この広い次元の中には、幾千、幾万の世界が存在する。
様々な世界は様々な想いが寄り集まって形作られ、いくつかの想いは様々な形で重なることになる。
星の数ほども存在するそれらの世界は、時として衝突し、時として滅びていった。
そしてある時、それを防ごうとする存在が現れた。
それは数多存在する幾千幾万の世界を「管理」し、いかなる世界の滅びをも認めず、平和と安定を希求する者達による集団。
彼らは時に言葉を、時に武力を用いて世界を守る…………「世界」を支える者達。
次元世界を、守護する者達。
――――彼らの名を、「時空管理局」と言う。
◆ ◆ ◆
「……アレが、スクライアの次元移送艦……?」
「らしいな」
見る者の視界が奇妙に歪む幾何学的な光景が広がり、生身で飛び出せば四肢が裂けて何処へと四散するかもわからない危険な空間。
次元と次元の狭間、特殊な次元間跳躍技術を搭載した艦船でなければ存在すら出来ない空間。
その中で、ある男女が普通に会話していた。
人が生きれないはずの次元の狭間で、何も気負うことも無く。
男……少年の名は、クロノ・ハラオウン。
10歳前後の背丈に黒髪黒目、詰襟にも似た黒を基調とした衣服を纏い、腕を組んで佇むその姿からは冷静さと知的さを感じることが出来る。
女……エイミィ・リミエッタは、少年とは異なり何らかの計器を操作している。
癖っ毛な黒髪と思案しながらもどこか愛嬌のある顔、警察官にも似た紺色の制服姿の15歳前後の少女だ。
「ん……通信文、来ました。一通りチェックしたけど、問題は無し」
「そうか……アレックス、ランディ、どうだ?」
時空管理局所属L級次元航行艦船8番艦、『アースラ』。
それが、彼らが乗っている次元の狭間を航行する能力を備えた船の名である。
二又に分かれた槍の刃のような形をした艦が、薄暗い次元の狭間で鈍い銀色の輝きを放っている。
強力な兵装を備えた「戦う艦(ふね)」であり、次元間を移動する彼らの拠点でもある。
次元世界を守る「時空管理局」……その局員達の拠点である。
「艦形照合、99.3%一致。乗員照会、及び積荷のスキャン完了」
「符号確認、ほぼ間違いなく申請通りの船です」
「わかった、ありがとう」
茶髪と紫色の髪のオペレーター2人に礼を言って、クロノは再び前を見た。
近未来的な外観の艦橋、その正面の巨大なスクリーンに視線を戻す。
視界の端に通信機器を操作するエイミィ――士官学校の同期でもある――を収めながら、スクリーンに映し出されるもう1隻の「次元航行艦」を見つめる。
「スクライア艦に通信文、歓迎の言葉と接舷の要請、こちらの指示に従うようにと」
「りょーかい、形式だね」
「だが必要だ」
「わかってるよ、クロノ君」
「なら良い」
通信機器を操作して相手に通信文を返信するエイミィから一時的に意識を外して、クロノは己の手元に出現させた小型モニターのいくつかに目を通す。
それは今から接舷する相手……スクライアと呼ばれる部族についての基礎情報、並びに今回先方から引渡し申請があった「ロストロギア」についての情報が載っていた。
ロストロギアとは、過去に滅んだ世界・文明の残した危険な遺物のことを指す。
現在の技術では解明できない物が多く、中には次元世界その物を滅ぼしかねない物も含まれる。
今回スクライア――古代遺跡発掘を生業とする流浪の部族――がある遺跡から発掘した物も、その一つ。
これらロストロギアの確保と管理も、時空管理局の重要な仕事だった。
まぁ・・・幸いにして今回は、物騒な事も起きずに終われそうではあるが。
「皆、お疲れ様」
その時、艦橋に入ってきた新たな人物の声に、クロノは意識を現実へと引き戻された。
振り向いた先にいたのは、2人の人間だった。
そしてその2人共を、クロノは良く知っていた。
1人は、長い緑色の髪を頭の後ろで纏めている妙齢の女性だった。
年齢に比して若々しい美女で、紺色の局員服の肩章はこの艦における最上位の階級を示している。
この次元航行艦『アースラ』の艦長にして、クロノの実母でもあるリンディ・ハラオウンだった。
一同が立ち上がって艦長たるリンディを出迎える中、当然ながらクロノも敬礼で母を出迎える。
リンディはそんな息子に苦笑じみた視線を投げた後、全員に作業に戻るよう告げた。
「エイミィ、向こう側と連絡は取れたかしら?」
「はい艦長、今の所、目立った問題はありません」
母が通信士であるエイミィと話し始めたのを横目に、クロノはもう1人の方へと視線を向ける。
リンディと異なり艦橋の中に進むこと無く、そのまま自動扉の向こう側に消えた水色の髪の少年。
エイミィと同じく士官学校の同期、そして唯一と言っても良い幼馴染の少年の顔を……。
◆ ◆ ◆
嫌な予感、と言うのは往々にして人の行動を左右する。
リンディと共に艦橋に入ろうとして直前でやめた少年、イオス・ティティアはそんなことを考えていた。
耳が隠れるか隠れないか程度の長さの水色の髪、同色の瞳にはどこか憂鬱さを含んでいるように見える。
紺色の局員服に隠れていない肌は健康的な色だが、顔色がやや青白いようにも見える。
先程まで艦長にして養い親でもあるリンディと艦長室にて話し、そのまま艦橋に来たのだが。
何故かリンディと共には入室せず、こうして一呼吸置こうとしていた。
あえてそうすることを許してくれたリンディには、心から感謝しているイオスだった。
「おい、イオス。どうして入って来ない?」
「・・・・・・いんや、別に何でもねぇよ」
軽く空気が抜ける音と共に自動式の扉が開き、艦橋からクロノが出てきた。
幼い頃から共に生活してきた幼馴染の登場に、イオスの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
憂鬱そうな色が消えて、年齢相応の笑みを浮かべる。
同い年の14歳にしてはやけに小柄な――具体的には10センチ近くイオスの方が高い――クロノに、片手を上げてみせるイオス。
クロノとイオスの関係は、かれこれ11年以上前から始まる。
父親同士が局員で同じ部隊、そして家が近所となれば自然と家族ぐるみの付き合いになった。
ただ11年前のとある事件がきっかけで2人の父が他界、イオスの母は子育てが出来る状態になくなってしまい、リンディがイオスを預かることになった。
以来、戸籍上は他人でもクロノとイオスは兄弟のように育ってきた。
「嘘を吐くな……ミッドの病院からか?」
「ん、んー……はは、流石は最年少執務官さまの推理力が豊かだな」
「茶化すな」
結局、イオスはクロノの質問には直接は答えなかった。
しかしそこは長い付き合いだ、クロノは間接的にだがイオスが「イエス」と答えた物と判断した。
イオス言う所の、「豊かな推理力」、だ。
そしてそれ故に、クロノはこの幼馴染のことを心配した。
ただそれを表情に出さないあたりが、クロノの不器用な所である。
「そうか……まぁ、向こうに出向くのは僕でも構わないが」
「おいおい、おーいおいおいクロノ執務官、公私混同はいけませんよ」
「だから、茶化すな」
そしてイオスも、長い付き合いからそれはわかる。
だから少し嬉しそうに笑って、軽口を叩く。
クロノもそれがわかるからか、不満そうにしながらも機嫌を損ねた様子は無い。
そして、イオスは少しだけ真面目な声音で。
「ロストロギア絡みの案件なら俺が……「俺達」がやらなきゃ、だろ?」
「……そうだな」
「そーんな顔すんなって、執務官は後ろで偉そうにしてろよ。雑務は補佐に任せてさ」
「偉そう言うな」
クロノ執務官付執務官補佐、それがこの艦におけるイオスの役職だった。
執務官とは管理局の役職の一つで、事件発生時の捜査・指揮・法の執行を行う管理職だ。
強力な権限を持ち、管理局でもトップクラスのエリート。
資格試験は非常に難しく、イオスはその執務官であるクロノの補佐だ。
ちなみに、通信士のエイミィも執務官補佐である。
3人は士官学校の同期生でもあり、職場を同じくする友人でもあった。
エイミィはともかく、イオスは執務官資格を目指して勉強を続けているのだが……。
「……4回目の試験、受かると良いな」
「うっせ、とっとと行くぞクロスケ」
「誰がクロスケだ!?」
絶賛、試験に3回落ちていた。
別に珍しいことでは無いが、同期のクロノが2回目で受かっているので微妙に気にしているのだった。
◆ ◆ ◆
『アースラ』艦長であるリンディは、実子であるクロノはもちろん、養い子であるイオスのことも案じていた。
ミッドからの連絡を養い子であるイオスに伝えた後の彼のことを思い出し、心の中で溜息を吐く。
艦長として艦の人間に開示すべき情報は包み隠さず話す、しかし彼女も人間、気にしないわけでは……。
(……心配、し過ぎだったようね)
息子であるクロノとじゃれながら(本人達は否定するかもしれないが)艦橋に入ってきたクロノとイオスを、リンディはエイミィと共に微笑ましげな目で見ていた。
程なくして、そのイオスがクロノと共にリンディの前に立ち敬礼した。
「艦長、イオス・ティティア執務官補佐。スクライア艦に赴き積荷の確認任務に従事します」
「はい、気を付けて行ってきてね」
「アイアイ・マム」
かなり砕けてはいるが、任務の確認を行う。
その後少しの注意を与えて、リンディは『アースラ』から義理の息子とも言うべき男の子を送り出した。
心配ではあるが、これまで似たような任務を何年もこなして来たのだ。
今回もそうだろうと、そう思っていた。
それはクロノやエイミィも同様で、転送、先方との確認作業、通信報告と、全て問題なく進んだ。
ただ、引き渡されるロストロギアの発見者が9歳の少年と言うのは驚いたが……。
ともかく、問題は無い……はず、だった。
問題の発生は、イオスのスクライア艦への転送から20分後。
イオスが発見者の少年に連れられてスクライア艦後部の積荷エリアの一つに移った瞬間に、「それ」起こった。
「……艦長、クロノ君!」
「エイミィ?」
「何だ!?」
「空間数値が歪曲してる…………これ、次元跳躍――……ッ!」
エイミィの警告が終わるよりも速く、あり得ない現象がスクライア艦を襲った。
艦艇後部に次元の狭間から巨大な雷が落ちて、艦に少なくない損害を与えた。
しかもそれだけで無く、次元に外部から影響が与えられたために……次元が、「たわんだ」。
たわみ、穴が開き、予定されていない航路に艦が流れて、穴の中に引きずり込まれた。
『アースラ』の艦橋で悲鳴を上げたのは、誰だったのか。
彼らが見ている前で、スクライア艦は後部の積荷区画をバラバラに撒き散らしながら……穴の向こう側に消えた。
特殊なケーブルで繋がれた積荷区画は、いわばトラックの荷台である。
あるいは一つ一つが小さな船舶であるとも言える、移動手段を持った荷台だ。
それがバラバラになってしまうと言うことが、何を意味するのか。
「……エイミィ」
「え……ちょ、ええぇ……?」
「エイミィ! スクライア艦とバラけた積荷区画の出現ポイント! どの次元世界に出たか計測してくれ、早く!!」
「あ……は、はい!」
いち早く意識を戻したのはクロノであり、呆然としていたエイミィを正気に戻して航路から消えた艦と積荷の行き先の調査を命じる。
……程なくして、『アースラ』の次元観測システムが座標を弾き出した。
「え……えっと、艦と積荷区画はそれぞれ第93から第98までの次元世界に……その、幅広く……」
「……散らばったわけか。どこに何があるかはわからないのか?」
「…………質量の大きいスクライア艦本体は、すぐにわかるよ。ただイオス君と発見者の男の子が乗ってた積荷区画は……」
次元世界は広い、正直な所、『アースラ』の人員だけで探そうとすればかなりの時間を擁する。
それこそ、気が遠くなるような時間だ。
該当世界の中には無害な場所もあるが、逆に危険極まりない場所もある。
彼らの仲間であるイオスと保護対象である少年の落ちた先が、後者で無いとは言い切れなかった。
しかも、移送中のロストロギアと一緒に……。
「……艦長」
「…………スクライア艦の救助を最優先にします。その後、ロストロギアの回収を。ティティア執務官補佐の救出はその次に行うことにします」
「母……艦長!」
声をあげたものの、クロノは母の判断を否定はしなかった。
時空管理局は人々を救うことを使命とする組織だ、ならばより人数が多い艦の方を救助するのは正しい。
そして次元世界に影響を及ぼしかねないロストロギアの回収、発見者の少年・・・。
局員であるイオスの優先順位は、非道なようだが、けして高い物ではなかった。
クロノにも、それはわかっている。
だから母の唇に血が滲んでいるのを見て、それ以上の追求をやめたのだ。
そんなことをしている暇があればスクライア艦を救助し、そして捜索するしかない。
ロストロギアと発見者の少年、そして……イオスを。
「……ティティア執務官補佐は優秀な……優秀な魔導師です。きっと、救助まで持ちこたえてくれるはずです」
リンディの言葉に、艦橋のスタッフがそれぞれ「了解」と応じる。
そして、後に「PT事件」と呼ばれることになるこの事件に対する彼らの初動は遅れることになった。
この遅れが……。
――――時の遅れが、運命の悪戯を呼び寄せるとも知らずに。
初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶりです、竜華零です。
これから「リリカルなのは」を描かせて頂きます、頑張りますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
では、また次回もよろしくお願いいたします。