魔法少女まどか☆マギカ★マジか?   作:深冬

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第七話

「ねぇ、キリトくん。キリトくんのおなまえってキリストさまみたいだね」

「キリストさま?」

「うん。キリストさまだよ。とってもえらくて、それなのにみんなにやさしい、かみさまみたいなひとだよ」

「そうなんだ。じゃあ、ぼくはキリストさまになるっ!」

「それじゃあ、わたしは――」

 

 太陽が燦々と降り注ぐ中、公園のベンチに腰掛け一組の五歳くらいの少年少女が会話を楽しんでいた。傍から見るとなんとも微笑ましい。

 会話内容から察せられるに、二人の仲は良いらしい。

 少年――俺は黒髪の少女に対して身ぶり手ぶりで子供ながらに将来設計図を語っていた。少女もそれに笑顔で答えている。

 

 ――おかしい。

 

 何もかもがおかしかった。

 ここはどこだ? この少女は誰だ? そして俺は何を言っている?

 

 確かにそこにいる少年は俺だったが、俺にこんな記憶は無いはずだ。

 いくら俺の脳内で検索を掛けても今俺の目の前で起こっていることの記憶は何も見つからなかった。

 

「ハハッ、じゃあ■■■ちゃんはぼくのおよめさんだねっ!」

「うん。わたしはキリトくんのおよめさんになる!」

 

 コイツらは何を言っているんだ……。

 “お嫁さん”だと?  おそらく子供ながらに将来を誓い合っているのだろうが、おい止めろ俺。それは後に黒歴史にしかならないんだぞ。

 声を出して二人の間に割り込もうとしたが、ここでようやく俺自身が目の前の二人には認識されていない事に気づく。何故なら俺は俺自身に掴みかかろうとしたのに、手が空を切ったからだ。

 これでさらに意味不明になる。

 

 ――今のこの状況は何なんだ?

 

 ようやくと言って良いほど、気付くのが遅すぎた。

 目の前に子供の時の俺がいて、それなのに繰り広げられているのは俺の記憶には無い出来事。そしてそれを傍観する俺。

 

 ――わけがわからない。

 

 そんな言葉しか出てこなかった。

 

「ごめん。ぼく、とおくにひっこさなくちゃいけないんだ」

「え……」

 

 俺の困惑を尻目に、場面が変わる。

 何故かいきなり別れを告げる子供の俺。そして黒髪の女の子は今の俺と同じように困惑に包まれていた。

 

「ごめん。ほんとうにごめん……」

「…………」

「…………」

 

 子供の俺は悲痛な面持ちで黒髪の女の子に謝る。しかし、女の子は黙りこってしまう。それに釣られるように子供の俺も言葉を無くす。

 やがて女の子は意を決したように口を開く。

 

「……またあえるよね?」

 

 目には涙を浮かべ、子供の俺に対し再会の誓いを問う。

 

「うん。もちろんだよ。だって、■■■ちゃんはぼくのおよめさんなんだよ」

 

 子供の俺は女の子に負けじと必死に涙を堪える。

 

 ――本当にこれは何なんだ?

 

 繰り返しになるが、本当に俺にはこんな過去の記憶なんて無い。生まれも育ちも見滝原だし、幼少のころにこんな黒髪の女の子の友達はいなかったはずだ。

 

「これ……、キリトくんにあげる」

 

 既に決壊してしまった涙を流しつつ、女の子が自らの首から提げたモノを外すと、子供の俺へと差し出す。

 その差し出されたモノを見て、俺はさらに混乱する。

 

 ――なんで、なんでそれがそこにあるッ!

 

 意味がわからなかった。

 訳がわからなかった。

 

「ありがとう。たいせつにするね」

 

 子供の俺はそれを受け取り、自分の首へと提げる。

 

「にあってるよキリトくん」

 

「ありがとう■■■ちゃん」

 

 二人とも堪え切れなかった涙が頬を伝っていた。しかし、別れを涙で終わらせないために必死に笑顔を作っている。

 

 ――あれ?

 

 何故か俺の目からも涙が溢れていた。

 黒髪の女の子のことなんて知らないはずなのに、こんな別れの記憶なんて無いはずなのに。

 何故だか、知らぬうちに目の前の二人に引かれるように涙が頬を伝っていた。

 

 

 *****

 

 

 ゆっくりと瞼を開く。

 そこには、いつもと変わりない俺の部屋の天井があった。

 

「あれは……何だったんだ?」

 

 ここがベッドの上であると言うことを確認してから、右手で顔を覆った。

 

 あるはずのない過去の記憶。

 これが一番しっくりきた己の中の一つの回答だった。

 

「それにしても……」

 

 ベッドから起き上がり、顔を覆っていた右手をすぐそばのテーブルへと伸ばす。

 

「なんでこれが……?」

 

 俺が手にしたのは十字のネックレス。別にロザリオだとかそんな高尚な物ではない、ぞんざいな造りのただのネックレスだ。

 このネックレスを子供の俺はあの黒髪の女の子から受け取っていた。

 

「……そんなはずないじゃないか」

 

 俺の記憶が正しければ、この十字のネックレスは子供の時に両親に買ってもらった物のはずだ。

 だからあの女の子の介入する余地は無い……そう、出てくる余地は無いはずなんだ。

 

 なのに、なんで俺は先ほど経験した過去の記憶だかなんか知らないが、よくわからん夢を否定しきれないんだ?

 生まれも育ちも見滝原の俺に引っ越しなんて絶対に記憶に残るはずのイベントを憶えていないはずはないじゃないか。

 

「……わけ、わからん」

 

 せっかく起き上がらせた身体をポスンとまたベッドへと預ける。

 

 こんなにも訳がわからなくなったのは、繰り返しが始まった当初以来ではないだろうか?

 いや、あの時と今では少し意味合いが違うか。

 あの時はなんで繰り返すのかがわからなかったという、自分以外に向けた不信感。

 しかし、現状感じているのは自らを信じられない言い知れぬ不安感。

 

 どうして……どうして、と疑心暗鬼になるもの自己防衛のための一つの手だろう。

 だが、俺は何を疑えばいいのかわからずに、ただただ頭を空っぽにしてボーッとすることしか出来なかった。

 

 結局、母親が学校の時間だと言うことを知らせてくるまで、ずっと俺は天井を見詰めつつけていた。

 あの過去の記憶だか夢だかよくわからんものを何で俺は見てしまったのかとか、繰り返しの原因が暁美ほむらなのかもしれないとか、考えるべきことはいくつもあったのに、まるで脳内の許容量を超えてしまったのではないかと思うぐらいに何も考えられずにボーっとしていた。

 

 母親に急かされるまま制服に着替え、朝食を食べ、そして学校へと続く道路をゆらゆらと歩く。

 

「そういえば、今回はキュゥべえはいなかったな」

 

 繰り返しの原因が暁美ほむらとかもしれないということを知ることができた以上、別にキュゥべえはいなくても良いのだ。暁美ほむらに直接繰り返しのことを問い詰めればそれで良いのだから。

 しかし、いなくても良いが、どちらかと言えばいた方が良い。暁美ほむらが魔法少女であるという事実を鑑みれば、キュゥべえがいた方が円滑な話し合いが出来るかもしれない。

 

 ダラダラとした足取りで見滝原中学の校門を潜る。

 周りには俺以外に誰もおらず、すでに授業時間が始まっているようだ。

 俺は急ぐ気にもなれず、トボトボと自分の教室を目指して廊下を歩いた。

 

「おはようございます」

 

 ガラーッと教室後方の引き戸を開き、朝の挨拶をしながら教室に入る。

 クラスメイトが全員、授業中の闖入者である俺に目を向けてきたが、それも数秒後には一時限目の授業を担当している教師へと視線を戻した。

 教師の方も、これと言って俺に遅刻のことについて何を言うでもなく、早く着席するように促すだけだった。

 

 退屈な一時限目の授業が終わると、友人が俺のところへとやって来た。

 

「キリトが遅刻してくるなんて珍しいじゃん。なんかあったの?」

「いや、ただの寝坊だから気にすんな。お前だって時々あるだろ?」

「まあな。でさぁ、キリトちょっと聞いてくれよ――」

 

 遅刻した理由を適当に言うと、友人はすぐさま納得してくれたが、その友人の続けた言葉に俺は胸の奥に何かが灯るのを感じた。

 

「――別のクラスに超可愛い転校生が来たらしいんだけどあとで見に行かねぇか?」

「……転校生?」

「そうそう、黒髪の長い美少女らしいぜ。これはもう、アタックするしかねぇよな!」

 

 黒髪……そう言えば暁美ほむらは転校生だったな。

 

 暁美ほむらのことを強く意識すると更に胸の奥が熱くなった。

 怒り、憎しみ、苛立ち。この気持ちを上手く表現する言葉が見つからないが、負の感情であることは間違いない。

 

「……そ、そうだな。でも俺は止めておくことにするわ」

 

 なんとか冷静を装って返答する。

 

「なんだ、向井はノリ悪いなぁ。もしもその子と俺が付き合うなんてことになってもしらねぇぞ」

「ハハハッ、それは無理だろうから安心しとけ」

「な、なんだとぅ!?」

 

 友人とのそんな会話も二時限目の予鈴でお開きになる。

 

 そうだ……そうだったな。俺はこの繰り返す時間から解き放たれたいんだ。

 今日、目覚めてからずっと考えることをあまりしなかったことを強く認識する。いや、本来の目的を再確認すると言った方が正しいかもしれない。

 

 昼休みまで待って、暁美ほむらがいるであろう鹿目と美樹の教室へ向かう。

 すると何とタイミングが良い事に、暁美ほむらと鹿目が教室から出てきたところだった。

 

「暁美ほむら。話があるんだが」

 

 ちょうど俺がいる方向に歩いてきたので名前を呼ぶ。

 しかし、暁美ほむらは俺になんて目もくれずに、つかつかと俺の真横を通りすぎる。

 

「あ、暁美さん。呼ばれてるよ……?」

 

 鹿目がそんなことを言うが、暁美ほむらは振り返って「早く行きましょう」とだけ言うのだった。これに鹿目はどうしたら良いのかわからなくなったと言った風にあたふたし始めた。

 そんな鹿目は放っておいて暁美ほむらに話しかけることを続ける。

 

「暁美ほむらはなかなかに酷いヤツだな。二人きりで話をしたいっていたじゃんか。まぁ断わられたんだけどさ」

「あなたもしかして……」

 

 今まで眼中になかったはずの俺を見て目を見開く暁美ほむら。

 おっ、反応ありってか。これはもう間違いないのかもしれない。

 

「互いに長い(・・)付き合いになるかもって言い合った仲じゃないか」

 

 俺が言い終わって数秒の沈黙の後、暁美ほむらは鹿目へと視線を移動させる。

 

「……ごめんなさい鹿目さん。保健室には彼に案内してもらうことにするわ」

「あ、う、うん。それじゃあ、またあとでね暁美さん」

 

 鹿目はきょどりながらもしっかりと暁美ほむらに挨拶をしてから、教室に戻っていく。

 暁美ほむらは鹿目が戻るのを確認してから、視線を動かして俺を睨む。

 

「とりあえず屋上行こうか」

 

 積もる話もあるし、誰もいないところでゆっくりと静かに話すためにな。

 

「そうね、二人きりで話をするためにもそれが良いと思うわ」

 

 暁美ほむらはくるりと俺に背中を向け、階段を目指して歩きだした。俺はその背中から一メートルほど開けて追随する。

 階段を一段一段と足を踏み外さないためにゆっくりと踏みしめるように昇り、暁美ほむらは屋上へと続く扉を開ける。

 少しずつ開けられたドアの隙間からは今が真昼間と言うこともあり、陽射しが差し込んでくる。その陽光に一瞬目が眩んでしまうが、視線を下に向けることで明るさにすぐさま対応する。

 そして、屋上へと俺も進んでいく。

 

「驚いたわ。あなたはあの場所(・・・・)にいたあなたなのね」

 

 俺を待つようにこちらを向いていた暁美ほむらはそんなことを訊いて来た。

 

「そういうお前はあの場所(・・・・)にいたお前で間違いないよな?」

「ええ、間違いないわ」

「そうか……」

 

 ようやく俺の願いにまた一つ近づくことが出来た。

 これで彼女が繰り返しの原因で、俺を解き放ってくれさえすれば全ては解決してされるだろう。

 

「ならなんで、俺を繰り返しに巻き込むんだ……? 理由があるなら教えてくれよっ!」

 

 鬱憤をすべて吐き出す様に、力強く言葉に乗せる。

 さきほど暁美ほむらと相対してからずっと言いたかった。屋上に来るまで、一歩一歩と歩を進める度に我慢していた。むしろここまで来るまでに言うことを我慢できたことに我ながら驚きを隠せない。

 

 暁美ほむらは俺の言葉に、言っている意味がわからないとでも言うように首を傾げる。

 

「それはどういうことかしら? 私からしてみれば、あなたがこの時間軸に存在していることに驚いているのだけれども」

「わからない……だと…………?」

 

 ここで俺は我慢の限界に達し、必死に押さえつけていた自制心を解放して暁美ほむらに詰め寄り胸倉を掴む。

 暁美ほむらは抵抗せずになすがままに胸倉を掴ませてくれたのがちょっと拍子抜けだったが、今はそんな事を考えている場合では無い。

 

「何度も何度も……気付いたら今日で、俺の時間は今日から約一ヶ月しかなくなったんだよ! 周りの全ての時間は停滞しているのに、俺だけ進み続けていて……狂いそうになった。いや、狂っていた」

 

 胸倉を掴まれているはずなのに無表情の暁美ほむらの紫色の瞳には、ただただ俺の悲壮感漂う表情が映っていた。

 

「なぁ、お前がこの時間の繰り返しの原因なんだろ? ……だったら、俺を解き放ってくれよ」

 

 一つ一つの言葉を言う度に暁美ほむらの胸倉を掴む手の力がどんどん抜けてゆき、終には彼女の前で地に手を着いてしまう。屋上のタイルが俺の視界一杯に広がっていた。

 

 やっと見つけた。……やっと見つけたはずなのに、俺の身体は暁美ほむらに復讐をするでもなく、目の前で力無く崩れ落ちることしか出来なかった。

 彼女が俺を巻き込んだ張本人。だけれども、何故か彼女に対して俺の感情を捲し立てることしか出来ない。

 

「……ごめんなさい」

 

 自分自身がわからない……そう思っていると、不意に頭上から俺の勝手な言い分を黙って聞いていた暁美ほむらの声が聞こえてきた。

 その声に釣られて顔を上げる。

 

「確かにあなたの言う通り、時間を巻き戻しているのは私よ」

「だったら、だったらなんで謝るんだよ……。早く俺の時間を進めるなり、俺を繰り返しから除くなりしてくれよ……。なぁ、本当にお前がこの繰り返しを起こしてるのなら簡単に出来ることじゃないのかよ!?」

 

 懇願するように言葉を吐き出す。

 自尊心なんて捨ててしまえ。今俺に必要なのは、俺の時間が進むか止まるかというどちらか二つの結果のみだ。どちらかを俺にくれると言うのならば、例え俺を今の状況に巻き込んだ暁美ほむらに頭を下げるくらいどうということはない。

 

「頼む……頼むよ。お前が俺の願いを叶えてくれないと言うのなら、俺は同年代の少女に俺の代わりにキュゥべえに願って貰うぐらいしか、方法が見つからないんだ。そんなの俺は嫌なんだ。俺のせいで女の子に苦しみを押しつけるなんて……本当は嫌なんだ」

 

 一度は迷わないって決めたのに。この繰り返しからどんな事をしても這い出てやると自らに固く誓ったはずなのに。

 結局のところ、俺は心の底から覚悟なんて出来ていなかった。

 表面上だけ自分を取り繕って、自らをまるで悲劇のヒロインかのように扱っていた。そして今、自らの言葉によってそのメッキが剥がれ落ちた。

 

「あなたの事情はわかったわ」

「なら――」

「でも、ごめんなさい。私にはあなたが何故私の時間遡行に巻き込まれているかわからないの」

 

 本当に申し訳なさそうな顔。いつも無表情だった暁美ほむらの初めて見せる表情だった。

 暁美ほむらは俺と言う存在に対し、負い目を感じたのかもしれない。そんな視線はいらないんだよ。ただ、俺を繰り返しから解き放ってくれさえくれれば……。

 

「どういうことだ……? もしかして俺の停滞した時間をお前はどうすることも出来ないとでも言うのか? お前が俺の時間を止めた癖に……」

「……ごめんなさい」

 

 俺にただただ謝罪の言葉を口から吐き出す暁美ほむら。

 

「嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だッ!」

 

 俺は立ち上がり、暁美ほむらの肩を乱暴に掴む。彼女は瞳を伏せ、俺と目を合わせようとはしない。

 単純に力を比べれば俺の方が弱くて簡単にあしらえてしまえるのに、彼女は何もしようとはしなかった。

 

「本当の本当に、俺の時間を進める事も止める事も出来ないのか……?」

 

 やっと見つけた誰も傷つかずに俺の願いが叶えられると思った方法。だけど無情にも返って来た言葉は先ほどから繰り返されてきた言葉と同じモノだった。

 それを訊いて俺は暫しの間動きを止めて考えることに没頭した。

 

「……悪かったな」

 

 ようやく考えがまとまった俺は暁美ほむらの肩から手を離し、揺ら揺らと校内へと続く扉へと向かう。

 

「待って」

「なんだ?」

 

 俺を呼ぶ暁美ほむらの声が聞こえてきて振り向く。

 

「私にはあなたが何故巻き込まれたかがわからない。だからあなたの時間を進ませる事も止めることもできない」

「それは俺も理解した。だから俺はもうお前に頼らない」

「向井キリト。それであなたはこれからどうするつもりなの?」

 

 引け目を感じたのだろうか。自らが自分は何も出来ないと言っておきながら、俺に訊ねてきた。

 

「決まってるじゃないか。俺の時間を停滞させた張本人である暁美ほむらが俺の願いを叶えられないと言うのなら、残る方法はただ一つだ。奇跡を願う権利を持っているヤツに俺に変わって願ってもらう。なに、素質があるという少女には心当たりが二人ほどいるんでね」

 

 そうだ。張本人様が出来ないって言うのならば、以前に出来ると言ったキュゥべえを頼るしかない。もはやそれしか俺が解放される道は残されてない。

 ここは心を鬼にしてでもそれに縋るしかないんだ。

 

「もしかして、その二人と言うのは――」

「ああ、美樹さやかと――鹿目まどかだ」

 

 俺は他に魔法少女になれる素質を備えた少女を知らない。だから何としてでも、二人のうちどちらかに俺の願いを叶えてもらうしかない。

 もうここには用はない。止めていた足を動かし、校内を目指す。

 

「じゃあな。もうお前とは関わることは無いと思う。せっかく長い付き合いになるかもしれな――」

 

 去り際に挨拶を残そうとしていると、乾いた音とともに突如左胸辺りに痛みが走る。

 視線を向けてみるとその痛みの中心からどんどん赤い液体が純白の学ランに広がっていくのが見えた。

 

「え?」

「ごめんなさい。私の願いが叶うまで、あなたの苦しみも私が背負うわ」

 

 ――パンッ

 

 再度聴こえたその乾いた音とともに俺の意識は途絶えた。

 

 

 *****

 

 

「んぁ……」

 

 朝。窓から吹き込む優しい風で意識がだんだんと覚醒する。寝惚け眼ながらもベッドから身体を置き上がらせ瞼を擦り、意識の覚醒を急がせる。

 そう言えば、暁美ほむらに殺されたんだと頭がボーッとする中、思い出す。しかし、不思議と俺の中に怒りは湧いてこなかった。

 なんなんだろうか。不思議な感じだ。暁美ほむらが繰り返しの原因とわかったのにも関わらず、彼女では俺を永遠の呪縛から解放できないと知って、それで彼女に対して興味が無くなったのかもしれない。

 

 覚醒した意識で、彼女に話しかける。

 

「こんなところまでやって来て、何か用かよ?」

 

 俺の視線の先には暁美ほむらが居た。

 ちょうど俺がベッドから上半身を起き上がらせた目の前に、青を基調とした魔法少女のコスチュームを身にまとった彼女が静かに佇んでいたのだ。窓から吹き込む風がカーテンを吹き上げ、それが朝の淡い陽射しと相まって幻想的だった。

 だが、俺の関心はすでに暁美ほむらには無く、特に驚くことも何も思うことはない。強いて挙げるのならば、なんで俺の部屋なんかに居るんだろうと思ったぐらいだ。

 

「……ごめんなさい」

 

 それだけ言って、暁美ほむらはいつの間にかその手に持っていた拳銃を突き付けてくる。

 そのゆっくりとした行動に俺は身体から汗がじっとりと噴き出してきたのを感じた。

 

「おい……やめろ、何を……しようと、してるんだ」

 

 それから数秒後、俺の部屋から人の姿がなくなった。

 

 

 *****

 

 

 瞼を開く、そしてすぐさま部屋から出ようとベッドから飛び降りる。

 

 ――カチャリ

 

 ベッドから飛び降りた態勢のまま、俺は動くことを許されなくなった。後頭部に感じる固い感触。きっと拳銃だろう。

 普通なら有り得ない状況だが、それ以外には考えられなかった。

 

「なぁ、どうしてこんなことするんだよ。お前は俺のことを助けられないって言ったじゃないか。それなら俺の好きにさせてくれよ」

 

 背後にいるであろう暁美ほむらに対して話しかける。

 おそらく少しでも動いたらその手に持つ拳銃で頭を撃ち抜かれるだろう。だから口だけを動かし、なんとかこの状況からの脱出を図る。

 

「言ったはずよ。あなたの苦しみも――私が背負うって」

「俺はこんな事を望んでいたわけじゃない」

「知っているわ。だから私はこうして、あなたの苦しみを最小限に抑えようとしているのよ」

 

 ――ごめんなさい。

 

 

 *****

 

 

 目を開き身体を起こすとやはりそこには暁美ほむらがいた。窓から吹き込む風が彼女の長い黒髪をふんわりと揺らしている。

 そんな彼女に対して口を開く。

 

「……また俺を殺すのか?」

「ええ、その通りよ。それがあなたを巻き込んでしまった私への罰だから」

 

 抵抗は無駄のようだ。そもそも多少変わっているとしていても、ただの人間である俺が魔法少女である暁美ほむらに対して抵抗なんて出来るはずがない。

 だからと言って逃げようとしても、前回と同じ結末になるだろう。

 

 ならば俺が取れる行動は一つしかない。

 

「そうか、なら殺せよ。俺の苦しみも背負ってくれるんだろ? 二人分の苦しみに苛まれながら、早くお前の願いとやらを叶えて俺を解放してくれよ」

 

 本当に暁美ほむらが俺の苦しみまで背負ってくれるかはわからない。だけれども自分が巻き込んだ人間を殺し続ける苦しみは背負ってもらう。

 これぐらいしか俺に出来る抵抗が見つからなかった。

 

 ――カチャリ

 

 女子中学生の小さい手に握られた拳銃の照準が俺へと合わせられる。

 

「今の私には、これぐらいしか贖罪が思い浮かばないから……」

 

 いつになったらこの連鎖は終わってくれるのだろうか。

 

 

 *****

 

 

「今回はどうだったんだ?」

「……駄目だったわ」

「そうか……そりゃ残念だ」

 

 眩しい朝の光が俺の部屋に差し込む中、俺と暁美ほむらは言葉を交わしていた。

 なに、別段珍しいことではない。朝起きて暁美ほむらに殺される。その幾度となく繰り返されてきてワンパターン化した流れの中の一幕だ。

 

 彼女に殺され始めた最初の方は互いに何もしゃべることはなかったが、何度となく繰り返すにつれてどちらからともなく言葉を交わすようになっていった。

 俺の勝手な想像だが、おそらく孤独に耐えられなかったのだろう。俺たちの時間は進み過ぎたのだ。

 繰り返せば繰り返すほど、周囲との時間は少しずつズレていく。これは俺の経験談だが、なまじ少し先のことを知っているから迂闊なことをしゃべれば周囲からは疎外される。

 

 孤独とは本当に寂しいのだ。それを知っているから同じ時間を生きている存在に惹かれる。現に俺は暁美ほむらと過ごすこの短い時間が好きになってしまっていた。

 少しの違いはあれど、いずれは全てがリセットされてしまう人たちといるよりも、時間の進み続けている存在と一緒にいることが何よりも落ち着けた。こんなのは繰り返しが始まって初めてのことだった。

 

「これから私に殺されるとわかっているのに、なぜあなたは笑っていられるの?」

 

 自然と表情に出ていたらしい。

 

「なぜって、それは暁美ほむら。お前とこうして同じ時間で存在出来てるからだ。周りはみんな停滞している。だけど俺とお前は進み続けているじゃないか」

「でもそれは私が――」

「わかってる。原因は確かにお前かもしれないけど、今となっちゃそんなことどうでもよくなっちまったよ」

 

 抵抗は無駄。逃亡も無理。それなら、せめて苦しみを……と思っていたが、俺は現状に満足してしまった。

 

「どうして? どうして……そんなこと言うのよ。あなたの苦しみも私が背負うって言ったのに、これじゃあ私が馬鹿馬鹿しいじゃないの」

「そうだな……それじゃあ、その手に持った拳銃を貸してくれないか?」

「どういうつもり?」

「ああ、勘繰るな。自分で自分を殺すだけだから。それならお前は俺の分の苦しみは背負わなくて良いだろう?」

 

 自殺なら慣れている。包丁で自分の喉を掻っ切っていた経験がこんなところで役に立つとは思いもよらなかった。

 ここに置けと、暁美ほむらに手のひらを差し出す。もう彼女だけに苦しみを押しつけるのは止めよう。

 

「どうした? 早く渡せよ。そろそろ学校が始まる時間だぞ。転校生が初っ端から遅刻は色々とマズイんじゃないか?」

 

 時刻はもうすぐ八時になろうとしていた。そろそろ母親が俺を呼びに来る時間なので早くして欲しい。

 

「どうしてそんなことを言うのっ! 私はあなたの苦しみも背負うって覚悟したのに、それなのにどうしてッ!?」

 

 拳銃を持つ暁美ほむらの手がガタガタ震え始めた。その震えた状態で俺に照準を合わせる。

 

「どうしてって、それが俺の出した結論だからだ。俺はお前と過ごすこの短い時間が好きになっちまった。だからせめて自分の苦しみぐらい自分で背負いたい」

 

 それぐらいしか、背負い続けてきた彼女に出来ることが無かったから。

 

「ふざけないでッ!」

 

 俺の想いとは裏腹に、暁美ほむらはそれを否定する。

 

「そんなの自分勝手よ! 私のことを何も知らないくせに!」

「そうだな。これは俺の自分勝手だ。だから早く渡せ。もうすぐ母親が来そうだ」

「駄目、駄目よ……。それは許せるわけないじゃないッ!」

 

 そう叫んで暁美ほむらは引き金を引く。

 俺はなんら抵抗はせずにその弾丸を身体で受け止めた。

 

「ッぅ……」

 

 俺の身体ごと寝巻として着用していた白いTシャツの腹部に一つの穴が穿たれる。その小さな穴を中心として、クモの巣のように俺の血液が白いTシャツに染み込み広がってゆく。

 右手で撃たれた個所を押さえるも、流れ出る血液は止まらない。

 すぐに死ぬことは無い。何故なら現に今俺は生きているからだ。しかし、このまま何もしなければ俺は数分後には出血多量で死ぬだろう。

 

 ああ、自分で自分を殺すつもりだったのにな。

 俺がこの繰り返しから解放されるために、暁美ほむらの負担を減らす事。そして、俺自身がもう彼女に俺なんかの為に手を汚して欲しくなかったから。

 

 彼女の手から力が抜け、拳銃が床へゴトッと鈍い音を立ててフローリングの上に落ちる。

 

「あ、ぁあ……、あぁぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!」

 

 暁美ほむらの叫びが静かな俺の部屋に響き渡った。痛みを堪えながら拳銃に向けていた視線を彼女へと移動させると、暁美ほむらは頭を抱えながら顔を歪ませていた。

 こんな彼女は見ていられない。素直にそう思った。

 だから俺はベッドから降り、彼女の元へと近寄る。一歩踏み出す度に血が腹部から勢いを増して体外へと流れ出ていった。

 俺の額には汗がにじみ、暁美ほむらと別の意味で俺の顔は苦痛に歪む。

 

 血液が足りないみたいで身体が重い。彼女の元まで来るのに息を切らしていた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……」

 

 俺と暁美ほむらの視線が交差する。

 彼女は、未確認飛行物体だとか未確認生命体でも見てしまったかのように眼を大きく開く。その瞳からは弱々しい彼女が感じられる。目尻には少量の水分を確認することが出来て、俺の為に泣いてくれたのか、と俺の心は何故か満たされた。

 

 それまで撃たれた個所を押さえていた右手を離し、俺は両手で縋りつくように暁美ほむらの身体に抱きつく。

 

「えっ……」

「ごめん。……また、背負わせ、ちゃうな」

 

 ここまで移動するのに力を使いきっており、既に自分で自分を殺す余力なんて残されてはいなかった。

 俺の予定なら、ここまで辿り着いて、暁美ほむらが床に落とした拳銃を拾って自分の頭をブチ抜くはずだったんだけどな。今は喋ることが俺に出来る残された唯一の事だ。

 

 彼女に抱きついたことで、彼女の青を基調としたセーラー服のような魔法少女のコスチュームに俺の血液が染み込んでいった。これについても謝りたかったが、余計なことに残されたことを使うわけにはいかない。

 

「次から……自分で死ぬから、そんな、顔、するなよ」

 

 もはや俺の身体にはほとんど力が残っておらず、腕の力が抜け、重力に従うように暁美ほむらの身体から床へと崩れ落ちる。

 

「駄目ぇッ!?」

 

 だが俺の身体は床へ衝突する前に暁美ほむらの手によって抱きすくめられた。

 残る最後の力で必死に彼女の顔を窺う。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 そこにはぐちゃぐちゃに崩れた泣き顔しかなくて、もどかしくて仕方なかった。

 

 なんで俺は、彼女にこんな顔をさせてしまっているのだろう。

 確かに初めは暁美ほむらの苦しむ姿を見るために俺は死ぬことを選んだ。しかし、今は彼女の泣き顔なんて見たくなかった。

 

 ――無力な自分がどうしようもなく嫌いになった。

 

 

 *****

 

 

 ベッドの上で起き上がり窓の外を見る。

 

 今日と言う日の朝日を浴びるのは何度目だろう。

 きっと薄れた記憶を思い出そうとしても無駄になる。それほどまでに何度も……何度も何度も繰り返してきた。

 

『やぁ』

 

 俺以外誰もいないはずの部屋なのに知っている声が俺の中へ直接響いてきた。ソレがいるであろう勉強机の上に視線を向ける。

 

「何か用か?」

『はじめまして、僕はキュゥべえ。いきなりで悪いんだけど、君は何者だい?』

「ふふっ……あははははっ」

 

 二度目だな。今日目覚めて最初にあった存在がキュゥべえだったのは。

 おそらくその回数は一番少なくて、次点が俺を起こしに来た母親だろう。そして、一番多かったのは……。

 

『急に笑い出してどうかしたかい? いきなり過ぎて僕にもついていけないや』

「ああ、悪いな。あの時の俺があまりにも馬鹿馬鹿しいことをしていたんだなって思ってさ」

 

 俺の返事にキュゥべえは首を傾げる。

 別に俺は理解してもらうつもりで言ったわけではないからどうでもいい。

 

『まぁいいや。それでなんなんだい、君は? 僕の経験上、君みたいな男であるのに莫大な魔力をその身に宿している存在は初めてみるよ』

「……何なんだろうな? 俺にもよくわからん。ただ……」

『ただ……?』

「ただ……いや、やっぱり何でもない」

 

 言いかけて、コイツに言っても無駄だと思い口を噤む。

 俺はキュゥべえに願うことはできない。もしも願うとしたら、鹿目や美樹を代わりに犠牲にしなければならない。そんなのは俺望むところではないのだ。

 それに俺は、全ての原因の彼女と一緒にいた方が良いと思ってしまっている。

 

「もうお前と話すことはない。そろそろ学校に行かなくちゃいけないからどっか行ってくれ」

『残念だよ。君とは良い関係を築けそうかと思ったんだけどな』

 

 そう言い残してキュゥべえは俺の部屋から姿を消した。

 俺はそれを確認してから見滝原中学の白い学ランに着替えて、朝食を食べにリビングに向かった。

 さっさと朝食を食べ、早めに学校に行くことにする。

 

 学校についた俺は上履きに履き替え、裏門へと通じる正面玄関で彼女を待つ。

 彼女がここに来るかはわからない。だけど、彼女は今日転校してくる転校生のハズで、それならばここから学校へ入ってくる可能性が高い。

 

 何故か、今回は俺を殺しに来なかった。

 そのことが俺の頭に()ぎるが、頭を乱暴に振って頭から追い出す。

 

 時折登校してくる教員たちに挨拶をしながらその時を待つ。

 そして彼女はやって来た。

 俺の存在を確認して、彼女の動きが固まった。久しぶりに見た彼女の制服姿はなんだか懐かしさを感じた。

 

「なんで、あなたがここに……」

「なんでって、それはこっちが訊きたいな。なんで今日、俺のところに来なかったんだ?」

「それは……」

 

 彼女はなんとも言いにくそうに視線を逸らす。

 

「まぁ、いいさ。それよりもお前に言いたいことがあるんだよ」

「私に?」

 

 朝目覚めてから学校に来て、そしてここで彼女を待つ間ずっと考えていた言葉を言う。

 

「俺に、お前の願いを叶える手伝いをさせてくれ」

 

 これがもっとも良い選択だと俺は導き出した。

 誰にも迷惑をかけることが無く、俺がこの繰り返しから解き放たれる唯一の選択。それに彼女にこれ以上俺を殺させると言う苦痛を与えずに済む。

 

 彼女――暁美ほむらの返答は……。


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