巴さんが使い魔共の掃討を終えると、まるでゲームの場面転換のように空間が歪み、魔女の結界から現実へと帰還することになった。帰還したと言ってもこの場所は改装中のショッピングモールのフロアで、人の気配がまるでないから現実感と言うものはそれほどないけれど。
「も、戻った……」
美樹さやかがようやく帰還した現実に安堵の表情を浮かべる。
「お疲れ様です」
俺はカツカツとその脚に履いたブーツで床を鳴らしながら、俺たちの元まで歩いてきた巴さんに向かって労いの言葉をかける。
それにしても圧巻の一言だった。巴さんの戦い方がマスケット銃の同時展開によるゴリ押しだったところもそうだし、それよりもこんな戦いを目の前で見たことの興奮が俺の胸の鼓動を早くした。そのことを感じ、俺が男だったことを再確認させられた。
「ありがとう、向井君――」
巴さんが俺にお礼を言い、そしてその後に何かを言いかけた瞬間、タンッと何かが床を鳴らす音が響く。次の瞬間には俺たちの中に再び緊張が張り詰めた。
「ここに魔女はいないわ。仕留めたいならすぐにさっきの使い魔の残留魔力を追いかけなさい。今回はあなたに譲ってあげる」
いち早くその闖入者に対応したのは巴さんだった。やはり魔法少女として場慣れしているからなのか、俺たちの視線の先にいる巴さんと同じように如何にも魔法少女と言う格好をした女の子に話しかける。
どうやら鹿目まどかと美樹さやかは、闖入者であるあの黒髪の長い魔法少女のことを知っているようだ。緊張の色が二人の表情から見てとれる。
この不測の事態に自分が冷静な事に驚きつつも、黒髪の女の子のことを改めて見てみる。
……そして黒髪の魔法少女と目が合った。黒髪の女の子は俺のことを怪訝そうな目で見てきており、そのお返しとばかりに俺も彼女のことを良く見ておく。
黒髪の魔法少女は、ふぅ、と息を吐いて俺から巴さんに視線の先の対象を変える。にらめっこは俺の勝利で終わったらしい。
「魔女になんて興味は無いわ。私が用があるのは――」
「飲み込みが悪いのね。見逃してあげるって言ってるの。お互い余計なトラブルとは無縁でいたいとは思わない?」
黒髪の魔法少女の言葉を遮るように巴さんが言葉を挟む。巴さんからは素人の俺でも分かるぐらいに敵意がビシビシと感じられる。先ほどまでの柔和な巴さんはどこに行ってしまったんだと叫びたくなった。
女は恐い。強くそう思った瞬間である。
暫しの無言の攻防の後、やがて黒髪の魔法少女は諦めたのか、鹿目まどかをキッと一睨みしてゆっくりとこの場を去っていった。鹿目まどかと美樹さやかは緊張の糸が切れてその場にへたり込む。
気のせいかもしれないが、鹿目まどかを睨んだ後、俺のことを一瞬見たような気がするけど、それはきっと気のせいだろう。俺はあくまで無力な人間なのだから。
巴さんは黒髪の魔法少女が去ったのを確認してから俺たちの方に振り返る。
「キュゥべえを早くこっらに」
「あっ、はい!」
鹿目まどかが目の前まで来て女の子座りで腰を降ろした巴さんにボロボロになっているキュゥべえをそっと手渡しする。なんとまぁ、切り替えの早い事だ。もしかしたらこの切り替えの早さは女性特有のものかもしれないが。
巴さんは渡されたキュゥべえを膝の上に載せて、包み込むように両手を翳す。すると、ポゥ……と光がキュゥべえの身体を包み込み、ボロボロだった身体が見る見る回復していく。
これが所謂回復魔法と言うものだろう。その傷口が治ってゆく光景は、見方を変えればとてもグロテスクなものに違いない。
「……よし、これで大丈夫」
巴さんは安堵のため息を吐く。
回復魔法で傷が完治したキュゥべえはふるふると首を振ってから巴さんにお礼を言う。
『ふー。ありがとう、マミ。お蔭で助かったよ』
本当に魔法ってすごいんだな。さっきまでまともに喋ることの出来なかったキュゥべえが、こんな呼吸をするように喋り出すなんて考えもしなかった。せいぜい身体が完治するだけで、体力まで回復するとは魔法恐るべしだな。
魔法のすごさを目の当たりにするたびに、これでまた俺の願いが無垢な少女たちの犠牲を対価にしなくても叶うのではないかと期待ばかりが膨らむ。
「お礼ならこの子たちに言って。私じゃ間に合わなかったかもしれないもの。それと冷静に対処してくれた向井君にもね」
「俺に感謝なんていらないぞキュゥべえ。ちゃんと対価なら貰ってるしな」
巴さんの言葉に付け加えるように俺は発言する。俺の願いを叶えられるかもしれない魔法について知る。そのために俺はこんな危険な世界に飛び込んだわけで、むしろ俺をこっちに引き込んでくれてありがとうと逆にお礼を言っても良いくらいだ。
『そうかい?』
「ああ」
キュゥべえは俺に目配せをしてから、
『ならば――ありがとう、鹿目まどか! 美樹さやか!』
先ほどの回復魔法で元気が有り余ったのか、無駄にエネルギッシュにお礼を述べるキュゥべえ。それが悪いとかではないが、さっきまでの緊張感からかけ離れ過ぎていて俺はついていけない。
「「なんで名前知ってるの!?」」
『なんでって、さっきまどかが自己紹介していたじゃないか』
当り前のようにキュゥべえは言う。鹿目まどかが二人まとめて自己紹介をしたのはキュゥべえがボロボロになっていた時。あの時にも意識はあったんだな……。
二人は何か釈然としない様子。
「ま、まぁ……さっき何があったか私は知らないけど、キュゥべえは私の友達なの。助けてくれてありがとうね」
空気を読んで喋り出すのはさすが巴さんだろう。会ってまだ数時間しか経ってないハズなのに、彼女の優しさと言うものが伝わってくる。別にそれで信用するかは別の話だけど。
「わたしたちも方こそ助かりました! えぇっと……巴さん?」
「マミで良いわよ……って自己紹介はまだだったわよね?」
鹿目まどかがワタワタし始めたので助け船を出してやる。
「あ、俺が一応巴さんの紹介はしておきましたよ」
「あらそうなの? でも改めてちゃんと名乗らせてもらうことにするわね」
そう言って立ち上がる。そしてスゥっという効果音があるかのごとく変身を解き、見滝原中学の制服に戻る。
改めて変身を見ると不思議だ。特に一度服が消えるわけでもなく、空間が歪むように次の瞬間には別の服装になっている。これも召喚魔法の一種だろうか?
「私の名前は巴マミ。あなたたちと同じ見滝原中の生徒よ。よろしくね」
にこっ。満面の笑みで自己紹介を終える巴さん。
「変身した!? いや、変身が解けた!?」
驚く美樹さやか。
「いえ、こちらこそっ!」
鹿目まどかは驚きつつも返事をしている。
「で、そこで座っているのが向井キリト君……ってあなたたちは自己紹介をすませていたのよね」
「ええまぁ」
特に話の流れ的に立ち上がるまでも無いと判断していたので、結構おざなり気味に巴さんから紹介されてしまった。と言っても、自分で自己紹介は済ませてあるけど。
鹿目まどかと美樹さやかの視線がこちらに向けられる。
「向井君もわたしたちを助けてくれてありがとね」
「ふん、一応お礼だけは言っておいてあげる。ありがと」
美樹さやかには軽く嫌われてしまったらしい。ふむ、素質ある少女から嫌われるのはマイナスかもしれないが、次があると思えばそこまで堪えるモノでも無い。
軽く会釈でお礼の言葉に応える。
「そしてこの子がキュゥべえ」
『よろしく』
最後に紹介されたキュゥべえが小さい手を挙げて自己主張する。
「ねぇ、キュゥべえ。ひょっとしてこの子たちも……」
前屈みになってキュゥべえに話しかける巴さん。鹿目まどかと美樹さやかはいきなりの話題の変更についていけなかったらしく頭にハテナマークを浮かべている。
『うん、そうだよ』
というか、巴さん……。キュゥべえに確認を取らなくてもコレぐらいは理解で知るでしょ。どう見てもこの二人はキュゥべえのことを知覚できているみたいだし、さっきは使い魔だって見えていた。
『まどか。さやか』
キュゥべえは二人に向かって向き直る。
『僕は君たち二人にどうしてもお願いしたいことがあるんだけど良いかな?』
「お願い……?」
「あたしも?」
あまりにも唐突な話題変更についていけない二人。俺はこの後、キュゥべえが何を言うか分かっている。
なにせ今日、本人から聞いたばかりのことだから忘れるはずもない。
『僕と契約して、魔法少女になってほしいんだ』
笑いかけるようにキュゥべえは二人に“お願い”をした。
それは俺が求めてやまない奇跡への片道切符で、同時に過酷な未来への片道切符でもある。
きっとその契約は、一面から見れば悪魔との契約と等しいものかもしれない。
でも、それでも俺は彼女たちが羨ましくて仕方なかった。
結構……いや、かなり重大なお願いであるはずなのに、「ハイキングにでも行かない?」とでも言っているような気軽な印象で言うキュゥべえ。
それが悪いとは言わないが、その権利さえ無い俺からしてみればイライラする事この上ない。もしも俺の理性が何らかの理由で今この時欠如してしまったとするなら、俺は権利を得た鹿目まどかと美樹さやかに襲いかかってしまうと確信できるほどだ。
「魔法少女?」
「え……えぇ?」
やはり二人は話について来れていなかった。まぁ、それもそうか。いきなりこんな事に巻き込まれて、詳しい話も聞いて無いウチに「魔法少女にならないか?」ってお願いされたら誰であろうとも困惑するに決まってる。
「おい、キュゥべえ。いきなりそんなこと言っても誰も了承してくれないと思うぞ」
このままだと埒が明かないと考え、立ち上がりつつキュゥべえに言ってやる。制服のズボンをぽんぽんと叩きホコリを落とす。
「詳しい話もしないまま、事を急いではダメじゃないのか」
『これはまどかとさやかには悪い事をしてしまった。ごめんね』
会った時からキュゥべえの言動は軽い。もしかしたらそれが契約を持ちかける側としてのコイツなりの交渉術の一つなのかもしれない。
「それなら詳しい話は私の家でしましょうか」
『そうだね。それが良いかもしれない』
「あっ、だったら俺は帰りますよ。一応俺は男ですからね。綺麗な女の人の家にお邪魔するのには抵抗があります」
「うふふ、一人暮らしだし遠慮しなくても良いわよ。それにいざとなったら私の方が強いもの」
巴さんの言葉には笑うしかなかった。
特に間違えを起こす予定は無かったが、マスケット銃でハチの巣にされる未来が明確に想像でき、逆に先ほどの光景からここで断ってもハチの巣にされるんじゃないかとさえ思ってしまった。
「……それじゃあ、お邪魔させて頂くことにします」
ひよった俺を誰が責められるだろうか。俺は時間を繰り返している以外、基本的にただの中学生でしか無い。
本当なら今日知り得た情報を整理して、明日からの行動予定を考えたいところだが、巴さんの家にお邪魔する事によって新たな情報が手に入るかもしれないと思うことにする。うん、そうだ。そうに違いない。
「そう、良かったわ」
手を斜めに合わせて喜ぶ巴さん。俺ってここまで巴さんに好かれるような行動を取ったっけ?
でもまぁ、どうやら巴さんはお節介焼きな性格と見受けられるからそこまで意識過剰にならなくても良いのかもしれないな。
『それじゃ、マミの家に向けて出発だ!』
当事者であるハズの鹿目まどかと美樹さやかを置いてきぼりにして話を進めて、詳しい話は巴さんの家に移動してからということになった。
置いてきぼりを食らって現在進行形で困惑を続ける二人の背中を押す様に、キュゥべえを先頭とした一行は一路巴さんの住んでいる家へ向かうのであった。
「あの、向井君……」
巴さんの家に向かう中、俺の後ろを歩いている鹿目まどかが声をかけてきた。ちなみに俺たちの集団は、巴さんとキュゥべえを先頭に、その次が俺で最後尾を鹿目まどかと美樹さやかの順番だ。
特にこの順番に意味は無いが、自然とこういう形になった。
「なんだ、鹿目まどか?」
「まどかで良いよ」
「そうか、鹿目」
「向井君が意地悪してくるよ、さやかちゃん」
何故か美樹さやかに泣きつく鹿目。別に異性の名前を呼ぶのが恥ずかしいだけで、意地悪してるつもりは無いのだが、別にそれを説明するまでも無いか。
「ちょっと、まどかに何してくれてんのよ」
「何って、普通に名前を呼んだだけだぞ、美樹さやか」
「だからあなたのその他人行儀な名前の呼び方が気にくわないんだよ。だからあたしのことはさやかって呼びなさい。そしてまどかのこともまどかって。良いわね?」
良いわね……ではない。だが、恥ずかしいから名前を呼べないなんてコイツらに言えるハズも無く、
「まぁ、考えておく」
自分でも情けないと思う。精神を安定させるために自分の胸元にあるネックレスを掴もうとする。
あれ……?
確かにそこにあるはずのネックレスが無かった。制服の下に入れているので掴み損ねたのかもしれないと思ったが、目で見て確認してみても首にかけているハズのネックレスは見当たらなかった。
「どうしたの?」
怪訝そうな顔で自分の制服の中を見る俺に対し、鹿目が心配そうに声をかけてくる。やはり心の中でもまどかとは呼べない。
朝からの一連の動作を確認するにつれて、ただ単に自分がネックレスをつけるのを忘れていただけだということを思い出す。
慌てて話題を逸らすことにする。
「あ、いや、なんでもない。それよりもなんか用があったんじゃないのか?」
「ずっと気になってたんだけど、向井君も魔法少女だったりするの?」
話題を逸らした事を後悔した。
「あっ、それ、あたしも気になってたんだよね。でも向井は男だから魔法少女って言うよりは魔法少年じゃない?」
しかも美樹までこの話題に乗ってきた。
落ちつけ俺。知らないことは罪ではあるが、それと同時に免罪符でもあるんだ。それにコレぐらいのことで腹を立ててもしょうがないだろう。
「俺はそんな高尚な存在じゃないよ。どちらかというと、お前たちと同じ少し特殊な一般人という括りに当てはまるんじゃないのか」
自分で言っていることに確証は持てないが、それでも俺には力は無い。ただただ永遠に繰り返される時間を漂っている存在。それを少し特殊と言っても良いのかは不明だが、それっぽちの人間なんだ。
「そろそろ私の家に着くわよ」
俺たちの会話を聞いていたのか、巴さんが絶妙のタイミングで声をかけてきてくれた。
これ以上この話をしていたら、俺は俺自身を抑制できる自信が無い。それを巴さんは見抜いてくれたみたいだ。
それにしても魔法少女か……。
なれるもんならなりたいよ。例え過酷な未来が待ち受けていたとしても、それでも未来がやって来るんだろう?
「ここが私の住んでいるマンションよ」
街は夕焼け色に染まり、もう何分も経ったらその色が夕闇色に変わるだろう。そんな中、俺たちは巴さんの案内で彼女の住む家とやらにやって来た。
そのままエレベーターに乗り込み、巴さんが住んでいる階層に一気に上がる。それにしてもこういう狭い密室空間で周りが異性だらけだと非常に肩身が狭い。巴さんはニコニコしているだけだし、鹿目と美樹は二人でひそひそと小声で密談。唯一俺の助けになりそうなのはキュゥべえだけだった。
とかなんとか考えていたらすぐにエレベーターのドアは開き、巴さんの部屋まで一直線だった。自分が憐れでならない。
「さっきも言ったけど、私、一人暮らしだから遠慮しなくても良いわよ」
そう言いながら巴さんはがちゃりと音を立て玄関の扉を開く。
「「お邪魔します」」
鹿目と美樹は律義に頭まで下げてから部屋に入っていく。俺はと言うと、「……お邪魔します」と素っ気なく無愛想に小声で言うだけにした。
「うわぁ」
「素敵なお部屋……」
部屋に入って開口一番。鹿目と美樹が巴さんの部屋を見て感嘆の声をあげる。
俺も彼女たちのその意見には賛成だった。巴さんの部屋はデザイナーの人がこの部屋を手掛けたと言われても納得のいくほどに素敵な部屋だった。
「ありがとね。でも、ろくにおもてなしの準備も無いんだけどね?」
あはは、と笑う巴さん。でもそれはしょうがない事なんじゃないだろうか。そもそも俺を含めて彼女たちがこの部屋に来ることが決まったのってつい数十分前ことだし。
……と俺は思ったのだが、巴さんのおもてなしは俺が思っていたのと違うようだ。
「マミさん。すっごくおいしいです」
「うん、めちゃうまッスよ!」
あれれ? もてなす準備が無いと巴さんは言っていたのになんでテーブルの上にケーキと紅茶が用意されているのだろうか?
どうやら巴さんと俺の間に言語の意味を理解する上で価値観の相違がみられるようだ。もしかしたら巴さんは良いところのお嬢様なのかもしれない。
「ありがとう。向井君はどうかしら?」
「え? ああ、とっても美味しいですよ」
「それなら良かったわ。それじゃあ本題に入りましょうか。向井君は彼女たちにどこまで話したの?」
「聞かれた事をそのまま答えただけですよ。だからちゃんと説明した方が良いと思いますけど」
「わかったわ。それじゃあ二人ともこれを見てくれる?」
俺を一瞥してから何処からともなくソウルジェムを取り出す巴さん。先ほどまでは手には何も持っていなかったハズなのにな。だが俺はその程度のことでは驚かない。
「うわぁ、キレイ……」
「これはソウルジェム。キュゥべえに選ばれた以上、あなたたちにも他人ごとじゃないものね。キュゥべえと契約することで生み出される宝石で、魔力の源であり、魔法少女であることの証でもあるの」
巴さんの説明に美樹が疑問を口にする。
「契約って?」
『僕は君たちの願い事を何でも一つ叶えてあげる』
「え!? ホント?」
「願い事って……」
『何だってかまわない。どんな奇跡だって起こしてあげられるよ』
「……俺の願いは叶えてくれないくせにな」
自然と口から言葉が漏れだしてしまった。キュゥべえが俺の願いを叶えてくれないなんて分かってるくせに……。
「え? なんで向井君の願いは叶えてもらえないの?」
『それは彼が生物学上男として分類されているからさ。僕が願いを叶えてあげられるのは、人間の、それも君たちぐらいの年齢の少女たちだけだからね』
「そうなんだ……」
何故かしょんぼりとする鹿目。それと美樹も「きっと、良い事あるさっ!」って俺の背中を叩くなよ。別に俺は哀れに思われたくはないんだぞ。
「俺のことは良いから早く話を進めてくれ」
このままじゃ、話がいつまで経っても進まないような気がしたので続きを促す。
『僕はどんな願いを叶えてあげるけど、その代わりに僕から君たちにお願いした言い事があるんだ。等価交換ってヤツだね』
「あたしたちが魔法少女になるってヤツ?」
『そうだよ。僕がどんな願いでも叶えてあげる代わりに、君たちは魔法少女になって「魔女」と戦う使命を負うことになる』
「その戦わなくちゃいけない魔女ってなに? 魔法少女とは違うの?」
「さっきお前たちが見た使い魔の親玉だよ。と言っても俺もまだ見たこと無いけどな」
早いところ魔女とやらを実際に見てみたかった。情報は少しでも多く知っておくことに意味があるんだから。
「あのわけ分かんないヤツの親玉か……」
『願いから生まれるのが魔法少女とすれば、魔女は呪いから生まれた存在なんだ。魔法少女が希望を振り撒くように、魔女は絶望を撒き散らす。しかもその姿は普通の人間には見えないからタチが悪い。不安や猜疑心、過剰な怒りや憎しみ。そういう災いの種を世界にもたらしているんだ』
普通の人間には姿が見えないと言えばキュゥべえもだろ。そして「魔法少女になってよ」と奇跡と言う対価を差し出しながら悪魔の契約と何ら変わりない言葉をかけてくる。
もっとも、俺の場合は悪魔の契約と言うよりは神の救いのように感じるが。
その後もキュゥべえと巴さんは何も知らない二人に説明していく。コチラの世界を知って一日目の俺が口出しできるハズも無く、黙っているしかない。
「理由のはっきりしない自殺や殺人事件はかなりの確率で魔女の呪いが原因なのよ。形の無い悪意となって人間を内側から
「そんなヤバいヤツらがいるのにどうして誰も気付かないの?」
『魔女は常に結界の奥に隠れ潜んで、決して人前には姿を現さないからね。さっき君たちが迷い込んだ迷路のような場所がそうだよ』
「結構危ないところだったのよ。あれに呑み込まれた人間は普通生きて帰れないから。私が助けにいけなければ、あの場所から生きて帰れなかったと思うわ」
巴さんの言葉を聞いて絶句する二人。まぁ、そんなもんだろうな。死と言うのは人間にとってもっとも嫌なことである。キュゥべえの言っていた通り人として生まれたのなら、やがてたどり着く願いは不老不死だろうし。
だが俺の場合は何度となく死んでいるからその辺りの感覚がマヒしてしまっているらしい。それにどうせ繰り返すことになるという安心感のようなモノまである。
クソッ、そんな風に考えてはいけないのに……。
「そ、そんな怖いものとマミさんは戦っているんですか……」
「ええ、命懸けよ。だからあなたたちもキュゥべえと契約するかは慎重に選んだほうがいい。キュゥべえに選ばれたあなたたちにはどんな願い事でも叶えられるチャンスがある。でもそれは……死と隣り合わせなの」
「…………」
「うーん、美味しい話ではあるけど悩むなぁ……」
俺ならばその程度のリスクでは悩むことは無い。たったそれだけで未来がやってくるなら。
「うぅ……」
「ねぇ、そこで提案なんだけど、二人ともしばらくの間、私の魔女退治に付き合ってみない?」
「「……えぇ?」」
「魔女と戦いがどういうものかその目で確かめてみると良いわ。その上で危険を冒してまで叶えたい願いがあるのかどうか、じっくり考えてみるべきだと思うの。もちろん向井君もね?」
「うぇ!?」
俺には関係話だと思って用意されたケーキをフォークで口に運ぼうとしていたら、唐突に俺に振られた。
特にデメリットは無い。魔法少女である巴さんの近くに居れば安全だろうしな。
「まぁ、別に良いですけど……」
「それじゃあ決まりね!」
その時の巴さんの嬉しそうな顔がとても印象的だった。
と言うわけで巴さんのご好意(?)で今後も魔女退治についていくことになった。
俺としては限りある時間の中で、どうやって自分にとって納得がいく方法を探すかと考えていたので願ったり叶ったりの提案だった。
ここで一旦話が落ち着き、一息吐くために誰からともなく紅茶を口に含む。カチャリと陶磁器であるティーカップが音を響かせる。
「あっ、そうだ。あの転校生もマミさんと同じ魔法少女なんですか?」
心が落ち着くような静寂であったのに、その静けさに堪えられなくなったのか美樹が口を開いた。
転校生と言う単語に心当たりがあったので瞬間的に思考を廻らせると、巴さんが使い魔と戦闘している時に美樹から質問されたっけと思いだす。そしてよくよく考えてみると、あの黒髪の魔法少女が転校生とやらなのだろう。
「ええそうね、きっと彼女も魔法少女で間違いないと思うわ。それもかなり強い力を持っているみたい」
美樹の質問に巴さんは首を縦に振った。
その話が事実であるならば、あの黒髪の魔法少女は俺の予想通り魔法少女で、学校でキュゥべえが言っていた二人の魔法少女のウチの残りの一人なんだろうな。
「でもそれならさ、魔女をやっつける正義の味方なんだよね? それがなんで急にまどかを襲ったりしたわけ?」
へぇー、鹿目はあの黒髪の魔法少女に襲われていたのか。確かにコチラを睨んできていた彼女の目には敵意が感じられた。
『彼女が狙っていたのは僕だよ。新しい魔法少女が生まれることを阻止しようとしてたんだろうね』
「それはどういうことだ?」
始めて聞く情報にだんまりを決め込んでいた俺の口が開いた。
黒髪の魔法少女が新たな魔法少女が生み出されるのを阻止する理由が全く見えてこない。むしろ同じく魔法少女である巴さんは、鹿目や美樹を魔法少女にしようとしているように見える。いや、彼女たちが魔法少女になることを許容していると言ったところか。
だがどちらにしても新たに魔法少女が生まれてくることに対して認めているということになる。
『つまり彼女は自分のテリトリー内で新たに生まれた魔法少女が魔女を倒すことを良しとしていないんだ』
まったく……。キュゥべえの言葉はどこか遠回りでまどろっこしい。これじゃあ、コイツの言葉をまともに聞き入れるのは危ないかもしれないな。
俺がキュゥべえの言葉について考えていると美樹が疑問を口にする。
「なんで? 同じ敵と戦ってるのなら、仲間は多い方が良いんじゃないの?」
「それが、そうでもないのよね。むしろ競争になることの方が多いの。つまり魔法少女は必ずしも味方同士ってわけじゃないの」
現在進行形で俺が脳内で考えていることが目の前で話されている……。簡単には話してもらえないんじゃないかと思っていたのに予想外だった。
「そんなぁ……どうして?」
「魔女を倒せば、それなりの見返りがあるの。だから時と場合によっては手柄の取り合いになって、衝突することの方が多いのよ」
「つまりアイツは……キュゥべえがまどかに声かけるって、最初から目星をつけていて、それで自分の都合の悪い敵を増やさない為に朝からあんなに絡んできたってことか……」
「たぶん、そういうことでしょうね……」
シーン、と空気が重くなる。俺としてはどうということでもないのだが、巴さんの話を聞いて鹿目と美樹が軽く沈みこんでしまっているのが原因だ。巴さんは彼女たちを見て「やっちゃったー」と言いたげな表情をしている。
仕方が無いので俺が空気を軽くするか。
「そんなに気にする必要は無いんじゃないか?」
「え? でも……」
「だってお前たちは巴さんの魔女退治に付き合うんだろ? 巴さんが近くにいるなら安全は保障されたようなもんじゃんか」
視界の端では巴さんが「そんなに頼りにされても……」と、苦笑いしている。
「それとも何か? 巴さんと一緒にいれない日常生活の方が恐いのか? それほどまでにあの黒髪の子は危ないヤツなのか?」
「そ、そんなことないよ! ほむらちゃんはそんな子じゃない……と思う」
あの黒髪の魔法少女はほむらと言うらしい。本当に今さらの情報だな。それにしても鹿目の言葉が後半に行くにつれて力が無くなっていった。これは自分で言いながら自信が無くなっていったのだろう。
「ならいいじゃないか。そのほむらって子を鹿目が危ないと思っていないのなら何ら心配する必要はない。もしも危ない目に遭いそうになったらキュゥべえを通じて巴さんに助けを求めれば良い。そうだろ、美樹?」
「確かにそうだけど、向井はあたしたちのこと助けてくれないのかよ?」
美樹の言葉には溜め息を吐くしかない。
「俺には魔法少女をどうにかするなんて出来やしないよ。そもそも俺に戦う力なんて無いしな」
時間を繰り返すことは出来るけどな、と心の中で付け足す。厳密には強制的に繰り返されるのだが。この連鎖はまるで呪いのようで……呪い?
確か、魔女は人間に呪いをかけるんだよな?
だとしたら俺をこの永遠の牢獄に幽閉したのは魔女なのかもしれない。
ようやく見つけ出した可能性だが、今はそれを考えている場合では無い。
「だから俺を頼るな。俺は俺自身のことだけで精一杯なんだ。だがもしも俺を頼りたいというなら俺の願いを叶えてくれ。それを言い訳にお前たちが魔法少女になって戦え」
言いきってから、ティーカップに残っていた紅茶を一気に飲み干す。
言ってしまった……。
彼女たちには俺を言い訳に使えと言ったのに、実際は俺の方が向こうから頼んできたということで彼女たちを言い訳に自分の罪悪感を掻き消そうとしている。
「ごちそうさまでした」
重くなってしまった空気を軽くするハズだったのに、余計に重くしてしまって巴さんには悪い事をしてしまったかもしれない。
それでは、と言い残して俺は巴さんの家から帰ることにした。
結構長く巴さんの家にお邪魔させて頂いたようだ。ガチャリと開けた巴さんの家の玄関の扉の向こうではすっかり夜の帳は降りて、辺りを夕闇色に染めていた。足早にエレベーターまで直行し、一階であるエントランスホールまで降り、その足でそのまま巴さんの住むマンションを後にする。
自宅に向かって少し歩いてから振り返る。俺の視線の先には先ほどまで居たマンションがあった。
「何やってんだかな、俺は……」
自分でも理解はしているつもりだ。今の冷静ぶっている自分が、本当は頭の中がぐちゃぐちゃとパニックに陥っていることぐらい……。
だからその場その場で言っていることが矛盾していたと思うし、自分でもよく分からないうちに唐突に口から言葉を発している。それが今回裏目に出たかもしれない。
――自分が自分を制御出来ていない。
その事実が酷く俺を苦しめていた。しかも冷静ぶっている俺の脳はそれを強く認識してしまっていて、それが更にタチが悪い。
認識しているハズなのに自分を制御できないのがどうにももどかしくて仕方がなかった。
溜め息を一つ。十月も後半に入り、吐いた息が白く染まっていた。
「はぁ……、帰るか」
止めていた歩みを再び進める。街灯が俺の進むべき道を照らしてくれている。
「ああ、俺の未来への道も照らしてくれないかなぁ……」
道標さえあればあとは進むだけだから楽で良いな……。
翌日。
今日は忘れずに十字のネックレスを首から提げて登校した。朝起きて今日は忘れないぞとすぐさま首に提げた。このネックレスは十字架と呼ぶにはあまりにもぞんざいな造りをしていて、これまで俺はこの形を十字だと言い張ってきた。
言い張ってきたと言っても、俺がこの十字のネックレスを首から提げていることを知っている友人は少なく、それほどの人数に言ってきたわけじゃないが。
「おはよう」
教室のドアを開けたらまだ早い時間だったのに知り合いの顔が見えたので挨拶をしてから自分の席へと座る。昨日もそうであったのだが、長期休暇後の久しぶりの登校のような感覚に襲われていた。
それにしても昨日は言い過ぎた。
出会ってまだ数時間しか経っていなかった鹿目と美樹に俺の願いと言うか、目的の触り一部を言ってしまった。
――俺の願いを叶えてくれ。
この言葉だけ聞けばなんて傲慢なのだろう。とてもではないが人に頼む態度とは言えない。完全に自分の欲望を他人に強要させようとしているように見える。
自然と出てしまったその言葉はある意味俺の率直な願望なのだ。早くこの地獄とも呪いとも言える繰り返しの連鎖から解き放たれたい。だから俺は言ってしまったのだろう。
少し憂鬱気味に1時限目の授業の準備をしているとどこからともなくテレパシーが俺の頭の中に響いてきた。どこからともなくと言うか、おそらく同じ階層の教室だと思うけど。
『つーかさー、アンタ……ノコノコ学校までついて来ちゃって良かったの?』
『どうして?』
『言ったでしょ。昨日のアイツ、このクラスの転校生だって。アンタ命狙われているんじゃないの?』
そう言えば、昨日はアレからキュゥべえの姿を見てなかったな。どうせアイツは神出鬼没のようだし心配することは無いのだが、まだまだ聞きたいことがあるから、出来れば俺の近くにいてもらいたいものだ。
『むしろ学校の方が安全だと思うな。マミもいるし』
『マミさんは三年生だから、クラスちょっと遠いよ』
『ご心配なく。話はちゃんと聞こえているわ』
『わ、マミさん!? てことは向井にも聞こえてるってわけ!?』
確かに聞こえているな。だから何するってわけでもないが、他人の会話を盗み聞きしていたような罪悪感があったけど。
『この程度の距離ならばテレパシーの圏内だよ』
『えと……あの、マミさんおはようございますっ! 向井君もおはよう』
『おはよう』
一言だけ挨拶を済ませておくことにする。
『ちゃんと見守っているから安心して。それに、あの子だって人前で襲って来るような真似はしないはずよ』
『なら良いんだけど……。げっ、噂をすれば影』
言葉から察するにあのほむらって子が登校して来たらしい。俺からみればそこまで露骨に敵意を向けるような態度を示さなくても良いと思う。
『そうだよ。きっと大丈夫だよ、さやかちゃん。ね、向井君?』
『俺に振られてもなんとも言えないんだが……』
『わたし、昨日アレから色々考えたの。向井君に言ってくれたみたいに、わたしはほむらちゃんがそこまで悪い子には見えない。だからきっと大丈夫だよ』
……俺にそれを宣言されても困るんだが。
『そうね。いざとなったら私や向井君がいるわけだし、鹿目さんが信じる通りにしたらいいと思うわ』
さりげなく俺を入れないでくださいよ巴さん。
『うぅ……。まどかがそこまで言うなら、あたしが騒ぎ立ててもしょうがないか』
そもそも美樹が騒ぎ立てる必要など最初から無い。
『まぁ、頑張れ』
俺から掛けられる言葉はこれくらいしかなかった。
『うん、わたし頑張ってみる!』