魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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第10話:「大魔導師と流水」

 

 薄暗い暗闇の中で、誰かが咳き込むような音が響く。

 身体をくの字に曲げて咳き込んでいるその人物は床に膝をつき、まるで何かに許しを請うているようにも見える。

 口元に添えられた指は骨ばっており、明らかに肉付きが薄かった。

 

 

 対照的に、その周囲には青白く輝く宝石が浮かんでいる。

 その数、10個。

 口元を苛立たしげに拭いながらも、しかし宝石の群れを睨む瞳だけは鋭い輝きを宿していた。

 

 

「たった、10個……これだけでは、アルハザードに至れるかどうか……」

 

 

 苦々しげに呟き見つめるのは、周囲に浮かぶ空中投影型のディスプレイ。

 そこには、金髪の少女と栗色の髪の少女の決闘の様子が映し出されていた。

 舌打ちしたげな表情を浮かべるが、それは込み上げて来た咳によって遮られてしまう。

 

 

「もう時間がないわ……私にも、あの子にも……」

 

 

 ロストロギアの輝きの中に、何かを見出そうとするかのように目を細めながら。

 ……彼女は、朱に濡れた唇を三日月の形に歪めた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「フェイトちゃん!」

 

 

 海上での決闘から30分後、なのはの悲鳴が『アースラ』内に響き渡った。

 場所は『アースラ』の医務室、そこに急遽しつらえられた監房を兼ねた個室に彼女はいる。

 フェイトと言う名前の少女は、病院服のような白い衣服を着せられた状態で簡易ベットに寝かせられていた。

 

 

 顔色は悪く、閉じた瞳はどこか苦しげに震えているように見える。

 それを見たなのはは、不意に息を飲んだ。

 理由は、金髪の少女の細い肢体が、黒い無骨なバンドのような物でベットに縛り付けられていたからである。

 なのはは後ろを振り向くと、どこか非難めいた色を込めた叫びを上げた。

 

 

「クロノ君!」

「……命に別状は無い。回復魔法も効いているし、すぐに目を覚ますだろう」

 

 

 実際、見た目の割にはフェイトの負傷は大したことが無かった。

 むしろ、過労と栄養不足の方が深刻と診断されたぐらいである。

 

 

 その点に関してだけは、クロノも不審に思ってはいた。

 彼の経験上、犯罪者の少年少女が栄養失調の状態にある場合はあまり良い落着点に落ち着かないのが常だった。

 

 

「おーい、クロノ。ちょっと良いか?」

 

 

 そして悪い予感と言うのは、往々にして当たる物だ。

 クロノの後ろ、医務室の扉に寄り掛かるようにしながらイオスが立っていた。

 その顔は、何と言うかままならない現実に嫌気がさしているようにも見えた。

 

 

 そしてイオスがそこにいることに対して、クロノもあからさまに嫌そうな顔をした。

 何故なら、イオスは医務室よりも取調室の方にいなければならないからだった。

 イオスは執務官補佐として、フェイトと共に拘束した使い魔のアルフに事情聴取を行っていたからである。

 

 

「あー……そのな。胸糞悪い話と困った話があるんだが、どっちから聞きたい?」

「……まぁ、予測はしていたよ」

「慣れてるからな」

「慣れたくは……無かったな」

 

 

 特に彼らは執務官と執務官補佐だ、法務に関係する仕事を行うことも多い。

 しかも若いものだから、少年少女が次元犯罪者にいるとわかった事件を「丁度良い」と回されてしまうこともある。

 彼ら自身は、ある事情からロストロギア関連の仕事を追うことが多いのだが……。

 

 

「それで、ちょっと高町さんを借りたいんだけど。許可してくれるか、執務官殿」

「執務官補佐が正式な書類で申請すれば、許可は出せるが……なのはを?」

 

 

 クロノの視線が、フェイトを心配そうに見つめるなのはへと向けられる。

 その肩に乗っているユーノが、そんなクロノを不審げに見つめていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 取調室は、気のせいか少し肌寒く感じた。

 人が5人も入れば狭く感じてしまうような広さの部屋は、天井が高く直方体のような形をしている。

 明かりは床から漏れる白い光のみで、部屋の中央には小さな机と椅子が2つ。

 

 

 入り口からゆっくりと入って空いている椅子に腰かけたなのはは、向かい側に座る女性に静かに目礼した。

 栗色の髪の少女と向き合って座るのは、燃えるような赤髪の女性。

 魔導師フェイトの使い魔、アルフはなのはの姿を見ると力無く笑った。

 

 

「……悪いね、無理を言って呼び出しちゃって」

「い、いえ……私も、フェイトちゃんの話、聞きたいですから」

「…………そうかい」

 

 

 力無く笑うアルフの両腕は、黒い革製のカバーのような物で拘束されている。

 加えて両足首に二重の足枷が嵌められ、首には主人との精神リンクを阻害する機能を持つ首輪をかけられている。

 その姿を視界に収めるのが辛くて、なのはは俯いてテーブルを見つめた。

 

 

 この対面は、アルフが望んだことだった。

 アルフとしては、(アルフ主観で)散々卑怯な手を使ってきたイオスとバックの管理局に下手にフェイトの情報を漏らしたくない。

 しかし、このままではフェイトはただの犯罪者として裁かれてしまう。

 そこで必死に考えて思いついたのが、唯一、フェイトに純粋に想いをぶつけてくれたなのはを頼ることだった。

 

 

「……お願いだ……!」

 

 

 ゴッ、と音を立てて、アルフがテーブルに額を打ち付けた。

 もし身体が自由になっていれば、床に頭を打ち付けて頼み込んでいただろう。

 そしていきなりの事態に、なのはは慌てた。

 

 

「ちょっ……え、ええ!?」

「お願いだよ、フェイトを助けてやっとくれ! あの子は……何も悪くないんだ!!」

 

 

 必死に頼み込むアルフと、オロオロと慌てるなのは。

 その様子を、クロノ、イオス、ユーノの3人は隣室から見ていた。

 モニターに映る取調室の様子は、この部屋でのみ見ることができる。

 逆に、こちらの映像と音声は向こうには漏れることはない。

 

 

「まったく、民間協力者に事情聴取に協力させるなんて聞いたことが無いぞ」

「悪い。けど一応少ないけど前例もあるし、何よりアルフが高町さん以外には何も話さないって言うからさ」

 

 

 クロノの愚痴のような文句を、イオスは片手で謝罪のポーズを作りながら宥める。

 ただ今回の事件はロストロギアが絡んでいる分、可能な限り素早く情報を取る必要がある。

 もしフェイトが誰かに渡した、またはどこかに隠した『ジュエルシード』が――フェイトのデバイスには収納されていなかった――暴走すれば、どうなるかわからないのだから。

 

 

「あ……何か話し始めましたよ」

 

 

 フェレット形態のままイオスの肩にいるユーノが、身を乗り出すようにして画面を見つめる。

 クロノとイオスも、ユーノに合わせるように画面の中……つまり、アルフの話に耳を傾けた。

 当然、記録を取りながら。

 

 

 アルフは、今回の『ジュエルシード』事件の裏側――つまり、フェイト側の事情――を話し始めた。

 まず、自分達に命令を下していた相手がフェイトの母親「プレシア・テスタロッサ」であること。

 フェイトは母親の歓心を買いたくて『ジュエルシード』を集めていたこと、その使用用途は何も知らないこと、そして……。

 

 

「……酷い……」

 

 

 ポツリと呟いたのは、なのはだったのかユーノだったのか。

 フェイトは、母親のために……母親に優しくしてほしくて、笑ってほしくて、危険を冒して『ジュエルシード』を集めた。

 ただフェイトの母親は、優しくも無ければ笑ってくれもしなかった。

 逆にフェイトを「役立たず」と責め立てた、ロストロギアの回収と言う並の魔導師には不可能なことを成し遂げたにも関わらず。

 

 

 食事は碌に与えられず、幼い子供に理解できるはずも無い魔導書を押し付けては出来るまで眠らせない。

 毎日のように殴られて、鞭で打たれて、裸で外にいさせられることだったあったと言う。

 それでも、フェイトは笑うのだと言う。

 哀しい顔で、笑うのだと言う。

 

 

『母さんは、私のことを思って言ってくれてるはずだから』

『私がダメな子だから、きっと母さんは厳しくしなくちゃいけないんだと思う』

『いつか、私がちゃんと出来たら……きっと母さんは、前みたいに笑ってくれるはずだから』

『あの日までは……そうだったんだから。ちゃんと、今も、覚えてる……まだ』

『だから、まだ、頑張れる……私は、母さんの娘なんだから』

 

 

 アルフは頼む、必死に頼む、自分はどうなっても良い。

 殺すなら殺せば良い、服役しろと言うなら何百年だってする、実験室送りになったって構わない。

 だから、だからどうかとアルフは言う。

 

 

「あの子だけは、助けてやっておくれ……あの子、このままじゃ壊れちまうよ。わかるんだよ、私は使い魔だから……!」

 

 

 そこからはただ、「フェイトを助けて」と言う趣旨の言葉が続いた。

 後は嗚咽が広がるばかりで、どうやらアルフの知っていることはそれで終わりのようだった。

 なのはがそんなアルフの肩に手を置いて、「わかった」と伝えた。

 

 

「私に、何が出来るのかわからないけど……出来ることがあるのなら、フェイトちゃんを助けてあげたい。だってまだ、お返事、聞いてないから……」

「……ありがとう……頼めた義理じゃないのはわかってるけど、でも、あの子を……」

「……うん」

 

 

 頷いて微笑むなのはに、アルフの顔がくしゃくしゃに歪む。

 望んでいたものが、待っていたものが来たかのように顔を歪めて……泣いた。

 なのははただ、アルフが泣き止むまでそうしていた……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ……そしてその様子を、クロノ達も見ている。

 3人共に考え込むような顔で、モニターを見つめていた。

 不意に、ユーノが顔を上げてイオスを見た。

 

 

「あ、あの、イオスさん……」

「ん……ああ、成功だな。首尾良くあの使い魔から情報を取れた」

「え……」

 

 

 イオスは肩からユーノを下ろすと、そのままクロノの方を向いた。

 

 

「クロノ、どう思う? 俺はアイツの言うことに嘘は無いと思うんだが」

「……使い魔が主人を救おうとして嘘を吐いている可能性は?」

「首輪に嘘を見抜く魔法がかかってる、大げさに言ってることはあっても全くの嘘ってわけじゃないだろ」

「そうだな……なら、プレシア・テスタロッサと言う黒幕の事情聴取か。あの次元干渉攻撃の主もそいつで間違いなさそうだな、座標元は?」

「エイミィが割り出してる、黒幕の件も含めて調査依頼をさっき送っておいた」

 

 

 この人達は何を言っているのだろう、ユーノは一瞬だけ2人の話についていけなかった。

 自分が考えていることと、2人が考えていることに隔絶した何かを感じたからだ。

 クロノとイオスはアルフの言葉を疑う所から始まり、しかもフェイト自身のことは何も言及していない。

 いやむしろ、なのはのことも利用したような節がある。

 

 

「……良し、じゃあ今から必要な書類を集めて艦長も含めてのブリーフィングだ。時間が無い、急ぐぞイオス」

「あいよ、本局への問い合わせはエイミィがやってくれてるだろうから……調書の作成からか? また徹夜かなこりゃ」

「あ、あのっ!」

 

 

 そのまま足早に出口に歩いて行った2人を呼び止めるように、ユーノが声を上げる。

 もっと、何か言うべきことがあるんじゃないのかと思ったからだ。

 フェイト自身のことについて、もっと何か言ってほしいと思った。

 

 

 しかし、ユーノの声にクロノは止まらずに出て行った。

 イオスは扉を手で押さえる形で振り向いて、どこか困ったように笑った。

 

 

「ああ、悪いユーノ。一応、高町さんのフェイト……フェイト・テスタロッサへの面会許可は艦長が出してくれてるから」

「そ、そう言うことじゃ無くて……」

 

 

 イオスはどこか申し訳なさそうで、しかし譲歩の余地はなさそうな表情を浮かべる。

 

 

「悪い、ユーノ。俺達は管理局員なんだ、カウンセラーじゃない。女の子と次元世界、どっちを取るかって言われたら世界を取らなくちゃいけないんだ」

 

 

 ごめんな、そう言ってイオスも扉の向こうに消えた。

 それを見送り、1人、モニターから漏れ聞こえて来るアルフの嗚咽を聞きながら……。

 ……ユーノは、釈然としない感情を持て余していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 アルフとの面会、あるいは事情聴取を終えてなのはがやってきたのは、やはりフェイトの病室だった。

 フェイトは死んだように眠っていて、とても目が覚めるようには見えない。

 ただベルトで固定された薄い胸が緩やかに上下していて、それだけがフェイトが生きていることを教えてくれた。

 

 

「フェイトちゃん……」

 

 

 持ち上げることはできないが、なのははそっとフェイトの手を取った。

 ベルトで拘束されたその手は、驚くくらい細くて……そして触れて初めて、その指先が細かな傷で満たされていることに気付く。

 なのはとの決闘で負った物にしては古すぎる傷が、身体中にできているのが見えた。

 

 

 そして、思う。

 もし、自分が母親に……意味も無く叩かれたり、無視されたりしたらどう思うだろうかと。

 それは、とても哀しいことのように思えた。

 叩かれたわけでも嫌われたわけでもないが、ふと自分の幼少時を思い出した。

 

 

「寂しい……よ、ね」

「……なのは」

「……うん、大丈夫だよ。ちゃんとわかってるから」

 

 

 ポツリと呟いて、しかしすぐに首を振る。

 同情も、優しさもいらない。

 自分は、ただ……分け合いたいだけだから。

 

 

 肩のユーノの頭を指先で撫でて――人間の男の子だとわかってはいるが、どうしてもフェレット感が抜けない――少しだけ笑った。

 ユーノの心配が、なのはには嬉しかった。

 その時、不意に病室の扉が開いた。

 

 

「ちょっと、お邪魔しても良いかしら?」

「あ……リンディさん」

「少しだけ様子を見に来たのだけれど……」

 

 

 そこにいたのは、管理局の制服を着たリンディだった。

 リンディはベットに近付くと、そっと手を伸ばしてフェイトの額の前髪を整えた。

 それから、柔らかく頭を一撫でする。

 

 

「……こう言う仕事をしているとね、子供を逮捕しなければならないこともあるのよ」

「そう……なんですか?」

「ええ、子供は純粋だから……多くの場合、犯罪組織に使われる孤児とかが対象なのだけれど」

 

 

 今回のケースも、どちらかと言うとそういう犯罪なのではないかとリンディは考えている。

 もちろん、フェイト自身に罪が無いかと言われると判断に困ることもあるが。

 

 

「リンディ提督は、えと、この子の事は」

「ええ、クロノとイオスから聞いてるわ。そしてこう言う子を保護して、真っ当な道に戻すのも私達管理局の重要な仕事なの」

「そう……です、よね」

「ユーノ君?」

「……ごめんなさいね。あの子達のこと、悪く思わないであげて」

 

 

 え、と驚いて顔を上げるユーノの目には、苦笑を浮かべるリンディの顔があった。

 ユーノに母はいないが、もし母がいれば……こんな笑みを浮かべていたのではないかと、そう思える笑みだった。

 

 

「あの子達は、過去にロストロギア事件で父親を亡くしているから……ロストロギア事件には過敏にならざるを得ないのよ。特に、『ジュエルシード』クラスのロストロギアが次元犯罪者の手に在るかもしれないと言う現状では……ね」

 

 

 あの子「達」、と言う言葉にユーノとなのはは小さくない驚きを感じた。

 イオスに関する話は少し聞いていたが、クロノもそうだったのかと。

 そしてクロノがリンディの実子出と言う話はすでに聞いている、つまり……クロノの父が亡くなったと言うことは、それは。

 

 

「気にしないで良いのよ、もう、11年も前の事だから……」

 

 

 リンディは笑みを絶やすことなく、2人の子供に語りかける。

 それでもなのはは気まずげに、ユーノはバツが悪そうな顔をする。

 少しの間、沈黙が続く。

 そしてその沈黙を破ったのは、ユーノだった。

 

 

「……でも、この子のことだって大事なことだと思うんです。そりゃ、『ジュエルシード』のことも大事だし……もともと、僕のせいではあるけど……」

 

 

 釈然としない感情に困惑するように、ユーノは言う。

 本人の中でも整理されていないその気持ちは、言葉にしてみるとより支離滅裂に聞こえた。

 ただそれは、ユーノの優しさから出て来る物なのだろうとリンディは思った。

 そして同時に、子供を……2人の息子達のことも、誤解されたくないと思った。

 

 

「大丈夫よユーノさん、あの子達はとても優秀だから」

「え……」

 

 

 にっこりと首を傾げて微笑むリンディに、ユーノだけでなくなのはも不思議そうに首を傾げた。

 それが何だかおかしくて、リンディはクスクスと笑った。

 

 

「そう言えば、なのはさん。なのはさんがこの艦に乗って明日で8日目なのだけれど、そろそろ一度戻った方が良いかもしれないわね」

「あ、そうかもですね。学校もずっと休んでるし、電話もできてないし……」

 

 

 そんなことを話しながらも、リンディはなのはが『アースラ』に乗る日数は残り少ないだろうと考えていた。

 何しろ、彼女の息子達は明日の朝には必要な書類を集めて彼女の下にやって来るだろうから。

 

 

(……それにしても、プレシア・テスタロッサ……ね)

 

 

 プレシア・テスタロッサ、何となくリンディの記憶に引っかかる名前だった。

 いずれにせよ、この事件も大詰めを迎えている。

 リンディは、そう確信していた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 次元空間内では昼も夜も無い、しかし海鳴市の時間で言えば十分に深夜と呼べる時間。

 執務官であるクロノには艦内に自室の他に専用の執務室を持っている、試験にすでに3回落ちているイオスからすれば「嫌味か!」と言いたくなるような機能性に優れた広い部屋だ。

 

 

「うぉ~い、クロノ。資料の選別終わったぜ」

「ああ、こっちも大体絞り込みが終わった」

 

 

 両腕に書類と書物の束を抱えたイオスが自動で開く扉からその執務室に入ると、無数のディスプレイに囲まれたクロノがいた。

 彼らがアルフの聴取以降何をしていたかと言うと、「プレシア・テスタロッサ」と言う人物の絞り込み作業である。

 いざ乗り込んで行って同姓同名の別人でした、などと言うことにならないよう細心の注意を払って調査しているのだ。

 ちなみに、同姓同名の人間はミッドチルダだけでも最低で11人存在している。

 

 

 なお、アルフの言う「プレシア・テスタロッサ」を特定するヒントはすでにいくつかある。

 まずフェイトの「母さん」という発言から女性であること、次元空間を超えて干渉する魔法攻撃が可能な高位の魔導師であること、エイミィの割り出した座標軸の中に次元空間内の物があったため次元航行艦あるいはそれに準ずる物を所有していること。

 そして何よりも、ロストロギア級のマジック・アイテムを扱える「科学的」知識に通じていること。

 

 

「随分と昔の事件……じゃないな、事故に名前が載ってたぜ。何と俺達と同じミッドチルダ出身、かの中央技術開発局の第3局長にまで昇り詰めた御仁だ。ただ、何故か開発局の正式な記録には載って無いけど……」

「もし26年前の事故なら、ビンゴだな。エイミィが本局に問い合わせた所、アレクトロ社の古いデータベースの中に記録を見つけた。当時の事故の訴訟記録にその名前があるらしい」

「あー……アレクトロ社って、今は別の会社になってるよな。次元航行艦船用のエンジンメーカー」

「ああ、まぁ、26年も経てば会社の名前や経営者が変わっても不思議はないか……」

「じゃあ、それだ」

 

 

 クロノとイオスは、それぞれ別のアプローチから「プレシア・テスタロッサ」を探した。

 イオスは魔導師の登録名簿を一元的に扱っている管理局と、そこから伸びる無数の公共団体の研究者を。

 そしてクロノは、過去の裁判・訴訟記録から企業を辿り、最終的に本局のデータベースで確認を取った。

 その結果、2人の探し出した「プレシア・テスタロッサ」が一致する。

 

 

 イオスはクロノの執務卓に自分が集めて来た資料の束を置くと、部屋の壁際に置かれているコーヒー・ポッドを手に取った。

 適当なカップを棚から出し、砂糖とミルクを用意しながら。

 

 

「砂糖とミルクは?」

「いらない」

「奇遇だな、俺もブラック飲みたい気分なんだよ……あ、でも飲み過ぎると身長伸びないぞ」

「うるさい」

 

 

 などと軽口を叩き合いながら、イオスの淹れたコーヒーを飲んで一服する。

 眠気を飛ばすためにも、コーヒーが欲しい所だったのだ。

 

 

「……リンディさんのお茶が飲みたいな」

「それだけは同意しかねる」

 

 

 それから、イオスはクロノの座る椅子の横にまで移動してディスプレイを覗き込む。

 そこには、イオスが予想していた通りの顔が映っていた。

 どことなく不健康そうな、それでいて色香が漂う豊かな黒髪の美女。

 

 

「プレシア・テスタロッサ、か」

「ああ、偉大な魔導師でありながら違法研究を行って事故を起こし、その責任を追及されて開発局を追放されている」

「んで地方に左遷されて、数年後に行方不明と……良くあるパターンだな、消されたか?」

「いや、当時彼女が所有していた次元航行機能を有する城と一緒に消えているから、自分の意思で姿を消したんだろう」

 

 

 あくまでも当時の記録だが、と付けくわえてクロノが指摘する。

 データが古ければ古い程、捜査をする上で予測や期待を頼んで思考を進めなければならない。

 こう言う時、イオスなどは甘い甘いリンディ茶が欲しくなる

 

 

「まぁ、登録データと次元跳躍魔法の魔力波動は一致したらしいが」

「ふぅん……お? となると最初のスクライア艦に対するテロ、アレもプレシア女史か?」

「おそらくな、しかし証拠はない」

「となると、罪状は公務執行妨害とロストロギア強奪及び不法所持、か。逮捕の理由には事欠かない奴だな」

「……あと、傷害と児童虐待、だな」

「だなぁ」

 

 

 クロノの言葉に頷きながら、逮捕と同行をプレシア女史に命令するための書類に加える罪状を頭の中で確認するイオス。

 

 

「追放の原因になった事故は……次元航行エネルギー駆動炉『ヒュウドラ』の実験事故、か。訴訟記録を見るに、なかなか揉めたみたいだな」

「最終的には違法研究扱いだが……どうも匂うな。それに、追放後の足取りの記録が無いな」

「いや、俺が見た開発局の人事記録によれば生物系の研究に携わってたらしいんだけど、でも途中でいきなり辞めて……」

 

 

 行方不明になってからの足取り、家族構成、本人の能力と思考……。

 まだまだ調べなくてはならないことは多い、クロノとイオスは夜を徹して作業に追われた。

 しかも故意に消されたと思われる痕跡もあり、なかなかキナ臭い事件のような気がしてきた。

 この事件、なかなか巨大なバックボーンがある様子である。

 

 

「はーいお疲れ様、夜食だよー。どう、はかどってるー?」

「うおぁーっ。ちょうど腹へってたんだよ、サンキューエイミィ!」

「ああ、エイミィ。せっかくだからそっちで割り出してくれた座標について聞きたいんだが……」

「うん? 何かなクロノ君?」

 

 

 彼らは執務官とその補佐、法に拠って行動するプロフェッショナル。

 仕事の9割は華やかさとは程遠く、法の中でしか動けない者達だ。

 しかし、法によって許されたのであれば――――。

 

 

 ――――彼らを阻める者は、存在しない。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「う……?」

 

 

 フェイトが目を覚ましたのは、第97管理外世界時間で朝になってからだった。

 真紅の瞳が肌色の瞼の隙間から微かに覗き、そして次の瞬間に見開かれる。

 無理も無い、起きた瞬間にベットに身体を固定されていれば驚きもするだろう。

 

 

 そして、なのはとの決闘の後に雷に撃たれて気を失ったことを思い出した。

 最後の記憶に残っているのは、女の子の声と鎖の擦れる音。

 拘束されたと言う事実に気付いた時、まず身体の調子を確かめた。

 腕に点滴を打たれているようだが、妙な薬品を使われた形跡は……。

 

 

「……あ」

 

 

 周囲の様子を探ろうと頭をもたげた時、別のことに気付いた。

 それは、自分のお腹のあたりに重みを感じたこと。

 栗色の髪が、そこにあって。

 

 

「……な」

 

 

 なのは、と名前を呼びそうになって、止める。

 何となく、呼ぶのが躊躇われた。

 それに今のフェイトの動きで揺らされたのか、なのはが目を擦りながら身を起こしたのだ。

 

 

「ふにゃ……あふっ…………あ」

「……」

 

 

 奇妙な声で鳴いて、欠伸をして……そこでフェイトの視線に気付いたなのはは、気恥かしさから頬を染めた。

 しかし次の瞬間には、気まずそうな顔になる。

 それはもちろん、フェイトが拘束されていることについてであるが……フェイト自身は、コロコロと表情が変わるなのはを物珍しげに見つめていた。

 

 

 なのはがどう考えているかはわからないが、フェイトの身体をベットに固定しているベルト自体は少し強度の高いだけの普通のベルトだ、痛みも無い。

 当然、見動きは取れないし、デバイスも取り上げられてはいるが。

 

 

「……アルフ、は?」

「あ、大丈夫……なの、かな。怪我とかはしてないけど、その」

「……うん」

 

 

 そっと目を伏せながら、フェイトは頷く。

 自分がこの状態なのだから、アルフが自由に動けているはずが無い。

 おそらく、自分と同じように拘束されているのだろう。

 

 

 ……想うのは、母のことだった。

 あの雷は母の次元跳躍魔法だ、フェイトが見間違えるはずが無い。

 と言うことは、自分はとうとう捨てられたのだろうか。

 母の願いを叶えられず、役立たずの烙印を押されてしまったのだろうか。

 それだけが、気になった。

 

 

(私が、ダメな子だから……)

 

 

 心配そうななのはの視線を自覚しながら、フェイトはそっと嘆息した。

 不思議と、悲しみは生まれない。

 自分でも、本当はわかっていたのかもしれない……ただ、それでも。

 それでも、自分はあの人の。

 

 

「なのは!!」

 

 

 その時、病室の扉が突然開いた。

 あまりに突然開いたので、なのはなどは「ひゃうっ」と声を上げてしまった。

 そこにいたのは金髪の男の子――ユーノ、人間形態――だった。

 

 

「大変だよ、なのは! 今聞いたんだけど、これからプレシアって人の所に武装局員を送る……っ……て……あ」

 

 

 ユーノの目が、フェイトに注がれる。

 フェイトの目が大きく見開かれて、次の瞬間には彼女はベットを軋ませながら起き上がろうとした。

 ベルトを引き千切らんばかりに身を起こし、叫ぶ。

 

 

「プレシアって……母さん!? 母さんの所に……!」

 

 

 行かなければ、と本能が叫んだ。

 助けにいかないと、助けにいかないと、助けにいかないと、だって。

 娘なのだから。

 

 

「ちょ、ふ、フェイトちゃん、落ち着いて!」

「お願い!」

 

 

 ベルトに食い込んだ肌から血が出るのを認めて、なのはは慌てて止めようとした。

 そんななのはに、フェイトが詰め寄る。

 身体が自由になっているれば、縋りついていただろう。

 

 

「お願い、連れて行って!」

「え、えぇ……」

「おねがい!!」

 

 

 アルフにも似たような剣幕で頼まれたな、などとどうでも良い事を考えながら。

 なのはは、困り切った顔でユーノの方を振り向いた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 第97管理外世界時間午前9時00分、その作戦は発動された。

 L級次元航行艦船8番艦『アースラ』艦長にして時空管理局提督、リンディ・ハラオウンの命令はただ一つ。

 ――――プレシア・テスタロッサの、身柄を確保せよ。

 

 

「武装隊、プレシア・テスタロッサの居城……『時の庭園』へ転送!」

「了解!」

 

 

 リンディの号令に従い、エイミィが機器を操作して数十名の武装隊員を目的地へと転送する。

 要領は、次元航行艦から他の艦への転送。

 同じ次元空間内部にいるからこその、強襲作戦である。

 

 

 武装隊は、読んで字の如く戦闘を専門とする魔導師が所属する部隊である。

 『アースラ』には現在3個小隊が乗っており、8時間交代性になっている。

 そして現在の担当は第1、第2小隊、それを指揮して『時の庭園』へと乗り込むのは。

 

 

「じゃ、行って来るわ!」

「ああ、気を付けろよ」

「おうよ!」

 

 

 ビシッ、と敬礼代わりに顔の前で指を振るのは、中隊長代理の水色の髪の執務官補佐。

 彼の姿はそのまま転移魔法の輝きに飲まれて、武装隊員達と共に『時の庭園』へと向かった。

 ちなみにクロノに対する返答のテンションが高く見えるのは、ほぼ徹夜明けだからであろう。

 

 

 そしてイオスと武装隊の動きは、スクリーンを通じてリンディ達にも伝わる。

 2つの小隊の隊長は2人共がイオスよりも年上だが、士官学校出で執務官補佐のイオスの方が階級は高くなっている。

 階級と年齢が不相応になるのは、年齢制限が無い管理局では珍しくも無い。

 

 

『……良い趣味の城だな』

 

 

 イオスの私的な呟きがデバイスを通じて聞こえると、艦橋のスタッフ達は一様に頷いた。

 『時の庭園』はデータによればその名の通り、美しい庭園を模した時空航行艦だったはずだ。

 それが今は、荒れ果てた岩盤だらけの巨岩のような外観になってしまっている。

 

 

 大理石と思われる内装は古代の神殿を思わせるが、どこかおどろおどろしい雰囲気に包まれている。

 エネルギー消費を抑えるためか、通路の照明が必要最小限に抑えられているのが原因だろう。

 武装隊員達に囲まれながら、イオスは油断なく奥へと進んで行く。

 最初から深い位置に転送されたためか、トラップなども無く進むことができた。

 

 

「母さん!!」

 

 

 その時、悲鳴のような……そして場違いな声がその場に響き渡った。

 それには指揮官であるリンディですら、心臓を掴まれるような不快な驚きを感じてしまった。

 振り向いた先に、白い病院服に身を包んだフェイトがいたのだから。

 デバイスは持っていないし、密かにかけた魔力制限のリミッターも壊れていないが……ここにいて良い人間とは、どうしても思えなくなった。

 

 

「……キミは!」

 

 

 クロノの怒声にも似た大声は、誰に向けられた物だったろう。

 悲痛な顔でスクリーンを見つめるフェイトか、その両側でフェイトを支えて立っているなのはとユーノに対してか、それとも自分を含めた他の誰かか。

 

 

 『執務官補佐! 玉座の後ろに何かあります!!』

 

 

 しかしそれに対して何か言う前に、状況が動いてしまった。

 視線を戻せば、すでにイオス率いる武装隊がプレシアのいる玉座の間に到達していた。

 武装隊員達が簡易デバイスを玉座に座るプレシアに突き付け投降を促すが、事が上手く進んでいる様には見えなかった。

 

 

 プレシアは投降に応じる様子はなく、イオスが両腕の鎖を揺らしながら前に出ようとした時……武装隊員の一部が、玉座の後ろの空間に気付いた。

 気付いて、しまった。

 明らかにプレシアの顔色が変わり、玉座から短距離転移を行う。

 

 

『私のアリシアに……触らないで!!』

 

 

 凄まじい紫電が走り、玉座の後ろの空間に入り込んでいた武装隊員達が玉座の間へと叩き出される。

 イオス達についているサーチャーが移動し、その空間、部屋の中をスクリーンへと映す。

 そこには。

 

 

「え……」

 

 

 戸惑いの声は、誰の唇から漏れたのだろうか。

 それだけ、艦橋のスクリーンに映った光景は……何と言うか、現実感に乏しかった。

 しかしリンディとクロノ、エイミィ、そして現場のイオスだけは……「それ」を、苦々しい気持ちで見ていた。

 

 

 そこには、フェイトがいた。

 

 

 いや、厳密には「フェイトに似た少女」が、そこにいたのだ。

 培養槽……だろうか、細いカプセルの中で膝を抱える姿は胎児を思わせる。

 幼いながらに整った顔立ち、そして金色の髪が水中に浮かんでいる……。

 そしてそのカプセルの前に、プレシアが鬼気迫る表情で立ち塞がっていた。

 

 

「……危ない、防いで!!」

 

 

 リンディの声が響くと同時に、プレシアの手から再び膨大な紫電が放たれる。

 画面の中を紫色の雷鳴が満たし、一瞬、サーチャーからの映像が途絶える。

 そしてすぐに、映像が戻った時には――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その場にプレシアの魔法の余韻の煙が残り、彼女はそれを鬱陶しげに手で払った。

 それは煙そのものを嫌ったと言うよりも、後ろのカプセルに埃がかぶるのを嫌がったと言うのが正しいのだろうか……。

 

 

「……あら」

 

 

 ふと、彼女は物珍しげな顔をする。

 それは彼女にしては珍しい表情で、それだけ意外だったと言うことだろう。

 

 

「随分と……若い指揮官ね」

「…………これでも一応、士官学校出で二等空尉だよ」

 

 

 皮肉げな物言い、煙が晴れた先には鈍い銀色に輝く鎖の群れ。

 中心にいるのは、水色の髪の魔導師。

 両側の壁に先を突き立て、鎖の壁を築いて防御した。

 

 

 良くやる、とプレシアは思った。

 実際、イオスの防御は完全には部隊を守れなかった。

 殺傷設定で放った魔法の威力を激減させはした物の、武装隊員達はそれでも防ぎきれなかった。

 イオスの後ろには、白い軽鎧を纏った武装隊員の男女が何人か倒れている。

 

 

「……ぐ……っ」

 

 

 そして、イオス自身もその場に膝をつく。

 同時に焼け焦げた鎖がジャララララッ、と音を立てて床に落ちる。

 見れば、イオスのバリアジャケットも所々が焦げていて……。

 

 

(さ、流石……条件付きとは言えSSランク、溜め無しで『テミス』の鎖を焼いてきやがった……!)

 

 

 プレシア・テスタロッサ、管理局がかつて彼女に与えていた魔導師ランクは「条件付きSS」。

 それも魔力量ではなく、媒体からのエネルギー供給を受けることでそれを自身の魔力として運用できる特殊技能によって得た破格のランク認定だ。

 研究から派生した技術だろうが、まさに「大魔導師」の称号に相応しい。

 

 

 次元世界広しと言えどもSランク以上となるとほとんどいない、1%いれば奇跡だ。

 明らかに、イオスよりも格上の魔導師。

 高位ランクの魔導師が次元犯罪者になった場合、このように非常に面倒なことになる。

 

 

「執務官補佐!」

「……負傷者の後送! その後は玉座の間で待機! この部屋には入るなよ……!」

 

 

 先の攻撃のダメージをとりあえず忘れて、イオスは立ち上がりながら顔を上げる。

 紫色のルージュの引かれた唇、不健康そうな顔色。

 大きく胸元の露出した黒に近い紫色のローブに、裏地が紫の黒いマント。

 両腕の紫の宝石が嵌められた金縁の飾りが、長手袋と一体化したデバイスなのだろう。

 

 

 どこか疲労と諦観に包まれた、しかし間違いなく美女の類の女性。

 ……そんなプレシアの姿に、イオスは苦笑を浮かべる。

 魔力を通して鎖を復活させ、同時に水へと魔力を変換しながら。

 

 

「アンタ、本当に50歳過ぎてんのか? とてもじゃないけど見えないぜ」

「……つまらない時間稼ぎね」

 

 

 バレた、まぁそうかとイオスは思う。

 そんな彼の後ろでは、玉座の間に待機していた武装隊員が負傷した仲間を回収している。

 プレシアが再び片手を掲げ――まるで、後ろの娘を守るように――次の瞬間、再び紫電を放つ。

 視界一杯に広がる紫の閃光に、イオスは飲み込まれた。

 

 

<Water spear>

 

 

 鎖で自動防御魔法を展開しながら、イオスは魔法を放つ。

 水が渦巻き槍と化す、それが9本プレシアへと向かう。

 しかしそれは紫電から派生する放電によって撃たれ、プレシアに届く前に力を失う。

 そして鬱陶しげに払われたプレシアの手が魔力を発し、弱まった水の槍を霧散させる。

 

 

「ちょ……ぐ、くぅおおおおおおぉぉぁあああああああっ!?」

 

 

 そしてイオス自身は、弱った『テミス』の鎖で防ぎきれなかった紫電の攻撃をモロに受ける。

 そのまま武装隊員達を巻き込んで吹き飛ぶイオスを、プレシアはつまらなそうに見つめていた。

 さっと、手を振ると、どこからともなく10個の『ジュエルシード』が展開される。

 

 

「もう、ダメね……行きましょう、アリシア……アルハザードへ」

 

 

 行けるかどうかはわからない、ただ、もう時間が無いことも確かだ。

 プレシアは赤子を宥めるような手つきでカプセルのガラス面を撫でると、周囲に浮かんでいる『ジュエルシード』に……ふと、気付いた。

 目の前のカプセルに小さな、良く見ないとわからない程度の細かい傷がついていた。

 

 

 それは、先のイオスの攻撃魔法によるものだった。

 別にカプセルに影響を与えるわけでもない、引っかき傷にも満たない傷だ。

 しかしそれを見た瞬間、プレシアは表情を歪めた。

 

 

「私の、アリシアに……傷を」

 

 

 次の瞬間、プレシアとカプセルの周囲に円を描くようにして鎖が跳ね上がった。

 それが自分達を締め上げようと狭まって来た所で、プレシアは……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 何か意味の無い、形容しがたい叫び声をあげてプレシアが腕を振るう。

 円形に紫色の雷が走り、迫りくる鎖を弾き飛ばした。

 『テミス』の鎖は凄まじい雷撃の前に成す術なく吹き飛ばされ、壁に激突して落ちた。

 

 

「……その子が、アンタの『本当の娘』か」

 

 

 プレシアの2撃目の雷撃の跡地とも言うべき地点に膝をついた体勢で、イオスが右腕を掲げている。

 身体の後ろに庇うように下げている左腕からは、罅割れた鎖が力無く垂れている。

 手甲ごと砕けているのは、プレシアの魔法の威力がそれだけ高かったことを意味している。

 バリアジャケットに濃い染みができ、指先からはポタポタと血が落ちている。

 

 

「……そうよ、この子はアリシア。たった1人の私の娘……本当の、なんて余計な言葉をつけてほしくは無いわね」

 

 

 切れた額から目元を過ぎ口にまで到達した血を舌先で舐めとりながら、イオスは自分と幼馴染達の考えが当たったことを悟った。

 そもそもにおいて、計算が合わないのだ。

 

 

 もし本当にあのフェイトと言う少女がイオス達の考える「プレシア・テスタロッサ」の娘であるのなら、どう計算しても年齢が合わない。

 過去にプレシアが提出した出生届と離婚届から、その家族構成は予測することが出来る。

 もし他に、可能性があるとするのであれば。

 

 

「アリシアに傷をつけたことは許せないけれど……もう、時間が無い……だから、終わらせるわ。この子を模した人形を娘扱いすることにも……」

「人形……」

「ええ、そうよ……アリシアのことに気付いていたのなら、知っていたのでしょう? あの子が……フェイトとか言うアレが、この子のクローンだってことにね」

 

 

 クローン技術、それ自体は魔法技術の一つとして過去にすでに確立されている。

 当然、人間のクローニングも不可能ではない。

 プレシアが失踪する直前に携わっていた研究が、まさにそれだった。

 ……当然、無断で行えばそれは犯罪だ。

 

 

「アンタを逮捕する罪状が、また一つ増えたよ」

「罪? 罪……罪ですって!? この子を生き返らせることの、何が罪だと言うの!?」

 

 

 プレシアが腕を振るい、イオスも残った右腕の鎖を目の前に広げる。

 まるで蜘蛛の巣のように広がったそれが防御膜となり、プレシアの雷撃を止める。

 しかし完全には防げない、鎖の壁の間から抜けて来た雷がイオスの身体を撃つ。

 焼け焦げて落ちる鎖に舌打ちしながらも、イオスはそれでも持ち堪えた。

 

 

 一方で、プレシアの方にも異変が起こっていた。

 雷撃を撃った後に膝をつき、苦しげに咳き込み出したのである。

 次に顔を上げた時には、口元に赤い血が滲んでいた。

 

 

(……病気か。しかも、かなり重い)

 

 

 プレシア程の魔導師・科学者の計画にしてはやけに簡単に尻尾を掴めたと思ったが、どうやら病による焦りからだったらしい。

 とはいえ、イオスの今の状態では病身のプレシアにすら及ばないが。

 プレシアは見えないはずのサーチャーに視線を向けると、血に濡れた唇を歪めた。

 

 

「もしかして、フェイトも聞いているのかしら……アリシアの記憶をあげたのに、優しいアシリアになり損なった出来損ないの人形。何の慰めにもならなかったわね」

 

 

 フェイト、そもそもその名前自体が人間の名前では無い。

 元々は、プレシアの携わっていた研究のプロジェクト名でしか無い。

 ――――プロジェクト「F」。

 

 

 「でも、もういらない……だって私はアリシアを取り戻すのだから。アリシアの代わりなんてもういらない……うふ、うふふふふふふ、あははははははははははははっ!」

 

 

 プレシアにとって、フェイトとは――――言ってしまえば、苛立ちの象徴でしか無かった。

 何故なら、アリシアでは無いから。

 アリシアで無いフェイトは、アリシアに似た何かでしかなかったから。

 アリシアは目覚めてくれないのに、フェイトは動いているから。

 それは、苛立ちしか生まない。 

 

 

「だから、私はあの子が……フェイトが、嫌いだった。大嫌い。憎んですらいた程に、だってアリシアは起きてくれないのに……どうして、あの子が平然と動いているのよ!?」

 

 

 嘲笑は、最後には怒声へと変わった。

 憎悪と疲労、そして諦観と嫌悪……血と共に吐き出されるそれは、サーチャーの向こう側にいるだろうフェイトの心を撃ち砕くのには十分な威力を持っていた。

 いや、そもそもプレシアはフェイトにそんな物を認めていない。

 

 

「……だよ……」

 

 

 ……その時、ふとプレシアは気付いた。

 目の前で膝をつく少年の周囲の空気が揺らめいて、水蒸気のような物が発されていることに。

 焼け焦げ罅割れた右腕の鎖を震わせながら、水色の髪の少年が顔を上げる。

 

 

「どうすりゃ、良いんだよ……!」

 

 

 それは無論、どうすればこの状況を逆転できるか、などということを言っているのではない。

 もっと別の、彼にとって切実な問いかけだ。

 

 

「アンタが……アンタと言う母親が、アリシアと言う娘の死を認められないでいるってことはわかった。娘の死っていう現実を、認められないでいるってことがな」

「そう……そうよ、認められるはずが無いじゃない。あんな形でアリシアを失って……認められるはずが無いわ!」

 

 

 次元航行エネルギー駆動炉『ヒュウドラ』の実験事故、書類上はプレシアの責任と言うことになっている。

 しかし真実は少し違う、プレシアはあの段階での実験には反対だった。

 それを上層部が強行して、その結果……娘は、死んだ。

 認められるはずが無かった。

 

 

「……俺だって、俺達だってなぁ……」

 

 

 血を失い過ぎたのか、だんだんと自分の言動に自信が持てなくなってきた。

 ……自分達だって、認められなかった。

 イオスは強くそう思う、幼くて認識が出来なかったなどと言うつもりはない。

 しかし父が任務で死んだという事実は年を追うごとに重くなってくる、認めたく無かった。

 

 

 だが認めた、認めた上でイオスは幼馴染と約束した。

 幼馴染の母に、リンディに学ぶのだと。

 それは、すなわち。

 

 

「母親が現実を受け入れなけりゃ、残ったガキはどうすれば良いんだよ!!」

 

 

 幼馴染の母は、強かった。

 現実を受け入れて前に進み、息子に範を示し続けている。

 それが、イオスには羨ましくて仕方が無かった。

 

 

「フェイトはアンタにとっちゃ人形だろうさ。俺だって別にどうだって良い、友達ってわけじゃない。けど、造ったのはアンタだ。ならアンタが最後まで責任を持てよ、なくしたものに縋りついて、現実から逃げてんじゃねぇよ。アンタの娘は二度と帰ってこない、それがアンタの現実だろうが!!」

 

 

 噛み締めた歯の間から、獣のような声を絞り出す。

 そうやって、イオスは立ち上がった。

 満身創痍、もはや戦うなどできそうにない身体だ。

 だが、水色の瞳だけは苛烈な色を浮かべている。

 

 

「……そしてアンタは、娘を想う母親なんかじゃない。ただの犯罪者だ、その現実を……」

 

 

 ジャラッ、音を立てて右腕に鎖が巻きつく。

 ザワ……と右腕を覆うのは魔力の流水。

 

 

「現実を、受け入れろ!!」

 

 

 右腕を振りかぶり、最後の力で前へと跳ぶ。

 プレシアはそれに対して腕を上げ、紫電を纏って迎撃する。

 すでに彼女の肉体も限界だがそれでもSSランクの大魔導師、満身創痍の格下に遅れは取らない。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」 

 

 

 雄叫びを上げて、プレシアの放つ光の中に飛び込む。

 それはあまりに圧倒的な輝きで、イオスにはどうすることもできない。

 しかし、どうすることもできないその輝きに対して、彼は。

 

 

 彼は――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ――――気が付いた時、イオスは誰かに抱き止められていた。

 誰かの腕に寄り掛かるような体勢、長距離マラソンを走り終えた選手をトレーナーが受け止めるような形だった。

 

 

 振り下ろされた右腕は目標を失い、勢いのままに下に落ちる。

 たたらを踏みかけた足を床に止めれば、そこにはプレシアはいない。

 代わりに、近未来的な見慣れた艦橋が広がっている。

 

 

「――無理はするなと言ったろう、だが良くやった」

「く――クロノ……?」

「お前がプレシアを引きつけていてくれたおかげで、体勢を崩された武装隊を艦に送還することが出来た。お前の防御魔法が無ければ目前での転送は不可能だったな」

 

 

 プレシアは馬鹿では無い、むしろ天才だ、そして自分の邪魔をする者に対する容赦など無い。

 回復すればまた攻めて来るとわかっていて、大人しく武装隊を逃がすなどあり得ない。

 特に武装隊員は多くがB・Cランク魔導師だ、プレシアには到底及ばない。

 

 

 イオスの頑張りは、武装隊員達の撤退のための時間を稼ぐ結果になった。

 まぁ、多少は感情的な場面もあったが……結果的には、死者はいない。

 『ジュエルシード』ならびにプレシアの身柄を確保すると言う作戦は、失敗したが。

 

 

「あー……あのおばさんパネェわ、死ぬかと思ったぞクロノ」

「ああ、見てたよ。見事なまでにやられてたな」

「うっせ、クロスケ。だがわかったこともあるぜ、アイツは病気だ、それももうすぐ死に……っと」

 

 

 クロノに肩を借りながらイオスが報告混じりのことを話すが、一旦止める。

 理由は、艦橋の一隅で床に崩れ落ちている少女の存在だった。

 フェイト・テスタロッサ……プレシアが語った真実は、サーチャーを通じて余さずこの少女にも聞こえていた。

 

 

 瞳は虚ろで、まるで生気が見えない。

 信じていた何かが完全に崩れてしまったせいか、傍のなのはやユーノの声も聞こえていない様子だった。

 艦橋の人間全てが、それを傷ましそうに見つめている。

 

 

「……とにかくご苦労様、イオス執務官補佐。武装隊の皆はすでに治療を始めているわ。貴方……それと、フェイトさんも医務室「艦長!!」……どうしたの!?」

 

 

 リンディの言葉を遮ったのはエイミィ、彼女は機器を操作してスクリーンにある映像を出した。

 それは岩の塊のような『時の庭園』全体を映しており、庭園内から放たれる魔力数値とパターンについて示している。

 そしてその魔力パターンは、彼女らの良く知る物だった。

 

 

「じ、『ジュエルシード』、『ジュエルシード』の発動を多数確認! その他、庭園各所から攻撃的な魔力と、補助動力と思われる駆動炉の機動を確認……!」

「……何をするつもりなの」

『……決まっているわ、旅立つのよ……失われた都、アルハザードへ』

 

 

 未だサーチャーが生きているのか、掠れたようなプレシアの声が艦橋に響く。

 

 

『無駄だろうけど、忠告しておくわよ……私達の、邪魔を、しないで』

 

 

 その音声を最後に、ガラスを引っかくかのような音が響き、サーチャーが破壊される。

 深い沈黙が訪れる艦橋で、次元震の予兆を観測した警告音だけがけたたましく鳴っていた……。

 





今回も、最後まで読んでいただきありがとうございます。
うーん、今回は何だか思い通りに作れなかった感があります。
もう少しこう、もっと展開とか考えてみたかったかもしれません。
本当に難しいです、というか主人公ってどうすれば深みが出るんでしょうね……?

それはそれとして、今話は展開こそ原作と異なりますが、結論的な部分では原作を準拠できたかなと思います。
次回はいよいよ、改変が起こるかもしれませんです。

では、失礼致します。

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