魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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注意です、オリジナル展開が若干入ります。
苦手な方は、ご注意ください。


第11話:「虚空の彼方へ」

 

「はい、じっとしてくださいねー」

「いっつつつ……!」

 

 

 バリアジャケットも解除して、局員服の上着を脱いだ状態でイオスが顔を顰める。

 身体には白い包帯が巻かれていて、微かに赤い染みがついているようにも見える。

 イオスは艦の医務官補助(ナース)の女性に腕を掴まれて、回復魔法(ヒーリング)による治療を受けている所だった。

 

 

「筋組織などに損壊は見られないので、怪我自体はすぐに回復できます。ただ無理は禁物ですし、魔力も回復はしません」

「なるほど……」

 

 

 プレシアに受けたダメージは見た目こそ派手だが、実際は表面上の物がほとんどだった。

 医務官の女性の言葉に頷きつつ、回復を確かめるようにベットの上で右腕の拳を開いて握って……。

 

 

「フェイト!」

「お? ……げ」

 

 

 その時、病室の扉が開いて赤髪の女性が飛び込んできた。

 視界の隅に犬の尻尾を認めて、イオスは表情を引き攣らせる。

 そしてその女性は、イオスの予想通りの相手だった。

 手足、そして首の拘束こそ変わっていないが……アルフだった。

 

 

 アルフは病室に入ると泣きそうな顔になって、駆け出した。

 イオス――――ではなく、フェイトの所に。

 この病室には2つのベットがあり、扉から遠い方のベッドをフェイトが使っていた。

 使っていると言うより、隅に座っているだけだったが。

 

 

「……で、では、私はこれで。ああ、それと……これ、艦長からです」

「あ、ちょ……えぇ~」

 

 

 仕事は終わったとばかりに去っていく医務官の女性に治ったばかりの手を伸ばすも、その手に何かを押し付けて彼女は去って行った。

 別にドラマ的な要素など無い、普通に逃げられただけである。

 

 

 諦めてフェイトを見れば目は焦点が合ってなく、俯いているその姿はいつもより小さく見える。

 衰弱と憔悴、そして何よりも精神的な衝撃によって……元気が無い、と言うレベルを遥かに超えているような状態だった。

 そんなフェイトに、アルフが縋りついている。

 

 

(……ここにあの使い魔がいるってことは……)

 

 

 何となく閉ざされた扉を見つめて見るが、そこには誰の気配も感じることができない。

 そして、考える。

 牢に縛られていたはずのアルフが、ここでフェイトの傍にいると言うこと。

 

 

 その意味を考えると、イオスは頭が痛くなるのだった。

 そして、去り際の医務官から押し付けられた物。

 

 

(負傷しても役割を振るとか、えげつないよリンディさん……)

 

 

 義理の母とも言うべき女性の思考を読めてしまう自分が、何だか憎らしい。

 イオスはそう思って、天井を見上げた。

 自分を置いて、『時の庭園』へと出撃して行ったクロノ達のことを考える。

 ……自分も、できればあっちが良かったと。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 こんなものか、砲撃魔法を撃ち放った後にクロノはそう思った。

 手には彼専用のストレージデバイス『S2U』があり、砲撃直後のため熱を発している。

 彼の前には機械の人形のような姿をした物が無残な姿を晒しており、クロノの攻撃の威力を示していた。

 

 

「クロノ君、凄いね!」

「大したことはない」

 

 

 なのはの歓声に苦笑して答えながら、クロノは目の前の『時の庭園』の通路を見つめた。

 そこにはプレシアがこちらの足止めのために放った傀儡兵が溢れており、クロノの砲撃の後も複数の傀儡兵が蠢いているのが見える。

 そして、通路の至る所に見える暗く深い穴も……。

 

 

「なのは、ユーノ、良いか。何があってもあの穴には落ちるんじゃないぞ、あれは虚数空間だ」

「虚数……空間? ユーノ君、知ってる?」

「魔法が使えなくなる重力空間なんだ。ええと、ブラックホールみたいな物、かな」

 

 

 イオスら武装隊を撤退させた直後、プレシアは『ジュエルシード』10個を発動させた。

 その膨大な力で持って虚数空間を開いて道を作り、この『時の庭園』ごとどこかへと飛ぼうとしている。

 ただその過程で――現在進行形で――次元震が起こり、このまま進めば複数の次元世界を巻き込む次元断層に発展する可能性があった。

 

 

 止めなくてはならない、それがクロノに課せられた義務だった。

 イオスはプレシアが重い病だと言っていた、そこに付け込まない手はない。

 優先すべきは、次元断層の阻止。

 

 

「エイミィ」

『はい、クロノ君。サーチ完了してるよ』

 

 

 エイミィから送られてきた『時の庭園』のデータを基に、クロノは策を練る。

 

 

『クロノ君、リンディ艦長がそっちに向かったよ。庭園内でディストーションシールドを展開して、次元震の進行を抑えるつもりみたい』

「……了解した。なのは、ユーノ」

 

 

 指揮官が前線に立つ時点で負け戦だな、そんなことを考えながらクロノは決断する。

 リンディ自らが現場に出て来てまで稼いでくれた時間、それを最大限に利用させてもらう。

 

 

「キミ達は最上階の駆動炉を封印してくれないか、駆動炉を何とかすれば出力不足で次元断層は起きなくなる」

「クロノ君は?」

「僕はプレシア・テスタロッサの逮捕に行くさ、執務官の仕事だからね」

 

 

 正直、なのはは迷った。

 自分がプレシアとの対峙にどれだけ役に立つかと言うよりも、プレシアに対して言いたいことがあるような気がしたからだ。

 艦に残してきたフェイトのことが脳裏に浮かび、何か言いたかった。

 ただ、何を言えばいいのかがわからない。

 

 

「お互いの手持ちの魔法を考えると、そうするのが一番効率が良い」

「で、でも」

「議論の時間は無い、ほら、敵は待ってくれないからね」

 

 

 クロノとなのはの会話が終わるのを待ってくれるほど、相手も甘くない。

 デバイスを構えたクロノは再び砲撃を行い、先へ進むための道を開くのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 理解できない、とは言わない。

 不条理な事件で大切な人を失う辛さと苦しみは、誰よりも自分達が知っているから。

 だから、プレシアが抱いている感情の一部は理解することが出来る。

 

 

 父を失った息子達は、何かが足りないと感じながら生きてきただろう。

 夫を亡くした自分と友人は、深い喪失感と虚脱感に襲われて生きてきた。

 友人の息子は、もしかしたなら自分を強い(ひと)だと思っているのかもしれない。

 

 

 だが実際には、自分は強くなど無いのだ。

 同じ傷を受けた友人を見て、気付くことができただけだ。

 自分が沈んでいる間に、寂しい想いをしている誰かがいなかっただろうかと。

 それに気付いてしまえば、後はそのことに集中するしか無かった。

 

 

 だから、理解できないとは言わない。

 むしろ、その気持ちは痛いほどに理解できる部分を多分に含んでいた。

 喪失感を埋めるために、現実から目を背けて虚構に生きたいと思う心を知っているから。

 そして、だからこそ。

 

 

「…………」

 

 

 だからこそ、リンディ・ハラオウンはプレシア・テスタロッサを止めるのだ。

 かつての自分と重なる女性を、止めるのだ。

 それは時空管理局提督としての、母親としての、そして未亡人としての感情だ。

 

 

 庭園に降り立った緑の髪の女性の背中に、余剰魔力の蓄積によって形成される4枚の羽根が生まれる。

 ディストーションシールド、空間固定……結界系統の最上位魔法の一つである。

 その力でもって次元震を起こしている庭園周辺の空間を固定し、次元震の進行を遅らせる。

 彼女は自分の全ての力を使って、次元世界を守るための時間を稼ぐ。

 

 

「クロノ……イオス……エイミィ」

 

 

 自分とクライド、そして友人達の意思を継ぐ者達。

 息子達が、世界を救うまでの時間を稼ぐ。

 自分の身体に、リンカーコアにかかる負担に顔を顰めながら。

 

 

 息子達を信じて、ただ待つ。

 ――――信じて、ただ待つ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「よっこい……しょっと」

「……どこに、行くんだい?」

「あ?」

 

 

 自分の身体がある程度回復したことを確認したイオスは、懐からデバイスのカードを取り出した。

 とはいえ負傷が完全に癒えたわけでは無く、魔力もまるで戻らない。

 だからこそ、どこに行くのかとアルフは不思議に思った。

 

 

「そりゃお前、現場に向かうに決まってるだろ」

「いや……無理だろ。アンタあの女にボコボコにされたんじゃないのかい」

「痛い所をついてくるな……怪我だけに」

「上手いこと言ったつもりかい!?」

 

 

 バリアジャケットを展開し、空色の防護服がイオスの身体を包む。

 手甲も鎖も罅割れていて、とても実戦に耐え得るような代物には見えない。

 

 

「お前は良いのかよ。プレシアに言いたいことに一つや二つ、あったんじゃないのか」

「それは……私は、良いんだよ、別に。私はただ、フェイトを守りたかっただけなんだから」

 

 

 なのはに頼った事情聴取、そこでのアルフの様子を見る限り彼女はプレシアを恨んでいると思っていた。

 しかしそれも、フェイトがいてこその物だったらしい。

 

 

「こうなったら……もう、良いんだよ。私は、ゆっくりで良い。ゆっくりで良いよ、フェイト……だから、だからいつか、私の大好きなフェイトに戻ってね。これからは、フェイトは自分の好きにして良いんだから」

「……好きに、ね」

 

 

 フェイトに声をかけるアルフの言葉にイオスは若干、何か思うことがあったようだった。

 それは、執務官補佐としての思考だった。

 何しろフェイトは、ロストロギア強奪の実行犯なのである。

 

 

 管理局法を知っているのか、そして本人に責任能力があったのか、いずれにしてもフェイト自身が関与したと言う事実は消えない。

 それは、良くない方向に彼女の今後の人生を押し出してしまうはずだった。

 だから、そうならないためには……必要なことが、必要なポーズがあった。

 

 

「……母さんは」

 

 

 その時、ポツリとフェイトが呟いた。

 死んだように動かなかった――はからずもプレシアの言葉の通り、人形のように――フェイトの小さな唇が、言葉を発した。

 

 

「母さんは、結局……笑って、くれなかった。母さんに、笑ってほしかった……だって、母さんの役に立てなかったら、捨てられたら……それが、怖くて仕方無かった……だから」

「フェイト……」

「母さんに……あの背中に置いて行かれたら、もう、何もできなくなっちゃうんだって……」

「……フェイト……!」

 

 

 それはあまりにも寂しくて、アルフはフェイトを抱き締めずにはいられなかった。

 だが拘束された身体ではそれも叶わない、だから彼女はその代わりに身体をフェイトに擦りつけた。

 それを色の無い瞳で見つめて、フェイトは俯く。

 

 

「……ごめんね、アルフ。アルフがずっと私の傍にいてくれたのに……いてくれてるのに、私、まだ母さんのこと、嫌いになれないんだ……」

「……まぁ、子供の頃なんてそんなもんだろ」

 

 

 フェイトの告白か独白か、そしてアルフの嗚咽のような声を耳に聞きながら、イオスは言う。

 子供にとって、親の占める心理的範囲は極めて大きい。

 それこそ、捨てられたら世界が終わってしまうんじゃないかと思える程に。

 

 

 だけど実際には、世界は何も終わらないのだ。

 むしろ続いて行く、親に捨てられようとどうなろうと容赦なく続いて行く。

 

 

「それが現実ってもんだよ、フェイト。お前は母親に捨てられた、その現実を受け入れられない限り……お前は、抜け殻のままだ」

「アンタ……!」

「だけど現実を受け入れて進めば、お前は『なにか』になれる」

 

 

 かつて、イオスや……リンディや、クロノがそうだったように。

 

 

「……あのおばさん、もうすぐ死ぬぜ。今回の件で逮捕されようが逃げきろうが、変わらない」

 

 

 イオスの言葉に、フェイトが小さく肩を震わせる。

 直接対峙したからこそ、イオスにはプレシアの体調が僅かなりとわかっている。

 アレは、とてもじゃないが健康的とは思えない。

 

 

「お前、それで良いのか。捨てられてさよならで、良いのか。このまま終わって……お前、現実を受け入れられるのか」

 

 

 それはどこか、自分に言い聞かせているようにも思えた。

 フェイトが、顔を上げる。

 その瞳には未だ光が無いが、それでも僅かに前向きな色を浮かべているようにも見えた。

 

 

「……嫌、です。それは、嫌……な、ような気がします」

 

 

 このまま、捨てられた、で終われば……きっと、記憶も思考もそこで止まってしまう。

 むしろそれで良いと言うのが、フェイトの意識の大部分を占めていた。

 だが、何故だろう。

 

 

 脳裏に、あの白いバリアジャケットの少女が浮かぶのだ。

 夜を徹して自分の看病をして、全力で戦った、あの娘の顔が。

 友達になりたいと、そう言ってくれたあの少女が。

 

 

「でも……私には、何の力も無い」

 

 

 拘束されて、デバイスも取り上げられた状態ではフェイトに出来ることはない。

 そう思い、また俯きかけた時……イオスが、金色に輝く何かを放って来た。

 それは途中で形状を変えると、ボロボロの漆黒の杖へと姿を変えて少女の手に収まった。

 

 

「ば……『バルディッシュ』……!」

「……エイミィ、聞いてんだろ」

『あや? バレてた?』

「当たり前だろ、こんなあからさまな手使いやがって……」

 

 

 ブツブツと文句を言うイオスの足元に、白い転移魔法の輝きが満ちる。

 

 

「で、状況はどうなってる?」

『イオス君は最上階の駆動炉へ向かってくれる? それから、クロノ君の補佐ね」

「つまりは全部か……で、どうするんだ? 今なら特例措置で協力を要請できるが」

 

 

 白い魔法陣の輝きの上で、イオスがフェイトに問いかける。

 フェイトは手元の……罅割れた杖を、自分のために必死に起動しようとするデバイスを見つめている。

 顔を上げれば、心配そうな顔で自分を見つめるアルフがいる。

 

 

 そ……と、未だ光の無い瞳のまま、フェイトは微笑んだ。

 手元の杖に魔力を流し込んで、自身もまたバリアジャケットを纏う。

 赤黒のマントを靡かせて、フェイトはアルフに「待っていて」と告げる。

 次に会う時には、「なにか」になれていれば良いと思いながら。

 

 

「……行きます。私も『バルディッシュ』も、アルフも……まだ、『なにか』になれていないから。だから、現実を見に行くんです」

<Get set>

 

 

 アルフは涙ぐみ、フェイトの魔力で復活した『バルディッシュ』が低音で応じる。

 イオスはそれを眩しげに見つめた後……。

 ジャラ、と自身のデバイスの鎖を掴み、フェイトと同じように魔力を流した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 駆動炉までの道のりは、『レイジングハート』のナビゲートで何とかなった。

 途中に出現した傀儡兵も、多くは簡単な命令しか実行できないタイプの低級な物だった。

 だからなのはは道に迷うことも、傀儡兵に手古摺ることも無く進むことができた。

 

 

「……砲撃が、効きにくい……!」

 

 

 そしてその快速は、駆動炉直前で停止することになった。

 苦しげに呻くなのはの目前には、黄金色に輝く大きな螺旋階段が壁に走っている空間が広がっている。

 そこには飛行タイプの傀儡兵が無数の残骸を晒しているのだが、大きな戦斧を持った巨大な傀儡兵が一体だけ立っていた。

 

 

 この傀儡兵、なのはの砲撃が効かないタイプの傀儡兵だった。

 本体はともかく、どうやら戦斧に抗魔プログラムが仕込まれているらしい。

 そして当然、向こうはなのはを……侵入者を排除しようと攻撃する。

 振り下ろされた戦斧、なのはが防御姿勢を取ろうとした時……明るい緑色の光が、なのはの目の前を覆った。

 

 

「なのは、今だ!」

「うん!」

 

 

 ユーノの防御魔法だ、それを認識すると同時になのはは杖を構える。

 ここまで、ユーノが守ってなのはが撃つと言うパターンを繰り返している。

 いつも通りだ、なのははそう思う。

 ユーノはいつだって自分と一緒にいて、今も人間形態で怪我をしながら自分を守ってくれている。

 

 

「『ディバインバスター』……!」

<Divine buster>

 

 

 桜色の閃光が走り、壁を破壊しながら大型の傀儡兵を貫いて爆発四散させる。

 その光を視界に納めながら、なのははその場に膝をつきそうになった。

 

 

「なのは、大丈夫!?」

<Master,Are you okay?>

「う、うん……ユーノ君も『レイジングハート』もありがとう、大丈夫だよ」

 

 

 厳しい、ユーノはそう思う。

 すでになのはは何発の砲撃魔法を行使しただろうか、少なくとも今までで一番疲労しているはずだ。

 ユーノ自身の防御魔法の甲斐あって、まだ負傷はしていない。

 

 

 ユーノが事態打開の方法を探ろうとした時、反対側の壁から新手が現れた。

 それは両肩に大砲を積んだタイプの傀儡兵で、大型だった。

 防御が固い、今のなのはの状態で抜けるかどうか……。

 

 

『ユーノ!』

「え……」

『前面に防御展開、急げ!』

 

 

 念話で聞こえた声に反射的に応じて、ユーノはなのはの前に飛び出して全力で防御魔法を張った。

 幾重にも重ねられたシールドの向こう側で、傀儡兵が砲撃を放とうと……。

 ……放とうとした所で、全身を頭上から降り注いだ鎖で縛り上げられた。

 

 

「『サンダァ――――……!」

 

 

 その声に、なのはが顔を上げる。

 そこには、雷光の魔導師がいた。

 傀儡兵の隙を突くために飛行魔法は使わず、イオスの放った鎖の上を駆けるように跳ねて自身の杖を振り下ろす。

 

 

「……レイジ』ッッ!!」

 

 

 雷光、一閃。

 直上より放たれたそれはまさに稲妻となり、傀儡兵の頭上に落ちた。

 天の裁きのようなその一撃は傀儡兵の最も脆い部分を突き、撃破する。

 その姿を、なのはは大きく目を見開いて見つめた。

 

 

「……フェイトちゃん!」

「……」

「イオスさん!」

「おーうユーノ、遅れて悪いな」

 

 

 前者は雷光の少女へ、後者は水色の魔導師へと駆け寄る。

 フェイトはなのはの姿を見ると、微かに顔を曇らせて……『バルディッシュ』を突き出した。

 なのはは一瞬驚くが、すぐに彼女の身体を温かな力が満たす。

 

 

「……おかえし」

「え?」

「この間、魔力、半分もらったから……私、ずっと寝てたから魔力に余裕がある、から……」

「……うん! ありがとうフェイトちゃん!」

 

 

 にっこりと笑うなのはに、フェイトは微かな笑みを浮かべた。

 その笑みにはまだ力が無くて、なのはは笑顔を曇らせる。

 

 

「あ、の……フェイトちゃん、もしかして……その、お母さんの、所に?」

「……うん」

「そ、そっか……えと、何て言ったらいいか、わかんないけど……」

 

 

 がんばって、握り拳で応援してくるなのはに、フェイトは柔らかく頷く。

 それから、『バルディッシュ』の先端を『レイジングハート』にくっつける。

 

 

「この先に、近道のエレベーターがある……マップ、転送する」

「ありがとう……」

 

 

 どうして、助けてしまったんだろう。

 母への裏切りの行為に、実はフェイトは戸惑っていた。

 もしかしたなら、これが「なにか」になると言うことなのだろうか。

 

 

「……っし、とりあえずこれで十分だな」

「え、何がですか?」

「いいや、別に……ユーノ、クロノは1人で奥に入ってったんだな?」

「あ、はい」

 

 

 フェイトがなのはを助けた、それだけの事実があればイオスの「任務」は完了したも同然だった。

 後はプレシアの下へ行き、馬鹿な真似をやめさせるだけだ。

 イオスは先へと進むべく、なのはとフェイトに声をかけた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その時、プレシアは『時の庭園』全体が揺れるのを感じた。

 虚数空間と瓦礫に埋もれた玉座の間の奥で、娘のカプセルの前で何をするでもなく跪くように膝をついていた彼女は、緩慢な動きで立ち上がった。

 

 

「……駆動炉が、停止した……?」

 

 

 虚数空間を超えて伝説の都アルハザードに向かうためには、膨大な次元航行エネルギーが必要になる。

 だからこその駆動炉だったのだが、それが何者かの強力な砲撃魔法によって破壊、あるいは完全に封印・停止させられてしまったらしい。

 誰が、と言う問いにはもはや意味が無い。

 

 

『終わりですよ、プレシア・テスタロッサ』

「……違うわ、これから始まるのよ」

 

 

 何者かの念話が、強制的に頭の中に響く。

 大魔導師たる自分の念話防御を抜くとは、相手はなかなか高位の魔導師なのだろう。

 あるいは、自分の力がそこまで病魔によって削られてしまったのか。

 

 

 いずれにせよ、この念話の相手は自分のすることを無謀だと思っているのだろう。

 伝説の都、死者蘇生の秘術さえあると言う都市アルハザードなど実在しないと。

 しかし、伝説は実在する。

 時間と空間の向こう側、その狭間の輝きの向こう側に……道は、ある。 

 

 

「私は、取り戻す……アリシアにあげるはずだった私の時間と優しさの、全てを……こんなはずじゃなかった、世界の全てを……!」

『世界は……』

「……世界は、いつだって……こんなはずじゃないことばっかりだよ!!」

 

 

 念話の声にかぶせるようにして、現実の声がプレシアの耳朶を打った。

 そして瓦礫の向こう側から放たれた青白い砲撃魔法がプレシアの傍を擦過し、斜め後ろの虚数空間に当たって魔法的効果を失って消える。

 

 

「ずっと、昔から……いつだって、誰だって、そうなんだ」

 

 

 砲撃魔法で空いた穴から出て来たのは、漆黒のバリアジャケットを纏った少年だった。

 年齢の割に小柄な彼は、切れた額から血を流しながらも……捕らえるべき犯罪者を見据えている。

 

 

「認めたくない現実から目を逸らすか、それとも正面から向き合うかは個人の自由だ……だけど、それに無関係な他人を巻き込んで良い理由には、絶対にならない!!」

「……貴方に……何が、わかると言うの……!」

 

 

 時間が無い、それなのに邪魔をする者達に対して……絶望にも似た怒りの感情を抱く。

 娘に会いたいと願うことが、どうしていけないのかと。

 掠れる思考の中で、ただその感情だけがプレシアを立ち上がらせていた。

 

 

「……貴女だけじゃない……」

 

 

 クロノは、プレシアの下へ到着するまでにそれなりに消耗している。

 だがそれでも、彼もまた自身の想いと感情によって立っている。

 それは、彼自身が「こんなはずじゃない現実」に苦しんだ経験があるからだ。

 執務官として働いて、多くの「こんなはずじゃない現実」を見てきたからだ。

 

 

 違いがあるとすれば、プレシアには誰もいなかった。

 クロノには、リンディが、エイミィが、イオスがいた。

 だが、と思う。

 その気になればプレシアにだって、誰かが傍にいてくれたはずなのだ。

 プレシアがほんの少し、現実に目を向ければ。

 

 

「……僕は、貴女の考えを否定するつもりは無い。けれどその行為は、犯罪だ。だから僕は貴女を逮捕する、貴女はその現実を受け入れるべきだ」

「……どこかで聞いたようなことを言うのね、貴方も」

 

 

 プレシアのその言葉に、クロノは少しだけ笑みを浮かべる。

 自分よりも先にプレシアに似たようなことを言ったのは、彼の幼馴染だろうから。

 あの日、共に約束を交わした。

 

 

 その時、天井の一部が雷撃と共に崩れた。

 小さな穴を開けたそこから、幾本もの鎖が落ちて来る。

 プレシアとクロノの中間地点に鎖の先が落ち、それを伝いながら2人の少年少女が降りて来た。

 

 

 1人は、水色の髪の少年。

 そしてもう1人は、金色の髪の少女。

 2人は、それぞれの感情と表情でその場に降り立った。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「よう、クロノ。随分とボロボロじゃないか」

「キミ程じゃないさ」

 

 

 イオスがクロノに声をかけると、幼馴染の前で情けない姿を見せたくないと思ったのか……クロノは痛めた腕を押さえていた手をどけて真っ直ぐに立った。

 そしてそれはイオスも同じ、負傷と魔力消耗によって立っているだけで辛かったりもする。

 

 

「母さん……!」

「……何をしに来たの」

 

 

 見れば、プレシアが咳き込んで膝をついていた。

 やはり、病は重いのだろう。

 フェイトは一瞬、駆け寄りかけるが……やめる。

 

 

 それは、自分を見つめるプレシアの瞳のせいだろうか。

 苛烈な怒りの中に、僅かな哀しみが見て取れる瞳。

 「アリシア」では無いことへの、あるはずの無い罪悪感が芽生える程に。

 

 

「……ある人に、現実を見ろと……言われ、ました」

「…………」

 

 

 フェイトの言葉に、プレシアがイオスとクロノを睨む。

 だが、病に屈した大魔導師の視線にはもはや圧力は存在しない。

 

 

「私は、アリシアじゃ、無い。アリシアにはなれないんです、だから、ごめんなさい。これが……私と、母さんの、現実です」

「……そうね、だから私は貴女が大嫌いだった……今や、それすらどうでも良いわ」

「でも……でも、私は貴女に生み出された、造り出された存在です。これも私と母さんの現実です、母さんにとって私は娘じゃないのかもしれない。だけど、私にとって母さんはやっぱり母さんなんです」

 

 

 フェイトは、アリシアじゃない。

 その認識はプレシアをこれ以上ないほど追い詰めて、苦しめて、最後には憎しみを植え付けた。

 姿も遺伝子情報も同じ、記憶すら転写した、だと言うのにフェイトは「アリシアでは無い」。

 どうしてと何度も叫んだ、何故だと幾度も血を吐いた。

 

 

 許せなかった。

 そんな現実を、認めることができなかった。

 だからプレシアは、フェイトを愛することができない。

 何故なら、フェイトは「アリシアでは無い」のだから。

 

 

「だから私は、フェイト・テスタロッサとして。世界中の誰からでも、どんな出来事からでも、貴女を守りたい……」

「いらないわ」

「……はい、わかっています。それが私と母さんの現実だから、でも……」

 

 

 そこで、フェイトはちらりと後ろを見た。

 

 

「でも……」

 

 

 イオスを見据えるその瞳に、輝きが戻る。

 それは、否定の力。

 誰かの思考を否定し、そして自我によって自分の意思を持つ輝き。

 

 

「でも私は、やっぱりその現実を否定します。だからずっと、手を伸ばし続けます。母さんが、手をとってくれるまで……ずっと、いつまでも。貴女が、私の母さんである限り」

 

 

 現実の否定。

 受け入れず、諦めず、貫き続ける。

 それが、フェイトの答えだった。

 どうしても、母を憎むことが出来なかった故の決断。

 

 

「消えなさい、出来損ないが」

 

 

 しかしプレシアは、それを認めない。

 認めるはずが無い、アリシア以外からの「お願い」など、プレシアには何の価値も無い。

 欲しい物は「娘」の笑顔、「娘」の笑い声、「娘」の温もり……。

 どうしても、フェイトを愛することが出来なかった故の決意。

 

 

 プレシアの足元に巨大な魔法陣が展開し、庭園全体が揺れる。

 それは空間その物を揺るがし、次元震を抑えていたリンディもその場を離れざるを得なかった。

 イオスとクロノのデバイスを通じて、エイミィの撤退を求める悲鳴のような声が響き渡る。

 

 

「母さんっっ!!」

 

 

 その時、フェイトの悲鳴が響く。

 クロノとイオスが顔を上げれば、プレシアが(アリシア)のカプセルと共に背後に広がる虚数空間へと落ちる所で……2人の魔導師が、反応する。

 

 

「イオス!」

「任せろ!」

 

 

 クロノの声とほぼ同時に、イオスは両腕を振るった。

 母親に駆け寄ろうとしたフェイトの傍を、2本の鎖が駆け抜ける――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 全てを取り戻す、過去も、未来も、たった一つの幸福も。

 求める物の全てが、アルハザードにはある。

 傍らのカプセルに視線を向ければ、そこには愛しい「娘」がいる。

 

 

「さぁ、一緒に行きましょうアリシア……今度は、離れないように……」

 

 

 アリシアを失った事故の時、最もした後悔の一つ。

 どうして自分は、アリシアの傍にいなかったのか。

 自分が傍にいれば、次元航行エネルギーの暴走だろうと何だろうと、娘を守ったのに。

 どうしていつも、自分が気付いた時には何もかもが手遅れなのだろうか。

 

 

だが、アリシアはプレシアの言葉には何も答えてはくれない。

 まるで、ただの物のように……。

 ……プレシアは、そっと目を閉じて。

 

 

「……え」

 

 

 ガクンッ、と身体が何かに引かれるのを感じた。

 それは、鎖だ。

 傷だらけの鎖が、虚数空間に落ちる直前の自分の身体を縛り上げた。

 

 

 傍らの音に目を向ければ、娘のカプセルにも同じように鎖が巻き付いている。

 そして、落ちる。

 鎖に巻かれたまま、虚数空間の中へと落ちていく。

 

 

「……あの子」

 

 

 虚数空間の穴の向こうに映る光景に、プレシアは嘆息する。

 疲れたようなその視線は、どこか呆れさえ含んで見えた。

 鎖の先を見れば、それはあの管理局の魔導師で。

 ……馬鹿な真似をする物だと、プレシアは思った。

 

 

「事件解決のためには、プレシア・テスタロッサの証言が要る! アルハザードにしろどこにしろ、勝手に行かれては困る! 離すなよイオス!!」

「わかってる! わかっ……てるん……だ、が……っ!」

 

 

 両腕の鎖でそれぞれプレシアとアリシアのカプセルを縛っているイオスだが、彼の鎖も魔法の力を利用しているデバイスの能力だ。

 そして虚数空間では、あらゆる魔法の力は無効化される。

 すなわち、『テミス』の鎖も魔法の力を失って普通の鎖と同じになるのである。

 

 

 クロノに言われるまでも無く、事件の主犯であるプレシアの確保は執務官・執務官補佐としての最優先事項だ。

 しかし、いかんせん普通の鎖と化した『テミス』では成人女性と子供(カプセル込み)の重量をそれぞれ片手で支えるのは厳しい。

 ズ……と、イオスのブーツがズレる音が不気味に響く。

 

 

「う、お……っ、おおおおぉおおぉぉおおおぉおおおおおおおおおぉぉぉぉっっ!?」

 

 

 支え切れず、虚数空間へと逆に引かれるイオス。

 ブーツの底が激しく擦れて、引き摺りこまれる。

 引き摺りこまれれば、魔導師のイオスにとっては死を意味する。

 

 

「イオス!!」

 

 

 クロノは反射的にイオスの背中に飛びつき、抱きつくような格好で両足を踏ん張る。

 その甲斐あってか、虚数空間ギリギリの床に踏み止まった。

 しかし本当に縁の部分であり、まさに崖っぷちだった。

 

 

「い、イオス……ッ、離すなよ……!」

「お、おぅ……よ……!」

 

 

 ギシギシと腕の骨が軋む、イオスは顔を顰めながらも両腕にかかる重量に耐える。

 しかしこのままでは、プレシア達を引き上げるまでは行かない。

 

 

「ぐ……ふ、フェイト・テスタロッサ! キミも手伝ってくれ!」

「は……はいっ!」

 

 

 クロノは咄嗟に、傍で呆然としていたフェイトに手伝うよう頼んだ。

 するとフェイトも慌てて、クロノの横に並ぶ形でイオスの身体を支え、引っ張る。

 3人がかり、しかし子供3人の力では足りない。

 進退極まったかとイオスが内心で思った時、再び天井が爆発した。

 

 

「フェイトちゃん!」

「イオスさん!」

「お前ら丁度良い所に来た! 手伝え! いや手伝ってください!」

「「は、はい!」」

 

 

 桜色の閃光と共に現れたのは、なのはとユーノだった。

 2人は状況が飲み込めていなかったが、虚数空間に落ちかけているイオス達を見て血相を変えて降りて来た。

 人間形態のユーノがクロノの背中に、そしてなのはがフェイトの背中にくっつく形でイオスを支えた。

 これで5人、しかし状況は膠着したまま動かない。

 

 

『クロノ君、皆! 早く脱出して! 時間が無い!!』

「わかってる!」

『クロノ君!』

「わかってるっっ!!」

 

 

 エイミィの必死の呼びかけに、クロノは怒鳴って返す。

 

 

(くそっ……どうする!?)

 

 

 クロノは考える、このままではプレシアに巻き込まれる形で5人共が虚数空間に落ちてしまう。

 最善はプレシアを見捨てることだ、しかしこの状態から見捨てるのは難しい。

 自分やイオスはともかく、なのはやフェイト、ユーノは助ける気満々だ。

 

 

「だめ! 助ける! 絶対!」

「母さん……!」

 

 

 なのはとフェイトの声に、イオスは奥歯を噛み合わせて両腕に力を込める。

 助ける云々はともかく、このまま虚数空間に落とさせるつもりは無い。

 このまま虚構に逃げるなんて許さない、何としても現実に向き合わせる。

 

 

 だが元より消耗している身だ、しかも『テミス』の鎖に魔力は通らない。

 重い、重すぎる、両腕の関節が外れるのではないかと思えるほどに。

 腰や背中の温もりを認識した瞬間、右肩――アリシアのカプセルを支える方――から、鈍い嫌な音が響いた。

 

 

「がっ……こ、の……っ」

「イオス!?」

 

 

 イオスの背中の右側に身体を当てているクロノだから気付いた、イオスの異常に。

 ――――肩の骨が、外れた。

 鈍く広がり、しかも引っ張られ続ける……その激痛に、イオスは唇を噛み切った。

 

 

「こん……っ……ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」

 

 

 イオスが咆哮を上げ、肩を傷めるのも構わずに力を込めた、その時だった。

 

 

「あ……」

 

 

 声を上げたのは、誰だっただろう。

 イオス達か、プレシアか……いずれにしても、全員の目の前で。

 

 

 アリシアのカプセルに罅が入り――――砕けた。

 

 

 虚数空間の中で、透明な硝子が砕けて舞う。

 キラキラと舞い散るそれは、まるで闇に広がる星のようだった。

 魔法で防護されていたはずのカプセルも、虚数空間の中ではただのガラスでしか無い。

 しかもイオスのつけた小さな傷が遠因となり、強度も下がっていたのだろう。

 その拍子に、魔法の力を失った鎖もアリシアから離れて……アリシアの身体が、擦り抜けた。

 

 

「アリ――――」

 

 

 ……プレシアの目には、それは奇跡に映ったかもしれない。

 アリシアは死んでいる、だから動かない……動くはずが無い。

 だからそれは、ただの偶然に過ぎない。

 カプセルから解き放たれたアリシアの腕が、無重力のような虚数空間の中で揺れて。

 

 

 プレシアの背中を、押した。

 

 

 いや、押したと言うよりただ当たったのだろう、そう考えるのが妥当だ。

 フワリと舞ったアリシアの腕が、隣で鎖で吊られていたプレシアに当たっただけ。

 だが、プレシアの認識は違う。

 自分を虚数空間の外へと押し出したそれは、間違いなくアリシアの意思なのだ。

 やはりアリシアは、自分にいつも優しいのだ。

 

 

「アリシア――――」

 

 

 僅かに起こる歓喜、しかしそれはすぐに悲嘆へと変わる。

 偶然で腕が当たりこそした物の、アリシアは、アリシアの身体は虚数空間の奥へと消えていく。

 ……プレシアを、置いて。

 鎖で縛られ自由の効かない身体で、それでも身体を乗り出そうとして――。

 

 

「アリシアアアアアアアアアアアアアアァァァァァッッ!!??」

 

 

 悲鳴を、上げた。

 虚空の彼方へと消えていく娘は、何も返さなかった。

 そこにはただ、闇色の何かが続いて行くばかり。

 

 

 虚空の彼方へと、消えてしまった。

 1人の母親の、絶望の声を残して。

 


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