ギイィ……と古びた木造りの扉が軋みながら開き、廊下側の明かりを暗い室内に漏らす。
ふよふよと浮かんで見えるのは、手で持った燭台の上で揺れる蝋燭の火だ。
それが2つ、暗い室内を照らしながら入ってくる。
それらの淡い光は何かを探すように揺らいだ後、部屋に唯一置かれているシングルベッドへと動く。
手彫りで彫られた枠の上に乗せられた毛布は盛り上がっており、誰かが寝ているのがわかる。
2つの明かりは、両側から挟むようにベッドに寄り……頷くように、縦に揺れた。
ぞぶり。
続くようにぞぶ、ぞぶ、と膨らんだ毛布に鋭い何かが突き刺さる音が響く。
蝋燭の明かりに照らされたそれは、草刈り用の鎌と肉を捌くための大きな鉈のようだった。
しかし突き刺したにも関わらず、そこには肉も血も付着していなかった。
困惑するように、蝋燭の火が横に揺れる。
ギチギチと不気味な音を建てるそれが蝋燭の火に照らされて、まさに明るみに出る。
どこか人形じみた動きをするそれは、人間のようでまるで人間では無い。
まるで、機械のような動きをする人間だった。
◆ ◆ ◆
(やべー、リアルに寝たフリしてたら死んでたなコレ)
本来ならそこに寝ていたはずの人間、イオスはその様子を向かい側の家屋の屋根から窺っていた。
窓の向こう側では蝋燭の火が不気味に揺れ続けており、自分を探しているのがわかる。
2階建の建物であることも幸いして、普通の民家の屋根からでも様子を探れる。
その身はすでに空色のバリアジャケットに包まれている、『テミス』の鎖を張ってこちらの屋根に飛び移ったのだが……己の勘の正しさを、イオスは確信した。
どう言うわけかは知らないがあの宿には他に人間がいて、しかも自分を狙ってきた。
さて、どう言うことかと考え込んだ矢先……。
「あれー? お兄さん、何してるんですかそんなとこでー!」
その時、眼下から突然、声をかけられた。
驚いて下を見れば、そこにはあの子供がいた。
買い物籠のような物を手に提げて、屋根の上にいるイオスを見上げて声を上げている。
頬が引き攣るのを感じた瞬間、イオスの泊まるはずだった部屋の窓の周辺の壁が吹き飛んだ。
「え――――」
子供の驚く声と、イオスが動くのは同時だった。
旅館の窓から通りへと飛び下りて来たのは、何と言うか……気味の悪い存在だった。
姿は間違いなく人間だ、しかし人間と言うには、どこか不気味だ。
<Chain impulse>
『テミス』の音声が響き、両腕の鎖が動く。
子供の傍に降り立ったイオスを取り巻くように回転し、鎖の腹で落ちて来た2人の人間を叩き飛ばす。
鎖による打撃、弾かれた2人の人間は旅館の壁と地面にそれぞれ叩きつけられた。
「え、え……」
呆然とした子供の声に舌打ちする、しかし同時に息を呑む……打ち倒した相手が、局員服を着ていたのだ。
だがどうも、普通の状態では無い。
何しろ、ゴキメキと関節をあり得ない方向に曲げながら立ち上がるのだから。
イメージとしては、糸で操られるマリオネットのような動きだ。
その時、旅館の扉が開いた。
そこにいたのは、赤く熱せられた鉄板を素手で掴む子供の母親らしき女性。
何事かと思えば、イオスを見るなり鉄板を振り上げて襲いかかってきたのだ。
前を向けば、先ほど吹き飛ばした2人も異常な様子で立ち上がっており……。
「「「イ……イイイイイイイイィィィィィッッ!!」」」
反射的に子供の胴を片手で抱え、もう片方の手で鎖を飛ばす。
ぐっ……と鎖を引けば、離れた位置の家屋に刺さった鎖を追うような形で跳ぶ。
不気味な動きをする3人から離れ……しかし、事態は悪化する。
「……どこのB級ホラーだってんだ」
もはやチェスターのことを気にしていられる余裕も無い、何故ならば他の家屋からも同じような状態の人間達が出て来たのだから。
局員服を着ている以上局員のはずだが、それこそ「B級ホラー」な状態だ。
「おいおいおい……」
まさか村その物が異常事態になっているわけじゃあるまいな、などと思いながらイオスは走った。
電灯も無い場所を、バリアジャケット姿で駆けながら思う。
(罠くせぇ……)
何しろ、イオスが向かっている先には誰の姿もないのだ。
普通、これは罠だと思うだろう。
とはいえ、他に逃げる道も無い。
しばらく駆けた後、狭い路地に入って座り込んだ。
「くっそ……てかお前、何でこんな時間にあそこにいたんだよ」
「お、おつかいを頼まれて……」
「……あ、そう」
普通な理由に呆れつつも、イオスは腕に巻かれた鎖を確認した。
背後から近付く足音、万が一に備えて迎撃の準備をする。
そして、いよいよ足音が近付いてきた瞬間……。
誰かに、その腕を掴まれた。
反射的に、呼吸を止める。
いつの間に、と言う思考には意味が無い。
すぐに反撃、と言う考えもすぐに停止する。
何故なら。
「……お、お前は……!」
「話は後だよ、とにかく今はデバイスを解除して」
「何でお前がここに……」
そこにいたのは、数年会って無いとは言え……忘れるはずも無い。
明かりが無いので全体はわからないが、家屋の明かりの漏れで辛うじて顔は判別できる。
4年前まで、士官学校で毎日会っていた同期生。
「……あの人達は、デバイスを見ると凶暴化するんだ」
「――――アベル!?」
アベル・マナット二等陸尉が、大柄な身体を丸めるようにしてそこにいた。
◆ ◆ ◆
イオスがデバイスを解除――バリアジャケットも含めて――すると、本当に後ろから響く足音が遠ざかって行った。
デバイスに反応すると言うのは理解できないが、とりあえずそう言う物なのだと納得することにする。
「アベル、お前……」
「うん、久しぶりだね。イオス君」
2メートルに達しようかと言う巨漢、アベル・マナットは4年前と変わらない柔らかな笑みを浮かべていた。
イオスの士官学校同期生の中でも、最も温厚な存在が彼だった。
学生時代にはその性格が災いして、良く模擬戦で罠に嵌まっていた。
「救難信号を出したのは確かだけど……まさか、本局のイオス君が来てくれるとは思わなかったな」
「まぁな。でもお前、無事なら無事でどうしてもっと早く連絡してこなかったんだよ」
「気付かなかった? この村の周囲にジャミングがかかってて、外部と連絡が取れないんだ」
「ジャミングぅ?」
ここは文化保護区だ、デバイスの通信を阻害するような機器は無いはずだ。
少なくとも、正規の手段では手に入れることができない。
つまりそれだけで、少なくとも誰かが外部から密輸したのだと言う違法性を見ることが出来る。
「……っと」
耳元でブゥン、と虫が飛ぶので身を逸らす。
何となく奇妙な匂いもするが、もしかしてここはゴミ捨て場だったのだろうか。
まぁ、気を取り直して。
「ここに来たってことは、イオス君も噂は聞いてるよね? 死人が動くって噂」
「ああ」
「それなんだけど、山の中腹に違法研究所があることがわかったんだ。僕の分隊の皆や村の人達は、そこに捕まってる。増援を待って救援に行くつもりだったんだけど……」
「悪かったよ、逆に助けられて」
クサったようにそう言えば、アベルはクスクスとおかしそうに笑う。
それはまさにイオスが知っている同期生の姿であって、自然と身体の力も抜けて来る。
まぁ、しかし今はまだ任務の最中だ。
「……で、違法研究所ってのは?」
「不老不死の研究をしてるとか」
「そらまた、ベッタベタな研究してるなおい。パトロンは誰だかな」
不老不死、それこそ使い古されたネタだ。
大方、行方不明者はそのための人体実験材料なのだろう。
ただ、それなら村の人々が普通に生活しているのはどう言うことか?
「それについては、僕にもまだわからない。情報が少なくて……今夜、救出ついでに調べようかと思っていたんだ」
「今夜?」
「うん、『出荷』が今日らしいんだ」
出荷、それはまたあからさまな表現だとイオスは思った。
いずれにしても、それならば急がなければならない。
しかし、である。
イオスが顔を下げれば、そこには地面に座り込んで首を傾げている子供が1人。
可愛らしくはあるが、この場合はプラスにはならない。
何しろ、結構な荷物になる可能性が高かった。
「置いて行くのは危険だよ」
「わかってる……おいお前、頼むから大人しくしててくれよ?」
「良くわかんないけど……お兄さん達についていけば良いの?」
ああ、と頷くと子供も笑顔で頷いた。
随分と聞きわけが良い事に違和感を感じつつも、置いてもいけないので気にしないことにする。
何しろ、村の人間がどうなっているのかわからないのだから……。
◆ ◆ ◆
山の中腹に至るには、なかなか苦労した。
何しろ月も星も出ていない曇りの夜だ、明かり無しで山に入るのは厳しい。
少なくとも、イオスはそう思っていた。
「……アベル、お前すげーな」
「そう? 地上部隊勤務だと割と皆できるよ?」
「マジか……」
地上部隊所属のアベルにとって、地上での活動は基本だ。
士官学校出で地上勤務をする者は本当に珍しいので、重宝されているのかもしれない。
階級は同じでも、ここではプロとアマほどの差があるようだ。
「……おっと」
「どうしたの?」
「いや、気にすんな」
前から飛んできた羽虫を手で払いつつ、イオスは聞く。
「それにしても、アベルの故郷がここだったとはなー」
「あ、言って無かった?」
「おう」
などと会話しつつも、イオスは周囲を警戒するように見回す。
……まぁ、見えないわけだが。
魔法を使用したい所だが、アベルによれば研究所が近いので魔力反応で見つかる可能性があるのだと言う。
となれば、頼りは自分の足と感覚だけだ。
ただイオスはたまに生えている樹木に衝突したりしていて、そのせいか連れて来た子供はアベルが背負っている。
かなりの上背があるアベルなので、今や子供の頭もイオスより上の位置にある。
「しかし、不老不死か」
アベルに聞いた違法研究所の研究内容を思いながら、イオスは呟く。
人間と言うのはどうして、そんな非現実的なことに熱を上げるのだろうかと。
ただ失敗するならまだいいが、多くの場合はいらない副産物を生み出すのだ。
結果、このように自分の仕事が増えることになる。
「ああ、ところでアベル」
「何だい?」
ふと気になることがあって、イオスは聞いた。
月も星も見えない空を、山の木々の間から見つめながら。
「違法研究所の情報ってさ、やっぱ地上本部から聞いた感じなのか?」
情報源、アベルは完全ではないにしろ違法研究所の情報を持っていた。
それは彼が救難信号を出してからの数日間で集めたとも思えない、ならば事前の情報で得たことになるはずだ。
しかしそれ程の研究所なら、もっと大規模な部隊が送られてもいいはずでは無いか。
もし仮に、送られないのであれば……人員不足以外に、理由があるとすれば。
それだけの情報を、得ていなかったと言う可能性。
そうなると逆に、アベルの情報源がどこかと言う話に戻るわけで。
「おい、アベ……」
不意に、言葉が止まる。
その理由は、子供を背負うアベルの後ろ姿に違和感を感じたからだ。
「……アベル、ちょっと」
「何?」
「いや、ちょっとこっち見てくれるか? 悪いけど」
「何で?」
「良いから」
立ち止まって呼べば、不思議そうにしながらも大柄の青年はイオスに正面を見せてくれる。
普通に振り向き、普通に向き合った。
アベルが来ているのは地上部隊用の局員服だ、しかし……不意に、空の雲が切れて月明かりが漏れる。
木々の間から漏れるそれが、イオス達を照らして。
アベルの局員服の前部分、そこが何かの液体でべったりと濡れているのがわかる。
局員服を湿らせていただろうそれは、今ではカサカサに乾いているようだ。
血だ。
乾いた血、それも染みの大きさからかなりの量の血が流れていたことがわかる。
「……アベル、お前それどうし」
たんだ、という言葉は続かない。
何故なら、バリアジャケットで保護されていない身体に重い衝撃が走ったからだ。
後頭部を打たれた、そう気付いた時には意識が切れている。
(やべぇ、ちょ……)
思考が途切れ、闇に飲まれる。
◆ ◆ ◆
「……遅いな」
次元航行艦『アースラ』、その執務室でクロノは唸っていた。
理由は、第11管理世界に調査に行ったはずのイオスから定期連絡が来ないことだ。
昨日までは問題なく連絡も来ていたのに、件の村に入った途端にこれだ。
これでは、何かあったと考えるしかない。
イオスは不真面目な男だが、仕事に対しては手を抜かない男だ。
つまり、最悪の場合には動きが取れない、最低でも連絡が取れないような状況下にあると言うことだろう。
「……現地の地上部隊に救援要請を出すべきか……?」
本局の人間として陸に助けを求めるのは褒められた行為ではないが、そのためにイオスを見捨てるようなこともできない。
何かしなければならない。
そう思い、先ほど本局に問い合わせて第11管理世界の地上部隊の動向について調査した。
地上には知己もいる、そのツテを頼って教えてもらうと……。
「……陸士1127部隊の小隊が1つ、4日前から戻っていない?」
そしてその結果をディスプレイ上に認めて、クロノは眉を顰める。
この小隊の動きは、クロノがイオスに現地調査を依頼した段階では存在しなかった情報だ。
つまり秘匿されていた情報と言うことであって、クロノはそこにまた違和感を感じる。
言ってしまえば、キナ臭いのだ。
「クロノ君!」
どうするか、とクロノが考え込み始めた矢先、彼の執務室に駆けこんでくる人間がいた。
癖っ毛がチャームポイントの彼の同期、エイミィだ。
彼女は血相を変えて飛び込んで来ていて、クロノは面喰ってしまった。
「な、何だ……どうしたんだ、何かあったのか?」
「う、うん、実はね……」
そのまま近寄って来て耳元に口を寄せられ、何故かドギマギする気分になるクロノ。
しかしそれも、エイミィが告げた言葉に消えてなくなる。
眉を顰めるのを止めようともせず、彼はエイミィを見返すと。
「……本当か?」
「うん、今連絡があって……」
エイミィの表情は、どこか悲しげだった。
話の内容は彼女自身には直接は関係しない、しかし彼女はまるで自分のことのように感じていた。
それだけ、関わっていたからだろう。
「……プレシアさんが……」
続く言葉に、クロノは深い溜息を吐く。
いや、想像はしていたはずだった、だが……。
本当に、世界はこんなはずじゃないことばかりだと思いながら。
◆ ◆ ◆
本当に、世界はこんなはずじゃないことばっかりだ。
そんな幼馴染のセリフを真似したくなる程に、イオスの現状は最悪だった。
具体的には、どこぞの地下の空間に監禁されていのだから。
ズキズキと痛む頭をあえて無視して、無意味に適温に保たれている空間を見つめる。
そこはどことなく湿っぽく、天井を見れば鎖が揺れている。
もちろん『テミス』の鎖では無く、普通の鎖だ、拘束用とも言う。
それにうんざりした表情を浮かべて見せた後、イオスはぐるりと視界を巡らせた。
無数の木の棚と、僅かに残った樽の一部のような木材。
「……酒の醸造所みてぇ」
「みたいじゃなくて、ワインセラーだったんだよ実際」
その時、聞き覚えのある声が響いた。
閉ざされた空間なのか、やけに反響して聞こえた。
顔を横に向ければ、やはり見覚えのある顔が。
「半年くらい前まではちゃんと機能してたんだけど、僕が来てからは開店休業中。ちなみにこのセラーの持ち主は僕のお人形になってるから、土地代徴収に来る役人以外はこんな温泉からも外れた山奥には来ないんじゃないかなぁ」
「……やぁっぱ、お前か」
「あれ、バレてたの?」
「たりめーだろ。いや、最初はわかんなかったんだが……」
じとっとした視線を向けて、イオスはその人物に向けて言葉を放った。
「普通、あんな都合良く要所要所で出くわしたりしないんだよ」
「あれ、そう? 娯楽小説じゃ良くあることじゃない」
――――子供だ、旅館にいた黒髪の子供。
今にして思えば、違和感だらけの旅ではあった。
事件を気にしない村人、顔の見えない旅館の人間、都合良く登場する子供。
そして、何よりも。
「……アベル」
痛みを吐き出すかのような声の先に、かつての同期生の姿があった。
朱に塗れた地上部隊員の局員服は痛々しく、しかも……身体の周囲に、無数の羽虫が飛んでいる。
すでに2日以上前に死亡していたのだろう、明らかに腐敗していた。
(村で会った時からの虫と匂いは、アレが原因か)
ただ、死んでいるだろうに身体は動いている。
会話もしていた、いや、この場合は「させられていた」というのが正しいかもしれない。
ギシ、ギシ……と、歯車が噛み合うような音がするのは、気のせいだろうか。
変わり果てた同期生の横に立つ10歳前後の子供、にしか見えない誰かを睨む。
「お前、何だ?」
「何だとは酷いなぁ、これでも人間だよ? れっきとしたね」
子供らしい、とは程遠い醜悪な笑顔を浮かべながら子供が言う。
「ただまぁ、普通の生まれ方はしてないと言うか。いや実際、この近くに違法研究所はあるんだよ? でも気が付いたら誰もいない上に施設が廃棄されててさ、あ、僕そこから出て来たんだけど――」
頭はあまり良くないのか、説明が極めて下手だった。
ただどうも、この子供が何らかの違法研究の産物だと言うことはわかった。
しかも、廃棄されたはずの計画の産物。
その時、セラーの奥……イオスらがいる場所から、いくつかの棚を隔てた先から男の悲鳴が響くのが聞こえた。
それにもイオスは聞き覚えがある、まるで身体の中身を無理矢理開かれているかのような絶叫の主は、イオスと共に村に来た地上部隊の局員の声だ、それもこれは……断末魔の類だ。
「……趣味悪いな」
「そう? でも仕方無いじゃない、他に仲間の造り方を知らないんだよ」
「仲間……?」
理解できない単語だ、しかしその間も悲鳴は断続的に響いている。
同時に肉が潰れるような嫌な音や、一方で肉が焼ける独特の匂いも漏れて来る。
しかも、バチバチとスパークのような音も聞こえて来て……。
「あーあ、失敗か」
つまらなそうに呟く子供の視線を追えば、そこには別の人間がいた。
いや、人間では無い。
言うなれば、人間だった「なにか」が人間だった「もの」を引き摺っているのだ。
局員服らしき物を着た男――服はボロボロで、朱に塗れて……しかも所々、歯車やネジのような物体が肉や肌を突き破って動いているのが見える――が、肉の塊を引き摺っている。
手足ば4本とも無く、腹からネジだらけの腸が垂れているが……顔は見えた。
……チェスター、だった何かだ。
「ああやって、人の身体に機械の部品を埋めるんだ。そうすると、普通の人間よりもずっとずっと強い生命体を造れるんだ。僕の仲間を」
「はぁん、じゃお前も機械か?」
「まぁね」
事もなげに言う子供、機械と言う割には随分と表情が豊かだ。
「半分くらいはアレで死んじゃうんだよね、前は少しずつ村の人を攫って試してたんだけど。前にたくさん人がやって来た時はサンプルが増えて助かったな。でも成功しても結局は死んでるから、僕の言うことを聞く人形みたいになっちゃうんだよね」
こんな風に、と子供が手を振ると傍らのアベルだったものが動く。
その手に握られているカードは、イオスのデバイス・カードだ。
「……村の人達は、お前のこと知ってるのか?」
「知ってると思うよ? これだけ派手にやってればね。ただまぁ、僕は仲間を増やすための実験がしたかっただけだから……この、局員? って人達がそうなってくれている内は別にどうも」
この時、イオスにわかったことが2つある。
1つには、村人達の事件への無関心ぶりだ。
言うなれば消極的な協力体制にあったわけだ、調査に来る局員を人身御供にこの子供から村を守っていた。
最初の数人のことには目を瞑り、今はひたすら保身に走ると。
そしてもう1つは、イオスもまた局員であると言うことだ。
要するに、このままでは実験材料となってしまうわけだが。
さて、外の時間もわからないこの状況では……。
「キミは、僕の仲間になってくれるのかな」
「なるわけねーだろ、タコ」
ジャラリ、手首に巻かれた鎖の感触に眉を顰めながら告げる。
鎖で巻かれると言うのは、思いのほか不快なんだなと思いながら。
「お前の理屈はわかったよ、仲間が欲しいんだって? 可哀想にな、だがお前は仲間を欲しがる純粋な子供なんかじゃねぇよ。ただの犯罪者に……っ!?」
言葉が途切れる、原因は腹部に突き刺さったアベルの拳だった。
今や子供の言いなりの人形に過ぎないアベルの大きな拳が、深々と突き刺さっている。
胃液を吐きそうな程の衝撃を覚えるが、口の中に唾を溜めつつイオスは笑う。
「良いパンチしてるじゃねぇか、この野郎……!」
腐敗を始めた濁った友人の目を睨みながら、イオスがそう言った次の瞬間。
セラー全体が揺れる程の爆発が、意外なほど近くで起こった。
◆ ◆ ◆
「動くな! 時空管理局だ!」
「抵抗するな、抵抗すれば攻撃する!」
耳に響くのはマニュアル通りのセリフだ、そしてその声はそう遠くないセラーのどこかから響いている。
おそらく、反対側。
そしてその声に反応してか、目前のアベルの目がそちらへと動く。
ただの反射だろうが、それがイオスにとっては必要な時間を作ることになる。
鎖に巻かれた手の指を2本重ねて、指先に流水を収束して放つ。
バリアジャケットに保護されていないので、下手を打てば手首が吹き飛ぶ。
しかし幸い、魔力変換による水の針は手首を傷つけつつも鎖を切り落とした。
「……い、よっとぉ!」
そのまま肩からアベルの身体にぶつかる、ヨロめきながらの行動だが成功する。
その拍子にアベルの指の間から離れたデバイスが、目の前で舞う。
「『テミス』、セットアップ!」
<Setup,stand by>
カードが輝き、次の瞬間にはイオスの身体がバリアジャケットに覆われる。
そして自分を見下ろすアベルの目つきが変化したのを、イオスは感じた。
凶暴化、その発現だろうか……だが、再会した時にその兆候は無かった。
原因として、あの子供が抑えていたと言うのが正解だろう。
しかしだ、イオスは一瞬だけ想像する。
もしこの半機械と化した身体に――事実、肩で押した先で鉄板のような感触がある――アベルとしての意識と魂が、あるのだとしたら?
それが、同期たるイオスを僅かに守っていたのだとしたら?
少しだけ、そんなイメージを持つ。
そして、イオスと言う少年は。
<Spear ray>
そうした「現実で無いモノ」を、拒絶する位置にいる。
アベルは死んだ、もういない。
そう判断し、実行し、そして完遂する。
ドンッ……と鈍い音を立てて、もはやバリアジャケットの加護が無いアベルの巨体の脇腹に穴が開く。
飛び散るのは血肉では無く歯車とネジ、そしてドロリとした赤色の液体。
仰向けに倒れるかつての友を見ながら、イオスは思う。
「……あばよ、アベル」
局員になった時から、局員服は死装束と思え。
一番最初に訓練校の教官に習う内容だ、イオスがアベルの立場でも同じことを思うだろうし。
何より、すでに死んでいる人間が何かを思うなどあり得ない。
あるとすれば、友人の死体に鞭打つ罪悪感だけだ。
『僕の故郷、田舎だから。常勤とか少なくて大変なんだ、そう言うのを少しでも無くしたいと思う』
かつて士官学校でアベルが言った言葉が、頭の中を回る。
するとその時、倒れる直前のアベルが――――笑ったような気がして。
そんなあり得ない空想に、イオスは微妙な笑顔を浮かべた。
アベルだった何かを殺すのが、他の連中で無くて良かった……そう、思いながら。
アベルの巨体が倒れた時、あの子供は姿を消していた。
追おうかと思ったが、不意に膝が笑って崩れ落ちそうになった。
どうやら、肉体的なダメージが残っているらしい。
(……本当、良いパンチだよ。アベル)
その時、イオスに比較的近い棚が吹き飛んだ。
それに備えようと身体を固めると、吹き飛んだ木屑と共に飛び込んでくる長身の女性と向き合う形になる。
ただその女性は、どうやられっきとした人間のようで。
紫がかった長髪をポニーテールに束ね、身体のラインが浮き出るようなスーツタイプのバリアジャケットに身を包んだ女性だ。
瞳に強い輝きを宿した妙齢の女性は、イオスの姿を見つけるなり。
「時空管理局陸士1127隊所属、捜査官のクイント・ナカジマです! 抵抗すれば……抜きます」
「何をっスか……」
疲れたようにその場に座り込んで、イオスはそうツっこんだ。
本当に疲れる事件だ、肉体的にも……そして、精神的にも。
苛立たしげに頭を掻いて、イオスは深々と溜息を吐いた。
◆ ◆ ◆
生まれた時、彼は自分が普通だと思った。
だが他の人間の身体を開いてみると、自分とまるで違う構造になっていることに気付いた。
だから、仲間が欲しいと思った。
「まぁ、いつかはダメになると思ってたけどね……」
常人を超える身体能力でもって山を駆け上がりながら、名前の無い黒髪の子供が呟く。
結局、自分の知識では自分と同じ仲間は産み出せなかった。
機械の部品を生身に詰め込めば良いと言う物では無いらしい、自分は科学者では無いのでわからない。
ただ自分の仕事が雑であることは理解していたので、いつか物量に負けて追いだされるとは思っていた。
魔導師に対する実験は、ある程度はやって満足した。
普通の人間の身体は理解した、今度はそれを機械の方でやってみればいいのだ。
「そしていつか、お友達が出来ると良いな」
自分と同じ存在に、いつか出会いたい。
そんな想いを抱いていれば、いつかは成功するのでは無いかと――――。
『いやぁ、そんなことをされると少々困るのでねぇ』
陸士部隊に制圧されたらしいセラーを見下ろせる位置に立った時、突然、どこからともなく声が響き渡った。
困惑する、何故ならその声は……自分の内から響いたような気がしたからだ。
だがそれは、気のせいに過ぎない。
声は子供自身の体内に埋め込まれた通信機から――今まで誰も使用したことが無い――響くのであり、それを理解できずに困惑しただけだ。
そして不意に、両眼の視界が砂嵐のように乱れる。
「――――ッ!?」
口から漏れるのは言語では無く、プログラムのような電子音だ。
しかし、悲鳴には違いない。
何故なら、子供にはもはや見えていないが……。
その薄い胸には、まるでサソリの尻尾の針のような刃が突き出ていた。
血に似た液体が付着し、同時に機械のようなスパークが走っている。
それだけで、子供の身体の「機能」は停止してしまうのだ。
『ふむ、試作品にしてはステルス性能は確かなようだ。良い実験材料にはなったが……後始末も出来ないクライアントを持つと大変だよ』
徐々に遠ざかる声、しかし視界に通信が繋がったかのような画像が入る。
そして、子供は最期に確かに見た。
視界に映る画像の端、確かに翻る白衣と――――闇の中で、細く笑みの形に歪む金色の瞳を。
そして今度こそ、それで最期だった。
一つの事件を巻き起こし、多くの運命を悪戯に弄んだ実行犯の子供は――――。
……永遠に、失われた。
◆ ◆ ◆
ぼんやりとした表情で、イオスはセラーの外の岩場に腰かけていた。
バリアジャケットもすでに解除し、泥と血で汚れた局員服を外気に晒している状態だ。
そして彼の前には、白い布でくるまれた人間大の物が複数置かれている。
少なくともその中の2つの中身は、イオスとは無関係ではあり得ない。
「……大丈夫?」
そんな彼に、声をかけて来る女性がいる。
その女性はイオスの前に膝をつくと、彼の前の布の上の部分を撫でた。
まるで、誰かの頭を撫でるように。
「大丈夫?」
「いや、2回も言わなくたって聞こえてますよ」
苦笑して、イオスは紫がかった髪の女性……クイントに、そう応じる。
自分よりも年上の女性との会話は、仕事柄慣れている。
「顔色、悪いわよ」
「そうですか? まぁ、知らない仲でも無かったですしね」
知らない仲、などという言葉では計れない。
士官学校で3年間の苦労を共有してきた相手だ、自分とクロノのグループでは最も温厚で鈍く、成績も一番下だった青年だ。
友人だった、少なくともそう思っていた。
「俺が相手にしたのは、所詮はコイツの死体だったわけですし」
それは一種の、防衛心理だったのかもしれない。
しかし現実ではある、胸の中の軋みは時間と共に増して行く。
仕事仲間が自分の横で死ぬような任務など、過去に何件も起こっていると言うのに。
「……それにしても、随分と良いタイミングで来てくれましたね」
だからなのか、イオスは顔を上げて話題を変えた。
その視線の向こうでは、朝食の竈の煙とは別の煙を拭き上げているクルヤ村の様子が一望できる。
陸士部隊が証拠を確保し、村を制圧し……改造人形をも、破壊しているのだ。
しかし実際、クイント達の部隊が突入してくるタイミングは絶妙だった。
都合がよすぎると言っても言い、そんなタイミングだ。
「もともと、この村の周辺に何かがあるのはわかっていたから」
クイントの説明する所では、イオスが来る前から自分達は村の周囲に潜んでいたのだと言う。
彼女らの仲間、つまりアベルの分隊が残した発信器で村が黒だと断定。
しかし違法研究を行っている拠点がわからず、近隣を虱潰しに探していた所で海からの干渉――この場合、イオスだ――があったので、悪く言えばそれを利用させてもらったのだと言う。
利用ね、イオスはそれに皮肉げな笑みを浮かべる。
要するに囮だ、しかし結果としてアジトを突き止めて急襲できたわけだ。
まぁ、分散した部隊を再編成する時間分ロスがあり、1人犠牲者が増えたわけだが。
「……ごめんなさいね、もう少し早く行けたら」
「ああ、いやいや……アベルはともかく、チャスターさんに関してはそちらのお仲間でしょう? なら、謝る必要なんて何もないですよ」
犯人と思しき子供は今も捜索中だが、じきに捕縛されるだろうと思う。
そう言う意味では、もうこれ以上は犠牲者は出ない。
そんなことを考えているイオスを、しかしクイントはやはり気遣わしげな目で見ている。
「大丈夫ですよ、これでも4年目なんで……」
今さら、仲間が1人失われたくらいで感情を乱したりはしない。
クロノだってそうだろう、黙って耐えて次に活かそうとするはずだ。
なのはやフェイトなら、また違った反応をするだろうが。
そもそも、自分は誰かを失って感情の高ぶりを得たことがあまり無い。
最後に泣いたのは10年前だろうか、記憶に在る限りは。
それ以降は、悲しんだことはあっても涙を流した記憶が無い。
それが良い事なのか、悪い事なのかの判断は自分ではつかない。
考え込む様な沈黙に、クイントが別の話題を振る。
「あー、それにしても異動前に随分と重い事件に関わっちゃったわね……」
「異動? どちらへ?」
「首都防衛隊よ、前から希望は出してたんだけど。知り合いに引っ張って貰う形で入隊できてね」
「それは……おめでとうございます」
首都防衛隊と言えば、地上部隊の中でも花形だ。
そう言う意味ではこのクイントと言う女性、なかなかの人材だとわかる。
とその時、『テミス』が秘匿の通信を受信した。
その相手の名前を確認した後、イオスはクイントに断りを入れて少し離れた。
「……あー、クロノ?」
『イオスか? 陸士1127部隊経由で連絡を受けたが……大丈夫か?』
「遅ぇよ。結局来ないし……」
『すまん、別件が急に出てな……』
通信画面に出て来たクロノは、どこか疲れているように見えた。
それを不思議に思うイオスだが、話を聞く前から気にしても仕方が無い。
「えっと、報告諸々、あとお前に言っておかねぇといけない話もあんだけど」
『……ああ、僕の方にもある』
「うん?」
言いにくいことなのか、クロノが顔を微かに顰めていることに気付くイオス。
どうやら悪い話のようだ、いや、イオスの話も随分と悪い話ではあるが。
「……まぁ、先に聞いとくよ。何だよ」
『ああ……』
クロノは、何やら話しにくそうにしている。
しかししばらくして、やはり話しておく必要があると判断したのか口を開く。
そして……。
『フェイトの母親が…………プレシア・テスタロッサが、亡くなった』
……やはり世界は、こんなはずじゃないことばかりだ。
過去に何度も思った現実を、イオスは改めて感じて。
天を仰ぐように、目を閉じて上を向いた。
閑話3つ目です、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
こういう系統の話は、独特のテンションで書いてしまいますね。
はたして、なのはの世界観に無理なく溶け込めているのかどうか。
ある意味、イオスを中心にした初のストーリーだったかもしれませんね。
今後はイオス視点を増やしていきたいところですが、そのためには精進が必要ですね。
次回は予定では最後の閑話です、フェイトさん関連の話になるかも?
では、失礼致します。