスタロッサ」の名がロストロギア事件の名前ではなく、もっと優しい何かになれれば良いと願った。
(……そのためにも)
意識を現実に戻して、フェイトは正面を睨む。
そこには黒髪の少年と水色の髪の少年がいる、自分をいろいろな面で助けてくれた2人の少年が。
……そのためにも、彼らに自分の覚悟を見せたい。
「アルフ」
「わかってる、任せてフェイト」
全てを言う前に、アルフは答えた。
精神リンクで繋がっているからでは無い、それよりも深い何かで繋がっている。
だから。
「――――行きます!」
自らの夢の証明のために、フェイトは雷光と共に駆けた。
◆ ◆ ◆
タッグマッチ開始の次の瞬間、黄色い閃光が戦場を貫いた。
まさに雷光と呼ぶに相応しい速度、常人ならば目で追うこともできない。
しかし、雷光は――フェイトは大鎌形態の『バルディッシュ』を振り下ろすことを断念し、直後に再移動した。
その直後、フェイトが狙ったイオスの背を守るように2本の鎖が空間を薙いだ。
×字の形にクロスした鎖の中心は、まさにフェイトがいた空間だ。
フェイトは少し驚く、速度には自信が……。
「……うお!? もう背後に回られてた!?」
「反応が遅いな」
……を失う必要はないらしい。
となると、今のはデバイスの判断だろうか。
いわゆる自動防御か、ならばストレージ故にパターンがあるはず。
「ランサー……セット」
<Get set>
雷のスフィアを6発セットし、3発ずつクロノとイオスに放つ。
同時に高速機動魔法も継続する、とにかく先手を取ってバインドの設置を防がねばならない。
キュンッ……と高速移動して空を駆ける、選択する戦術は――――近接戦。
「おお、思い切りが良いなぁ」
「――――!」
しかしその意図は挫かれる、球形に広がってクロノとイオスを包んだ鎖によって。
高速回転して2人の少年を物理的に防護するそれを前に、フェイトは急制動をかける。
先に放ったスフィアは、鎖に阻まれて爆発した。
牽制用の物のため、それ程の威力が無いのが災いした。
イオスの鎖……『テミス』は、「鎖」と言う実体を持ったデバイスだ。
使用者の意識で半自動で動く、これまでも鎖による防御を何度も見た。
だが同時に、母親……プレシアやなのはのような、強力な砲撃魔法までは防げないことも知っている。
一対一ならば砲撃魔法で防御を崩し、高速機動でたたみかける。
しかし……。
「――――くっ!?」
身を翻し、鎖の中から放たれた青白い射撃魔法から逃げる。
クロノだ、イオスに防御を任せて射撃魔法のコントロールに専念している。
高速機動魔法で急速後退し、『バルディッシュ』を構えて振り下ろす。
「『アーク……セイバー』ッ!」
<Arc saber>
「セイバーブラスト!」
自分を追尾して一塊りになった魔法弾を、雷光の刃で迎撃する。
コマンド・ワードに反応して刃が爆裂し、魔法弾を巻き込んで消滅させる。
負けたくない、自然、『バルディッシュ』を握る手に力がこもる。
しかし射撃魔法を全弾撃ち落した直後、爆煙の中から鎖の先端が飛び出してくるのが見えた。
自分を捕らえに来たらしい鎖を2本ともかわして、続け様に回避行動へと移る。
急速上して回避する、しかしそれが不味かった。
爆煙の上、視界の先に青白い輝きを見る。
それは先だっての模擬戦で見た、クロノの砲撃魔法――――。
「『ブレイズキャノン』」
<Blaze cannon>
青白い射線が戦場を貫く、すでに回避直後のフェイトは次の回避運動へ移ろうとして筋肉が弛緩し、出来ないことを悟る。
だが。
「やらせないよ!」
直下、フェイトの前に飛び出したアルフがフェイトを守る。
障壁を多重展開して砲撃を受け止め、最後の一枚に届くと同時に振り上げた拳を自らの障壁に叩きつける。
障壁破壊攻撃の威力に障壁の破砕される威力を上乗せし、砲撃魔法を拳でもって爆砕させる。
クロノが頬を引き攣らせ、イオスが目を丸くするような芸当だった。
「フェイトは――――私が守る!!」
力強く宣言するアルフの背中を、フェイトは目元を緩めて見つめた。
そう、これは連携戦だ。
1人で戦う必要はない、クロノとイオスがそうしているように互いの死角をカバーし合いながら戦えば良い。
<Get set>
そう、手の中で主人のためにフォームを変えるデバイスも一緒だ。
かつて家族にも等しい師が自分のために作ってくれた杖は、今は自分を支える一部になっている。
そのデバイス『バルディッシュ』を振り上げて、フェイトは雷光と共に叫ぶ。
「『サンダァー……レイジ』ッッ!!」
天空を引き裂くような轟音が響き、試験会場全体に雷鳴が轟いた。
その轟音に、2人の少年が表情を引き攣らせたかは――――残念ながら、わからない。
◆ ◆ ◆
互いの魔法の衝撃で明滅する画面を見つめながら、レティは感嘆の溜息を吐いた。
凄まじい才能だ、嘱託魔導師としては申し分無い。
ミッド式の魔法は遠距離・射撃主体の魔法体系だが、良くここまで近接戦が出来ると思う。
「まぁ、それはクロノ君達にも言えるけど。こちらは経験、という面が強いのかしらね?」
「……そうね」
妙に歯切れの悪いリンディに内心で首を傾げながらも、レティは画面から目を離さない。
クロノはミッド式魔法の基礎に忠実な魔導師だが、イオスはデバイスのせいか特殊なスタイルだ。
物理的な鎖による防御は、まるで直接攻撃を想定してそのために開発されたかのような気さえする。
確かあのデバイスは、部下のマリーが開発に携わっているはずだが。
……レティは、本局の人事の責任者だ。
そのため、局内の派閥構成や流言などには詳しい方だ。
その中には若くして大成(しているように見える)クロノなどへの反感などもあるが、最近では別の噂が流れているのを知ってもいる。
『イオス・ティティアは仲間殺しだ』
原因は、7月に彼が関わった第11管理外世界の事件だ。
事件自体は首謀者死亡と言う不明瞭な終わり方をしているが、主犯格が人間を機械に変えて使役した極めて猟奇的な事件として知られている。
そしてイオスはそこで、士官学校の同期生を「殺害」した。
殺害と言っても、相手はすでに機械に改造されていたので……厳密には、傀儡兵を倒したも同然だ。
その後の調査で相手は2日以上前に生命活動を停止していたことが判明したし、その意味ではイオスは法に触れることは何もしていない、自己防衛の結果に過ぎない。
「……私達なんかは、気にしなくて良いって言ってるんですけどねー」
レティが何を思考しているのかがわかったのか、エイミィがそんなことを言う。
わかっている、大勢はイオスを支持していることも。
イオスを批難するのは、基本的にリンディの敵対勢力と重なることもある。
しかし原因は、イオスにもあるとレティなどは客観的に思う。
何しろ傀儡とは言え同期生を倒し、涙一つ気落ち一つ見せないのだから。
(歪んでるわね、彼も)
管理局に務める人間は、特に前線で戦うような人材は、どこかが必ず歪む。
事件で負った心の傷のために、その後の人生が滅茶苦茶になる者もいるのだ。
人間を相手に裁きを与える仕事である以上、ある意味では仕方が無いのかもしれない。
その時、画面の中の明滅が終わった。
タッグマッチが、決着したようだ。
結果は――――……。
◆ ◆ ◆
微かな音を立てて、シャワーノズルから降り注ぐ水滴の群れが床を打つ音が響く。
その中に身を晒すのは、水色の髪の少年だ。
湯に濡れた前髪を億劫そうに片手で上げて、顔を振りながら水滴を飛ばす。
「あー、疲れたー……」
「最近、訓練不足なんじゃ無いのか?」
「うっせ……まぁ、師匠達に揉まれてた時期に比べるとそうかもしれねーけど」
仕切りで区切られた向こう側には、黒髪の少年がイオスと同じようにシャワーの雨に打たれている。
一度に50人は入れそうな『アースラ』の広いシャワールームで、イオスとクロノは試験の疲れと汗を流していた。
細身だが鍛えられた若い身体を、透明な滴が滴り落ちていく。
「ま、フェイトが合格できたんだから、良かったんじゃねぇの」
「そうだな。レティ提督も優秀な人材を確保できて嬉しそうだった」
「あの人はなぁ……どこの派閥にも属して無いけど、人事を通じてどこの派閥にも顔が利くんだよなぁ」
フェイトは無事、使い魔持ちAAAランク魔導師として嘱託資格を得た。
これで管理局の業務に協力できるし、裁判にもかなり有効なカードとなるだろう。
事実上、レティ・ロウランの後ろ盾で無実を得ることになる。
大した物だと、イオスは思う。
母親が亡くなって1ヶ月経っているかいないかで、こうまで精神を立て直してくるとは。
事件の時も思ったが、ドン底から這い上がる才能を持っているのかもしれない。
不屈の心、だ。
「それで、そっちはどうだったんだ? 僕は今日は行けなかったんだが」
「どうって聞かれてもな……まぁ、いつも通りだよ。局への捜査徹底要求と死刑制度導入の要請、後はまぁ……陳情とかかな」
クロノは午前中からフェイトの試験のために動いていたのだが、イオスは別行動だった。
それはもちろんクロノの補佐と言う形での行動で、それ自体はいつものことだ。
まずリンディにも伝えたように、母親の見舞い。
そして、ロストロギア事件の被害者遺族会の会合への出席だ。
イオスの父はロストロギア事件の任務での殉職者だ、局もそう言う人材を会合に参加させてイメージアップを図るのである。
そして今回は……その、イオスの父を殺したロストロギアの遺族会の会合だった。
「どいつもこいつも、何にも変わって無かったよ。被害者の感情が時間と共に薄れるなんて、誰が言ったんだろうな本当」
「……そうだな」
キュッ、とシャワーを止めてクロノが頷く。
彼自身、父をロストロギアに殺された人間だ。
しかし母は、リンディはそうした会合に参加したことが無い。
そして今、そうした話題を提起するのは……。
「……そろそろ、だな」
「……だな」
彼らの追うロストロギアは、時代によっても違うが、10年前後の時間で更新される事件だった。
そして、彼らの父が殉職してから11年が過ぎた今。
いつ、再び事件が起こってもおかしくない時期に来ていた。
「準備はしてきた、調査もしてきた、訓練も積んできた。後は待つだけだ」
「……ああ」
クロノの言葉に、イオスもシャワーを止めながら頷く。
約束だ、2人の。
次で終わらせる、永遠に被害を生み出し続けるあのロストロギアを。
次で、終わらせる。
師の下で学んで力をつけ、士官になって人脈を広げ、役職を持ち局の情報中枢へアクセスする権限を得て、暇を見つけては整理されていない雑然とした局の書庫に端末を接続して……11年。
次が、最後だと決めて。
「ところで話が変わるんだが、どうも母さんはフェイトをうちに引き取るつもりらしい」
「マジで? ……俺思うんだけど、あの人って管理局入ってなかったら孤児院経営してたんじゃねぇの?」
「……否定はできないな」
その「最後」に向けて、今。
時間が、動き続ける。
◆ ◆ ◆
AAAランク嘱託魔導師への認定、それがどの程度凄い事なのか、実感は無い。
だが、新たな「テスタロッサ」の初の成果だ。
それがただ嬉しくて、胸の奥に染み渡るような喜びを感じることができる。
「――――なのはへ、と」
シャワーを浴びた後に『アースラ』の自室――重要参考人に与えるにしては設備の整った――へ戻り、フェイトが最初にしたことはビデオメールの作成だった。
相手は、なのはだ。
傍らのサイドテーブルには、逆になのはから送られてきたビデオメールが積まれている。
直接の連絡は無理だが、クロノがユーノとのラインでビデオのやり取りをしてくれているのだ。
エイミィが考えた方法らしく、イオスが「どうして俺の仕事が増えてんの!?」と憤っていたらしい。
ただそのおかげで、フェイトはなのは以外に2人の友人を得ることができそうだった。
「アリサ」と「すずか」、ビデオ越しだがなのはに紹介してもらったのだ。
「次は、穏やかな場所で会えると良いな……なのは」
以前は、母の事件の時は自分のせいでそんな時間はほとんど持てなかった。
だから今度会うときは、もっと穏やかに、話ができれば良いと思う。
先程、リンディがこっそりと教えてくれた。
今日の試験合格で、第97管理外世界行きの目処が立ったと。
皆、優しい。
そう思う、心から。
あまりにも皆が優しいので、今ある幸福が恐ろしくなってしまうくらいに。
「フェイトー! ご飯だよ、今日はエイミィがお祝いしてくれるってさーっ!」
「うん、今行くよ」
ビデオの表面に「なのはへ」と書き終わったフェイトは、ペンをしまって立ち上がった。
開いた扉の向こう側では、ご馳走のお肉を楽しみにしているらしいアルフがソワソワしながらフェイトを待ってくれている。
それに苦笑しながら、フェイトは扉の横にある明かりを消すためのスイッチに手を添えて……振り向いた。
視線の先にある机の上には、ビデオメールの他にいくつかの写真が置いてある。
なのはが送ってくれた写真や、こちらでエイミィ達と一緒に共に撮った物……そして、もう一つ。
母を引き上げた際に、局が没収した母のデバイスから抜き取った映像を写真にした物。
母プレシアと小さな金髪の女の子が笑顔で映った写真、おそらくは母の心の拠り所だったはずの物。
「……行ってきます」
そこに映っている少女は、たぶん、自分では無い。
だけど、抱えて生きて行く。
そんな少女の胸には、確かに。
確固たる自我と。
不屈の心が、芽生え始めていた。
◆ ◆ ◆
――――時間が、過ぎる。
白い少女が不屈の力を得てから、7ヵ月と言う時間が過ぎる。
2人の少女が出会った事件から、5ヵ月と言う時間が過ぎる。
流水の少年がかつての友人を討った事件から、3ヵ月と言う時間が過ぎる。
大魔導師と呼ばれた母親が娘の分身と心を通わせぬままに旅立ってから、2ヵ月と言う時間が過ぎる。
黒衣の少女が新たな自分を始めてから、1ヵ月と言う時間が過ぎる。
そして――――それ以上に、時間が過ぎる。
2人の妻が夫を失い、2人の少年が父を失った事件から――――11年間と言う時間が過ぎる。
約束を交わしたあの日から、永遠とも思える時間が過ぎて。
そして、今。
「申し訳ありません、我らが主。我らは今この時、この時だけ――――」
それは、女の声だった。
怜悧で、容赦が無く、断定的で、許可など求めない、何者にも屈しない鋭さで。
応じる吐息は、3つ。
1つは静かに、1つは穏やかに、そして1つは苛烈に。
共通項など見えない、しかし同じだ。
彼女らは同じなのだ、何故ならば。
「……我等の不義理を、お許しください」
求める物が、同じだから。
だから、今、この時この瞬間から。
時間が、今。
――――次の時間が、始まりを告げる。
最後までお付き合いただき、ありがとうございます。
閑話の4つ目、ここで終了です。
時系列的には少し話が飛んで、次回から本格的にA's編に入ることになります。
次回は、プロローグというか導入部分を描写することになるかと思います。
プレシアさんとフェイトさんの和解、そういう選択肢にも心惹かれましたが。
今回では、そういう選択はしませんでした。
いつか、別の形で成立させられたらと思います。